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2017/02/23

Brava!アデル。~ジョージ・マイケルへの鎮魂歌~

BRIT Awardsでのジョージ・マイケル追悼歌唱by クリス・マーティン(コールドプレイ)※が個人的に「ん~、微妙。」との印象だったので、お口直しにこちらも聴こうっと。

【※姉妹ブログ=3号館に投稿した記事です。クリス・マーティンの微妙な歌もそちらでどうぞ。 
アンドリュー・リッジリーだぁ!2017 BRIT Awards」 https://dragonlaughsalone-pastmidnight.blogspot.com/2017/02/2017-brit-awards.html 

2017年グラミー賞授賞式でアデル(5部門受賞、おめでとう!)が歌った、ジョージ・マイケルの"Fastlove"。



うわぁ、これこそプロ歌手ならではの仕事だよ。
アデル、すごいな。


1996年にこの曲を出した頃のジョージ・マイケルって、ちょいと触れればたちまち崩れ落ちそうな、そんな危なっかしい雰囲気を漂わせていた。(Fastloveの公式プロモーションビデオを見ると、そう感じずにはいられない。「この人ヤバそう」な臭気がプンプン、である。)


今回披露したアデルの歌からは、そうした故人の苦難に満ちた生涯をねぎらい、その傷ついた魂を少しでも慰めたいという気持ちが充分に伝わって来た。
原曲の歌い手であるジョージ・マイケルへの感謝と尊敬が表れていたのはもちろんであるが、それに加えて歌手として最盛期を迎えているアデル自身の実力や、表現力が余すところなく発揮されていた。
素晴らしいパフォーマンスだった。
一度歌い始めたものの、出来に納得が行かなかったため(音程が微妙にずれていたよね)、仕切り直した結果が上の動画である。
お見事。


アデル、2012年のBrit Awardsで、プレゼンターとして急遽登場したジョージ・マイケルからBest British Album賞を直接受け取っているんだね。(ソース:Wikipedia George Michaelの項
それだけに、今回、彼の偉大な業績を振り返るために設けられたグラミーの特設ステージで歌うことになった"Fastlove"には、相当な意気込みでもって臨んでいたに違いない。


ジョージ・マイケルという人は本質的にロマンチストで傷つきやすく、そして心優しい人だった、と私は思っている。
すさんだ私生活の苦しみから少しでも逃れたくって、クールでちょいワルな仮面をかぶる時期が長らく続いたにしても。



1990年代に入ると、同性パートナーや母親といった親しい人との死別が相次いだジョージ・マイケル。


以後、彼の人生はじわじわと闇に浸食されていく一方だった。
80年代のWham!活動期があまりにも光に満ちた、いささか人工的と感じられる程に明るいイメージで彩られていたため、光から闇へのコントラストが一層際立ってしまった。


12月25日。
クリスマスの朝、ジョージ・マイケルは同居するパートナーによって既に息絶えているところを発見された。享年53歳。
彼の死に関して、それ以上の詳しいことは伝えられていない。


彼の中に巣食っていた大きな闇は、最期まで消え去ることは無かったようだ。
闇は、薬物問題や、公共の場での不適切な性的行為といった形をとって、何度も何度もわれわれの前にその姿を現してきた。
無視したくっても無視しようが無い。
あまりにもしつこく、不様な現れ方ばかりしてきたから。
そのうち、われわれも彼の醜聞にはすっかり慣れっこになってしまった。
「ジョージ・マイケル、逮捕」というニュースの見出しを見ても「ああ、またか。」と、大して驚かないようになってしまっていた。
(昭和世代の我々に言わせれば、これ、「シミケン状態」である。)


晩年には音楽活動の方も途切れがちで、ライブコンサートも土壇場でのキャンセルが目立つようになっていた。
健康面でも生死の境を幾度もさ迷うことがあったという。
当然ながら新作(書き下ろしの、スタジオ録音)のニュースもとんとご無沙汰、と、まるで開店休業のような状態であった。
だが、まさか53歳という若さで(それもクリスマスの日に。)突然この世を去るなんて。
そんなこと、一体誰が予想しただろうか。


華やかそうに見えるペルソナ(仮面)の裏側に果てしなく広がる一方であった、ジョージ・マイケルの心の闇。
自殺願望が強かったのだろうか、とこちらが邪推したくなるほどに自動車事故もたくさん起こしてきた。
いずれの場合も飲酒や薬物が絡んでいたらしい。2013年には「よくそれで命が助かったものだ」と、記事を読むこっちがヒヤッとするような大事故にも遭っている。高速道路を走る車の助手席から転げ落ちる、なんて、一体何があったというのか...。


今回、追悼の歌を歌うことになったアデル自身にも、過去にはジョージ・マイケルと同じように、底知れぬほど深くて暗い、地獄さながらの闇を潜り抜けた時期がきっとあったのではなかろうか。
そうでなけりゃ、ここまで凄みのある歌い方はできない。(もしくは、彼女が真の天才だ、とか。うむ、その可能性も否定できないぞ。)
「悲しい酒」を歌う時の美空ひばりさんの姿とアデルの姿が重なり合う。


この日、授賞式の総合司会者を務めたジェイムズ・コーデン(James Corden)。
彼もまた、ジョージ・マイケルとの接点を持った人であった。

(以下、初出は2017年1月@Google+)

「あいのりカラオケ」シリーズって、元々BBCでやっていたものだったんだ。へぇ。またしても米国発じゃないのね。
(彼の番組The Late Late Show with James Cordenで放映されたCarpool Karaokeシリーズの動画リストはこちら→ https://www.youtube.com/playlist?list=PLZ1f3amS4y1ffYEhGZDtawaEyRQQu69Bw



気乗りしなさそうな顔してそっぽ向いているのは、もちろん先日亡くなったジョージ・マイケル。
番組ホストのジェイムズ・コーデンがWham!の大ヒット曲・"I'm Your Man"を流し始めたところ、ノリノリの曲調にジョージの表情もいつしか和み始め...。


この人、元々繊細で、周囲の人々の喜んだ顔を見るのが好きだった「心優しい孝行息子」なんだろうな。
10月に亡くなったピート・バーンズとまたもや重なるよ。
二人とも、母親の死をきっかけに緩やかに壊れていった、から。

【参考記事:http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/10/rip-dead-or-alive.html、コメント欄でuniqueさんが提供してくださった情報に、その辺りの事情が詳しく書かれています。】

1980年代という英米ポップ&ロックミュージックの黄金期がちょうど十代の日々と重なる、昭和生まれの私たち。
ジョージ・マイケルという類まれなる天才ミュージシャンの音楽と一緒に学生時代を送ることができて、本当に幸せだった。

ありがとう、ジョージ。
今はあちら側の世界で安らかに眠れていることを祈ります。
もし、デヴィッド・ボウイ、フレディー・マーキュリー、ついでに1985年ブレイク組のピート・バーンズといったイギリス出身のミュージシャン達に再会できたら、「LIVE冥土」でも盛大に開いちゃって欲しい。
いつかわれわれもそっちに合流して、生演奏を絶対聴きに行くからね。
...まぁ、あまり急がずに行くつもりではいるけど。まだまだこちら側でやりたいことが残っているし。


面白い動画を見つけた。
ジョージ・マイケルのルックスの変化をモーフィングの技術を使って時系列的に並べたんだね。(元10㏄のゴドレイ&クレームGodley & Cremeがミュージックビデオに取り入れたことで、音楽ファンにお馴染みとなった手法だった。)
ちゃんとその時期に合わせた音楽をBGMにしているところが秀逸であります。



あ、マイケル・ジャクソンフレディー・マーキュリーもある。後で見ようっと。



2017/02/21

Don't Stop Believin' ~信じることを止めないで③

(初出:2016年7月@Google+)

ドキュメンタリー映画
「ジャーニー/ドント・ストップ・ビリーヴィン」
の予告編です。

【参考記事】NAVERまとめ・[新生ジャーニー]ホームレスから世界的ロックグループのヴォーカリストに!https://matome.naver.jp/odai/2136345818125763101

新生ジャーニーのヴォーカリスト(山田康雄→栗田貫一方式での引継ぎで...って言ったら話が早いかな。)・アーネル・ピネダの素晴らしい歌声、もう少し紹介しておこう。


こちらは前々回に載せた動画を締めくくる曲・"Don't Stop Believin'"の一つ前のシングルだった曲、"Who's Crying Now"。
大ヒットアルバム「エスケイプ」(1981 )からの第一弾シングルカットであった。

(私が洋楽に目覚め始めた時期に流行っていた。確か中一の後半。懐かしいな~。)





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神奈川県に住む私の部屋では、中学生の頃からずっとFEN※が流しっぱなしになっていることが多かった。

(※FEN=Far East Network。現在は改称しAFN=American Forces Networkに。)



【参考記事:「ラジオ大好き!①」←はっ。②、書いていないし (;'∀')
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/07/fenfar-east-network.html 】


ジャーニーの曲では、この1980年のスマッシュ・ヒット「お気に召すまま」(Any Way You Want It)がダントツのNo.1人気曲だったんじゃないかな。しょっちゅう流れていたもん。

なるほど、こういう明るくスカッと単純明快なロックがアメリカ人は好きなのか、と、聴く度に思ったものだった。



ジャーニーの持ち歌を歌うアーネルは、もちろん素晴らしい。


でも、彼の真骨頂が発揮されるのは、何と言っても他の歌手の歌のカバーじゃないだろうか。
(まぁ、スティーヴ・ペリーの持ち歌を歌う時点で既に「カヴァー歌手」ではあるのだが...。)
時々、「あれっ?これ、声真似してないか?」っていう瞬間もあるほど歌の世界に、オリジナル歌手が作った世界に、アーネルはどっぷりと入り込み、そしてオリジナル歌手の持ち味を崩さずに歌い上げているのだ。
動画の説明文の中にオリジナルの歌手のYouTubeビデオへのリンクを埋め込んでおいたので、興味ある方はぜひ聴き比べしてみて欲しい。


まずは、好人物で知られるカナダ出身のロックシンガー・ブライアン・アダムス(Bryan Adams)の"Heaven"(1985)のカヴァーから。

これ、人間性の部分にくすみや歪みがある人には
歌いこなせない難曲だと思う。
ある意味、「歌う人を選ぶ」よね。直球勝負の人でないと無理。


ジョン・デンヴァーやビリー・ジョエルの曲も実にいい味出してる。(と、長年のビリー・ジョエル好きが言ってみる。)



飛行機事故で早世したジョン・デンヴァ―の"Annie's Song"(1974)、
ビリー・ジョエル中期の隠れた名曲"She's Always A Woman"(1977)。
2:42あたりから始まります。
こういう抒情的な歌も行けちゃうんだからすごいよね!

アンとナンシーのウィルソン姉妹を中心とした
Heartの代表作、"Alone"(1987)。
女声ヴォーカルの曲なのに、キーほとんど変えずに歌っちゃいました。



がんばれ、アーネル・ピネダ。

負けるな、アーネル・ピネダ。


元祖ジャーニーの歌い手・スティーヴ・ペリーのファンからはこの先もずっと嫌味の一つや二つも(いや、もっとかな。)言われ続けるだろうが、そんなこと気にしない、気にしない。
あなたの歌の素晴らしさは、われわれのような非ジャーニーファン(...と、アンチ・スティーヴ・ペリー←小声で)にはちゃんと伝わっていますから。


これからも、ジャーニーのレパートリーという狭い枠にとどまることなく、20世紀英米ロックの名曲を末永く歌い続けてください。
そして、われわれのような1980年代音楽ファンを大いに喜ばせてくださいな。


あなたなら、きっとできます。









Don't Stop Believin' ~信じることを止めないで②

(初出:2016年7月@Google+)

80年代前半にブリティッシュ・ロックが好きだった人ならば、

ジャーニー、

80年代的ダサさの極致。
元ヴォーカルのスティーヴ・ペリー、
某MUSIC LIFE誌の編集部の人たちから嫌われて、
コテンパンに叩かれてましたね。
ついたあだ名が「チャバネゴキブリ」(笑)


REOスピードワゴン(あのヴォーカルの声が生理的にダメ。)、

スティクス(男声コーラスはクイーンで間に合ってますからー。)、

フォリナー(可もなく不可もなく...。)。


といった、伊藤政則氏が(本格的なハードロック・ヘヴィメタルと区別するために)「産業ロック」と一刀両断していたこの手のバンドには全く興味が持てずにいたのじゃなかろうか。


目撃証言 ヘヴィ・メタルの肖像
伊藤 政則

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(...な、なぜヘビメタ本が「児童・幼児事業部」に⁉)

私も、そうだった。
だから、ジャーニーが再結成ツアーしているなんて話を聞いても、今、誰がヴォーカルを務めているかなんて、全然知らなかったものだ。
カラオケで”Don't Stop Believing"だけは必ず歌うにしても。


(平成生まれだと、ジャーニーではなく、Gleeでこの歌を知った方がほとんどかもね。)




いや、すごいよ。
この、アーネル・ピネダという1967年生まれのフィリピン人ヴォーカリスト。
前任者・スティーヴ・ペリーに勝るとも劣らない才能の持ち主だ。
(個人的には「上じゃないかな?」って思う。理由は後述。)

動画の最後でDon't Stop Believin' 、歌ってます。
日本語字幕を付けてくださった方がいますね。
ありがたやー!


YouTube上でニール・ショーン自らに見つけてもらうなんて、一体どこまでシンデレラ・ボーイなんだか!!!
(←あ、「ボーイ」じゃないか。童顔だけど67年生まれだから、立派な中年男性でした。
大昔のアイドルグループ・レイジーに在籍してました、って感じの風貌ですけどね。←昭和の人にしか通じない話でスミマセン...。)

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それにしても、オプラ※の前フリ、相変わらず盛り上げ上手だなー、と感心してしまう。
この人、前世は絶対宗教家か政治的指導者で決まり!だね。

【※オプラ・ウィンフリー/Oprah Winfrey:米メディア界で絶大なる人気と影響力とを誇る、女帝的存在。日本だと...うーん、あまり似たような人物が見つからないなぁ。 強いて言うならば、 
黒柳徹子サンのTV界での大御所感 
全盛期の細木のおばちゃんの説得話法 
勝間和代氏の上昇志向&圧倒的な自信 (「カツマ―」女子って、まだいるのかな?)
を併せ持ったような人が、巨万の富とアメリカの、いや、ほぼ全世界のメディアの潮流とを動かしている...とでも言えましょうか。 ...ううむ、微妙に違う気もするが。
「奇跡は起こるのです!信じ続けなさい!(ハレルヤ!)」  
説教壇の牧師にも似た調子で、観る者をさんざん煽り立ててくれます。究極のmotivator(やる気にさせてくれる人)ですね。
彼女がいなかったら、「ザ・シークレット」(大衆版・欲深の...おっと失礼、引き寄せの法則、か。)だってそれほど売れていなかっただろうし、ましてや話が眠くなるよな超地味おっさんのエックハルト・トールの大ブレイクだって有り得なかったはずです。  
米国の自己啓発産業(いわゆる「スピ系」ビジネス)が今日のようなウホウホガッポリ$$$な儲かり産業になったのは、ひとえにオプラのおかげです。 
「オプラの番組(Oprah Winfrey Show:既に終了。)に呼ばれる」ことがあの業界で食ってる人達にとって最高のステイタス・シンボルになりましたからね。 
あ、そういえばずっと前に楽天ブログで記事書いてました。よろしかったら、ご参考になさってください。
「米国ニューエイジ業界の大立者・オプラ・ウィンフリー」 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201303130000/ 】



Don't Stop Believin' ~信じることを止めないで①

(初出:2016年7月@Google+)

知らなかった。びっくりした。
1980年代前半のアメリカを代表するロックバンド・ジャーニー(Journey)がいつの間にか新ヴォーカリストを加えて生まれ変わり、パワーアップしていたなんて。
(元ヴォーカルのスティーヴ・ペリーがあまり好きじゃなかったし、音楽的にも好みではなかったから、再結成ツアー等々のニュースも全スルーしていたのだ。)


今朝、たまたまYouTubeで見つけた、TBSラジオ「たまむすび」内、町山智浩さんの映画紹介コーナーの音声クリップ。
削除される可能性もあるから、念のために同内容のものを二つ貼っておこうっと。




「えっ!? 町山さんと、ジャーニー...!?」
あまりの意外な取り合わせに興味が湧いて、聴いてみた。


原題は”Don't Stop Believing"。
「信じることを止めないで」という歌のタイトルを地で行く、スケールのでかい感動物語に、朝からホロッとさせられてしまった。
こうやってタイピングしている今も、興奮がおさまらない。

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どん底のような環境にあっても、自らの才能を信じ続けることを止めなかった。
その結果、最後には信じられないほどの大きなチャンスを手にし、夢をかなえたアーネル・ピネダ


ジャーニーの新ヴォーカリスト、Arnel Pineda。


そんな彼をフィリピンから発掘し、呼び寄せ、バンドの命運を託すという物凄い賭けに出たジャーニーのメンバー。
みんな、グッジョブ!


(町山さんにかかっては、ギタリストとしてファンも多いニール・ショーンもただの「エロオヤジ」として斬られてしまうんですね〜。
結婚4回、離婚4回、かぁ...。まぁ、誘惑が多い業界ですからね。特に驚きはしなかったなあ。)


2017/01/22

(5時間目の昼寝常習犯)師岡さんと、大人のための古文【再】入門 その弐

その壱 からの続き。)

午後の授業はお得意の野球談議から。
それが、国語科のY口先生のシグネチャースタイルだった。入学以来、3年間ずっとお世話になった。
(もっとも、話の9割は先生が熱烈に愛してやまない横浜大洋ホエールズで占められていた。前日の試合で繰り広げられた数々のドラマ、もしくは「次こそは期待できる」といった応援演説の類に終始。ホエールズ話の合間に、チョコチョコと巨人下げ~⤵の話が入り混じる...というフォーマットは、われわれが卒業するまでずっと変わらなかった。)


温厚なお顔の印象そのまんまのお人柄だったY口先生。
円やかで慈悲深く、生徒達からも大変慕われていた。
あいにく、肝心の授業内容の方はほとんど覚えていない。
文法のプリントをよくもらったような気はするのだが...記憶はそれだけ。


Y口先生、ホントにごめんなさい。
決して悪気があったわけじゃなかったんです。
劣等生は劣等生なりに、先生のことを心憎からず思っていたんですよ。
でなきゃ、30年経った今でも、野球なんて全く興味が無いこの私が、授業の「マクラ」であった大洋ホエールズにまつわるよもやま話なんか覚えていませんって。
先生が、同僚のN倉先生(現代文の先生!)と一緒にお書きになった問題集を、卒業後20年以上経ってからわざわざアメリカから取り寄せるなんて酔狂なこともしませんって。

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(絶版になってしまったようだけど、社会人の人でも脳トレ本・教養本として充分使えますよ。
もし手に入るのであれば、おススメ!)

...いつか学年全体の同窓会でお会いする機会があったらY口先生にはきちんと謝らなきゃな、って思う。
そして、30年後の今、はじめて古文の面白さに目覚めて頑張ってます、ってことだけは何としてもお伝えしなければ。
少しは罪滅ぼしができるかな。


それにしても、高校時代ずっと、居眠りにかまけて古文の授業の大半を聞き逃したツケ。
これは実にデカかった。
後からじわりじわりとボディーブローのように効いてきては、私を長年にわたって苦しめることとなる。
(←「ボディーブローのように」。これ、ボクサーでもない自分がよく言うわ、といった感じの陳腐な言い回しだよね。単なる受け売り表現ってことでひとつヨロシク。)


高校3年生の秋。
入試本番がもうすぐそこに迫っているというのに、古文の読解問題では依然としてろくに点が取れないという状態が続いていた。
人一倍鈍い私も、これにはさすがに焦り始めていた。
今思うに、全ての元凶は「頭に貯蔵されている知識の量が圧倒的に不足して、しかもその一つ一つが壊れている」こと。
これに尽きる。
だが、当時はそれが全く見えていなかったのだ。(トホホ...。)


どのようにして毎回テスト問題を解いていたのだろう。
改めて振り返ってみると、こんな感じになるだろうか。


まず、問題用紙が配られると、文章をざっと読む。
そして、比較的自信があった文学史問題だけを一番最初に片付ける。
それから何回か本文に目を走らせながら、何とな~く意味のわかる(と、錯覚していた)単語を拾い出し、文脈にうまく合うような意味(それが正しい訳語かどうかはきわめて怪しい)が浮かび上がって来たら、何とかそれらの訳語をつなぎつつ、文章全体の言わんとしていることを推理してみる。
で、自分なりにどうにかこうにか辻褄を合わせ、「いかにもこうなりそうな」流れを勝手に自分でこしらえ、それでもなおわからない場合は当てずっぽうでも仕方ない、と諦めてとにかく解答欄を埋めていく。


こりゃ、へっぽこ霊能者がやる、的中率の恐ろしく低い「サイキックリーディング」(コールドリーディング?)とどっこいどっこいだわ。
だから、読みが大きく外れ、意地悪だけどもデキる出題者が仕掛けた罠にまんまとはまった時などは、そりゃもう、悲惨。
目も当てられぬほどの結果となって返ってくる。(何度やったかわからない。)


さすがに古文読解問題には通用しないだろーよ、サイキック・マジックは。

そう。
私の場合、頭に入っていて、武器として使える古文知識の絶対量が、何と言っても少なすぎた。
当たり前だ。全然勉強していないんだから。
覚えようと、理解しようと、努力していないんだから。
もし、ごくわずかではあるが、頭に引っ掛かっている単語や文法事項があったとすれば、それは単なる













でしかない。



そうした「点」のような不完全な知識が、ポツン、ポツン...と離れ小島同士のようにただ海面上、つまり意識上に時々顔を出していただけ、だ。
離れ小島と小島をつなぐ「線」など、一切存在しない。
だから、その「線」がいくつもまとまって一つの大きな知識体系(この場合、古典文法)を作り上げ、頭の中にしっかりと根を下ろしてぐんぐん成長していく...
なんてことも100%起こらない。
当然だ。

http://travelingyourdream.com/?page_id=2976

ただテキトーに何の脈絡も無く、ポツンポツンと脳内に置かれているだけの、壊れかけてボロボロな知識の断片。
それを寄せ集めたところで、「使え」るわけがない。
海外旅行用に「一週間で覚える旅行会話・フレーズ」なんてタイトルの本を買って、国際線の飛行機の中で数時間ばかりゴニョゴニョ音読練習したところで、その言語の達人になれるわけがない。
古文読解だって、それと同じだ。



だから、試験にこういう文言が出てくると、当時の私は瞬時にしてフリーズし、頭の中が真っ白になっていたものだ。


...完了の助動詞「たり」の活用の型は、って? 
(ラ行変格活用=ラ変型、です)

...助動詞「べし」の異なる意味・用法って? 
(す・い・か・と・め・て=推量・意志・可能・当然・命令・適当)

...係助詞・副助詞の代表的な例を挙げよ?
(係助詞=は・も・ぞ・こそ・なむ・や・やは・か・かは/副助詞=すら・だに・さへ・し・しも・のみ・ばかり・まで・など)

...この歌で使われている縁語を抜き出せ、って? 
(解答例:「くむ(汲む)」と「石清水」の「清水(しみず)」が縁語関係にある。)



...知らないよっ、そんなの!!!  
ずっと寝てたから、覚えてないんだってば!!!


ごくごく例外的に、

「~ましかば まし」
(意味:もし~だったら、...だろうに。/英語の仮定法に相当する表現。)

なんて、響きの愉快なフレーズが断片的に頭の中に入って来たケースもあったことはあったが(CMの文句と同じで、そういうのだけは即、覚える)、所詮小ネタは小ネタ。得点源にはならない。


もし、タイムマシンがあって、今、高校生だった頃の自分に会えるのであれば、「おぅ、古文舐めんじゃねーよっ!いい加減に気合入れろよ、気合っ!!!」と、凄みをきかせてきつーく叱ってやりたい。
あの頃の自分がいかにたるんでいたかは、英語学習に話を置き換えてみればよくわかる。

【中学1年生程度の貧弱なボキャブラリーしか持たない子。 
 「今度ね、英検準1級受けるんだ。合格すればラッキー☆彡」などとふざけた事をほざいているが、何の準備もしようとしない。】

古文に関して言えば、当時の私はまさにその大胆過ぎて玉砕必至!の中1レベルでずっと足踏みしていた。
まぁ、その後、無事大学に滑り込むことができたのだから結果オーライ、ドンマイ!なんだけどさ...。
喉元過ギレバ熱サヲ忘レル。


あれからほぼ30年。
きみまろ節の「あれから40年。」調で感慨深げに読んでね。)


ある日のこと、こんな年(40代後半)になっても、いまだに
「古文だめなんです。」
「古文は苦手でずっと避けていまして...」
と、ぶざまな言い訳を連発しては、問題から逃げ続けている自分の後ろ向きな生き方に、ほとほと嫌気が差した。
このまま死ぬまで同じセリフを繰り返していくつもりなのか。
そんな自分を情けなく思わないのか。
しばらくの間、自問自答し続けた。


で、遂に決心する。


大人のための古文、【再入門しよう


って。


立ち上がるきっかけをくれたのは、この本だ。

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時は2014年の春。
エイブラハムとかいうイタコ霊言ショーが猛プッシュする『引き寄せの法則』にしても、E.T.に似てなくもないエックハルト・トールとかいうドイツ人が大手メディアと結託して世界的に広めようとしていた『悟り系いまここ』にしても、どいつもこいつも胡散くさい奴ばかり。
もう、現代モノなんて懲り懲りだ。自分の見る目の無さには、それ以上にうんざりだ。」
そんな暗~い、自己嫌悪全開気分の時に偶然出会ったのが、映画「禅 ZEN」だった。


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映画を通じて道元禅師さんという素晴らしい霊的指導者の存在を知った私は、もっともっと禅について知りたい、お釈迦様の教えについてもっともっと知りたい!との思いを強くしたのだった。
参考過去記事:画「禅 ZEN」:ただ坐る。ただ生き抜く。】

道元さんご本人の手による「正法眼蔵」の方は相当難解そうで歯が立ちそうにもない。
下の本は電子版で買ったけど、案の定「そのうちね...」のカテゴリへとすぐさま押しやられ、Kindle端末の中で1年以上ほこりをかぶっている。
古文ではなく、れっきとした現代語訳であるにもかかわらず...。

現代文訳 正法眼蔵〈1〉 (河出文庫)
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昨年末に出たひろさちやさんによるこちらの「NHK・100分de名著」テキスト


道元『正法眼蔵』 2016年11月 (100分 de 名著)

NHK出版 (2016-10-24)
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(親切で良い本だと思いますよ♪)
をざっと一読してみても、その印象は覆らなかった。
ひろさんが穏やかに、優しく嚙み砕いて解説してくれればくれるほど、「...いや、本物はこんなもんじゃないだろうよ。『正法眼蔵』の原文が富士山の頂上だとしたら、この本やテレビ番組で紹介されていることは車で楽々行ける、五合目辺りのパーキングエリアレベルなんじゃないか」と、ひねくれた感想ばかり抱いてしまう。
なので、今はとても「正法眼蔵」に手を出す気になれない。たとえ現代語訳であっても。
まだ機は熟していない、って気がしてならないのだ。



でも、弟子・懐奘(えじょう)の手による、「正法眼蔵随聞記」の方だったら?
師・道元の教えを聞き書きした本、という体裁を取っている。問答形式だ。
こちらなら、ちょっとだけ頑張ればどうにか手が届きそうだ。
この一冊だけはどうしても自力で、原文そのままで読んでみたい!と思ったのである。
鎌倉時代の文章だから、平安期、たとえば「源氏物語」などの文章よりはよっぽど読みやすいけど、それでも「点と点」のお粗末極まりない古典知識しか持ち合わせていない古文劣等生にとっては、かなりのチャレンジだ。


特に、高校生時代にしっかり理解していなかった助動詞「べし」。
この一言が文の中に出てくると、頭の中が途端に全てがフリーズし、思考停止状態になってしまう。
「べからざるなり」なんてつながりが出て来た日には、もう、絶対、ダメ。本を閉じて、逃げたくなってしまうほどだ。
(まぁ、古文だけでは太刀打ちできない部分も多いので、いずれ漢文もざっとおさらいすることになると思う。課題、なかなか減らないな~。)

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一生読み続けていきたい一冊。鎌田先生の謙虚で誠実なお人柄が行間から伝わってきます。



続きは「その参」で。

2016/10/29

R.I.P. ピート・バーンズ(Dead or Alive)。〜「僕には子供時代なんて無かった (I had no childhood.)」

10月23日に突然この世を去ってしまったデッド・オア・アライブのヴォーカル、ピート・バーンズ(1959-2016、享年57歳)。


有名な、あまりにも有名な。


下にG+の埋め込みという形でYouTubeへのリンクを貼っておいた。(直接ブログ本文に動画の貼り付けができないもんで。)
この「サイキック・セラピー」、正確な情報は確認できなかったのだが、おそらく2007‐2008年頃にイギリスで放映されたテレビ番組と思われる。
司会進行役のサイキック/ミディアム(死者のメッセージを伝えられる人)・ゴードン・スミスが、ピート・バーンズと一緒に彼の半生を振り返り、壮絶な子供時代の体験を聞き出し、死んだ身内からのメッセージを伝えることによってセラピー(療法)的効果を得ようと試みた、ドキュメンタリー番組である。
つい先ほど見つけたのだが、あまりにも凄まじい話の内容に引っ張られて一気に最後まで見てしまった。


ピート・バーンズの生い立ちについては、Wikipediaのピート・バーンズの項にも詳しい。そちらもぜひご参考に。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA


ゴードン・スミスというミディアム(霊媒)、今まで知らなかった。
グラスゴーなまりの英語を話すスコットランドの方。元・床屋さんだそうだ。
動画を見る限り、「物凄い切れ味のリーディング!」っていう感じはしない。
でも、なんかこう、あったかくて、二人っきりで話しているだけで、凍りついた心が少しずつ溶けていくような、そんな魅力を持った人だな、との印象を受けた。
霊能者にありがちな儲け主義が前面に出てこない点も、好感が持てる。
床屋さんだった頃は、リーディングもお金を貰わずに引き受けていた、という。


なぜ、悪いことが起こってしまうのか?
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ちなみに英語の原書は、みんな大好き☆なニューエイジ/スピリチュアル系書籍の大手出版社・ヘイハウス(Hay House)から出ていたりするんだな、これが。相変わらず、商売がお上手なようで...。






1から5まで見終わり、ただ、ただ、「悲しい...」という気持ちだけが残った。



2016/10/05

「私だけの音楽」がもたらす、幸せ効果~映画「パーソナル・ソング」


今朝、Facebook上で流れてきた、とある記事にふと、目が留まった。



認知症の患者さんに音楽療法を施したその結果...といった感じの、なかなかそそられる見出しだったからだ。
子供の頃から今に至るまで、音の無い生活なんて考えられないほどの音楽好き。
しかも、身内にも数人認知症を患い、介護施設で暮らす高齢者がいる。
そんな筆者としては、この記事、どうしても見逃すわけにはいかなかった。



紹介されていたのは、2014年のアメリカ映画・"Alive Inside"(邦題「パーソナル・ソング」)制作へとつながっていった、とある認知症の男性を取り上げた動画だった。
日本語版が存在することを知らなかったので、まずは英語版の動画を見てみる。6分半ほどの短い動画だ。
2011年にアップロードされて以来、地味な話題であるにもかかわらず、5年間で200万超え、という再生回数を記録していることからも、反響の大きさがうかがえる。





今すぐ動画を見られない人のために、内容を簡単にまとめてみると...


認知症を患い、10年間介護施設で暮らしているヘンリーさん。

施設の人によると、普段は「Yes」「No」の一語文以外、言葉を発することはほとんどない、という。他人との交流にも無関心なようだ。


だが、娘さんによると、ヘンリーさん、若い時は大の音楽好きであった。
いつも家族の前で歌ったり踊ったりしていた、陽気なお父さんだったそうだ。街角を歩きながら名画「雨に歌えば」の一場面を真似してみる、なんてこともあったらしい。




そこで、音楽療法を研究する団体・Music&Memoryは、施設職員と家族からの協力を得て、ヘンリーさんが好きそうなジャンルの音楽をiPodにたくさん詰め込み、しばらくの間ヘッドフォンで聴いてもらうという実験を行った。



結果は誰もが驚くものとなった。 


常にうつむきがちで、他人が話しかけてもつれない反応しか返してこなかったヘンリーさんだったが、若い頃好きだった音楽がヘッドフォンから流れてくるにつれて、たちまち顔に生気が戻ってきた。

気持ち良さそうな鼻歌を交えながら、上半身を揺らして踊り始めるヘンリーさん。
最初は戸惑い気味で、うまく会話に乗れないかのように見えたが、質問者がYes-Noで答えられる簡単な文で話しかけるようにしてからは、彼の口から次々に言葉が飛び出してきた。

ビッグ・バンド・ジャズ時代のスターであったキャブ・キャロウェイ という歌手の歌が特に好きだったことも思い出し、お気に入りの歌のフレーズまで口ずさみ始めた。(なかなかお上手!)



「愛する気持ちが...ロマンチックな気分がわいてきた。
みんな、音楽を聴いて、歌を歌わなくっちゃいけないな。
だって、世界にはこんなに美しい、すてきな音楽があるんだから。
愛が...夢が...いやぁ、押し寄せて来るねぇ。感じるねぇ...。」



10年間、他人に心を閉ざし、娘の名前も思い出せなくなってしまった人の言葉とは思えないほど、前向きな言葉ではないか。

「人を瞬時にして純粋に幸せな気持ちで満たすことができる。」

これが、音楽という芸術の持つ、偉大な力。

高齢化社会が進む今こそ、われわれは音楽の力を見直す必要がある。人が幸せな老後を送り、そして幸せにあの世へと旅立つための一助として、音楽を大いに利用すべきである。

日本では2014年、全国のミニシアター系劇場にて上映されたそうだ。



(昨年夏、この世を去った神経学者・オリバー・サックスの在りし日の姿...。)



熱心な映画マニアでもない大部分の人にとっては、「知らないうちにひっそりと始まって、知らないうちにひっそりと終わっていた」類の作品、じゃないだろうか。
なんたって、横浜の小さな映画館・シネマ ジャック&ベティで上映されていた、ぐらいだもの。
(ここはいつも面白そうな作品をずらりと揃えているミニシアターなんですよ。里帰りの時に一回ぐらいは行きたいな~、って、毎年思うんだけど、なかなか、ね...。)


【参考記事:「はまれぽ.com」より
「横浜で、都心の『シネマテイク』や『シネマスクエア』並みの興味ある映画をやっている映画館はありませんか?」】



でも、見逃した人でも大丈夫。ちゃんとDVD化されていました!
品切れ・入手困難になる前に私も買おうっと。


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詳しい情報は、配給会社の公式HPをどうぞ。
http://personal-song.com/


医療情報が満載の「Health Press(ヘルプレ)」に掲載された記事は、こちら


こちらの「安心介護」というサイトの記事では、映画の内容紹介とともにTwitterから拾った観客の声も含まれていて、とても参考になった。


特に、こちらのTweetには、首ブンブン振って同意!同意!と叫びたくなったほど。


すばらしい。
ネオRICHくまこさん(おぉ、レオナルド博士...!)、これ、至言です。
人が「音楽で癒される」ために、周囲の人がやるべきことは、まず、認知症患者さんお一人お一人の異なる嗜好にこちらから寄り添い、何が欲しいのかを汲み取ってあげること。
つまり、その人にとっての「パーソナル・ソング=私だけの音楽」を見つけ出し、そうした音楽と再会する機会を作ってあげること。
究極的には、音楽という芸術の力を借りて、個人的な体験を呼び起こしてあげること...。
まったく、その通りだと思う。



「療法」「セラピー」を自称するからには、ひと時の慰安体験以上の何か、つまり、一人ひとりの心がぐらぐらっと揺さぶられるような体験が欲しいところだ。
十把ひとからげの、「さぁ、みなさんご一緒に!」ではない、一人ひとりへのきめ細やかな働きかけがあってはじめて、個々人の魂の奥底に眠っていた生命力も目を覚ますのではなかろうか。


だって、一人ひとりの人生ドラマも、感動体験も、指紋のようにみんなそれぞれ違っているのだから。
「みなさんご一緒に!」と、効率第一で「まとめてしまう」というやり方は一番そぐわない領域なのだ。本来は。
(まぁ、実際、介護や医療の現場にいる方々に言わせれば、「だってそんな手間も暇も無いのだから、仕方ないじゃないか!」となるのでしょうが。...もちろん、それは理解できます。
理想は理想、現実は現実。厳しいですよね...。)



となると、後はいかにしてその人材・戦力を確保するか...という問題が生じてくる。
これは、上にもリンクを貼っておいた音楽療法ボランティア養成・ならびに派遣団体であるMusic & MemoryのHPを後からじっくりと読んでみることにしよう。
日本でも似たような活動がどんどん広まるといいなぁ。
音楽が大好きで、時間と熱意のある一般市民が少しでもそうした取り組みに興味を持ち、地域の小さな灯火(ともしび)となって、思い出を失いつつある人たち一人ひとりの心をあたためていけるようになればいいな、と思う。



原題は"Alive Inside"(内面は生きている)というこの映画。


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邦題に「パーソナル・ソング」(一人ひとりの歌/曲)という表現が選ばれたのは一体なぜなのか、と少し考えてみればいい。
音楽療法に何が必要なのか、どんなアプローチが望ましいのか、映画制作者側がたどり着いた結論はおのずから明らかになるのではなかろうか。



内側から、心揺さぶられるような、「私だけの音楽(パーソナル・ソング)」との再会。
それがあって、はじめて、眠っていた思い出や、自分らしさや、言いたくても言えなかった言葉が意識の表面に浮かび上がってくるのだ...



制作陣が訴えたかったのって、多分こういうことじゃないかな。
他にもメッセージはいろいろ詰まっていると思う。家族みんなで楽しめるように、まずは日本語版DVDを注文し、見てみなくっちゃ。



とりあえず、公式HPの映画紹介文を締めくくる質問を、自分に、身内に、友人に投げかけてみよう。


「自分にとってのパーソナル・ソングは何だろう?」


その答をきっかけに、相手の意外な一面がポロリと見えてくるかもしれないし、ひょっとしたら「あの時、思い切って聞き出しておいて良かった!」とありがたく思える日がいつか来る...かもしれない。



で、私自身の「パーソナル・ソング」は何か、と問われれば...


今日のところは、これ。
1980年代、北イングランドのヨークシャー地方出身の叙情派バンド、プリファブ・スプラウト(Prefab Sprout)の、"A Life of Surprises"を選んどきます。
心のツボ(時に、涙腺も)を刺激してくれるような歌詞やメロディを生み出すことにかけては、ほんと、天才ですよ。ヴォーカルのパディ・マクアルーン(Paddy McAloon)って人は。私の中では、ダントツのナンバーワンです。






歌詞全体は


(...) 
Never let your conscience be harmful to your health
Let no neurotic impulse turn inward on itself
Just say that you were happy, as happy would allow
And tell yourself that that will have to do for now


Darling it's a life of surprises
It's no help growing older or wiser
You don't have to pretend you're not crying
When it's even in the way that you're walking
Baby talking


Never say you're bitter Jack
Bitter makes the worst things come back


(前略) 
身体が壊れてしまうまで 「いい子」をやってはいけないよ
神経症的な衝動を 自分の中へと向けてはダメだ
ひたすら言うんだ 「幸せだった、最高に幸せだった」って
そして自分に言い聞かせるのさ ここらでひとまず幕引きだ、って

ねぇ君 人生なんて所詮サプライズの連続さ
年を取っても 賢くなっても どうにかできるってものじゃない
泣いてなんかいない そんな振りなどしなくていいよ
たとえ歩くときに 涙が邪魔になるとしてもね
子供扱いするような物言いになるけど


辛いなんて弱音は吐くなよ ジャック
弱音ばかりじゃ 最悪の状況がまたぶり返すから

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パディ・マクアルーン、網膜剥離のために視力を失ったばかりか、メニエール病から来る耳鳴り悪化のために、聴力まで損なわれつつある、という。何という悲劇だろう。
どうか、何があってもパディには強く生き抜いてもらいたい。家族に囲まれて幸せに過ごして欲しい。
あなたの歌に支えられて辛い時期を乗り切った私たち世界中のファンが、今度はあなたのことを応援する番です。



あなたの毎日が平和なものであり続けますように。
私たちは祈り続けます。


2016/09/26

史上最強のVOWネタ・「シーラ・イーストン」

先日、子供が通う日本人学校のバザーの古本市にて懐かしいこちらの本を入手する。
お値段、たったの25セントなり。残り物には福がある。




昔、VOWシリーズは5冊目か6冊目のあたりまで発売と同時に買いに走るほど熱心に読んでいた。
多分、今回買った文庫本の元となった単行本も、実家のどこかに大事にしまってあるのだと思う。(まさか勝手に処分されていないだろうな...。)


そこでふと、思い出したのが、今回のタイトルで取り上げたこのネタ。
誰が何と言おうと、史上最強のVOWネタはこれで決まり、だと思う。
(勝手にリンクさせていただきましたイラストレーターのタッド星谷さん、この場を借りてお礼を申し上げます。)


「シーラ・イーストン」。
https://plus.google.com/107117837862700567166/posts/NUdsyRvDLjy







下↓の「ベストオブVOW」の「なか見!検索」を開くと、真っ先に出てくるページなので、G+投稿埋め込みが見づらい、という方はぜひお試しあれ。

ベスト オブ VOW
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1980年代の洋楽にあまり興味無い方のために、一応軽く説明しましょうね。
シーナ・イーストン(Sheena Easton)は、イギリスはグラスゴー近郊出身のソロシンガー。ご覧の通り、白い肌のスコティッシュである。


(ブルーのつなぎ...いや、ジャンプスーツ、って言うべきか、
どこで売ってたんだろう???)


シーナ・イーストンの方は1980年代初頭から快調にヒットを飛ばし、一時はプリンスと音楽上でも、私生活上でもかな~り親密になった。
確かに、シーラ・Eの経歴とほんの少しだけ、かぶる。
その後の彼女の活躍については、Wikiさんにおまかせするとしよう。 ←この項の最後の部分書いた人、明らかにVOW読んでますな…。
私、カラオケでよく彼女の初期のヒット曲歌いますよ。"9 to 5 (Morning Train)"とかね。だって歌うとスカッとするんだもん。



一方、シーラ・E.(Sheila E.)は、こちら
アメリカ西海岸・サンフランシスコと隣接するオークランド出身の、パーカッショニスト(打楽器奏者)であり、シンガーでもあるエキゾチックな美女。
メキシコ系+アフリカ系の血を引き、一族内には腕利きのプロミュージシャンがずらりと名を連ねる。


もう、かっこいいの何のって。
足で銅鑼(ドラ)・・・じゃないでしょ全くもうっ!・・・
シンバルを威勢よく蹴り上げるその姿、一度見たら絶対に忘れられない!


5歳の時から父親と一緒にステージに立ってきた、というシーラ・E.。
ラテンジャズやサルサといった、西海岸ラテン音楽の大物ミュージシャン達に囲まれて育ったため、音楽面では非常に恵まれたスタートを切った。
演奏の腕前も完璧、しかも美貌も完璧。
デビューヒットとなった「グラマラス・ライフ」のビデオを見た瞬間から、私にとって彼女は「憧れのお姉さま~♥」的なお方であった。



上のVOWネタでは、シーナ・イーストンとトホホな混同をされていたことでもわかるように、彼女もまた、故・プリンス(今年の4月22日に急逝)とは公私ともに非常に関係の深いミュージシャンだった。実は婚約まで行った過去もあった、という。
結局、男女としての付き合いには終止符を打ったものの、プリンスがこの世を去るまでずっと友人関係は続いていたらしい。



2010年には、二人揃ってスティーヴィー・ワンダーのパリ公演にも飛び入り。
よだれものの豪華メンバー共演を前にしたお客さん、そりゃーもう狂喜乱舞雨あられ、でしょうねぇ。いいな〜。


(まさかこのわずか6年後にプリンスがこの世を去るなんて...。
本当に人の命なんてはかないものです。)

今日は、そんな素敵なシーラ姉さまの、辛い過去、そしていかにしてそこから彼女が這い上がって来たか、という話、ちょっとだけ紹介したい。


こちらは、シーラ・E.、2014年の自叙伝発売に際してのテレビインタビュー。
その晴れやかな笑顔の裏に、地獄のような幼少時の記憶がこびりついていたなんて、一体誰が予想し得だろうか。

カルロス・サンタナとの恋愛に話が及んだとき、「ギタリストに弱いの♥」と告白しちゃうシーラ・E.、最高にかわいくって魅力的だった。
(私の場合はピアニスト...おっと失礼)

結婚にこそ至らなかったけど、プリンスのこと、本当に好きだったんだろうなぁ。

(以下、上の動画に添えられた説明文の和訳である。) 
演奏家としてはゆるぎない名声を獲得したシーラ・E。
幼い頃からエンタメ業界に入った彼女は、この世界の甘いも酸いも、表も裏も、ありとあらゆるものを味わってきた。
 

 父親は著名パーカッショニストのピート・エスコヴィード。彼女の才能は、ラテンジャズやサルサの超大物ミュージシャンが出入りするレコーディングスタジオへの出入りを通じて育まれていった。 

だが、このカリフォルニア州オークランド生まれの少女を待ち受けていたのは、「性的虐待の犠牲者」としての苦悩だった。 

「私は強姦されたの」
シーラ E.は語る。
加害者は年上のいとこたち、そして子守役(ベビーシッター)として一家に出入りしていた男性。
わずか5歳の頃の出来事だった。

「私なりの証言を白日の下にさらすことで、多くの人と痛みを分かち合いたかった。多くの人...特に女性...は、『自分だけがこんな目に』って思い込んでいる。でも、そんなことはない。あなただけじゃない。」

そうした話に加えて、プリンスとの婚約や、初恋の人・カルロス・サンタナとの秘蔵エピソードがつづられている自叙伝・"The Beat of My Own Drum”(私自身が刻む、ドラムビート)の出版についても話してくれた。

「辛くてなかなか筆が進まない時も、確かにあった。私のような有名人っていうのは、できるだけ私生活は隠しておきたいものだから」と、シーラ・E.は執筆作業を振り返る。

現在、ドラマー、パーカションニスト、歌手として活躍中で、わずか5歳の時に父親が出演するステージで初演奏を披露した彼女。
今も精力的に演奏活動を続けている。
 舞台の上にいるときが何よりも幸せ、だという。ニューアルバム「アイコン Icon」も発売された。

「私の人生、グラマラス(魅惑いっぱい)でグロリアス(輝きいっぱい)よ。("I'm living glamorous and glorious" )」 
(以下略)


インタビューで語っていた彼女の自叙伝は、こちら。
美人やのう...。



もう一本の動画では、彼女が長年力を入れているという児童虐待の被害者となった青少年への支援活動が描かれていた。



シーラ・E.が恵まれない青少年を支援するチャリティ活動に熱心に取り組んでいることはもう何年も前から知っていた。
外面だけじゃなく、内側も強く、美しい人なのである。
彼女のことがますます好きになった。

以下、動画の内容を要約してみる。

全米では比較的名前を知られたAARPという慈善NPOがある。 
シーラ・E.がここで果たした役目とは、恵まれない幼少期を過ごしたり、虐待の被害者となったりして、心に傷を負った青少年を支援することだった。 彼らのメンター(助言者)として、一緒に音楽を作り出す。それは、幼少時から音楽業界に身を置き、卓越した演奏能力で世界的な知名度を誇る彼女にとってはまさに打ってつけの役割であった。
ここでは、音楽の力によって少年少女たちが本来の自分自身が持っている声や個性を表現できるようになることを目指している。音楽作りという共同作業を通じて、彼らのひどく傷ついた自尊心も少しずつ癒されていく。時が来れば、力強く外の世界へと羽ばたいていくことができるようにまでなるはずだ。
「一種のセラピーよね」彼女は自身の活動をこうとらえている。
シーラ・E.自身もまた、幼い時におぞましいレイプ体験の被害にあっていた。この忌まわしい記憶と真っ向から向き合うきっかけを作ってくれたのは、彼女のマネージャーを務めるリンであった。
日本での滞在中、一緒に聖書勉強会をしていた時、リンさんはシーラ・E.にこう提案した。
「あなたが体験したことを、歌に託して表に出してみては?」

 幼少時に子守役(ベビーシッター)として雇われ、同じ敷地内に住んでいた男性。彼女は、この男性に幾度も強姦されていた。何十年間も必死に抑えつけていた自分の内面を表面化し、吐き出す作業。これは決して楽なものではなかった。

「私、こんな毒々しいものばかりずーっと自分の中に溜め込んでいたの?」
自分でも唖然としてしまうような、さまざまな負の感情が彼女の中から堰を切ったように噴出してきた。
3日間ノンストップで泣き続けた。

だが、あの時を境に自分の人生は大きく変わった、と彼女は語る。

音楽の力を借りて自分の内面を表現することで、長年のトラウマの呪縛から逃れることに見事成功した、シーラ・E.。
その体験を元に、決して幸せとは言えない幼少期を過ごしてきた若い世代に向けて、
「夢は大きくもって」
「希望を忘れないで」
とのメッセージを今日も訴え続けている、という。

トラウマからの回復という、非常に私的であり、しかも多大なる痛みを伴う作業。
それを自分ひとりの中だけで片付けてしまわずに、敢えて公共の電波上で傷口を世間に晒すという勇気ある行動を、彼女は選んだ。
自分と同じ、悪夢のような過去に苦しむ人々の役に立ちたいという道を選んだ彼女。なかなかできることではない。


だから私はシーラ・E.を心から尊敬したいと思う。


若い世代を励まし、勇気付け、未来へ向かって歩き出すための手助けをする。そうした活動にも「ひとりの子供から、今、できることをひとつづつ。」取り組んでいる、というシーラ・E.。素晴らしいよね。
彼女のこと、これからも末永く応援していきたい。


月並みな言い方だけど、本当に「すごい人」っているんだね。

2016/07/15

ラジオ大好き!① 〜懐かしのFEN(Far East Network)〜

1980年代。
この十年間を神奈川県民として暮らせたのは、ほんとうに幸運だった。
今でも時々そう思う。



私は、「体育」「スポーツ」といった類の活動が好きではない。
中学校に入っても、週末を全部犠牲にしなければならず、体力的にもしんどいような部活動はごめんだ、と思っていた。
かと言って、文化部にもこれといって興味をそそられるものは無かった。
そんな怠け者で出不精な13歳だから、唯一の楽しみと言えば、毎日、学校から帰って、刑事ドラマの再放送を見ることぐらい。
今、スマホやゲームにどっぷり浸かっている子供や甥っ子たちに対し、あまり偉そうなことを言えないのは、恐らく、ダラダラ中学生だった当時の自分に、今もなお後ろめたさを感じているから、なのかもしれない。



あの頃の私にとって、「テレビは世界の中心」だった。
いや、むしろ私の方が「テレビの周囲をぐるぐる回って」いた、というのが正しい。
学校が終わると、おしゃべりしながらちんたらちんたら歩いて帰りたい同級生につかまっては大変だ、とばかりに、終礼と同時に一人ダッシュで教室を飛び出し、家路を急いだ。
運が良ければ、当時大ファンだった寺尾聰さんが出演していた「大都会PART III」(再)の結末部分にギリギリで間に合うかもしれないから。


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(ちなみに、この頃、我が家にはまだVHSビデオデッキは無かったです。もしあれば、お目当ての番組がばっちりタイマー録画されていたはずなので、ダッシュして帰る必要も無かったのですけどね~。 当時、ビデオデッキはまだまだ高嶺の花でした。 それほどリッチではなかった我が家では、ここから更に2年経ってからようやく手に入れることとなります...。)



「大都会PART III」が終わると、お次は4時からは「太陽にほえろ!」の再放送だった。
粗野な言葉の応酬と、銃撃戦や殴り合いといった暴力シーンをフルに堪能できる、男臭い昭和の刑事ドラマ・豪華2本立てを見終えてすっきりしたところで、今度はテレビ東京(当時は「東京12チャンネル」)へと移動。
弟でも楽しめるような懐かしアニメの再放送を、延々と見続けるうちに、待望の晩ごはんとなる。
で、食事を終えるやいなや、またもやテレビの前へと舞い戻る。
まったく、今から考えると実にしょ〜もない、ぐうたら極まりない日々であった。成績が急降下して行ったのも、至極当然であろう。



テレビ廃人と化しつつあった中学最初の1年間は、このように締まりのない状態で、無駄に過ぎていった。
ところが、ありがたいことに、堕落した日々の連続に終止符が打たれる日が遂に訪れる。
時は1982年の2月初め。
アメリカやイギリスのロック&ポップミュージック、いわゆる「洋楽」の素晴らしさに、ある日突然目覚めてしまったのだ。



好きになれば、少しでも情報を得たい、できるだけ多くの音楽を聴いて詳しくなりたい、と思うのは当たり前。
ラッキーなことに、冒頭でも書いた通リ、私は神奈川県・県央地区の某市に住んでいた。
皆さんもご存知だろうが、神奈川県内には厚木基地(不思議なことに、地理上の場所は厚木市とは少し離れているのだが)・横須賀基地を初めとして、数多くの米軍施設がある。
そうした基地施設に配属となって来日したアメリカ人の軍人さんや、その家族が数多く住んでいることもあり、神奈川では県の全域でFEN(Far East Network)という、24時間ノンストップの100%英語放送を受信することができた。




(毎夏恒例の、座間キャンプを地元の人に開放して行われる盆踊り大会。
高校の同級生で、卒業して最初の夏休みにこのお祭りに行き、アメリカ人の男性と運命的な出会いを果たし、20歳そこそこで国際結婚、既にお孫さんまでいる...という人を知っています。なんてまぁ、濃ゆい人生!)



ちなみに、FENというラジオ放送局はもうこの世には存在しない。
1997年に改称されて、現在はAFN(American Forces Network)と呼ばれているらしい。



周波数はAM810khz、と、NHK第二とTBSラジオのちょうど真ん中辺りに位置していた、FEN。
このラジオ局を聞き始めたのは、インターネットなるものが日本に伝わるよりもはるか前、1980年代前半の頃であった。
「金は無いけど暇はある(←帰宅部だしね...)」、しかも英語と洋楽は同級生の誰にも負けないほど好きだった中学生にとって、このFENの英語放送がどれほどありがたかったことか。


毎週土曜日、ラジオ日本で夜11時から放送されていた湯川れい子さんの解説付き「全米トップ40」も欠かさず聞いていたけれど、FENのAmerican Top 40 では、それよりも新しい、できたてほやほやのTop 40チャートを40位から1位に至るまで、全曲ノーカットで4時間にわたり放送してくれていた。



当時の放送を録音したものがYouTubeに上がっていたので、久々に聴いてみた。
いや~、結構鮮明に覚えているもんだ。
DJのケイシー宛にお便りを出し、遠くにいる誰かさんにプレゼントしたい一曲をリクエストするコーナー・"Long Distance Dedication"も、当時は「ん?長距離+献呈...って、何だ?」と、辞書を引きながら首をひねっていた。(何回か聞いているうちに、意図はつかめてきたけどね。)



(R.I.P.ケイシー・ケイサム。2014年にお亡くなりになったんですね。)



洋楽にはまってから日が浅く、少しでも多くのことを知りたい、学びたい、と、カッチカチに乾いたスポンジのように吸収力がMAXになっていた、当時の自分。
毎週土曜日午後1時から始まる"American Top 40"のひと時を、どれほど楽しみにしていたことだろう。
あれは、ひょっとすると生涯最高の英語教材だったかもしれない。(しかも、無料だし。)



一時期は、曲名とアーティスト名を40位から1位まで聞き取って、自分オリジナルの「トップ40ノート」を作りさえした。(高校に入ってからは、忙しくてそれもできなくなったけど。)
毎週ノートに記録すると決めたからには、正しくタイトルを聞き取り、正しい表記でもって書取らねばならない。
スペリングが分からない時は、辞書で必死に調べる。それでも怪しければ、雑誌「MUSIC LIFE」の一番新しい号に載っている「今月のビルボードTop100」を調べ、それと思しき曲のタイトルがランキング下位の方で登場していないかどうか、チェックしてみる。
それでもなお判明しない単語やスペリングがあれば、仕方無い。とりあえず放置だ。また来月のMUSIC LIFEが出たら、その中のビルボードTop100を見て、チョチョイと直しておけばいい。(←結構いい加減だった。)



後年知ったことだけど、この「トップ40ノート」作りって、外国語学習法の一つである「ディクテーション」(耳で聞いた文章を書き取る)という作業とかなり似ている。
あの頃は、何の効果も見返りも求めていなかった。ただ純粋に楽しいから、音楽に関係した情報を記録すること自体が嬉しいから、誰に言われなくっても続けていけたんだけどね。
今思うに、そうやって自発的に、楽しいから始める!面白いから続ける!といった類の学習が、長い目で見れば一番自分の血肉となって自分を助けてくれる...のではないだろうか。



もう一つ、FENにはAmerican Top 40と同じくらい思い出深い番組があった。
平日の2時からやっていた、メアリー・ターナーというちょっと低めの素敵な声をしたお姉さんDJの単独番組、「メアリー・ターナー・ショウ(Mary Turner Show)」だ。


http://afrtsarchive.blogspot.ca/2016/05/mary-turner-1983.htmlより拝借。)


通っていた公立中学校では、それなりに周囲と話を合わせることもできていたし、浮き過ぎない程度に明るく、人畜無害な一生徒として振る舞うことだって、なんとかできていた。
でも、それはあくまでも「仮面」を被った、嘘の自分。そんな演技ばかりしていて、毎日が楽しいわけがない。
そうした嘘くさい学校生活で大量に生じたストレスを解消しようとしてなのか、短縮授業の日や、夏休み冬休みといった長期休暇の時は、部屋にこもってFENの音楽番組をひたすら聴きまくった。
(で、少し気合い入れて勉強に取り組むようにもなった。)



特にこの「メアリー・ターナー・ショウ」は、ハードロック中心の選曲だったため、毎日欠かさず聴いていた。
聴かないと、身体の中にあるいろいろな負の感情やら、うまく行かない現実への不満やらが、処理できないまま溜まっていくような、そんな気がしていた。
同時に、雑誌「MUSIC LIFE」を隅々まで読みながら、少しずつ買い集めていたハードロック系のLPレコードばかりを聴きまくった。



「暗い...」
「変...」
そう思いたきゃ、思ってくれたって、一向に構わない。どうぞご自由に。
周囲に洋楽を聴く人なんて一人もいなかった当時の私にとって、本当の意味で「心の友」と呼べるのは、ラジオと本・雑誌と、そしてレコード。
ただ、それだけあれば、充分だ、と思っていた。
だって、後は全て「どうでも良い、くだらないこと」だったから。
必要としなかった。



「メアリー・ターナー・ショウ」で流れてくるのはJudas PriestMotorheadといった、重量感あふれるヘビメタ寄りのものから、JourneyForeignerJ. Geils Bandといった、「イマドキ(※80年代前半当時)のチャートヒット」に至るまで、まぁ、実にいろいろ。
全体的にハードロック色が濃厚であったことは、確かだ。
当時大好きで、全米No.1級の大ヒットを連発していた売れっ子のDaryl Hall & John Oates(ホール&オーツ)の曲も流れないかな〜、と楽しみにしていたのだが、待てど暮らせど、とうとう一度もそのようなことは起こらなかった。
彼らの場合、「ソフト・ロック」「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けロック)」と区分されることが多かったから、ハードロック中心のこの番組のカラーにはそぐわないと判断されたようだ。



("Portable Radio"...ラジオ好きとしては、やはりこの曲でしょ!)



The WhoRushZZ Top38 Specialのように、海外ではビッグネームなのに、日本では全然人気の出なかったバンド(ヒント:上記4組とも、ルックスが若い女の子受けしない面々ばかり...。)も、番組中ではガンガン流れていたように記憶している。
番組は日本にあるFENのスタジオではなく、メアリーさんの地元・ロサンゼルスのラジオ局で制作していたそうだ。
アメリカのロック専門ラジオステーションでの流行を忠実に反映した末の選曲だったのだろう。



毎回、”Off The Record"というミュージシャンの肉声が流れるインタビューコーナーがあった。一回の放送分は5、6分。それを月曜から金曜まで流して、一組のアーティストをカバーする、という構成だったように思う。
雑誌で写真や記事は読んでいても、当時、ミュージシャン(特に、ハードロック・ヘビメタ系)の生の声を耳にする機会なんて、そう多くはなかった。
だから、毎週月曜日の放送では「おぉ〜〜〜!!! 今週はこんな大物が!!!」と、一人興奮していたものである。
American Top 40のケーシー・ケーサムと違って、しゃべりのプロがクリアーに発音してくれる英語ではないし、(中学生だった当時は知るよしもなかったが)方言や訛りなども相当あっただろうから、話の内容はほとんど理解できなかったけど。






フレディー・マーキュリー存命中の1986年に行われた、こちらのクイーン・インタビュー。珍しく、4人の発言部分がほぼ均等になっている。(寡黙なことで有名なジョン・ディーコンにもちゃんとしゃべらせている辺り、メアリー姐さん、さすがは凄腕インタビュアーですぞ!)



アメリカでは既にMTVが24時間放送を始めていたから、このようなインタビューやドキュメンタリーを目にする機会も年を追うごとにどんどん増えていった。
だが、日本の場合、洋楽を取り上げるテレビやラジオの番組数がそれほど多くはなかった。
こういうラジオでのインタビューも、当時のファンにとっては貴重な情報源であったに違いない。



誰かがYouTubeに動画ファイルをアップしてくれて、手元のスマホやタブレットで大好きなスターの動画をいつでもどこでも再生し放題、なんて夢物語。
一体誰がそんな未来を予測できただろうか。
少なくとも、あの頃の私には全く考えられなかったよ。



高校に入った頃から、人付き合いに伴うストレスが著しく減ったせいか、徐々にハードロック系音楽(と、プロレス)への熱は冷めていった。きっと、身体がもう必要としなくなったのだろう。
それに伴い、自然と「メアリー・ターナー・ショウ」からも遠ざかるようになっていった。
代わって好きになっていったのが、イギリスの、いわゆるニューウェイブというか、シンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップelectropop/シンセポップ synthpopと呼ばれるタイプの音楽だった。
残念ながら、あくまでも「米軍放送」であるFENでは、全米チャートで上位に来るほどの大ヒット(例:Tears for Fears)でもない限り、この手の音楽がかかることはまず、期待できない。



1985年。
スクリッティ・ポリッティScritti Polittiというイギリス(ウェールズ)人のグリーン・ガートサイド、デヴィッド・ギャムソン、フレッド・マーという二人のアメリカ人を組み合わせたバンドの音楽に出会ったことで、FENと私は別の方向へと進み始める。とにかくグリーンに夢中だった私は、趣味・志向が完全に「イギリス寄り」へと変わってしまったのだ。






FENを聴く頻度もますます少なくなっていった。
部屋にいる時はいつ、いかなる時でも、彼らのLPレコード"Cupid & Psyhe '85"をかけるのが慣例となってしまったから、だ。


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また、ようやく手に入れたSONYのポータブルカセットプレイヤー(まだMP3プレイヤーじゃないですよ!それは20年先の話。)・Walkmanのおかげで、深夜だろうと外出時だろうと、好きなアルバムをダビングしたカセットを、周囲に気兼ねすることなく、思う存分聴けるようになったから、だ。
そうなってくると、「どうせ好きな音楽なんてかかりっこないさ」と、冷めた聴き方しかしないようなラジオ局・FENとは自然と疎遠になるしかない。
聴くのはもっぱら、イギリス系ポップミュージックを積極的にかけてくれる、ラジオ日本の夜の番組と、週末深夜のチャート番組のみ、ということになる。
(ラジオ日本の番組については、また別の機会に書くとしよう。)



80年代も後半にさしかかると、大学受験のための勉強もしなければならず、FENを聴くこともほとんど無くなってしまっていた。
(確か86年だったかな、スクリッティのシングル"Perfect Way"が全米ビルボードチャートで最高11位まで上がったのは。あの時だけはさすがに必死で聴きまくったけど。)
既にイギリスびいきへと完全に宗旨替えしており、アメリカ英語しか流れてこない(←当たり前だ!)FENにも魅力を感じなくなってしまっていた。



誰の人生にも三つの坂があるという。
上り坂、下り坂。
そして、「まさか」。
はて、あれほどまでに英国好きだった私が、今こうしてアメリカで暮らしているのは、一体なぜなのだろう...??? 
三つ目の坂・「まさか」がここで来るとは、ねぇ。



数年前、ふと懐かしくなって、「そういえば、あのFENのメアリー・ターナーさん、今どうしているんだろう?」と、ネット検索してみたことがある。



驚いた。



DJとなったからには、誰もが一度は夢見る冠番組を持っていたメアリーさん。それも大都市・ロサンゼルスエリアという激戦区で、長年キープしていたのだから、すごい。
しかも、米軍放送ネットワークを通じて、世界中の聴取者に名前が知れ渡っていた。
なのに、彼女は栄光に背を向け、90年代に入るとラジオ業界を離れてしまう。
何でも、一念発起して大学へと戻り、大学学部、そして大学院で専門的なトレーニングを重ねた末、心理学の博士号を取得したのだそうだ。
現在はドラッグ・アルコール嗜癖の治療を専門とするカウンセラーとして、活躍中。様々な施設や慈善団体とも連携しながら、独立してお仕事しているらしい。
(ソース:http://afrtsarchive.blogspot.ca/2016/07/mary-turner-1985.html#uds-search-results )



メアリーさんは、"Off The Record"という番組内の名物インタビューコーナーで、数え切れないほどの有名ロックミュージシャンに直接会って、話をしたに違いない。
そうしたお仕事を通じて、あまりにも多くの人々が薬物や酒の誘惑に負けてしまい、転落していく様子を目の当たりにしてしまったのだろう。
華やかなステージでの輝きの裏には、とてつもなく深く、黒々とした闇があることを、嫌というほど見せ付けられたのだろう。
ほんのちょっとのつまづきがきっかけとなって、命を落とし、二度と帰って来なかった人達だって数え切れないほどいるからなあ。
ロックミュージック、とは、そうした危険が常につきまとう、やくざな業界である。
仮につまづき、転落したとしても、どうにか生きて還って来れた人は、まだラッキーな方、と言えるだろう。



(病死や事故死も混じっていますが、でも、多いですよね。薬物・アルコール絡みの早すぎる死。かく言う私も、いつの間にかFreddie Mercuryの没年齢を追い越してしまいました。
2011年に亡くなった燃えるアイリッシュ魂・炎のギタリストGary Mooreも忘れないでね。)



名声と安定した収入とが約束されていたラジオの仕事を捨て、あえて困難な嗜癖治療・心理療法の世界へと身を投じ、一人でも多くの人を助けるという道を選んだメアリー・ターナーさん。
昔馴染みの人(声だけ、だけど...)が、このような立派な選択をし、活躍しているということを聞くと、なんだかこっちまでじわりじわりとうれしい気持ちになってくる。




いいなあ。その強さ、潔さ、カッコいい生き方。
見習いたい。