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2017/02/13

【新作発売!!!】P.A.様が癒された「映画セラピー」【2/17】(※初出・02/11/17@3号館)

きゃ―――――っ✨!!!(脳内鼻血ブ――――――&失神!!!)


リスボン生活に終止符を打ち、また本拠地をパリに戻されたのですねっ。ワクワクドキドキ...✨
やり直しフランス語、再び気合入れて頑張るぞー!!! よっしゃー。
(←何度目ノ気合注入ナンダカナー...。👀)

【※ポーランドが生んだ21世紀を代表するピアニスト、P.A.様こと、ピョートル・アンデルシェフスキ(Piotr Anderszewski)様💖。
昨年3月にこの方に『再会』してからの約11か月間、1号館ブログの方ではさんざん恥さらしな文章を書いてきました。 
 
常識的な考え方の方にはおすすめしません。妄想暴走がひどいので胸焼け注意です。】

今までのインタビューでは滅多に触れられることの無かった【私生活】にも話が及んでいますね。これは珍しい。

「一度も結婚したことはない。僕は全身全霊で恋愛するかの如く音楽にのめりこむから、実生活でじっくりと恋愛する暇なんて無いんだよ」(意訳)

くぅぅぅーーーっ(感涙)。
ファンの心臓をアイアンクローさながらの強烈な力でもってガッチリ掴み、そのまま握りつぶしかねないような(もちろん、大いに望むところですっ)、実に心憎いコメントでありますな。


そうです。
親愛なるP.A.様はそれでいいのです。
故・ダイアナ妃がテレビの独占インタビューで「みんなの心の女王になりたい」と語ったように、忠実なるわれわれファンにとって、あの方は永遠に「心の王子様」であり続けるのです。


(「でも、次の長期休暇にはそういった[恋愛・結婚といった]プロジェクトも...」なんてオチを最後に添えるところが、頭の回転が素晴らしく速いあの方ならではのサービス精神なのですよ。
記事を書く人が書きやすいように、と、心配りをなさっていらっしゃる。
うわっ、もうだめー。ロマンチックが止まりもはーん!!!


母方のおばあ様がユダヤ系ハンガリー人というのは知っていた。
だけど、ポーランド人で、ユダヤ系の血が全く入っていない父方のおじい様までがナチスドイツの捕囚となり、アウシュヴィッツの強制収容所で命を落とされていたとは...。


封印したい過去。
そしていつかは開封して陽の下にさらしたい、といった過去。
やはりあの方はたくさん、たくさーんお持ちでした。


P.A.様、今回の映画製作は一種のアートセラピーとしてうまく機能したようですね。
ご自分が、家族が、そしてワルシャワという街がずっと背負ってきた重い歴史(「トラウマ」という語を使われていました。)を、映像と音楽という芸術作品へと昇華させることで、うまく折り合いをつけられたご様子。


良かった。ほんとうに、良かった。
一ファンとして、心から喜ばしく思います。


日本では来週発売✨の新作がこちら。

(こちらではなぜかその一週間先の2月24日発売だよ...💦
どーしてカーネギーホール@NYCの2月17日公演に合わせて出してあげないのさっ💢)

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2017/01/26

【閑話】人はみな、それぞれの物語を背負って今ここに。【休題】

Facebookで禅についての話をしていた時、ふとこのセリフを思い出した。
もう9年前になるのかあ。




「あなたと違うんです!」

誰もが密かに心の中で一度や二度はつぶやいたことのある一言を、つい、ポロッとマイクの前で出してしまった福田元首相。
記者団の質問についカチンと来て、うっかり本音が漏れたのだろう。


みんな、当時はさかんにこれを笑い、呆れた口調で語っていたけど、実は「他人事じゃないな。場合が場合なら、自分だってやりかねない。」という複雑な思いで見ていた人も多いのではないかな。
少なくとも、私はそうだった。
あの手のゴーマンかましちゃいました発言、脳内では昔から今の今に至るまで結構頻繁にやっているように思う。
ただ、口に出して人前では言わないだけだ。罪深さは同じである。


「覚醒」

「マスターからの瞑想伝授」


「チャネリング能力が花開く」

といった甘い言葉に釣られて、不当に高い金をぽんぽん払っちゃうような消費者が後で泣くのは、ある程度仕方ないこと。自業自得だ。
今回だけは授業料だと思って諦め、次はもうちょっと考えてから、必要とあらば信頼できる人の意見を聞いてから、事を起こすようにすればいい。
(金が余って余って使い道に困る?だったら、ご自由にどうぞ~。)



でも、何でそういうビジネスに引っ掛かるか、と考えたら、全ての根っこにはこの


「あなたと違うんです」

を外の世界にアピールしてくれるような《何か》



を求めずにはいられない、という人間のしぶとい欲望があるせいだ、思う。



みんな、人より頭ひとつ分出たくって、自分のことを差別化したくってたまらないのだ。


それは、最近流行りの言葉を使うと、「マウンティング mounting」せずにはいられない、という欲望にも簡単につながる。
見栄っ張りの女性集団、例えばちょっと競争心の強い幼稚園ママ友グループなんかではしょっちゅう見られる光景らしい。
おお、こわ。


【参考記事: 
日経WOMAN「女性同士のイヤな感じ、正体は「マウンティング」 】


この「あなたと違うんです」とつい言っちゃう/思っちゃう、本能的な衝動。



どうやったら、コントロールできるんだろう。
どうやったら、湧き上がらないようにできるんだろう。
どうやったら、「他人と比較する」ことをやめられるんだろう...。



しばし考えて、今、ヒントらしきものがふと浮かんだ。



車なんて基本的にちゃんと動いて、燃費が良くて、目的地まで安全に行って帰って来れれば100点満点。そう私は考えている。
今乗っているのは、8年前に買った日産の小型ハッチバックで、まさに100点満点の車。だから、買い換える予定なんて無い。最後の最後まで大切にするつもり。



車へのこだわりなんてゼロ、の人間だから、誰がベンツに乗ろうが、BMWに乗ろうが、革張りシートの最上級グレードの車に乗ろうが、
「ああ、車が好きで、そこにお金をかけたい人なんだな。」
って思うだけ。
値段なんてぜ~んぜん気にならない。というか、よくわからない(笑)。
これまでの数少ない経験から、高級車のシートは確かに乗り心地抜群、と知っている。長時間ドライブをよくする人だったら、身体への負担を考え、たとえ多少高価であってもどうしても上位車種が欲しい、と考えるのも理解できる。



あるいは、その人か、その人のパートナーがその特定の車種に若い頃からずっと憧れていたのかも。
今、ようやく金銭的にも余裕が出るようになり、遂に購入へと踏み切ったのかもしれない。めでたく夢をかなえたわけだ。
勝ち組と見られたいから、ベンツに乗る...なんて薄っぺらい人ばかりじゃないのだよ、世の中は。


それなりの理由があるから、
今こうなっている。


一つ一つの選択の背後には、
その人だけが知る、
その人なりの理由がちゃんとある。



そう。この、「選択ノ背後ニ理由アリ」という部分に思いを馳せるだけの想像力を奮い起こすことが、今、私たちに強く求められているんだと思う。



表面に出ている現象だけを見て、

「なにあの人、金持ちぶっちゃって。」
「だんなさんが医者だからって鼻にかけてんじゃないわよ。」
「○○大学出たのに、その程度の会社に勤めてるの?」
「(タワーマンションの)2階? 安いからそこしか買えなかったんでしょ?」


と言い放ってしまう人の内側では、次のような流れが起こっているはず。

「人と自分との浅薄な比較

--->気に食わない『異物』、発見

--->脊髄反射 
(何も考えない。本能だけでガバッと動く。)

--->「あぁ、ムカつく!」「凹ませてやりたい!」


脊髄反射とは、本能そのまま、原始動物時代から受け継がれてきた部分が丸出しといった感じでとっさに出てしまう反応のこと。
高度に発達した生き物(人間のような。)にのみ与えられたすばらしい才能である「想像力」と共存共栄させていくのは、なかなか難しいかもしれない。
どちらか一方に偏らねばならないのだったら、より洗練され、より有益なはたらきだと誰もが認める【想像力】を選ぶべき。
本能そのままに敵意むき出しな生き方をしていては、心安らぐ人間関係なんて築けるわけがないのだから、いつか必ず行き詰まる。


上に挙げたような一連の脊髄反射のパターンが対人関係の中ですぐに出てきちゃうような人々、あなたの周囲にいないだろうか。
もし、思い当たる誰かがいるのなら、その人(たち)からは勇気をもって距離を置くようにした方がいいだろうね。
時間も、エネルギーも、その人(たち)には知らず知らずのうちに随分と吸い取られているはずだから。


一人になるのは怖い。
その気持ちはよくわかる。(かつての私自身がそうだった。)
でも、時間泥棒・エネルギー泥棒同然の人達から離れることができれば、自分ひとりで過ごす時間という素晴らしいごほうびが手に入るのだ。
その時間を使って、「これがあるから生きていける」「これがあれば幸せ!」と言えるような興味・関心事、もしくは打ち込める仕事を探せばいいじゃないか。
その方が、どれだけ身も心も豊かな気持ちになれるかわからない。


長いようで短い人生。
どうせ一緒に過ごすなら、「良い人でありたい。今日はイマイチでも、明日こそは良くなりたい。」との心掛けで生きている人と過ごした方が、得られる喜びが大きいのだから。
もし、今その場所で、そのような人が見当たらないのであれば、「まぁいいさ。縁があればそのうち出会うだろう。」とどっかり構えて、そして一人でなきゃできない何かに打ち込めばいい。
本、音楽、映画、美術、工芸、写真、釣り、スポーツ、ヨガ、山歩き、寺社巡り、下町散策...など、一人で自由に動き回れるからこそ楽しめる何かを探しに行こう。
他人がいても、いなくても、自力で幸せの種を見つけられる人になろう。


ひとつの集団がどっぷりと浸かっている無意識の悪癖は、薬物中毒にどこか似ている。
自分一人が「よし、手を切るぞ。二度とやるもんか。」と頑張ったところで、また「ね~、行っちゃうのぉ~?もうちょっと一緒にいようよ~。」と後ろから引き留められると、つい、ズルズルと付き合ってしまうからね。なかなか断ち切るのが大変。
朱に交われば赤くなる。昔の中国の人はうまいこと言ったもんだ。


「あいつ、気に食わない」となったら、たちまち悪口大会が始まり、その人のことを「共通の敵」へと仕立て上げて、自分たちは「共犯者」としての結束を固める...。
そんなことに時間も、エネルギーも費やして、面白い?
そんな話ばっかりして、幸せ?
モヤモヤするばかりの人間関係なんて、切っちゃえ。スルッと逃げちゃえ。
(悪口は、お口もお顔も心も歪みます♪しかも年取ったら直したくってももう直りません!)


もし、そういった「仲間」と距離を置いた後も、自分ひとりでいて、誰かの行動を見た瞬間に心がざわざわっと騒ぎ、即、脊髄反射だっ!って流れに飲み込まれそうになったら、まさにチャンス到来、だ。
自分を鍛えて、よりまっとうになるための絶好のトレーニングの機会がやって来た、ととらえればいい。


で、

「目の前にいる人のこの行動も、
それなりの理由があってしたこと。
背後には何らかの物語が、ある。
表に見えている材料だけで、即、決め付けないにしよう。」


と、言い聞かせるといいよね。何度も、何度も、繰り返して。


「どんな人の背後にも、物語がある。
なぜその人が今あんな風なのかにも、理由がある。
誰かをこき下ろしたくなったら、そのことを考えてごらん。」



そういう訓練を人知れず繰り返すように努める人が一人でも、二人でも増えていけば、私たちが生きる社会も少しずつ変わっていくかもしれない。



...まぁ、それが簡単に出来るようなら、世の中っはとっくの昔にもっと平和になっているはずだけどさ。
(そもそも私自身が全然できてないもの。
だから、こうして文章に記すことで自分に暗示をかけているのだ。「もうやるなよ!」って自戒の念で書いてるんですよ。)



私のエニアグラムの師匠である故ドン・リソ(ドン・リチャード・リソ)先生が、来日された時、教え子にアドバイスを求められ、こうおっしゃったそうだ。



【反応(reaction)】に気を付けなさい。


【過去記事:ドン・リソさんの夢〜「置かれた場所で咲きます」宣言 】
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/08/blog-post.html 


...何も考えずにバババッ!と口から出してしまう、或いは心の中でつぶやいてしまう脊髄反射的なひとこと。
これでもって人生を狂わせてしまわないよう、気をつけなければ。


とっても難しいことなんだけどね...。何度も言うけど。


心と頭をクールダウンして、まっとうな思考の働きを活発に保っておきたいのなら、やはり瞑想、坐禅のような身体を巻き込んでの訓練を日頃から地道にやっていくしかないんだろうな。

The・禅―ダルマは世界を駆ける
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せっかく詳しい方に推薦していただいたのに、中古本のお値段がた、高い...。復刊されないかなあ。


ヨガの後にやる瞑想だと、どうも自己流に陥ってしまっていけない。

妙なスピリチュアル・ファンタジー系(内容ですか?まぁ、その、スピリットガイドとか、ハイヤーセルフとか、守護天使とか、そっち系統ですよ。あぁ言っちまったよ。恥ずかし~。)に走ってしまいがちで、こんなんでは非常にまずいと思い始めている。
何とかならないかなあ。
変な癖、無くしたいんだけど、一人ではなかなか...。


アメリカ人のやってる禅センターも近くにあることはあるんだけど、うーん、何だかなぁ、って感じ。
(当地の禅センターには日本人のお坊さんは常駐していない。サンフランシスコのような大都市じゃないからね。)

あんなに豊かな漢字の世界、シンプルだけど実に味わい深い仏教用語の世界を知っている日本人が、わざわざ英単語で禅を説明される、ということに物凄く抵抗がある。

Satori(サットォーリィ←"r"の音が効いた発音で。)なんて言葉を耳にするの、やだもん。
(だったら、インドから来たヨガを白人系アメリカ人の先生に教わっていることについてはどう説明するんだ。←自分でツッコミ入れてみる。)


去年は時間が無くて諦めたけど、次に日本に帰った時は、必ずどこかの坐禅会に行くぞ!
(継続して行ければベストなのだが、海外在住者ではそりゃ無理というものだ。)


臨済宗・黄檗宗の坐禅会情報:
http://www.rinnou.net/cont_02/zen_info.html


曹洞宗の坐禅会情報:
http://www.sotozen-net.or.jp/searchsystem_zazen


憧れの方・P.A.様も、数年前の長期休養中には京都の禅寺で坐禅なさったんですものね。新作、今からとっても楽しみです。


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新作、遂に2月17日発売です。予約受付中!
モーツァルトとシューマンの「ファンタジア(幻想曲)」集。
シューマンの方はシーモアさんが映画のラストで弾いた、あの第三番も入っています。

...それにしても、なんと素敵なお姿なのでしょう...。(*゚∀゚)=3ハァハァ.

(もし、坐禅会に行って、こういう方が隣にいらっしゃたら、もう、鼻血ブー・心臓バコバコ状態で、とても坐禅どころじゃなくなると思うな~。警策...きょうさく...でひっきりなしにビシッ!バシッ!と打ってもらわないことには、1時間持たないかもしれない...。  
これから先、いつかどこかでP.A.様にお目にかかれる機会に恵まれるのであれば、坐禅道場やヨガの教室以外の場所がいいかなー。 ←この不届者。一体何を期待してやがる。

※ちなみに、私が2015年の夏に参加した曹洞宗大本山・總持寺の坐禅会では、「手を上げて合図した希望者のみビシッ!」でしたよ。 なので、怖がり屋さんでも安心して参加できます。
持寺HP 参禅のご案内http://sojiji.jp/zenen/sanpai/sanzenkai.html 


福田さんの「あなたとは違うんです」を何度も聞いていたら、なぜか突然このヴィンテージなCMを思い出してしまった。
ああ、昭和。





福田さん、あの突然の辞任会見以降、ほとんど政治の表舞台に出られなくなってしまったような気がする。今思うに、「あなたと違うんです」のあの一言って、このCMの「コレ(小指)」級の破壊力があったな。後世に残る名ぜりふだった。

2016/12/07

創造しよう。「自分が充たされるため」に。【後編】


また間が空いてしまいました。
お元気でお過ごしのことと思います。
故国・ポーランド二都市での室内楽公演を終えられ、12月からはいよいよ本格的なソロ・リサイタルを中心とした演奏会シーズンの始まりですね。
日が暮れるのが早く、夜がとっても長い冬のヨーロッパ。
場所によっては相当冷え込むところもあるのではないかと思います。
どうぞお身体を大事になさって、これからの約7か月を無事乗り切ってください。ご成功をお祈りしております。
・・・あっ、でもその前にまずは"Wesołych Świąt! /Joyeux Noël! /Merry Christmas!" 。
大切な方々と一緒のクリスマス休暇、楽しんでくださいね。



(原題は"Seymour: An Introduction)

というニューヨークシティ(NYC)在住の、今年89歳になるピアノ教師・ピアニスト シーモア・バーンスタイン(Seymour Bernstein)の日常を追ったドキュメンタリー映画の話をしかけたところで、一旦話を区切りました。

【こちらが映画の予告編です。上映スケジュールはhttp://www.uplink.co.jp/seymour/theater.phpでご確認ください。
日本全国、いろいろな街で続々と上映が決定しています。皆さんのお近くの映画館にも来るかもしれませんよ。クラシック音楽好きも、それほどでもない人も、ぜひご覧になってください。】



なんて素敵な笑顔なんでしょう...。



この予告編の途中に、【"わたし"の先生】という字幕が流れますが、私の場合、映画の最初から最後までシーモアさんが


【"わたし"の地蔵菩薩さま

http://www.wikiwand.com/ja/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

に見えて仕方がありませんでした。


子供と動物が大好き。(愛猫家さんです。)
ご自身もまた、幼子のように純粋で、慈悲深い心の持ち主でいらっしゃる。
日本人のわれわれには実に馴染み深い、「お地蔵さん=地蔵菩薩さま」のイメージにぴったりとはまるような、愛らしいおじいちゃま先生がそこにいました。


フリー素材屋Hoshino

目の前にいる人を包み込む、あたたかな微笑み。
戦死した仲間を思って流した、きれいな涙。
そしていたずらっ子の少年が見せるような、お茶目な表情。
映画が始まって何分もしないうちに、私、シーモアさんの魅力にすっかりとろかされてしまいました。


途中で登場する日本人生徒さんのIchikawa Junko(市川純子)さんの言葉を借りるならば、まさに"I fell in love in him.(恋しちゃったんです)" といった感じでしょうか。
(Junkoさん、その後慌てて"...in his music([シーモアさんの]音楽に)"と付け加えましたよね。あの時の表情、とってもキュートでした!)


本作品の監督・イーサン・ホークも、きっと私たちと同じような気持ちを抱いたに違いありません。
共通の友人宅での夕食会に招かれ、会った途端に"I felt safe with him."(この人は大丈夫、安心できるって思った)と確信。
悩み相談に乗ってもらううちに、イーサンは「シーモアさんを主役にしたドキュメンタリー映画を作ろう」との決意を固めます。
彼もまた、シーモアさんに恋しちゃった一人ですよね。


シーモアさんが口にする言葉は、一つ一つが宝石みたいにキラキラと叡智の光を放っている。
素敵に年齢を重ね、人類の宝である超一級の芸術作品と親しむ人ならではの確かな眼力を備え、【本物】を鋭く見極めることができる。
それでいて、実際に会ってみると、威圧的なところなど微塵も無い。
幼子のように純粋で、生きとし生けるもの全てへと向けられた慈悲心の持ち主である...。


シーモアさん、やっぱりどこまで行っても地蔵菩薩さまっぽいですよ。


「大人」と呼ばれるようになって久しい、アラフィフ(もうすぐ50歳...。)世代の私たちではありますが、さて、このような条件を全て満たすような大人って、果たして私たちの周りにどれだけいるでしょうか。


...いませんよね。
たとえいたとしても、せいぜい一人か二人といった程度、じゃありませんか?
残念ながら。



映画を見た人、実際に会った人の誰もがたちまちシーモアさんに恋してしまう理由。
それは、

「こんなに魅力的な大人、いまだかつて見たことない!」

という新鮮な驚きと、そういったたぐいまれな偉人と出会えた喜び。
こういう感情が限りなく「恋」の初期段階と似通っているから、ではないでしょうか。

"I thrive on solitude.
I have to be myself in order to sort out all the thoughts that course through my mind.
Our social world is unpredictable.
Someone who may be the closest to you can, one day, say something and somehow the relationship dissolves.

I have to tell you that our art is totally predictable.
Music will never change.  (...) Because of the predictability of music, when we work at it, we have a sense of order, harmony, predictability, and something we can control.  "
 
「僕は一人でいると生き生きしてくる。
自分の中をよぎる種々の思いを整理したかったら、一人にならなきゃいけない。
一寸先のことは予測できない。それが他人との付き合いだ。
誰よりも親しくしていた人が、ある日急に何かを言ってきて、関係が途切れてしまう。そういうこともある。

だけどね、芸術っていうのは完全に予測可能なんだよ。
音楽は決して変わることがない。(...)
予測可能だからこそ、音楽に向き合うことで、人は秩序、調和、予測可能といったものを実感できるし、
自分がコントロールできる何かを手に入れることもできる。」


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(英文はアメリカ版DVDの字幕から引用。拙訳を付けました。以下、同様。)

でも、ただ優しく、甘いだけじゃないんです。教育者・友人としてのシーモア・バーンスタイン先生は。
人によっては物凄く厳しい先生、と感じられるかもしれません。

"When you reach my age, you stop playing games.
You stop lying to people, and you just say really what's in your heart.  And you find out that it's the greatest compliment to someone when you really say the truth and don't just say what they expect you to say."

「僕ぐらいの年になると、もうごまかしはしなくなる。
嘘をつくのを止めて、ただ心にあることを包み隠さず話すようになる。
相手が聞きたいと思っているような話ではなく、真実を語ること。 
結局、それが相手にとっては最大級のほめ言葉になるんだ。」 

自分が嫌われたくなくって、仕返しを受けるのが恐ろしくって、【真実を語る】のを忌避する人があまりにも多い。
それが現代社会という、われわれが生きる、ある意味で「残念な」社会です。


20世紀後半の私たち現代人は、痛みや辛さを減らすことを最優先したがために、それ以外の場所では決して得ることのできない、貴重な学びや教訓といったものもどんどん減らし、視界からきれいさっぱりと排除するところまで行ってしまいました。
で、最後にたどり着いたのは「ネガティブ(否定的)なのはダメ!ポジティブでなくっちゃ!」を連呼するような、いわゆる「ポジティブ教」。薄っぺらい現実逃避の一手段に過ぎないものが、「これは金になる」とばかりに飛びついた世界中のメディアが猛プッシュして、たちまち一つの巨大ムーブメントが作られたのです。
例えば、「引き寄せの法則」(Law of Attraction)、それにヒントを得てうまくパッケージ化した「ザ・シークレット」、そして、それらに続いての流行りとなった「覚醒」「悟り(Enlightenment)」モノの数々。
(私も一時期ハマりましたので、あまり偉そうなことは言えませんが。バカだったな、って反省してますよ・・・。)


苦しみや辛さの原因に真っ向から立ち向かうことを拒み、人間本来の姿にはつきものの弱さ・情けなさから逃げる。
そうした似非(エセ)の「教え」が、あまりにも多く市場に溢れ過ぎてしまいました。


人と人との付き合いにしたって、同じことが言えます。
問題の根っこから目を背ける。
面倒な関わり合いは避ける。
気分が良いことしかしない。
波動が下がっちゃうようなところには行かない...。
どうもこういうのが最近のトレンドらしいですよ。


ちょっとやそっとの揺れではびくともしないような真の信頼を伴わない関係ばかりだから、
上辺だけの仲良しごっこをしているだけの関係ばかりだから、
ほんの少しの【真実】が混入しただけで、いとも簡単にひびが入って壊れてしまう。
そして二度と元には戻らない...。
われわれが今いる社会って、多分そういう「面倒なことになったら、捨てる」ことが普通になり過ぎたのでしょうね。
ああ人情紙風船
(←っていうタイトルの、大昔の日本映画があったそうです。古すぎて私も見たことないんですけど。)


そんな中で、われわれの前に静かに現れたのが、シーモアさんのような「真実を語り、信じることの大切さを教えてくれる」タイプの生身の人間。
人と人との信頼関係が揺らいでいる時代にこそ、こういう真実を重んじるタイプの導師(メンター)や、友人が一層求められている。
会ってみたい、話してみたい、って誰もが願っている。口に出しては言わなくても。
私にはそう思えてなりません。
一時的には聞く側に痛みを与えてしまうかもしれないけれど、それでも嘘よりは真実を口にする方を選ぶ。
ごまかさない。
そういう方が周りにいて、困った時に話を聞いてもらえたら、どんなにか心強いことでしょう。


(常に誠実であろうとする生き方って、実はとても勇気の要ることなんですね。他人からの承認を絶えず追い求めているような、自信ゼロの臆病者にはとてもできません...。)

確かに、そうした方って、実人生でお目にかかる機会はほとんど期待できないです。
まぁ、インドの奥地やヒマラヤの高山にある洞穴にでも訪ねて行けば別でしょうが。
一人や二人ぐらいはそうした条件を満たす、徳高い聖人・聖者がいて、われわれにありがたい教えを授けてくれるのかもしれませんけどね。
とはいうものの、そんな所へ赴く金も無ければ、時間も無い。
現代の都市型社会に暮らす大多数のわれわれにとっては、それが現実です。


でも、私たちはご縁あって、シーモアさんという希代の名教師の存在に触れることができた。
珠玉の言葉を聞くことができた。
その幸運をつかめたことを天に感謝しなければ、ですね。
たとえそれが映画/DVDという形であっても、素晴らしい先生との出会いは価値ある出会い。
これがきっかけで、人生が大きく変わっていく人だっているかもしれないのです。
優れた芸術作品には、そうした人格の変容を促す力がありますよね。
それはあなたが誰よりもよくご存知なはずです。


映画の最後で、シーモアさんは監督のイーサン・ホークとその演劇仲間たちを前に、35年ぶりのソロ・リサイタルを開きます。

(もっとも、こちらの本によりますと、室内楽の演奏会といった、ソロ以外での演奏活動は細々と続けられていたそうですが。 
詳しい人に聞いたところ、ピアノソロリサイタルと室内楽でのピアノパートの演奏は、その緊張度・ストレスにおいて、物凄い差があるようです。 
コンサートピアニストって、本当に精神的にしんどい、苛酷なお仕事なんですね...。P.A.様、そして古今の名ピアニスト全ての皆さんに心からの敬意を表します。)


("Play Life More Beautifully"というタイトル、映画の中でイーサン・ホーク がシーモア先生に語った、あの印象的なせりふから取ったのでしょうか?ーーー"Playing life more beautifully is what I'm after.")


P.A.様も最近精力的に取り上げていらっしゃる作曲家で、


Schumann : Piano Works
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ドイツ・ロマン派音楽の代表的な作曲家、ロベルト・シューマンが最愛の女性・クララに捧げた曲「幻想曲 ハ長調 op. 17」。
シーモアさんは、この第三楽章をリサイタル(と、映画)の最後を飾る曲に選びました。


(このティーケトル、ロベルト&クララのシューマン夫妻が本当に所有していたものだそうですよ!)

演奏者の人柄、その生き方は、作り出す音の中へと自然とにじみ出て、結果として聴衆の心を深く、激しく揺さぶるほどの偉大な力を持つようになる。
本当にその通りだと思います。
普段からあなたの演奏を聴きながらうすうす感じてはいましたが、シーモアさんのこの映画を見たことで、それが絶対的な確信へと変わりました。


去る3月、Humans of New YorkのFacebookページに掲載されたインタビューであなたが語っていた言葉。
その一つ一つがシーモアさんの口から出てくる言葉と重なり、こだまのように響き合うのを感じていました。
その事実が私の中でより一層大きな感動の波紋を生み出し、心の隅々にまで静かに広がって行きました。
映画を見ながら、幾度もこう思ったものです。

たとえ世代や国や育った環境が大きく異なっていたとしても、本当に誠実に音楽と向き合い、良いものを生み出そうと日々努力している一流の音楽家であれば、語る内容や考え方は自然と似てくるものなんだなぁ...】

って。

参考過去記事:
【続報】ま・さ・かの有名ピアニスト...いきなり大炎上


エンドロールが流れ始めた頃には、もう、涙ぼろぼろ。しばらく止まらなかったです。
バッハのカンタータ (BWV106、「神の時こそいとよき時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」)の演奏をバックに、心の中にしつこく居座っていた様々な迷いやためらいをきれいさっぱりと洗い清めてくれた涙。
まるで日照りが続いた後の、恵みの雨のように優しく、ありがたい涙でありました。


シーモアさんが私たちに贈ってくれた叡智の言葉。
もう、たくさんあり過ぎて、これだけ引用してもまだまだし足りない程です。
でも、私にとって、一番心の奥深くにずしーんと響いたのはこれなんですよ。

"When I placed tremendous challenges before me, only to be cast down, something in me said, 'Really, you're inadequate?  Well, then stop beefing about it and make your self adequate.'   
Instead of practicing four hours a day, I turned it eight."  

「とてつもなく大きな困難を自分に課しておきながら、それに打ち勝てずにいた時、自分の中でこういう声がしたんだ。『もうだめだ、できない、って、本当にそうか?さあ、弱音なんて吐くのは止めて、できる自分になってみろよ。』 
で、一日4時間だった練習を8時間へと増やしたよ。」

練習時間を4時間を8時間に増やす。
文字にしてしまうとサラッと読めてしまいます。別に大したことないじゃない、と、軽く流されてしまうかもしれません。


...が!!!


ピアノに向かって8時間。
...よくよく考えると、これって物凄い練習量ですよ!
種目にもよるでしょうが、プロのアスリートだって毎日きっちり8時間練習する人なんてそれほど多くはないはず。
しかも、御年80代後半に差し掛かったシーモアさんがここまで真剣に取り組むのですからね。
...常人の想像をはるかに超えたそのプロフェッショナリズムに、ただ脱帽するしかありません。


「足りないようなら、練習量を増やす。」
結局、このシンプルな処方箋に勝るような安全・確実な「自信増強法」なんて、この世の中にはありっこ無い、ということですね。
近道?
早道?
抜け道?
そんなもの、期待するだけ無駄です。余計な妄想なんて止めて、とっとと仕事に取り掛かるしかありません。
ズルして楽して、ちゃっかり成果だけ手に入れよう、甘い汁吸おう...。
できるわけないじゃないですか。
世の中はそういう仕組みでは動いていないのです。最後の最後には努力した人だけが微笑むのです。
今も昔も。これからも。


もうお気づきでしょうが、私、最近のスピ系な人々(英語だと"New Ager"か。)がいかにも好みそうな「波動vibrationを上げれば望みは叶う!」といった、あまりにも調子の良過ぎるスローガンにはすっかり辟易していましてね。
でも、シーモアさんにここまで潔く
「できるようになりたい?だったら、努力を倍増するしかない。」
って言い切ってもらえたおかげで、百万の援軍を得たような、そんな頼もしい気持ちになりました。
何しろ、コンサートピアニストとして、カーネギーホールアリス・タリー・ホール(リンカーンセンター)といった、P.A.様もこれまでに何度も演奏していらっしゃるような超一流の会場でのソロ・リサイタルを何年も何年も経験してきた方ですから。
説得力は抜群です。


だから、私もシーモアさんを見習って、これからもずっと

書きます。

書き続けていきます。

書くことを止めたりしません。

他の誰のためでもなく、
ただ「自分が充たされる」ために。

これからもずっと書きます。
下手っぴぃでも、コツコツと練習します。


ナイキ(Nike)のCMじゃないですが、
"Just do it." (とにかく、やれ。)...ですよね。


私にとっては一生忘れられない宝物となった映画・「シーモアさんと、大人のための人生入門」。
もしまだご覧になっていないようでしたら、ぜひ。


決して後悔はさせません。


既に3人を無理矢理劇場へと追いやり、しかもその全員から
「あまりにも内容が豊か過ぎて一回見ただけじゃ足りない。何回も繰り返して見たい。」
という絶賛の言葉を引き出した、この私(どの私なんだか)が言うのですから。
騙されたと思って、まずは見てください。心からお勧めできる作品ですよ。


そして、"わたしの"地蔵菩薩さま・シーモアさんに思う存分「恋しちゃって」くださいね。
きっと何かいいこと起こるはずです。



(英語版と日本語版の予告編、使用されている場面が若干異なるんですよ。
行こうか行くまいかまだ迷っている方の参考になれば...ってことで。)

2016/11/10

創造しよう。「自分が充たされるため」に。【前編】


11月9日(西ヨーロッパ時間)は、夏のドイツでの3公演を除けば、サバティカル(長期休暇)からお戻りになって最初の演奏会でしたね。






イギリス・バーミンガムでの久々の公演を無事終えられ、今頃はご自宅のあるポルトガルの首都・リスボンに戻られてほっと一息つかれていることと思います。


2016/07/18

本日のお題:シーザーカット。(付記:実はロックなJ.S.バッハ。)

シーザーカット。


 男性の髪型、です。 


もちろん、古代・共和制ローマの軍人・政治家であり、「ガリア戦記」の作者としても知られるジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)の名前にちなんだ名称です。



 これね。
「人間は自分がそうだったらいいな、と望むことを簡単に信じてしまう。 そして、自分が考えていることは、他人も同じように考えている、と思い込む。」 http://i.quoteaddicts.com/media/quotes/1/15579-julius-caesar-quotes.jpg

「シーザーカット」という名称を聞いただけで、頭にパッと画像が浮かぶ方。 おそらく美容業界の方か、ファッションにお詳しい方でしょうか。 もしくは、古代ローマ史や世界史をよくご存知の方、なのかもしれません。



 で、私は、と言いますと.. つい最近までそんな名称、知りませんでしたよ。
私の中では単に「短髪」。それで事足りてました。名前がちゃんと付いていたとは。



 シーザーはシーザーでも、サラダでしたら、たま〜にレストランに行った時には食べてるんですけど...。 (なぜ、ロメインレタスの上にパルメザンチーズとドレッシングとクルトンをかけたこのサラダに「シーザー」の名前が付いたのか、それはまた別の話。どうやら、メキシコ、その後アメリカでレストランを開いていたイタリア系移民のCaesarさんが考案したことから、その名前で呼ばれるようになったようです。 古代ローマの偉人・カエサル/シーザーとは関係無いんですって。)  
(アメリカの料理にありがちな、きっつい酸味が苦手な私も、シーフードレストラン・Red Lobsterのシーザーサラダは大好き。酸味がマイルドで、チーズやクルトンも、あくまでも脇役に徹するべく、控えめな味付けが施されているのみ。でも、その配合がとっても上手なんですよね。個々の役者が、それぞれの持ち場でいい仕事をしている。だから、何度食べても飽きない、おいしいサラダに仕上がっているわけです。 
日本のレッドロブスターでは、これと同じシーザーサラダ、出しているのかな?もう20年以上も行っていないな〜。)
https://www.tripadvisor.com/
あ、髪型の話でしたっけ。すみません。
はいはい。 シーザーカット、ですね。
今年始めのこと。 ハフィントン・ポスト日本語版でたまたま読んだ記事で、そのような名称で呼ばれる髪型がこの世に存在していたことを、初めて知りました。
【昔は「かっこいい!」と思ってた......。時代遅れになった男性ヘアスタイル17選】http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/25/17-mens-hairstyles-should-stay-dead_n_9075036.html  
原文はこちら。
【17 Men’s Hairstyles Of The Past That Should Just Stay Dead】http://www.huffingtonpost.com/entry/bad-mens-hairstyles_us_56a13ec1e4b076aadcc5b77b
12番目に出て来る、この、お医者さん時代のジョージ・クルーニーがしていた髪型、がそれです。

http://img.huffingtonpost.com/asset/scalefit_600_noupscale/56a148fa2a00002c000310c5.jpeg



The Men's Hair Forumという英語のサイトから、簡単な説明だけ引用しますね。

「シーザーカットとは? 
シーザーカットとは、前髪を下ろした形の、男性の短髪のひとつ。頭頂部の髪をフラットにして前方へと流すこのスタイルは2014・2015年に流行中の髪型のトレンドとは一線を画している。 シーザーカットの人気は、1990年代後半に特に高まった。ジョージ・クルーニーが大ヒットテレビドラマ「ER」でこのスタイルをして出演してから、一躍流行の髪型へと躍り出た。以来、シーザーカットは、またたく間に30歳〜45歳のアメリカ人男性を中心とした層の支持を集めることとなる。」

【ソース:http://www.menshairforum.com/talk/Thread-Caesar-Cut-Hairstyle-Guide-How-to-Style-Haircut-Products-Pictures-and-Tips
     
 映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じていた古代ローマ人・ルシウスの髪型も、シーザーカットの系譜にあると見て差し支えないでしょう。少々伸びかけの感はありますがね。
何と言っても、物語の舞台が古代のローマですし。衣装も髪型とばっちり合ってます。

テルマエ・ロマエ
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まぁ、「シーザーカット」と言えば、私にとっては何と言ってもこちらのお方、なんですけど。 (1996年録音のCD。レーベル・レコード会社を変えての発売となったため、下のジャケ写は2002年撮影。)


バッハ:イギリス組曲 第6番 / ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ31番 他
リンク先のAmazon.co.jpページで、曲の冒頭部が試聴できます!

ジャケット裏面も、やっぱりシーザーカット。(当たり前だ)


...また脱線してしまいました。
髪型の話に戻りましょう。


これ、The Huffington Post紙の記事タイトルで、筆者のJames Cave氏が主張している通リ、



「そのまま過去と一緒に死んでてもらった方がいいヘアスタイル」
("hairstyles of the past that should stay dead")


と正式認定した方がいいですよ。
そして、できるだけ大きな声出して、世界中に拡散すべきだ、と思います。



だって、上の3人を見れば、あまりにも明らかじゃないですか。
シーザーカットは、「人」を選ぶヘアスタイルなんです。


美容院や床屋さんに行って、
「今日はどうしますか?」と聞かれ、
「シーザーカットにしてください」
といったやり取りを交わして良いのは、上に挙げたジョージ・クルーニー、阿部ちゃん、そしてP.A.様並みに


大きな、力のある瞳


が印象的で、


彫りの深い、濃い顔立ちをした、


誰もが認める


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜美 男 子☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


とカテゴライズされる人のみ。
それ以外の者には



原則としてシーザーカットは 禁止。 


ってことにしませんか。
それが公共の福祉にも寄与することになります。



うやむやにしておいては、絶対、真似する人が出てきます。
特に日本人の男性は要注意ですよ。
はっきり言って、「お猿さん」化する確率があまりにも高過ぎるんですよね。
東洋人の平板な顔立ちの上に、シーザーカットを乗っけてしまうと。


いわゆる、標準レベルの顔立ちの人が「テルマエ・ロマエの阿部寛さんみたいな髪型にしてください」とオーダーしてみたところで、行き着く先は、まぁ、こんな感じでしょう...。百聞は一見に如かず。
うっかり試してみんなの笑いものにならないでください。

 
https://youtu.be/KkrW-nRK20s

https://youtu.be/z2oSBDo6FMI


(あ!加卜ちゃんのシャツ、上の仲本工事シャツと一緒だ! ちなみに、うちには真ん中の写真で志村けんが着ていたのと同じ、黄色い横縞模様のシャツ+半ズボンが一体化した 「なりきり志村けん」衣装があります。 DVDーBOXの特典でおまけに付いてきたの。
一体どうすりゃいいんだ、これ...。宴会芸に使う予定も無いし...。)        

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(これの初回限定盤・特典付きのBOX。ビッ◯カメラ川崎店に残っていた、最後の1点を運良くディスカウント価格で手に入れました。 天井からなぜか唐突に落ちて来る...の場面でおなじみ、金色のやかんも付いてきましたよ。もちろんミニチュアだったけど。)

...と、安易に「シーザーカット」へ挑戦することへ警鐘を鳴らしといたところで、そろそろ音楽に関する戯言(と、P.A.様による、上のCDについての話)へ移るとしましょうか。 クラシックとロック、どちらの音楽にもある程度の理解と興味とをお持ちの音楽ファンじゃないと、多分、読んでいても何が何だかわからないかも...。       なので、時間を無駄に使いたくない方はどうぞスルーしてください。



2016/06/24

邪道でしょうか...【スリル thrill】至上主義の音楽選び

どうも、最近気になって仕方がありませんでした。


音楽だけを集中して聴く


という体験のためだけに使われる時間、年齢と共にどんどん減っているんじゃないか、って。



いえ、音楽に対する興味が薄れたわけじゃないです。
薄れたどころか、以前にも増して超・超・超熱心に聴くようになった音楽ジャンルもありますので。
それもひとえに去る3月1日、この方と「再会」してしまったがゆえ...。



Live at Carnegie Hall
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Virgin Classics (2009-03-30)
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今月初めにようやく手に入れた2枚組CD、今はもっぱら車の中で聴いています。一人っきりの閉じた空間で音量を上げて(運転に支障の無い範囲内で☆)音の世界にどっぷりと浸るようにして聴く。
これがまた、いいんですよねー。嗚呼、至福のひととき。


「うわー、ピアノの音って、弾く人次第で本当に



・*:..。o♬*゚きらきら!・*:..。o♬*゚



っていう風に聴こえてくるものなんだ!!!」
(「のだめカンタービレ」の中で、誰かが言っていた通りだった...。)


といったうれしい新発見もできましたし。
P.A.様の奏でる音楽、本当に一つ一つの音の粒の響きがきれいなんですよね。その中でもバッハとシューマンの作品は特に素敵だと思います。
(ごめんね、ベートーヴェンはあまり好きでないの。これからぼちぼち勉強していきます...。)



一般にフランス革命以降の音楽(要するに「ロマン派」)にはあまり食指が動かぬバロック音楽好きの私ではありますが、他ならぬこの方が研究に研究を重ねた上で、精魂込めて演奏しているとあらば、「よし、いい機会だからシューマンの音楽もいろいろ聴いちゃうぞ!んでもって、良いところ探したるぞ!」 と、俄然やる気が湧いて来ました。


(一人でも多くの素人ファンを音楽の豊穣かつディープな世界へと導いて行ける、っていうことは、演奏家の優秀性を物語る何よりの証拠、だと思うんですよね。一人でも多くの不信心者を改宗して信仰の道へと導いた聖職者が優秀だ、っていうのと同じ理屈で。)





P.A.様。
いよいよ来週はドイツでのSir John Eliot Gardinerとの共演3連チャンですね!良い公演となりますように...(人∀・)タノム デコメ絵文字



やる気だけはあるものの、「ながら聴き」ではなく、流れてくる音楽に全注意力を傾けて、きちんと椅子に座って静かに音楽に耳を傾ける...といった、古き良き「音楽鑑賞」という贅沢な時間を味わうことは、年々難しくなっていくばかり。一週間のうち一時間も作れれば上等、じゃないでしょうか。
何でこんなにセカセカしてるんでしょうね!?
(寝る前にヘッドフォンで聴く、っていうのは私の場合ダメなんです。横になったら3分もしないうちに前後不覚に陥っちゃいますから。音楽なんて聴けたもんじゃありません。)


元々聴覚型の学習スタイル・情報収集スタイルなもんで、つい欲張ってあれも聴きたい、これも聴きたい...と、知識や情報を耳から入れたがる癖のある私。
その癖が今、悪い方に働いてしまい、やれあっちのポッドキャストだ、こっちのYouTubeチャンネルだ、そっちのオーディオブックだ...と、聴きたいもの・聞かなきゃいけないものを増やし過ぎてしまいました。
ふと気が付いてみると、音楽だけをじっくりと聴く、音楽そのものに集中しながら聴く、という時間は随分と削られていました。



耳も一対、頭もひとつ、心も以前と変わらずひとつ(...と数えていいものかどうか)。おまけに、1日は依然として24時間しかない、と来ている。
なのに、その1日の枠の中に何とかして入り込もうと体当たりアタックしてくる外からの音声情報の量は、この数年だけでも爆発的に増えてしまっている。とてもじゃないけど、入って来た物全てを消化できるはずがありません。



「時・間・が・無・い!」と感じているのは、きっと私だけではないはずです。
モンティ・パイソンの1970年代から時代を下ること早40年、技術の進歩や通信手段の変化にも関わらず、人類の行動パターンってあまり進歩してはいないのかなあ。




(あらら。かわいそ〜なロートレック...。)



「そうそう、これ聞かなきゃいけないんだっけ!」
「しまった、あれもまだ聴いていなかった!」
そんなことにばかり気付く毎日が続くと、まるで自分がポッドキャストの「未聴番組リスト」の奴隷と化してしまったかのような気分にすらなります。
いくらなんでも、これはまずいでしょう。



そろそろ自分なりにある一定の基準軸を設けて、流入する一方の音・情報をばっさりと仕分けしていく必要が出てきたみたいです。
さもないと、音楽や情報の洪水の中で「あれも聴かねば、これも聴かねば。」という強迫観念ばかりが大きくなるばかり。
で、自分に問いかけてみることにしました。

...自分はどういった音楽/音声情報だったら、きちんと集中して、気合いを入れて聴くべきだと思っているのか。

...また、どういった音楽/音声情報だったら、「かけ流し」「作業用BGM」として粗末に(←失礼な表現なんだけど。)扱っても構わないと思っているのか。



何とかこの問題をうまく言葉で片付けることができないもんだろうか、と思った私は、いろいろな所に答を求めてみました。
まずは、クラシック音楽の分野において「メンター(指導者)」と私が個人的に仰ぐ親類の女性・杏(あん)・エリオットさん(※もちろん仮名)と、スカイプ使って長々と質疑応答。
それから、自分の手持ちのCDやiPod Classicに入っている音楽コレクション、YouTube動画を片っ端からつまみ食い。


で、今朝、自分が納得できる結論らしきものに数日かけてようやく到達。
きっかけをくれたのは、犬の散歩をしながら聴いていた、スティーヴィー・ワンダーのこのアルバムでした。


Original Musiquarium I
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Stevie Wonder
Motown (2000-10-17)
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1982年に出た2枚組ベスト盤で、うち4曲は書き下ろし新曲です。
この中で昔から大好きな曲が二つありまして、その一つが全米チャートで最高位4位を記録した”That Girl”。




この歌の1:39付近からの部分

スティーヴィーが、

"... that I love her
That I want her
That my mind, soul and body needs her..."

と歌うそのバックで流れるコーラスにご注目を。

b-a-g-f#-f
b-a-g-f#-f...

と、階段を一段ずつ下るかのように、計算し尽くされた動きになっているでしょう?(あー、素人の悲しさ。こんな稚拙な表現しかできない!)
ここ、聴く度にいつも鳥肌立つような快感を覚えます。
何でこんなすごい音の合わせ方ができるんだ、この人は!!!って。20世紀アメリカのロック&ポップミュージックの歴史の中で、スティーヴィー・ワンダーこそダントツNo.1の天才中の天才だ、って、本気で思いますね。
(しかもご存知の通り、彼は生まれた時からほぼ盲目の視覚障害者です。)




もう一曲は、アルバムを締めくくる、これもまたスマッシュ・ヒットとなった書き下ろし新曲の"Do I Do"(全米チャート最高位13位)。





歌詞はいたって普通の、いや、かな〜り糖度高めの(笑)愛する女性に向けたラブソングでしかありません。ポップで陽気でキャッチー、と片付けることだってできちゃうような、そんな親しみ易さにあふれています。



でも、上の"That Girl"と同じく、いつも私はこの曲を聴くと背筋にゾクゾクっという快感が走ります。
その理由、こちらのコメント欄で、あるイギリスの方(お名前やHPを拝見する限り、プロの音楽家でしょう。)が私の言いたかったことをズバリ代弁してくれていますので、引用しときます。


How on earth does someone write a genius song like this? - All the ups and twists and chord changes that just all seem to fit perfect taking you on a journey and then deliver you back to that feeling of the home chord....amazing song writing. Nothing and I mean NOTHING musical today holds a candle to this carefully crafted music. (以下略)

一体どうやったらこんな天才レベルの曲が書けるっていうんだろう?音の上がり下がり、ひねり、変わっていくコード進行の全てが完璧に組み合わさっているその様子は、聴く者を旅へと連れ出しては、ちゃんとオリジナルのコードのところへ送り届けてくれるといった感じすら与えてくれる...驚くべき作曲能力だ。
今日耳にする音楽のうち、このように入念に練り上げられた音楽と比べものになるようなものなんて、何も、何一つありやしないよ。

100%同意。もはや付け加える言葉もありません。


これらスティーヴィー・ワンダーの二曲が共通して持っていて、私を強く惹きつけて離さないもの。
その本質を一言で言い表すならば、


【スリル thrill】

という単語がぴったり来ます。
ようやく納得の行く定義に行き着きました。


スリル、と言ったって、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVで、ゾンビさん達が群舞するあの映像と結び付けられちゃうとちょっと困るんですけどね。ここで私が言う「スリル」とは、


「ゾクゾクっと走る快感」
「血沸き肉踊るような喜び」


のことです。あくまでも、【快】の側から発せられる、そういう感覚。


過去を振り返ってみると、確かに自分にとって「これは特別!」と思えるような曲やミュージシャンって、そういう【スリル thrill】の要素を多分に感じさせてくれるような作品や演奏家がほとんどでした。


「うわーっ、どうして、こんな神業のような素晴らしい演奏ができちゃうの!?」

「うわーっ、どうして、こんな複雑でありながら、きれいにまとまった魔法みたいな曲が書けちゃうの!?」


そうつぶやいて、彼らが時折見せてくれる「超人的なヒラメキ」の部分にガガガーン!!!と打ちのめされたら最後、後はひたすらファン道まっしぐら...。(で、現在に至る、と。)




クイーン Queen しかり。


2016.4.30の記事で触れたインタビュー映像を見てからエディのギター奏法を見ると、「あー、やっぱり小さい頃にピアノをみっちりとやった人ならではの指の使い方なんだな〜」と妙に感心してしまいます。)


(寂しいな。モーリス・ホワイトも死んじゃったし...。)


グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル録音)
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などなど。きりがないので、ごく一部だけしか挙げませんでしたけど。


クラシックあり、ハードロック系あり、ブリティッシュ・ニューウェイブ系あり、と、てんでばらばらで統一感の無い顔ぶれのように見えていながら、実は全てを貫く共通項、ちゃんとあるんですよ。
それは


【スリル thrill】


という、このビビッと一瞬のうちに走り、全身を快感でもって麻痺させてしまうような、あの独特の感覚、なんです。
要するに、「ぞくぞくっ!」であり、「わくわく!」。
「今、幸福エネルギーが稲妻のように降ってきたっ!」って感じでやって来る、あの、「瞬間的に充電完了っ!!!」という感覚。


(まぁ、上記の一部の人々に関しては、多分に「萌え (*°∀°)=3」の要素が含まれていました、と、ここで正直に告白しておきます。←「おい、『多分』なんて控えめな言い方でいいのか?」と、私の中の批判屋が嫌味を言っておりますが...う、うるさい、黙れ!)



でも、この「ぞくぞくっ!」「わくわく!」という喜びの感覚があるか無いかという基準に従って、これから自分が真剣に聴く価値のある音楽を選んでいくとしたら、この先はかなり満足度の高い音楽生活が確実に送れそうな、そんな気がします。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、本当に時間をかけて付き合いたい音楽家がいて、大切にしたい音楽があるならば、そのくらい思い切った取捨選択作業をやっていかないとダメだと思うんです。



だって、時間は自分で捻出しない限り、増えていくことは無いのですよ。
既に人生の半分を生きて終えてしまった私のような年齢の者は、特にそのことを常に頭のどこかに置いておいた方がいいです。残された時間には限りがあるのですから。
中世以降、ヨーロッパの人々が口々に言い続けてきたMemento mori(死を思え)の言葉は、50を目前としたわれわれ世代にとっては、決して他人事などではありません。
グダグダと、どーでもいい物事に関わって、時間も労力も浪費していてはあまりにも勿体無いというものです。



「この中でどれを選んだら、より多くの幸せを味わうことができるだろうか?」
いつ、いかなる状況に直面してもそう自分に問いかけ、そして、悔いなきように決断を下す。
迷って、選んで、そしてズバッと決める...というこのプロセスを日常的に繰り返し練習していけば、音楽だけに限らず、生活のいろいろな部分で無駄を削ぎ落とすことができ、シャキッと背筋伸ばして生きていけそうな気がしますね。
たとえ、見通しの良くない、心浮かぬ日々が延々と続くような時期があったとしても。
(そういう時こそ、一つ一つ吟味して「これだっ!」と選んでおいた珠玉の音楽コレクションが私達の折れそうになった心を支えてくれるんですよ。いわば、「まさかの時のための、心の常備薬」。自分だけに通じる選定基準を設け、その基準にかなった最良の物ばかりを大切にストックしておく必要、これでわかっていただけますでしょうか?)



仕事のために良作も駄作も一通りは聴かねばならず、大人の事情ってことで少しはヨイショ↗発言も混じえないと角が立ってしまうような、プロの音楽評論家や音楽ライターの方々(つらいでしょうね...。)と違って、われわれ素人は「気に入ったものだけ聴けばいい、後は放って置いてもOK。」と自由に言える恵まれた立場にあります。もっと自信持って、「自分はこう思う」「自分はこう聴いている」って、一人ひとりが大声で言っちゃっていいんじゃないでしょうか?
プロの音楽家だって、きっとそういう素人ファンからストレートな感想が返って来るのを楽しみにしているんじゃないかな。
(ね、そうですよね?P.A.様。あなたがおっしゃっていた「コミュニケーションとしての芸術」は、きっとそうした聴衆と演奏家との間に交わされる忌憚なき意見交換をも含みますよね?私はそう信じています。)



そもそも、「音を楽しむ」のが音楽本来の在り方。
あーだこーだと小うるさい約束や、面倒くさいしきたりなんかに囚われることなく、自由に何でも聴いて、何でも拒否して構わない素人の特権、フルに行使しましょうよ。専門家にどう見られるか、世間的な評価はどうなのか、なんて気にしないで。
美辞麗句で評論家風に語れなくたって、饒舌でなくたって、別にいいじゃありませんか。
他人の言葉を借りるより、自分の言葉で感じたことを表現する方がはるかに重要ではないでしょうか。



そして、耳にした音楽や、たまたま出会った音楽家に「ぞくぞく!」「わくわく!」の感覚を覚えたら、その作品や音楽家との縁を大切にする。
それで充分じゃないでしょうかね。ムズカシイこと抜きにして。
聴き手が明日を生きるエネルギーとして音楽をうまく人生の中に取り入れるのであれば、作った人も、演奏した人も、きっと素直に大喜びしてくれるんじゃないかな、って思います。



...ってことで、明日・明後日の遠距離ドライブのお供にまた聴きますよ。
車の中で、「カーネギーホール・ライブ」のCD2枚組。



ライブ盤には収められなかったこちらのヤナーチェクの曲も、いつかCD録音を果たしていただきたいものです。手元に置いて、大切に何度も聴き続けたいので。
(息が止まるほどに繊細で、詩情豊かなP.A.様ならではの素晴らしい音色、3分半ほどの小品ですので、クラシックに興味の無い方もぜひ聴いてみてください!)



2016/05/24

月は蠍座にありて、影深く【3】(Blame it on the Moon in Scorpio)


シマノフスキ・ピアノ・アルバム



(今、私はあなたが演奏するポーランドの作曲家・シマノフスキのアルバム(上の画像)を聴きながらこれをタイピングしています。
メロディーを追いかける必要は無いけれど、でも、周りの空気をある方向へと向けてくれるこういう独特の魅力を持った音楽、最近好きです。確かに慣れるまで時間はかかりますけど、癖になりますね、これ。ヘヴィメタル/ハードロックの延々と続くギターソロやドラムソロみたいな感じ(笑。違うか?)  
★YouTubeのプレイリスト★→https://www.youtube.com/playlist?list=PLT_qumLCdp9v_CX7Mh1ltNS5-Smv5fLcl


最近、ようやくおぼろげながらわかってきたことがあります。
自分は、長いこと自分の手でわざわざ【疎外感】を作り出すような、愚かしいことをずっと繰り返していたのだ、ってこと。
決して「あの人達」が悪いのではない。


原因は、自分の方にありました。