2014/05/19

映画「禅 ZEN」:ただ坐る。ただ生き抜く。

2009年に劇場公開された、こちらの作品。






主演は、中村勘太郎(現・勘九郎)さん。
言わずと知れた、歌舞伎界の巨星・故・中村勘三郎さんのご長男ですよね。
40半ばのおばさんである筆者としては、「あぁ、あの可愛かった坊やが、よくぞここまで立派な役者さんに...。」と、実に感慨深いものがあります。





1:15以降の部分、弟さんの七之助さんとのツーショットには「きゃー!可愛い~~~!!!」を抑え切れませんっ。
それにしても、最初のサラダ油ギフトセットCMに出てくる勘三郎さん、若い...。
1970年代の若人、って感じです。



監督は高橋伴明さん。
そのためか、冒頭部分に奥様の高橋恵子さんが、主人公の母親役でほんの少しだけ出演されています。



道元禅師

道元禅師は1200年、京都にお生まれになり、14歳のときに比叡山(ひえいざん)にて得度(とくど)されました。24歳で仏道を求め宋に渡ると如浄(にょじょう)禅師のもとで修行に励まれ、「正伝の仏法」を相続されました。

28歳で帰国した後、正しい坐禅の作法と教えをすすめようと『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著され、34歳のときに宇治に興聖寺(こうしょうじ)を建立し、最初の僧堂を開いて修行者の養成と在俗の人びとへの教化を始めました。

また、仏法の境地と実践を伝えるべく『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の執筆を続けられ、45歳のときに越前に大仏寺(後に永平寺と改名)を建立しました。

その後も道元禅師は修行の生活を送りながら弟子の育成につとめられ、1253年、54歳でそのご生涯を閉じられました。
曹洞宗公式サイト・曹洞禅ネット「一仏両祖」の項より )





これまでの私は、海外在住が長いこともあって、仏教とは疎遠な毎日を送っていました。
(お線香の香りとお寺の純和風建築、そして鐘や木魚の音色は昔っから大好きですけどね!)
世界史選択の日本史嫌いゆえ、道元や曹洞宗について知っていることなんてごくわずか。
道元さん = 鎌倉時代に始まった日本の禅仏教を代表する僧侶。福井・永平寺を開山。
「正法眼蔵」などの著作は、ハイデッガーなど西洋の哲学者からも高く評価されている。
...その程度。






でも、夫の実家も、私の実家も法事の時にはずっと曹洞宗のお寺にお世話になってきたんですよ。
なのに、「全然知らないんですぅ~☆」じゃぁ、ねぇ。
いい年した大人が、さすがにそれではまずいと思いましてね。





旅に習い事に同窓会に...
と、現在、第二の青春を謳歌中の、我が家の3人のおじいちゃん・おばあちゃんたち。彼らもそろそろ80代です。
子世代としても、曹洞宗や、お寺さんに関する最低限の知識ぐらいは押さえておかないと、いざという時、お坊さんときちんと話もできないだろう...と、ずっと気になってはいました。
そんな時、YouTubeでたまたま見つけたのがこの映画「禅 ZEN」。







なんとありがたいことでしょう...。
この週末、全編フルに堪能させていただきました。



心に響いた場面は多々あります。
中でも一番ずしんと来たのが、ここ。上の予告編でも出てきましたね。



内田有紀さん演じる、貧しい遊女・おりん。
病気で乳飲み子を亡くした彼女は、救いを求めて道元の寺を訪れ、坐禅に取り組みます。



53:52あたりからの場面です。


http://youtu.be/PcoNpB4zG3o?t=53m52s



道元の弟子・俊了から坐禅の手ほどきを受けていたところ、抑えていた感情が爆発したように
「死んでやる~~~!!!」と、激しく取り乱し始めた、おりん。


「あたいは自分が憎い。

殺してやりたいほど、憎い。

あたいの中に仏がいる、なんてだます、あんたらも憎い...!

南無阿弥陀仏の方がよっぽどましだ!!!」




「嘘ではない!」


騒ぎを聞きつけて駆けつけた道元の、魂のこもった一喝。


「汝の中に、仏はいるのだ!!!」



「...ただな、簡単に仏さんには出会えんのだよ。

人間は誰もが あれが欲しい これが欲しい

ああなりたい こうなりたいと 貪(むさぼ)り、

思うようにならぬと 腹が立って 愚かなことをしてしまう。



そのようなもので目隠しをしているから、

仏が見えぬのだ。


だから坐るのだ。

その目隠しが取れるまで、ひたすら坐るのだ。

そうすれば 自分の中の仏と向き合える。


...おりん。


自らを殺すとは、仏を殺すことだ。


そして 他者への依存は
自らの仏を 否定することだ。」



実にシンプルな言葉です。
道元禅師はここで私たち人間全てに向けて、大変重要なメッセージを発しておられます。



「自殺は、してはならない。
他殺も、してはならない。
そして、自分以外の他者への依存も、

 止めねばならない。
仏は、自分の中にいる。」




精神世界・スピリチュアルといった分野の本は相当読み漁ってきたので、これまでにも似たような言葉はどこかで見聞きしているはずです。
でも、ここまでストレートにずしんと自分の内奥部分にまで届いたメッセージ、ちょっと思い出せません。




何事にも受け入れるのに適切な「時」(タイミング)がある。そういうことなのですね。
すごいなぁ。「時」と自分の内面が化学反応した時にだけ起こる、魔法の力って。




道元禅師という人物、そして禅の教えにとても興味が湧いて来ました。



これまで自分が経験してきた出来事ひとつひとつを教材としながら、先人の残してくれた禅の叡智を少しでも理解したい。
心からそう思えました。
もう「禅もどき」に戻ることは無いでしょう。



他にも忘れがたい場面もいくつかありました。


例えば、当時の執権・北条時頼が道元から教えを授けられる場面。
周囲からの殺意や敵意といった、さまざまな悪しき想念を一身に受けるうちに、狂人すれすれのところまで追い詰められてしまった、【孤独で哀れな若者】という時頼像を、藤原竜也さんが見事に演じています。それに対する道元禅師の教えも見事です。
藤原竜也さん、十代の頃から「心に闇を抱えた少年(青年)」を演じさせたら天下一品でしたよね。素晴らしい俳優さんだと思います。日本版レオナルド・ディカプリオ...って感じ、しませんか?



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↑そ、そっか。だから「友情出演」なのね!しかも高橋大輔選手!どこかの図書館にあったら読みたい~!



また、この作品は上に引用した部分でもわかる通り、「おりんという女性の成長物語」という伏線からアプローチすることもできます。
アマゾンレビューで多くの方々が書かれていますが、最後の場面での子供たちとのやり取りには、思わず目頭が熱くなってしまいます。引用なんて野暮なことはしません。
ぜひ、ご自分でご覧になって、何かを感じてみてください。
「慈母」そのものといったまなざしで子供達を見つめる内田さん。美しさにほれぼれしますよ。



最後には、力強く中国の大地を一人歩む、おりんの姿が映し出されます。
自らの天命を見出した人ならではの澄み切った、まっすぐな瞳が印象的です。
そんな彼女の姿を遠くから見守る道元禅師の、そして引いてはお釈迦様の目線にも似たカメラアングルでもって、作品は静かに幕を閉じます。



ほんとに、この作品は「人間的な、あまりに人間的な」おりんさんの存在抜きには成立し得ないですよ。
人生のスタートがどれほど不幸まみれでも、何度つまづいたとしても、それでも、人間には自力で仏性をおのれの中に再発見するだけの力が、ちゃんと備わっている。
彼女の生き方がそれを教えてくれました。






そしてそして。
主演の中村勘太郎(現・勘九郎)さんが作り上げた道元禅師像。
映画全編をスーーーーッと「流し見」してしまうと気付きにくいのですが、こうして文章にするためYouTube上の動画をちょこちょこおさらいしてみると、


若き学僧時代の道元】



から



【禅の教えを体現する偉大な霊的指導者・道元】



に到るまでの間、話し方や表情が大きく変化しているのに驚かされます!
ほとんど別人、と言ってもいいほど。いやぁ~、感服です。お見事としか言いようがありません!!!



勘太郎さんも、中村勘三郎(先代・勘九郎)という偉大な父親の長男として歌舞伎の世界に生まれ、「どうにもならない運命」の呪縛に幼い頃からずっと苦しんでこられた方ではないかと思います。



ガッチガチの伝統やらしきたりやら、とにかく「過去から伝えられてきた物が偉いんだ!」という業界にあって、いかに自分というものを表現できるか。

いかに自分なりの生き方を切り開いていくか。自問自答を絶えず迫られます。
そうした困難な課題と常に向き合い、ひとつひとつハードルを乗り越えてきた中村勘太郎さんだからこそ、日本仏教の歴史に名を残した偉人・道元禅師を演じるという難易度の高いお役目も立派に果たすことができたのかも。
私には、そう思えてなりません。



仏教と歌舞伎。
全く異質に見える二つの世界ですが、
【先人たちの業績を尊ぶ】
【ひとつの道に専心する】
【常に『超一流』のレベルを要求される】
点では共通しています。
案外、近いところに位置しているのかもしれません。




でなかったら、勘太郎さんがあそこまで「透き通った」感じの道元禅師は演じられないと思うのです。
監督さんが「とにかく真面目」と評する、彼のお人柄によるところも大なのでしょうけど。




DVDは2種類あります。ご予算に合わせて、どうぞ。
映画館までの交通費、それに加えての飲み物だの、食事だの、なんて出費を考えれば、決して高いお値段ではありませんよね。


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(早速、楽天市場のポイント使って買っちゃいました~♪手元に置いて、じっくりと見返したい作品ですから。)



道元禅師の教えを福井・永平寺とともに受け継ぐ、曹洞宗もうひとつの大本山・総持寺(横浜市鶴見区)にも、今年はきちんとお参りしたいなあ。日帰りの坐禅体験、日程が許せば行きたいですね。
白状しますと、今まで私にとっての総持寺と言えば、



石原軍団




(石原裕次郎さんのお墓があります。しかも、境内の立て札には「裕ちゃんの墓」...。)



と、



毎夏恒例の「一休さん」レイブ盆踊り w/DJ Bouzuでしかなかったので、





そろそろ意識の書き換えをしないと(笑)。
(一休さんは曹洞宗でなく、もうひとつの禅宗メインストリーム・臨済宗のお方、なんて突っ込みはナシよ♥♥♥)


2014/05/07

「依存心」。許さないのが、ほんものの師。

本当に生徒の成長を願うような、良心的な師。
生徒が自ら転び、痛みを覚え、
そして自力で立ち上がり、
傷が癒えるまでの全過程を、直接体験するに任せます。



美しい、詩的な言葉でもって全てを一気に説明し尽くすことは慎みます。



哲学者の本からの一説を引用し、小利口な解説を施すことも控えます。



「痛い!」「つらい!」を他人の言葉で説明されたところで、
生徒本人は何も学ばない、と、知っているからです。
自らの体験に基づいた知だけが、確か。
ほんものの師ならば、それをよく理解しています。



また、


「大丈夫。あなたは転んでなんていない。全ては夢です。」
と、甘い言葉で生徒を煙に巻き、生徒自身が体験したことを否定するようなことはしません。



「おぉ、よし、よし。痛かったのね。さぞかしつらかったでしょうね。」
まるで過保護な母親のような、甘ったるい慰めの言葉も口にしません。



ただ、転び、起き上がり、体験するのを見守ります。
手出しはしません。



そして、


「先生、すがりつかせてください!」
生徒が見せびらかす「ファン心理」の裏には
根深い依存心が隠されていることを、決して見逃しません。




真の師はそのような依存心を長引かせることをきっぱりと拒みます。
そのためには、我が身が嫌われ、誤解され、時には誹られることも辞しません。
己自身の「好かれたい」という欲よりも、生徒自身の魂の成長を優先します。



なぜって、生徒にとっても、そして師自身にとっても、



「依存心」こそが魔界への入り口となる




ということをよく理解しているからです。



「依存心」。


これに毒された生徒は、自らの判断力・思考力を放棄してしまいます。
その結果、真の光と、光ならざるものとの区別がつかなくなり、
「無明」という魔界へと落ちて行きます。



師にとっても依存心は要注意です。
生徒に頼られ、崇め奉られれ、自らを「グル」「聖者」の地位へと持ち上げられることを許すと、
いつの間にか「傲慢」(慢)という魔界へと引き込まれていきます。



「依存心」。
この地上に生きる人間と人間との間に置かれると、実に厄介な代物と化してしまいます。



「先生、私は先生のご指導が無いとどうにも困ってしまいます。」
師は答えた。
「私を頼るな。神に頼りなさい。
(Don't depend on me. Depend on God.)」

("Sayings of Paramahansa Yogananda" Self-Realization Fellowship, Fourth Edition, 1980.)


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「私がやっているみたいに
(...と、胸元の翡翠製の小さな観音様らしき像が彫刻されたペンダントを見せながら)
Kwan-Yin(観音様)に助けていただくようお願いしてごらんなさい。
あなた、知ってるわよね?」





ありがとう、ジュディス・オルロフ(Judith Orloff)先生。
来月、日本に帰ったら浅草の浅草寺にお参りしてきます。

浅草寺 慈悲の仏さま
浅草寺ご本尊の観世音菩薩さま







楽天ブログの過去記事でジュディス・オルロフ先生のことには何度も触れています。

http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/?ctgy=8



「Dr.ジュディス・オルロフってこんな人」
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201105230000/






The Ecstasy of Surrender: 12 Surprising Ways Letting Go Can Empower Your Life
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最新刊です。今回は日本語版も出るそうですよ!



それまでは、こちらの邦訳2冊をぜひどうぞ。

スピリチュアル・パワーアップ・レッスン―幸せになる第六感の磨き方
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2014/05/02

ほんものの中のほんものを見る ~白洲正子の「骨董極道」より

白洲正子さんの本を読み始めたのは、やきもの好きな義母の影響です。




白洲正子(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AD%A3%E5%AD%90



夫の実家に行くと、白洲さんの著作(主に文庫本)がここかしこに置いてあり、私も自然と手に取るようになっていました。
とはいえ、骨董とか、古美術のことには相変わらずてんで疎いままなんですけどね。(テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」は好きでよく見るんですが...。)
そのようなど素人の私でも、彼女がとてつもない「巨人」だということぐらいはわかります。



伯爵家の血を引く戦前の名家に生まれ、若くしてアメリカ留学。その後、彼女同様イギリス留学から帰って間もない白洲次郎と結婚。
吉田茂や近衛文麿といった、昭和の歴史で重要な役割を果たした人々とも親しく交流。



また、能や古美術、中世文学といった日本の伝統文化への造詣も深く、各界の第一人者との対談ではその該博な知識を余すところなく披露している。


...とまぁ、こんなこと、別にわざわざ書くまでもないのかもしれません。有名人ですからね。


前回の記事(コメント欄)で、「骨董の真贋見極め」の話をちょろりと出したのですが、久々に白洲さんの本を読み返したくなりました。
お友達の小林秀雄の代表作・「無常という事」からも少しだけ引用しましたしね。


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
小林 秀雄
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(白状します。前回の小林秀雄の引用部分は、青空文庫 所収、坂口安吾の「教祖の文学」 からの孫引きでした。
手元に小林秀雄の原本が無かったので、つい...。
「孫引きはいかん。原典から引用せよ。」とちゃんと教えてくださった○大学の先生方、すみませんでした!)


坂口安吾 [ちくま日本文学009]
坂口 安吾
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↑これがきっかけとなって安吾ファンになりました。自分にとっては記念碑的一冊。
青空文庫もいいですが、出版社がつぶれては困っちゃうので、紙の本も買わなくっちゃね。
「石の思い」「風と光と二十の私と」
のような切ない作品と、「日本文化私観」に登場する、「猫遊軒猫八」のような脱力エピソードとの距離、たまりません。




先代の「江戸家猫八」さん、一番左の方ですね。3:39付近で登場します。昔、時代劇でよくお見かけしました。




ま、話が脱線しましたが、今日は白洲正子・坂口安吾という昭和期に活躍した偉大な二人の文人を結ぶ接点・小林秀雄について、白洲さんが回想した文章を抜き出してみましょう。
小林秀雄の「ホンモノを見極める目の磨き方」。かなりスパルタ式ですよ。飲まされた酒の量も半端じゃなかったそうですし。
そうした教育で鍛えられた白洲さんがたどり着いた結論、なかなか味わい深いものがあります。


小林秀雄(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_(%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6)


古美術蒐集家・鑑賞家の秦 秀雄氏との対談「骨董極道」より。



日本の伝統美を訪ねて (河出文庫)
白洲 正子
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白洲    小林秀雄さんにだって私ずいぶんいろいろ言われましたよ。
ぐい吞を十か二十出していらっしゃるんです。
初めから値段つけろと言うのよ。まだ陶器なんか一つか二つ買ったくらいの時分よ。
わからないんだな。だけど、値段がつけられないで、骨董がわかるかって、どなられる。
(...)」


秦     何しろ、にせものを人が買った場合は、なるべく感情を傷つけないようにやさしく言うもんなんですよ。それを青山(二郎)や小林ときたひにゃ、
「バカッ、こんなもん何だい。一人歩きできないくせに、アホウなもの買ってきやがって」
とボロクソですよ。
こっちはにせものだったということでガッカリするのに、その上二人にやっつけられて(笑)


白洲    にせものならまだいいの。ほんものでもつまらないものを買ったりしたらひどいですよね。
頭から「にせもの」ってきめつけられちゃう。ほんものだのに。



結局、ほんものの中のほんものを
見るということがむつかしいのね。





商売人は小僧さんでも真贋ということはわかるんだけど、そうでなく、ほんものの中のほんものというのは、やっぱり商売人でもなかなかむつかしいですよね。
商売の場合、それは金だから、そんなこといってられないですよね。



だけど、それが見えなくちゃやっぱり駄目と、いまになって思うんです。その当時はわからなかった。


ほんものでもにせものといわれて、商売人のところへ持っていくと、
「これはほんものです。幾らでも、いい値でいただきます」と言うけれど、



青山さんや小林さんにしてみれば、
    

ほんものの中のピンというものでなかったら、
にせなのよ、全部。

(「日本の伝統美を訪ねて」 白洲正子、河出文庫、2009、pp.93-94)



その後、これまた興味深い発言が飛び出します。


秦    私みたいに老境になると、もう名品の展覧会も、何も行きたくないですわ。それより骨董屋へ行って、


これはというものを見て、
それにのぼせ上がることですよ。



それ一つをほんとうにつかみとれば、天地にみなぎる美術品のアルファから、オメガまでを私はつかめると思う。
いくら博覧強記で勉強したって、駄目だと思う。


白洲   そう、それがこの頃の一番悪いくせだと思う。何々入門。
こんなこと人に聞いたってほんとは駄目なんだね。



つまり好きなものをお買いなさい
と言うよりしかないよね。


まあ、初めは感動といったって、初めっから感動するわけにはいかないみたいなものがあるでしょ。何というか、縁を待つというかな。
本に書いてあったからこれがほしいなんていうことだと、



人に頼ってるわけでしょ。
だから自分のものにならない。



この頃手っ取り早くわかるということが流行なんだけど、



手っ取り早くわかったらもうよしたらいい。



本を読んでわかるんなら
よしたらいいと言いたくなる。

まあ、それじゃあまり不親切だけども、ほんとは親切なんですよ。(...)」
(前掲書、pp95-96 )


もう一つ、どうぞ。


白洲  なぜ骨董屋に行くかというと、つまり古いものというのは、安い高いにかかわらず、いいものをみんな大事にして残してきているわけですよ。


だから自然古いものの中に
いいものが多く残っているわけ。



新しいものじゃそうは行かないですよね。
一時代に作家だってそう沢山出てこないから。



現代のむつかしさは、作家の多過ぎること。



作家が多過ぎるから目移りするんだろうけど、でもそれはいいことだ。
多けりゃ選ぶのも多いんだからね。
その中で


好きだと思うもの、
人にいわれたんじゃなくて、
自分がいいと思うものを
まず一つは買ってみるということですよ。
(同、p.96)
      

いやぁ、実に愉快、痛快。怪物くんクラスですねぇ。
骨董談義として、マニアの人々だけに独占させておくのは勿体ない話です。





かっこいい。

英語のhandsome womanって、きっと彼女のような女性を指した表現なんでしょうね。