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2017/03/10

「なめんなよ」~「傷」についての良記事、二つ。

http://item.rakuten.co.jp/festival-plaza/10007382/
こちらのお店の画像を拝借しました。
うち、このカードセット買って持ってます。20枚。

「腐ったミカン」@金八先生ジャストミート!な世代には懐かしいこの光景。不良と言えば、バイクに長ランボンタン。女子はずるずるマキシ丈のスカート。休み時間にトイレで喫煙。頭髪痛むぜチリチリパーマ。
...って、もはやこういう1980年代初頭の特殊カルチャーを理解できない人の方が多いか。
(下の動画を見てもイメージ湧かない人は、「ツッパリ」という語をググって画像検索してください。)


今聴いてみると、意外に曲も歌詞も手堅い作りになっていて、プロの仕事だよな~と感心してしまう。
曲後半部での「なめんなよの心得」シャウト部分(歌詞を読みたい人はこちらから)、特に「ワン公のようにやたらシッポを振るべからず」のフレーズは「好かれたい病」からの脱却を目指している私にはビビビン☆ビビン☆上田敏!と響いてしまった。シビレルナー。

【参考過去記事@楽天ブログ・アーカイブ館】
「人に好かれたいという病気は、現代のペスト(黒死病)」

「まぐまぐ」発行のメルマガを購読していると、ニュース記事を集めたMAG2NEWSという、まぐまぐメルマガからピックアップした記事のチラ見せ用日刊メール新聞が自動的に送られてくる。たまーに気が向いた時に開封して読むこともあるため、購読解除することもなく、今日まで来ている。


数日前、記事ヘッドラインの中で「おっ!」と目を引いたのが、こちらの文章だ。http://www.mag2.com/p/news/242257




これ、こちらでさんざん取り上げてきているキャロライン・メイスおばさんのメッセージとほぼ同趣旨のメッセージだと思った。
「傷の言語(Woundology)」で話してばかりいるな、不幸自慢・自己憐憫の蟻地獄にはまるな、という、彼女の主張と非常に近いことを言っている。

「心の傷を強調することは、傷そのものと変わらないほど精神に損傷を与えるのである。傷についてあれこれ思いわずらうことは、それ自体が自分を傷つけ、鞭打つ行為であり、意識は回復ではなく、つねに弱さのほうへと向けられる。」
(「チャクラで生きる」キャロライン・メイス、川瀬勝訳、サンマーク文庫、2009、p.79)

そうした「傷についてあれこれ思いわずら」っているような人々の集まりを、記事の筆者であるビジネスコンサルタント・中久保浩平氏は「なれ合い」「ぬるま湯」と断定している。そして、

「小学校や中学校なんかのマラソン大会で一緒にゴールをしてくれる仲間を探して、ゴールをするのが楽しい、とか、自分のことを分かってくれる仲間というのを、『大変ですよね』『ほんと、大変ですよね』って返してくれる人をほんとの仲間だと思って人脈が出来た! と喜ぶレベルです。」

と 、斬り捨て御免!
いやはや、随分と思い切ってやってくれたものだ。


一緒にゴールしてくれる仲間(ウププフ。笑)...これ、実にナイス!!!なたとえ話だ。
「真剣勝負」も、「本気」も、「必死」も、そこには全くといってよいほど存在していない、ってこと、よく伝わってくる。
「出来レース」化した人生の姿がここにある。
うーん、イヤですねぇ。送りたくないですねぇ。
そんな嘘まみれのレースでたとえ「勝った」としたって、全然嬉しくないに決まっているから。
死の床にあってもなお、「あの時、もし、ああしていたら...」ってグジグジと悔やむことになりそうだ。



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人間だから、疲れることもある。
本気モードをOFFにしてぐでっとしていたいときだって、もちろんあるだろう。
長い人生、常にGo!Go!Go!と、エンジンフル稼働状態で前に進める時ばかりではない。
そういう時には、「予め退出する時間を決めて」同族意識のぬるま湯にどっぷり浸かり、のんびりするのもいいかもしれない。慰安旅行に参加するような気持ちで。
ただし、ごく短時間の滞在でうまく切り上げられるよう、しっかりとアラームを設定しておく必要はあるだろう。

「枠にはまった同族意識の見方から個人の力への移行は避けられないものなのだ、と気づけば、少しは気が楽になるのではないだろうか。いちばん慣れ親しんだ世界が、もはや自分には合わなくなる、という瞬間が、誰にでもいつかはやってくる。なかには、こういうことが何度も起こるという人もいる。」 
(「チャクラで生きる」キャロライン・メイス、川瀬勝訳、サンマーク文庫、2009、p.154)

どれほど名残惜しいと思っていても、どれほど心地良く過ごせたとしても、私たちはぬるま湯・馴れ合い的互助サークルから離れて、一人で旅立たねばならない。
先程の中久保氏のたとえ話のように、いつまでもいつまでも「一緒にゴールインしようねー!約束だよー!」なんて、仲良しごっこやってるわけにはいかないのだ。
いい年してトイレまで腕組んで歩いていく女子中学生みたいなことをやっていたら、最後まで何一つ実のあることをやり遂げられずバカを見るのは自分である。


そんなつまらない「約束」で自分を縛ってしまったら最後、「エキサイティング(ワクワク・ドキドキ...)」な人生からはどんどん遠ざかる一方だ。
ホントはもっと成長したい、もっと力を伸ばしたい、という気持ちが途中から沸き起こってきたとしても、最初に約束して縛り合ってしまった時のサイズ以上に自分を大きくすることは、もはや不可能となってしまう。


それはやめておいた方がいいと思う。
自分がこの世を去る瞬間、人生に悔いを残したくなかったら、余計な縛りや枠はできるだけ早い時期に取り外し、身軽になっておいた方がいい。


「傷の舐め合いはするな」という同様の趣旨を説いたこちらの記事にも、深い共感を覚えた。上のまぐまぐ(MAG2NEWS)の文章と重なる主張もあるのだが、こちらも負けず劣らずの良記事なので貼り付けておこう。



【ソース:好きを仕事にする大人塾・「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ http://kasakoblog.exblog.jp/ 】

フリーエージェント。
フリーランス。
一匹狼。


「私、できます!(キリッ✨ )」と、大きな声で即答できない。それは、残念だけれども、今の自分の現状。そこまで力を付けていないのだから。
でも、そっち方面に狙いを定めたからには、一歩ずつ近付いていきたいもんだ。


100人の「ぬるま湯トモダチ」から大歓迎されて仲間に加えてもらうより、たった一人の真のフリーエージェントな生き方をしている一匹狼に「おぬし、なかなかやるな。」と言われてみたい。


今はそんな風に思っている。


で、今日も西洋占星術を学ぶのだ。
「その年で??? 今から??? プププ(←失笑)」なんて言う奴のことはほっとけー。


このおっちゃん先生(Steven Forrest氏)のしゃべり、
オーディオブック版の講義録では抜群に面白い!
聴覚型の学習者は、教科書本文ではなく、先生の脱線話や逸話から
ガッツリ学ぶのだ。音声学習教材は欠かせない。

一応、こちらではEvolutionary Astrology(進化占星術、っていう訳語が使われているみたい。)の大家として有名な人なんですけどね。

The Inner Sky: How to Make Wiser Choices for a More Fulfilling Life
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表紙上には何と、あのスティングが推薦文を寄せているという...。
彼もやっぱりフォレストせんせーに鑑定してもらったのかな。
あまり行く先の事について迷ったり、悩みを抱いたりしたりするタイプには見えないんだけど(笑)。





2017/03/03

サイキックタロットオラクルカード(ジョン・ホランド)に聞いてみよう

ここ数日、なぜか頭に浮かんでは消え、浮かんでは消え...といった具合に、妙に気になる存在となっていたのが、ジョン・ホランド(John Holland)のサイキック・タロット。
随分と長いこと使わずにいた。2年ぐらい放置していたかも。

ラジオで聞いた印象では、万年青年風のとっても感じの良い人。
...って、実は私よりも年上なんだけど。


あ、日本語版出てるんだあ!知らなかった。

サイキックタロットオラクルカード日本語版(新装版) ([バラエティ])
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タロット、と名乗ってはいるけれど、カードは全部で65枚。
一般のタロットカードは75枚まであるから、完全に同じ使い方は期待できない。
内訳はというと、まず、大アルカナと小アルカナの1から9までのカード。(「コートカード」は無いのね。)
その上に、本カード独自の「チャクラカード」(第一チャクラから第七チャクラまで)7枚が加わる。逆位置については「使わない」ということだ。
D・ヴァ―チュー女史のエンジェルカード(=基本的に怖いメッセージは出ないよ~)と通常のタロットカードの中間に位置するようなカード、と考えていいだろう。


最近、このブログの2号館(「さよなら、サイコパス」)の翻訳作業がちっとも進んでいない。
前回の記事UPから一ヶ月近くも経ってしまっている。別におさぼりしようというつもりは無いのだが、更新できていない、という事実がそれで変わるわけではない。



朝起きて、「今日こそは!」と意気込んでみることはみるのだ。
だが、他にやらなきゃいけないこと・やりたいことが次々と出てきて、時間ばかりがどんどん過ぎていく。(3号館ブログをオープンした、っていうのも一つの理由だ。)
で、気が付いたらもう夕飯の支度をする時間だったりする。その後後片付けだ洗濯物干しだ、日本の家族から長スカイプ電話だ、とか何とかバタバタとしているうちにあっという間に就寝時間がやって来る...。最近、毎日がずっとそんな感じだ。


「できてない」。
まったくもって、イヤな一言だ。
これが心のどこかにある限り、魚の小骨が喉に引っ掛かった時のような異物感がいつまでも自分の中にとどまり続ける。
他の誰でもない、「できてない」「やろうとしない」自分が悪いのだから、自分の力で何とかする以外に解決策なんて無いのだけれどね。


こんな開店休業状態では、読んでくださっている方々にも、そして原著者のジャクソンさんにも、申し訳ない。
続けるなら続ける、止めるなら止める、って、はっきりさせた方がいいのではないだろうか...。


ということで、サイキックタロットオラクルカードにお伺いを立ててみた。
結果がこれ。



まず、最初に引いた一枚が、「クラウンチャクラ」(右)のカード。
頭頂部に位置する(諸説あり)第7チャクラである。


オマケについてる解説本での説明が今一つピンと来なかったため、お馴染みキャロライン・メイスおばちゃんの意見を参考にすることにした。

「第7チャクラには、献身、ひらめきや予言などにかかわる思考、超越的な考え、それに神秘的なつながりなどを生み出す気が含まれている。」
 (「7つのチャクラ」キャロライン・メイス、サンマーク文庫、2009、p.356)

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おっ、ピピピッ!と来るキーワードがようやく見つかったぞ。
献身、か。ふむふむ。


上の引用部のすぐ先には、ジム・ギャリソンという神学者であり、神秘家であり、政府関係機関や各種NGOで要職を務めている人物の言葉が紹介されていた。
特に目を引いたのは、この部分。

「偏狭な心に直面しなければならないときの自分の役割は 『光』の一部となること、ほかの人間を守り、悪い方向に行くような考えの持ち主に対しては毅然と立ち向かう、 ということです。 
(...) 
私たちの真の姿とは、大いなる霊が、人間をさらに進化させるという課題を達成しようと努力する際の手足なのだ、 
と信じています。」
(同書、p.366)


2号館を一度でも覗いてくださった方ならわかってくださると思うのだけど、ジャクソン・マッケンジーさん(Psychopath Freeの著者)も、そして推薦リンク集を管理・執筆されている皆さんも、

ほかの人間を守り、悪い方向に行くような考えの持ち主に対しては毅然と立ち向かう

というお仕事に、並々ならぬ情熱を傾けていらっしゃる方々ばかりだ。
昼間は別のお仕事をお持ちで、忙しい日々を送られているにもかかわらず、定期的にHPをアップデートされている。コメントには丁寧に返信をされている。


傷つき、悲嘆にくれる人々が一日も早く立ち直り、また元のような笑顔を取り戻してくれればいい、と願いながら、誠実に、心を込めて、回復の助けとなりそうな文章を書き続けていらっしゃる。
自己の利益や功名心なんて考えたりせず、それこそ「大いなる霊の手足として」、苦しんでいる人達の心の傷を癒すことを第一に考えながら、ご自分のできることを、できる範囲で毎日少しずつやっていらっしゃる...。


こうした地道な仕事の積み重ねを、「献身」と呼ばずして一体何と呼べばいいのか。
彼らの頑張り振りには、頭が下がるばかりだ。


「クラウンチャクラ」のカードが教えてくれたこと、つまり、「私利私欲を超えた、尊い献身」の方向へとお前も進んで行けよ、とのメッセージについては、うすうす理解できた。(がんばります...。)
だが、今後ブログをどうしたらいいか?の問いに対しては、答をうまくはぐらかされてしまったような、どうもそんな気がする。
ということで、

「"Psychopath Free"の翻訳ブログ、続けるべきか、それとも止めてもOKか、もう少しわかりやすく教えて欲しいんですが。」

心の中でそう念じながら、もう一枚のカードを引いた。
出て来たのは、上の写真左側、「4 権威者(Authority)」。
あらら、こりゃーどう見ても高田延彦さんでしょうよ...。


後ろに光輪背負って、上から目線でこっちのことを値踏みしているような、そんな威圧感たっぷりのおにいさん。
タロットに詳しい人ならもうお気づきだろうが、これ、「Ⅳ 皇帝」のカードをジョン・ホランド流にアレンジしたものだ。



うぐぐぐっ💦
「責任感」かぁ。
痛いとこ突いてきますね...。


自分から始めたことを簡単に投げ出さない、という責任感。
何かをやり遂げるための強い意志力。
ゴタゴタ言い訳してないで、やる時はやれーーーっ!!!という、ガンコオヤジ(父性原理)的な、厳格さ。
...今の私に欠けているものばかりじゃないか。


オラクルカードに見事に見透かされて、尻尾巻いて逃げたい気分。
でも、ここで逃げては行けないんだよなあ。
"Slowly, but steadily"(ゆっくりと、でも着実に)をモットーに、一歩一歩先へ進んで行かなきゃ、だ。
脱走兵になっちゃ駄目なんだ。


ということで、2号館「さよなら、サイコパス」はこれからも亀の歩みで続けていこうと思います。m(__)m
人間関係でひどく傷を負ってしまった。
もう誰も信用できない程の人間不信に陥ってしまった。
そのような方がお知り合いでいらっしゃいましたら、「アメリカ人の本をポツポツと訳しているこんなブログがあるよー」と、一言紹介してくだされば幸いです。
私の翻訳作業は亀の歩みではありますが、HP上の「推薦リンク集」をたどっていけば「毒になる人(toxic people)」に関してはかなりの情報を集めることができ、その結果、何かしらの救いが得られるのではないかな、と確信しております。

【2号館】「さよなら、サイコパス ~Psychopath Free~」 (Peace著) 試訳。http://sayonara-psychopath.blogspot.com/


ああ、そういえば昔、楽天ブログでこんな翻訳記事も上げてましたっけ。

【ありえない人との付き合い方シリーズ ~英語版WikiHowより~】
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201202140000/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201202180000/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201202180001/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201202250000/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201203030000/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201203100000/ 
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201203170000/

ご参考になれば幸いです。



2016/12/13

まだまだ語り足りない、「シーモアさん」

日本では10月1日から公開されているので、既に見たよ!っていう人もかなりの数に上っているんじゃないかと思う。

「シーモアさんと、大人のための人生入門」(原題:Seymour: An Introduction)
http://www.uplink.co.jp/seymour/


地域によってはこれから上映されるところもあるので、シーモアさん未体験の人、ぜひ上のリンクを辿って公式HPでスケジュールをチェックしてみて欲しい。




映画を見ての感想めいたものは前回の記事でさんざん書いた。
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/12/blog-post.html
なので、今回は前回のブログ記事に詰め切れなかった「こぼれ話」的な話題を、二つほど書き連ねてみたい。


去る11月24日のこと。
こちらではThanksgiving Day(感謝祭の休日)という、アメリカ人にとっては日本人の大晦日~元旦にあたるような、家族や親戚で集まってはターキー(七面鳥)を食べながらお祝いする、という祝日であった。
この日は、学校はもちろんのこと、客商売以外のたいていの企業も、そして夕方以降はスーパーやレストランといった、「一番しぶとく営業を続けている」とされるような業種ですら全部閉まってしまう。
24時間営業の店から灯りが消え、車の往来がガクッと減り、街はしばしの間しーんと静まり返ったようになる。
(もっとも、わずか数時間の後には、日本の福袋騒動なんて目じゃないほどのブラックフライデー狂騒曲が始まるわけだけど。毎年、怪我人や死人が出る。いつまで続けるのかなあ、こんなこと。)


そのサンクスギビング当日。
私のエニアグラムの師匠の一人・ラス・ハドソン先生から教え子・友人に向けてFacebookでこんなメッセージが届いた。




(投稿より一部抜粋、訳出)
「今朝、大切な友人のトニー・ズィート Tony Zitoがつい最近亡くなった、との一報が届いた。かなりの衝撃を受けている。
トニーは深い思考力を備えた賢い魂で、僕同様、音楽と芸術をとても愛していた。
 さまざまな分野に興味・関心を抱いていて、素晴らしい頭脳もさることながら、ピアノの腕前も玄人はだしだった。 
僕にとってトニーは真の友と呼べる人物だった。彼が大いに励ましてくれたからこそ、僕はエニアグラムと第四の道【*注1】の教えを更に深く掘り下げていくことができた。 
トニーの人となりを知りたければ、彼がプロデューサー【*注2】として関わった素晴らしい映画 Seymour: An Introduction (邦題「シーモアさんと、大人のための人生入門」)を見ればいいだろう。 
彼の師匠で、導師(メンター)である人物を取り上げた作品だ。あのRotten Tomatoesでなんと100%の好評価をマークした【*注3】ほどの作品だよ!
トニー、君が逝ってしまって寂しいよ。遺されたトニーのパートナーであり、探求の道の仲間でもあるダイアンDianeには心からの愛を贈りたい。近いうちに僕ら二人で再会する機会を持とう!」

【*注1】アルメニア出身のG.I.グルジェフを祖とし、弟子のウスペンスキーやその他の弟子たちを通じて西洋の知識人を中心に伝えられてきた、秘教的教えの伝統。性格タイプの学としてのエニアグラムも源流を遡るとここに行き着く。

【*注2】ラス先生はプロデューサー、と書いているが、実際の肩書は「エグゼクティブプロデューサー」、つまり製作総指揮。監督を補佐して全体のまとめ役に当たる人であった。

<<参考記事:Yahoo!知恵袋「監督と製作総指揮の違いはなにですか?」>>

【*注3】有名な映画批評情報サイト。点数が辛いことで知られる。

<<参考ページ:Wikipedia Rotten Tomatoesの項(日本語)>>

なんと。
ラス先生と、「シーモアさんと、大人のための人生入門」の製作総指揮を務めたトニー(アンソニー)・ズィート Tony(Anthony) Zito氏が、古くからのご友人だったとは...。
(なぜか日本の公式HPには片仮名によるクレジット表記が無いのですが、HPの一番下に行くとちゃんと英語で載ってました。executive producer anthony zitoって。)




自分にとって、人生観を変えてしまったと言ってよいほどの衝撃をもたらしてくれた、「シーモアさんと、大人のための人生入門」という一本のドキュメンタリー映画。
その映画の製作総指揮者を務めた方と、これまた自分の人生を大きく(良い方向へと)変えてくれた性格タイプの学・エニアグラムの師匠のおひとりであるラス・ハドソン先生がつながっていたなんて. . . 。


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残念ながら、現在簡単に入手できる邦訳本としては、これが唯一のもの。)

この事実だけでも充分びっくり!だった。
なのに、その後、DVDで映画を再度見直して、またまた仰天。
始まってすぐの場面で、イーサン・ホークがはっきりとこう口に出していたからだ。

「友人のトニー・ズィートが夕食に招いてくれて、そこで僕はシーモア・バーンスタインにはじめて出会った」

わーお。


つまり、
トニーさんと、奥様のダイアンさんのお二人がその夕食会を企画してくださって、シーモアさんとイーサン・ホークの二人を一緒に招いていなかったとしたら、この名作が誕生することもなかった、と...。
これに気付いた瞬間、身震いしてしまった。


偶然に偶然が重なって、素敵な人間と、また別の素敵な人間との間にご縁が生まれる。
そうしたご縁の積み重ねが、そこに集まった人々の間に不思議な力を発動させ、予想もしなかったほどの素晴らしい結末へと向けて全てが収斂(しゅうれん)していった。
これ以上のメンバーは望めない、っていう才能ある人々が見事に取り込まれ、数々の奇跡に助けられ、命が吹き込まれた作品。
それが、この「シーモアさんと~」という映画だったんだな。


亡くなられたトニー・ズィートさんには、どれほど感謝しても感謝し足りないほどだ。
ピアノの師匠であるシーモア先生よりも先にあの世へと旅立たれたのは、まことに残念至極としか言いようがない。
シーモア・バーンスタインという素晴らしい老ピアニストがこれまで歩んできた道のりとその音楽とをイーサン・ホーク監督やスタッフの皆さんと共に映画という形にまとめて、わたしたちの元へと届けてくださったトニーさん。
精一杯の感謝の気持ち、そして「今はゆっくりとお休みください。」との言葉をささげたいと思う。


(ラス先生同様、シーモアさんも長年の生徒/友人を失われてさぞや落胆されていることと思う。どうか周囲の人々が支えとなって、先生のお気持ちを慰めてくれますように。)


それから、もう一つ。


映画を見た方限定の話題になってしまうのだが...。


この方、覚えていらっしゃるだろうか。
シーモアさんとセントラルパークを見下ろす窓に近い席に座り、音楽談義をしていた、60代前半のイギリス英語を話す紳士、なのだが。

(DVD上映中の我が家のテレビを思わずパシャ!)

アンドリュー・ハーヴィー(Andrew Harvey)。


いや~、彼の登場には本当に驚かされた。
というのも、この人、私がさんざん記事で取り上げている「7つのチャクラ」

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「チャクラで生きる」

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などの代表作で知られるキャロライン・メイス(Caroline Myss)と大の仲良しなのだから!


何でも、今は二人ともシカゴの郊外、文豪ヘミングウェイの出生地としても知られるOak Parkという地域内の、5分と離れていないところに住むご近所さんとなり、ほぼ毎日のように行き来しているらしい。同い年(1952年生まれ)の二人、互いをsoul sister/brotherと呼び合う程の仲だそうだ。

(画像はhttp://www.greatmystery.org/nl/ei2011myss.htmlから拝借。)

これまでに、二人一緒にオーディオブックを2作作ってきた上、互いの本の解説や序文を書き合うなど、息はぴったりといった感じのキャロラインとアンドリューのペア。

Divine Rebels
Divine Rebels
posted with amazlet at 16.12.13
Caroline Myss & Andrew Harvey
Sounds True (2012-07-30)
(これ、アンドリュー・ハーヴィーの語り方があまりにも熱すぎちゃって、車の中で聞くと笑えて笑えて...。浪漫主義者の松岡修三氏みたいな、熱がこもり過ぎなアチチチッ!!!な口調、って言えば雰囲気が伝わるかなあ? 
お二方、近々「シャドウ(影)ワーク」をテーマにした新作CD/オーディオブックを出すとのこと。録音は既に終了している模様。楽しみ!)

シーモアさんとアンドリュー・ハーヴィーの対談形式という、肩の凝らない読み物としても楽しめるこちらの本でも、キャロライン・メイスがアンドリューにとってかけがえのない友人の一人であることが述べられていた。

Play Life More Beautifully: Conversations With Seymour
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私はキャロライン・メイスという指導者を崇拝しているわけでもないし、「グル(導師)」扱いする気もさらさらない。
グルどころか、むしろ、破れどころ、ほつれどころ、ツッコミどころが満載!の、口の悪い愛すべきガラッパチおばちゃん、だと思っている。
だから、彼女の泊りがけ講座やセミナー(高いよ)に参加したいとも思わないし、彼女と直接話をしたいとすら思わない。
(下手なリップサービスとかできない、粗削り過ぎる人だからねぇ。うっかり疲れている時に話し掛けでもしたら、超そっけない対応とかされそうで怖いよ。)
ただ、遠巻きに見て、本やCDで話を聞くだけでいい。単なる一読者・一ファンのままでいい。
それ以上のことは何も期待しない、って感じ。


それでも、キャロライン・メイスから学んだことはたくさんあるし、彼女の気合注入でシャキッとさせられ、目を開かされたことは数えきれないほどあった。
彼女が伝えてくれている硬派(で、実は物凄く正統派のド根性系)なメッセージの中身が純粋に好きなのだ。
自分を甘やかす人が多いスピリチュアル系/ニューエイジ業界において、そのようなメッセージを嫌われようが、低評価をつけられようが、少しもブレることなく世に送り続けてくれている彼女の姿勢は尊敬している。大いに感謝している。
「近くに行く気はないけど、大切な師匠。」の一人。
キャロライン・メイスとは私にとってそういう位置付けの人だ。
ラス・ハドソンさんみたいに「もっとお話ししたい!」というタイプの親しみやすい師匠とタイプは全然違うけど、それでもやはり「師匠」は「師匠」だ。そう勝手に呼ばせてもらっている。


そんなキャロライン・メイスの大親友であり、仕事上のパートナーでもあるアンドリュー・ハーヴィーが、シーモアさんと長年の友人関係にあって、
しかも例のトニー・ズィートさんの夕食会に招かれ、その晩初めてシーモアさん同様、イーサン・ホークに出会った。
で、あの映画が生まれた。
驚いたことに、トニー・ズィートさんと奥様のダイアンさんは、ラス・ハドソン先生にとっての大切な恩人的存在でもあった、と...。


いやぁ。
人と人とが織りなす縁って、面白いなあ。


自分にとっての尊敬する人々、大好きな人々が、自分の知らないところで縁を結び、親しくなり、一緒に力を合わせて美しい仕事を完成させ、人類の歴史の中にまた一つ宝物を残していった。
その様子をこうして目の当たりにすると、まだまだこの世界は捨てたもんじゃないぞ、魔法って本当にあるんだぞ、「つまらない」なんて簡単に言っちゃいけないぞ、と思える。
明るく、希望に満ちた気持ちにさせられる。
励まされる。


きっと、神様(か、私たちには見えない、何らかの偉大なる力。)は、われわれ人間には見えないところで、今、この瞬間にも無数の壮大なプロジェクトを同時進行で進められ、着々と実行へと移していらっしゃる最中なのかもしれないなあ。
そう思わざるを得なくなってきた。


必死に悩み、もがき苦しみ、右往左往するわれわれ人間どもの動き方の癖や長所・短所もひっくるめた何もかもを把握された上で、神様はわれわれひとりひとりにふさわしい役を割り振ってくださっている。
映画やお芝居と違い、文字にされた脚本が事前に与えられることは一切無い。それだけに、先の展開が見えず、演じるわれわれが不安になることも多い。
多い、どころか、実際は「どうしたらいい?」「次は一体どうなる?」ってオロオロすることばかりだけど. . . 。


それでもわれわれは前に進むしかない。
与えられた役目を果たすしかない。
【プロジェクトby 神様】に何らかの形で貢献したいのであれば、どんなに小さかろうと、この世に自分が生きたという確かな足跡を残したければ、とにかく何かを「やる」しかない。
それが何であれ、まずは目の前にある作業をひとつひとつこなしていくしかない。
作業にあたっては、最善を尽くし、できるだけ質の良いものを生み出すよう努力する。
そうした仕事/努力から逃げずに、こつこつと続けていくことではじめて【自分を好きになる self-love】ことができるんじゃないかなあ。シーモアさんによると、それこそが創造的活動を続ける上で一番必要とされるものだ、という。

(シーモアさん、エニアグラムで言うと非常に健全なタイプ9でしょうね。
人格的に成熟した9の人ならではの、癒しのマイナスイオン放出中、です!
ちなみに、アンドリュー・ハーヴィーは非常にわかりやすいタイプ4<笑>でしょう。
タイプ5のウィングだろうな。
もう、あのクッソ熱い、抑揚の激しい一人芝居的な喋り方からして、
他のタイプは絶対あり得なーーーーい!!!って感じ。)

「創造的活動をする上で一番大事なものは何だと思う?
【自分を好きになること(self-love)】だよ。」って。
自分を好きになれないと、外からあれこれ言われた時にもあっという間にへこんでしまい、何も続けられなくなってしまうから、って...。


繰り返して何度も見たい、何ともありがたい動画だ。
人間という生き物へ向ける、シーモアさんの眼差しはどこまでもあたたかい。
そして真実をちゃんと見抜いていらっしゃる。
ほんと、ユング心理学でいうところの「老賢人(老賢者・Old Wise Man)」の元型をまさに体現していらっしゃるようなお方って感じがする。


...でも、やっぱり「"わたしの"地蔵菩薩さま」っていう表現が一番しっくり来るな。
笑顔のシーモアさんは。


心で弾くピアノ―音楽による自己発見
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(来週届くのだ!早く読みたい!!! 
上のアンドリュー・ハーヴィーとの対談本はKindle版で買ったけど、少しだけ後悔。
パラパラっとめくっては目が留まったところを【本日のおみくじ】風に読む、という楽しみ方をしたいのであれば、やっぱり紙の本がいいですね。 )


2016/11/10

創造しよう。「自分が充たされるため」に。【前編】


11月9日(西ヨーロッパ時間)は、夏のドイツでの3公演を除けば、サバティカル(長期休暇)からお戻りになって最初の演奏会でしたね。






イギリス・バーミンガムでの久々の公演を無事終えられ、今頃はご自宅のあるポルトガルの首都・リスボンに戻られてほっと一息つかれていることと思います。


2016/10/13

続・「人は変わるの」 ~キャロライン・メイスが読み解く「がん」~

先日書いた記事「人は変わるの」では、「歳月とともに、友達との付き合い方も変わっていいのだ。」という趣旨の英文記事を簡単にご紹介した。







そう。
出会った当初は、面白おかしいだけの付き合いで良かった。
だが、いろいろな世界を見聞きし、そこでまた興味深い人々と出会ううちに、「彼女(彼)とこうやって惰性で付き合っていて、果たして自分のためになるんだろうか。」と、疑問を抱き始める。
「会いたいから会う」のではなく、「過去のつながりに義理立てしなきゃいけないから、会う」ようになってくる。
新規開拓するのが面倒だから、多少の不満はあるが、いつまでも近所にある馴染みの店に通い続ける、というランチタイムの行動パターンにどこか似ている。


惰性でつながっているような、いわゆる「腐れ縁」(日本語って本当にいい表現持ってるよね...)。
残念ながら、こうした人付き合いからは、


成長

学び


発見


喜び


励まし

支えあい ...


といった、人間にとって絶対必要な栄養分を摂取できることはまず期待できない。
生命(いのち)を燃え立たせるだけのエネルギーなんて、含まれていないのだ。そういう「くたびれた人間関係」には。
強いてメリットを挙げるならば、未知の世界へ飛び出さなくてもいい、という偽りの安心感を与えてくれること、ぐらいかな。
長い目でみたら、決してプラスに働くことはないのだが。
だって、「偽り」だもの。いつかは壊れる。



「人は変わるの」というタイトルは、元の英文記事で筆者のRajie Kabliさんが使った"People Change."をそのまま使わせてもらった。
彼女が元・友人と縁を切ることを決意した時の言葉、たいせつな事がギュッと凝縮されているので、ここに引用しよう。


I learned a lot from that friendship, but the biggest takeaway came when she reached out again and I just didn’t respond. Some may find that cold or harsh but I say it was the biggest lesson for me because I came to a deep understanding that this person is not meant to be in my life and it’s better that way. Saying no is okay. We serve neither ourselves nor others by holding on to stagnant or unfulfilling relationships.
彼女との付き合いから学んだことはたくさんある。でも、何よりも大きな気付きが訪れたのは、彼女の方から再度私に連絡してきた時のこと。私からは何の返答もしなかった。ただ放置した。 
「冷たい」「ひどい」と、私を責める人もいるだろう。でも、あれが無ければ、私にとって人生最大の教訓を得ることもなかっただろう。あの時、私はようやく心の底から理解することができた。「これ以上、私の日常に彼女を居座らせていてはだめ。離れた方がいい。」と。

「No」と言ってもいいのだ。腐れ縁と化してしまった人間関係や、心満たされない人間関係にしがみついていても、良いことは無いんじゃないかな、と思う。自分のためにも、相手のためにも。


もはや自分にとってのエネルギー源とならないような人間関係や、環境。
そこから立ち去ることは、決して悪でもなければ、「人でなし」な行為でもない。
逆に、立ち去らず、その場にとどまっていることを選ぶ方が問題を悪化させてしまうことがある...。



興味深いことに、人間の身体にもそのからくりがそっくりそのまま当てはまるらしい。
タイトルで既にネタバレしているが、


がん

が、まさに


「立ち去ることを選ばずに、その(腐りかけた)場所にとどまり続ける」



ことと深く関わっている病気だ...



という説を唱えている人物がいるのである。
言うまでもなく、その人物とは、既に本ブログで何度も取り上げているキャロライン・メイス(Caroline Myss)


「人は自分の部族のルールからはみ出して生きるのを嫌がる。
部族から追い出されることが怖いからだ。---キャロライン・メイス」



直観医療能力者(medical intuitive:他人の健康状態や身体エネルギーを直観で読み取り、病気の状態や原因を特定できる能力の持ち主。)としての活動を始めた1980年代後半から、彼女の主張は少しもブレていない。進化・発展はしているものの、基本的な主張はずっと変わらない、と言っていい。
お見事。



健康の創造―心と体をよい関係にするために
C.ノーマン シーリー キャロライン・M. ミス
中央アート出版社
売り上げランキング: 568,728

[筆者注:Myssは、「メイス」が正しい発音。また、シーリー博士の名前は、通常、Norm Shealyノーム・シーリーと表記されることが多い。] 





上の日本語版は、1988年発行の初版原本を底本としたもの。
1993年版の英語原書を見ると、記載されている症例の数が邦訳本よりもかなり多いので、できるだけ英語版を読み進めることにしている。もちろん、日本語版は常に傍に待機させているけどね。医学用語をいちいち辞書引くのが面倒くさいもんで(笑)。


彼女のエネルギー分析によると、いわゆる「がん家系」という言葉で表されるような遺伝的素質を別とすれば、がんを生じさせるのは以下の五つの心の在り方だ、という。


1.過度の恐れ(excessive fears) 
(例:金銭的な不安、「年金がもらえなくなるかもしれない」、病や死への恐怖、「配偶者が心変わりするかも」といった慢性的な恐れ...)

2.罪悪感(guilt feelings)
(例:過去の挫折や失敗の引きずり、家族や所属する集団の期待に応えられなかった後ろめたさ...)

3.変化に対応できない無力感(the inability to cope with change)
 (例:弱りつつある肉体への失望、年老いて下の世代に世話になることで感じる情けなさ...)

4.自己嫌悪/自己否定(self-hate or denial) 
 (例:「自分はダメな奴だ」という思い込み、「家族が第一。自分は二の次。」的な生き方...)

5.「未処理案件」(unfinished business) 
 (例:幼少時の虐待体験を引きずる、昔の恋人の裏切りを忘れられない...)

【※以上、訳語は「健康の創造---心と身体をよい関係にするために」 (C.ノーマン・シーリー、キャロライン・M.・ミス共著、石原加代子訳、中央アート出版社、1995 )中のものを使用。これ以降の引用も同じ。】


今や日本人の死因第一位となってしまった病気だけに、知人・親戚ぐるりと見回せば、必ずや一人や二人は、この病気と共に生きている人が見つかるはずだ。
有名人・芸能人のがん患者さんの近況を聞き、「こわいわ~...」「検診、行ってみようかな...」と、心がざわざわすることも多いだろう。
(特にここ数年、気持ち悪いぐらい増えているような...。)


今この瞬間にがん治療を行っていらっしゃる方々が、上の部分を読んで「ひどい!自分はこんな人間じゃないのに!」とご立腹されたとしたら、引用者としてそれは大変申し訳ない、と思う。
上の5つの項目に何一つ思い当たる節は無い、という方には、「こういう説を唱えている人もいるんですよ。全員に当てはまるとは限らないと思いますが、お気を悪くされたのであれば、ごめんなさい。」と、先におわび申し上げておきたい。



私の身内にも、過去にがんに罹って回復した人、また、現在がん治療中の人が何名かいる。
また、高校時代からの友人のお母様も、50代という若さで肺がんのためこの世を去ってしまわれた(家に誰も喫煙者がいないのに!)。初孫の顔も見ないうちに。
そんなこともあって、私は「がん」という病を、決して軽く考えているわけではない。
原因はどうあれ、がんに罹ったことで、苦しみの日々を経験されている患者さんには、「どうか一日も早く、病から治る力がもたらされますように。笑顔の日々がやって来ますように。」と、心からの祈りを捧げたい、と思う。



でも、そういう患者さんも、また、患者さんのご家族の方も、ここは少しだけ冷静になって、キャロラインの言葉に少しだけ耳を傾けてみて欲しい。
どこか、上に紹介した「人は変わるの。」の筆者が到達した、「腐れ縁からは離れろ。未知の領域へと踏み込むことを恐れるな。」の結論と重なりはしないだろうか。


「わたしのワークショップでは、参加者に自分がとてつもなく大きなチーズクロス(目の粗い薄地の布)



(https://www.amazon.com/Cheesecloth-Unbleached-Cotton-Filter-Reusable/dp/B015F11N54?th=1 より拝借)

だと想像してみるよう教えています。


理想的には、人生の一瞬一瞬で得たあらゆる感情や経験が、チーズクロスを通る風のようにわたしたちを通り抜けていくべきなのです。
 

わたしたちは何かを一瞬、一瞬に学んでいくわけですが、  
その学びを包み込んでいる容器(出来事、対人関係、境遇)は捨てていくべきなのです。 

これが理想的な在り方であることを、もう一度強調しておきます。 
ガンは死にいたる第1の原因ですが、それは、この理想的な在り方を実現することが恐ろしく難しいからです。
わたしたちは容器のほうにしがみつこうとして、学ぶことを無視し、避けようとするのです。」
(シーリー、ミス、前掲書、p.215)

これを読み、お釈迦様が説かれた、「筏(いかだ)」のたとえ話を思い出す人もいるかもしれない。
ガンジス川の向こうへと渡してくれた筏は、確かに良いものだ。
だが、いくら良いものだからと言って、川の向こう岸に渡ってからもなお、筏を手放さずに頭の上に担いでいるのは、一体いかがなものだろう。その場に捨てていくのが良いだろう...っていう内容。(←乱暴なぁ~。)




本書には、上の説明に続けて、タイプの異なるがんに罹った4人の患者のケース・リポート(症例)が紹介されている。興味を持った方は、ぜひ、中古本になるが「健康の創造」を何とか入手して、ご自分でお読みいただきたい。
好みのツボにはまれば


めちゃくちゃ面白い本


だってことは、この私(どの私なんだか)が自信を持って保証いたしますです。
まぁね、正直な話、自分の体調や症状と関係した部分を読むのは、少し勇気が要るのだけれど。



あ、でも、その前に、より入手しやすいこちらの本で予習してからの方が面白さが増すんじゃないかな。彼女独特の用語の使い方にも慣れておけるし。


チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
サンマーク出版
売り上げランキング: 21,411


2:31からの部分、西城秀樹の「ヤングマン(Y.M.C.A.)」サビ部分の振り付けと同じで、毎回見るたび身体が勝手に動いてしまう...(笑)。
これも一種の脊髄反射。

2016/09/08

嘘つきは、自己愛人間(ナルシシスト)のはじまり。

キャロライン・メイス(Caroline Myss)


今、6枚組CDセット”What Makes Us Healthy?”(人はいかにして健康になれるか...←意訳。)の3枚目を聴いている。





いや~、このおばちゃん、とことん「ブレない」ですね。清々しいほど。



嫌われても、叩かれても、そんなん知るか!って感じでズンズン我が道大股歩きしちゃってる。
岸見一郎さん(アルフレッド・アドラーの心理学をわかりやすく説明した著書を多数出されていることで有名。)流に言えば、
「嫌われて大いに結構!(おぉ、晩飯食うな!)」という決めゼリフが見事に決まる、勇者の中の勇者ってところだなー。


(「バカで結構、晩飯食うな!」という、人からバカ呼ばわりされた時に昔よく使っていた応酬言葉。 あの〜、ひょっとしてこれ、神奈川方面でしか使われていない「ご当地表現」なんでしょーか!?)



嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健 
ダイヤモンド社 
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アドラーせんせい、こ、これはもしかして仮面ライダーV3の変身ポーズでわ???

(加藤諦三先生がゲストの回で「人に好かれたい病」を告白していた大竹まことさん。
両親ともに有名芸能人ということで、陰ではいろいろと苦労もあったであろう辺見えみりさん。
岸見さんの誠実な語りによってお二人の素顔がうまく引き出された良い対話でした。)



とかく自分を甘やかし過ぎ、憐れみ過ぎ、特別扱いし過ぎな現代のわれわれ。

こうした甘ちゃん連中の性根を徹底的に鍛え直し、「ナルシシズム(自己愛)の害毒」から引き離してやるわよ、とばかりに、またもや鬼軍曹キャラを遺憾なく発揮しているキャロライン。
今回のCDでは、ブッダ(お釈迦様)の言葉や、「すべては幻」に代表される仏教の教えにかなり接近しているといった感じ。



「癒された~い」 「慰められた~い」



と期待した人、1枚目のCD開始から10分も経たぬうちに激しく後悔するはず。
(その手の人による怒りの一つ星レビュー、Amazon.comにいくつも掲載されてますね。これも、キャロライン・メイスにとっては「いつものこと」。想定内ですよ、想定内。)




彼女曰く、こうした自分甘やかしが特徴の「ナルシシズム(自己愛)」からいつまでも抜けられない人の生育史を発掘していくと、たいていの場合、6~7歳辺りの子供時代に、



「本当は真実を言いたかったんだけど、何らかの事情で言えなかった」 
「正直に白状することもできた。なのに、つい心が弱くなって嘘ついてしまった」


といった、


「真実」 「嘘」

の境界線を曖昧にして、自分の心の声を押しつぶしてしまった...という実体験が見つかる、という。



嫌われたくなかった。
親が怖かった。
自分一人だけ悪目立ちするのがいやだった。
...など、嘘をついてしまった理由はさまざまだが、


【真実を言い出せなかった】


という、6~7歳での決定的な体験がきっかけとなって、人は


【自分かわいさゆえに、保身に走る】


という逃げの態度を身につけてしまう、ということらしい。
人生のどこかで「これじゃダメだ」と気付いて、矯正しようと意識的な努力をしない限り、大人になっても「自分は悪くない、悪いのは他の奴らだ。世間だ。会社だ。何で自分ばかりがひどい目に遭うんだ~!」といった泣き言ばかり繰り替えすようになるのだ、という。
(これ、あくまでもキャロライン・メイス説ですからね、念のため。)



アメリカ合衆国初代大統領・ジョージ・ワシントンの、あまりにも有名な
「すみません。僕が桜の木を切りました。」というエピソード。
(もっとも、現在ではあれは一種の「都市伝説」だ、との見方が有力なようだが。
逸話では、ジョージ少年が厳しい父の前で「辛くても、真実を語ろうと勇気を振り絞った」とされるのが、7歳の時だった...と伝えられている。
「嘘=保身に走るか。それとも、真実=勇気を選ぶか」という、人生の大きな分岐点に差し掛かった6~7歳の小学校低学年児童に、


「嘘はだめです。
たしかに、真実はこわい。
でも、勇気を振り絞って真実を選べば、最後には必ず報われます。」


という教えをわかりやすく伝える道徳説話として「使える」ことが長年の歴史で証明されてきたからこそ、アメリカのみならず世界中で語り継がれる逸話となったのだろう...



以上、キャロラインおばさんによる仮説でした。



ここから先は私自身の勝手なつぶやき。CDの内容からは少し離れること、あらかじめお断りしておく。




6~7歳。
幼稚園年長から小学校入学にかけての、「【仲良し】と、【それ以外】の人間関係がそろそろ固まってくる時期」だよね?
【自分】と【他者】の力関係を天秤にかけて、「あぁ、今までずっと自分は『世界で一番エラい』なんて思っていたけど、実は自分なんて大したことない、つまらない存在なんだな。本当にエラいのは、【他者】だの方だった...。」
という、辛い結論に到達する子もいるかもしれない。


となると、この6〜7歳という時期を境目として


「仲間ハズレにされるのが怖くて...」 
「一人だけ目立ちたくなくって...」 
「ママの喜ぶ顔が見たくって...」


といった理由に駆られて、やむなく「嘘デビュー」を飾らざるを得ない子供たちがうじゃうじゃ出てきても全然おかしくはない。
最近の言葉で言うならば、「同調圧力に負けて」の嘘デビュー、ってことかな。



嘘自体が絶対的に悪い、と、聖人君子ぶるつもりはない。
目の前の人を傷つけたくなくって事実を曲げて、本当ではないことをつい、言ってしまったことは誰にでもあるはず。もちろん、私にもある。
英語でいう"white lie"といった類の嘘は、なめらかな人間関係をキープする上ではある程度避けては通れないものだ、と思う。



恋愛が絡む場面となると、誰でも嘘の一つや二つはついた(あるいは、「つかれた」)苦い思い出があるんじゃなかろうか?
「いいえ、無いです!(キッパリ!)」と断言できる方がいたらいたで、それは素晴らしいですがね。これからも正直街道を驀進していただきましょう。


デモ、イルノカナ、ソンナヒト…。





(リソ&ハドソン両先生によるエニアグラムの本で一番嬉しかったのは、Fleetwood Macの「元祖・美魔女」スティーヴィー・ニックスStevie Nicksと、元ユーリズミックスのアニー・レノックスAnnie Lenoxが自分と同じタイプに分類されていたこと。
ええ、どうせ単なるミーハーですよ。)




問題となるのは、それが恒常化してしまった時。
「こんなの、『プチ嘘』だよ。そう言う以外に仕方が無かったんだ。大したことじゃないさ。」と、悪いことしても自分を正当化するのが当たり前になってしまい、後ろめたいという気持ちも起こらなくなってしまう。

そこまで善悪の感覚が麻痺してしまうと、あらゆるシチュエーションにおいて


自分をごまかす


 という行為に、何の迷いも疑いも持たないような思考回路が固まってしまう。
同時に、どこまでが自分の奥から出てきた声で、どこからかが【他者から刷り込まれた内容】なのか、線引きする能力も衰えていってしまう。
善と悪。
自分の願望と他者の願望。
これらの区別がつけられないのであれば、人生が徐々につまらないものとなり、 生きる喜びを味わうことも難しくなっていくに違いない。


かくして、

自分は悪くない。自分は可哀想。
こんなひどい目に遭わされたからには、見返り貰わないと割に合わんわ。

といった発想にすぐ逃げ込みたがる【自分が一番かわいい!】ナルシシズム/自己愛人間が作られる……。
キャロライン・メイスによると、そういうことだ。



アメリカ人はどうだか知らないけど(高い離婚率と何らかの関係はあるのかも)、日本人って、それほど親しくない人々との付き合いにおいては、別に嘘をつく必要が無い場面においても「プチ嘘」を安易に連発する大人が多いように思う。
社会全体の流れとして「嘘をつく」ことへの抵抗が年々薄れつつあるような、そんな気がしてならない。



たとえば...



「今度またお茶しましょうねー♡」みたいににこやかな顔して平和的に別れを告げたすぐ後で、


「Pさんってさぁ、自分がX大学出身っていうこと鼻にかけてて、いちいち学生時代の話持ち出してきて、ちょームカつく!旦那もT大出だって、自慢気に言ってたよ〜。」 
[※実はこれ、以前ランチした時にPさんを追い詰めて無理矢理引き出した情報なのだが、ここは自分を悪者にしないためにもしれっと脚色。かくしてプチ嘘は生まれる。]


...なんて具合に、周囲の女子軍団にネガキャン(ネガティブキャンペーン)しまくる腹黒ママとか腹黒同僚。
あなたの周りにもいるでしょ。きっと。


「親友は本物?巷にはびこる"フレネミー"に気を付けろ!」
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こういう「プチ嘘」は、「プチ」でも何でもない、れっきとした嘘。
「プチ」なんて矮小化するような言葉で飾るべきではないよね。


どうも日本人って、欧米のキリスト教文化と比較してみると、「嘘をつくことは罪である」との意識があまり強くない民族なのかもしれない。
一神教文明に特有の「神は 見ていらっしゃる」という視点が欠けている上、その神に代わって「他人の目」「世間」がもっぱら幅をきかせる、という、よく考えてみると 「何だかな〜」な状態がわれわれの社会ではずっとデフォルトとされてきた。


「バレなきゃいいんだ」式の嘘や偽装工作がはびこりやすい社会、と言える。


物事の判断基準を「他人の目」「世間」に頼る、ということは、その他人やら世間やらが全体的に劣化していけば、自分も一緒に劣化していく、ということを意味する。


 最近の芸能人や政治家のズレまくった言動をワイドショーなどで見て、
「あ、有名人もこういうことしてるんだ。だったら、自分がやっても何ら問題は無いよね?」
といったおかしな勘違いをする人たちも、実際に増えているのかもしれない。
それは善か、それは悪か、と、冷静に自問自答できる人が減りつつある、ということでもある。


1980年代にビートたけしが放った「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。
あれって、昔も今も変わらない日本社会が持つ病(=個々人における、罪意識の希薄さ)のど真ん中をグサッと突いたスゴい一言だったんだなあ、と今更ながらたけしさんの才能には脱帽だ。



そうした悪しきベクトルをググッと逆方向へと向けていくのは、なかなか骨の折れる仕事となりそう。
キリスト教やイスラム教社会のように、道徳的・宗教的な縛りもこれといって無いし、われわれの祖父母の世代が聞いていたような「閻魔様に舌を抜かれる」との説を真に受ける人もほとんどいないのが、今の日本だから。
こんな調子では、ますます「嘘つくのはダメ!」という良心の声が通りにくい社会になっていくのではないだろうか。
そうなると、自分に甘く、自分を憐れみ、都合悪いことは全部自分の外へと丸投げする【自己愛人間(ナルシシスト)】がうじゃうじゃと増殖してくるのも、まぁ、当然と言ったら当然なのかもしれない。




同じ間違いを犯したとしても、


「こんなの大したことないさ」と現実から目をそらし、結果的に自分を甘やかす。

「過ちを犯したのは事実。でも、大切なのは立ち直ってからどういう生き方をするか、だ。前へ進もう。」と、自らの非を認めた上で自分に許しを与える。


甘やかしと、許し。
一見、似たもの同士のようではある。
だが、両者を隔てる溝はグランドキャニオンよりも長く、そして、深い。



自分の責任を全く認めようとしない前者と、責任逃れをしないで後始末をきちっとしようとする後者。
この二つをごちゃ混ぜにしてしまう人間たちが、現代のアメリカをはじめとした豊かな西側諸国にはあまりにも多すぎる。
特に「ニューエイジ」「スピリチュアル系」「精神世界」「ヒーリング」と称される業界やコミュニティに吸い寄せられるような人々にその傾向が強く見られる。
キャロライン・メイスはそう指摘する。

くぅーーーーっ、耳が痛いぜぃ...。


さて、そろそろ残るCD3枚分に戻ろう、っと。

キャロラインおばちゃんにビシバシ叱咤激励されて来るとしましょうかね。
ちょっとやそっとでヘタっているわけにはいかないのですよ。
良薬は口に苦し、です。
(あらまぁ、実はドMだったのか、私は!)

2016/07/29

「許し」あってこその、次の一歩。(キャロライン・メイス)

昨日、Facebookに投稿されたキャロライン・メイス(Caroline Myss、1952−)の、「本日のプチ名言」(Wis-bit)。
過去記事のコメント欄でちょうど彼女の名前を出したこともあって、訳してみました。
この文章を今、必要としている方(もちろん、私自身も含みますよ。)の心にキャロラインのメッセージが届いてくれればいいな、と思い、掲載します。





誰かを...そして必要とあらば、あなた自身をも許してあげるために、今、何をしなければならないのか。よく考えてみてください。


もし、最後のけじめとして誰かと会って、話し合いの場を持つ必要があるとしても、私的なお荷物案件を相手にぶちまけて、責め立てるような口調は使わないように。 
手を責めずにいられない、ということは、あなたにはまだ心の準備が出来ていない、ということを意味します。 
その問題を手放して立ち去るには、まだ時期尚早なのです。


あなたの思いを手紙に託し、その人に読んでもらわねばならない、と感じるのであれば、それもいいでしょう。 
でも、その動機は、あくまでも自分自身が置き忘れてきた魂を過去から取り戻すこと、でなければいけません。また一つ、怒りに満ちた文章を相手に送りつけるような真似をしてはならないのです。


何らかの儀式を執り行って、過去のある時点に残してきてしまった魂を呼び戻しましょう。誰のためでもない、
自分自身のために。


自分だけの儀式を執り行うことによって、これまでずっと抱えてきたありとあらゆる心の傷から生じた負の遺産を手放すのです。 きちんとした儀式にするか、自分一人だけの祈りの時間とするか、それはあなたのお好み次第。
肝心なのは、「私は、許します」という声を、何らかの「公式な」やり方でもってきちんと形にする、ということ。


「許します」を何らかの形にできてはじめて、 私たちは新たなスタートを切ることができるのです。


「許す(forgive)」
という表現がピンと来なければ、

「あれはあれで仕方が無かったんだな。
あのことはあれなりに意味があったんだな。
もう、いつまでもしがみついているのはやめよう。」

といった解釈でもOKなんじゃないでしょうか。(私はむしろこっち。)



上の文章が気に入った、もっと読んでみたい、と思った方には、こちらの一冊がおすすめ。
何度も何度もしつこいですが、原題は”Why People Don't Heal and How They Can"(人々が治らない理由、そして治るための方法)ですからね。


チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
サンマーク出版
売り上げランキング: 92,972


古書店を当たれば、ハードカバー単行本が激安で見つかります。ご予算重視の方は、そちらもどうぞ。


ちなみに、私が「エックハルト・トール:道の駅。でも最終目的地ではない。」で、ゆうべ匿名の読者の方宛に書き込んだコメントはこういうものでした。一部抜粋し(少々訂正も加えて)、貼り付けておきます。



「心の傷」、ですか...。
正直言ってしまいますと、最近、そうしたトピックには急速に興味を失いつつあります。
今の自分にはもう必要ない話題だな、もう深入りすることは無いな、って、感じています。
いろいろご推薦いただいたのに、気分を害されたら申し訳ありません。

「エイブラハム」、エックハルト・トール、「アストラ/アストラル」の記事でも触れた米北西部の某女性講師/著者(←この人だけは!って感じの、とても素敵な人だったんですけどね。)...といった具合に、ここ数年のうちにガッカリ体験がちと続きすぎましてね。もう、生きてる人間にはコリゴリだよ、っていうのが本音です。

そんなわけで、「こんなメソッドがあるよ〜」
「こんな風にしたらいい気分になれますよ〜」といった謳い文句で売出し中の、存命中の人には簡単に心を許すな!金出すな!疑ってかかれ!と考えるようになってしまいました。
存命中の人はコワいですよ。いつ、豹変してわけわからんこと言い出すかわかりませんからね...。

そんな私もキャロライン・メイスだけは何故か気に入っているのですが、それは 
”Stop speaking woundology!”(「傷理学」でもって語るのはおやめなさい) 
※woundology:
「傷理学」←心理学、の「傷」バージョンという彼女の造語。邦訳では「傷の言語」という表現があてられています。 
という、幾度も繰り返されるメッセージが好きだから。今の自分に必要だったから。
...という理由ではないかな、と思います。

邦訳の版元はサンマーク出版ですが、キャロライン・メイスという人自体はニューエイジ系のテロ〜ンと甘い癒し系の雰囲気とは恐ろしくかけ離れた、鬼軍曹・スパルタ式のおばちゃん(笑)。←某ホソキ先生とキャラがかぶるか!?

「いい加減に下ばっか向くのは止めて、さっさと歩き出せ!
働け、そして祈れ!」って感じですかね。カトリックの怖い尼さんみたいな人。
メソッドとか、「How to」とか、そういう読者サービス、全然無し。
読んだ人がいい気分になってくれればいいな〜とか、多分、微塵も考えてないです。

最近、「ほら、この古傷がぁ!」 
「過去から引きずっている痛みが、まだ消えてなくって!」
といったとらえ方をするのが、本当に自分にとって有益なことかどうか、はなはだ疑問に感じられるようになりました。

初舞台でめちゃくちゃ上がってまずい演奏をしちゃった音楽家が、10年、20年...と経験を積んだ今もなお、本番前になるとその初舞台を思い出してはテンション下げてしまうような、そんな無駄なことをやっているんじゃないか...って、最近、思われてならないんですよね。
(もちろん、これはあくまでも私個人の例です。より深刻な傷を負った方の場合は、また別の話となるでしょう。)

匿名さんがおいくつだかはわかりませんが、私(60年代後半生まれ)よりはお若いのではないかな、と、推察いたします。
私くらいの年になると、同級生の身にいろいろと辛い運命が降りかかってくるのを見聞きすることが急に増えるんですよ。

「A君、鬱になってしまって自殺したらしいよ...」
「女子バスケ部のBちゃん、子宮がんで亡くなった。子供もまだ小さいのに。」
「C君の親、認知症が進んじゃって、毎週末車で実家に帰らなきゃいけないんだって」
「D子、離婚してから一度も旦那に子供と会わせてもらってないんだってよ」
「E君、経営していた会社も順調だったのに、この4月にがんで亡くなったんだって」

...自分の悩みなんて、彼らの抱える(抱えていた)辛さに比べたら、一体なんぼのもんじゃい、も〜、小さい、小さい!って、嫌でも思えてきます。

傷とか何とか称して、大真面目にいつまでもこねくり回して、いつまでもwoundologyにどっぷり浸ったような独り言繰り返しているのが恥ずかしくなったんですよね...。

もっと健康なままで、もっと長く生きていたかったであろう、今は亡き元・同級生たちの無念さを思うと、
「自分はそこそこ健康で、そこそこ気力もあって、しかも周囲の人々にも恵まれている。もうwoundologyになんて関わっていないで、悔いの無いように今の生を全うしなきゃ!何か世界に貢献しなきゃ!」と、言うしかないんですよ。
いつお迎えが来るかなんて、誰にもわからないわけですし。事故や天災は降りかかる人を選びませんからね。

誤解の無いように急いで付け加えますと、過去記事、それから元の楽天ブログでもさんざん書いたように、私も斎藤学さんや、「毒親」本、アダルトチルドレン本はかなりの冊数を読んできました。ジョン・ブラッドショーとかの洋物だって、有名ドコロは一応まぁ、一通りチェックしてきました。

そんな人間でも、周囲の人々が体験している(体験した)【運命】というものの冷酷非情さの前には、我が身の生き方を省み、考え方の癖を変えざるを得なくなった、ってことでしょうかね...。

死ぬ瞬間に「よくやった!悔いは無い!」と言い切るために、今、できることをやるしかない。
それに、Woundologyに浸っている間は、お腹の底から笑うこともごくわずか。
せっかく生かしてもらっているのに、そんな人生のままで終わっては、あまりにももったいない。

...となると、結局、キャロラインおばちゃんが何度も繰り返しているような
「下向くな、歩け、働け、そして祈れ!」という言葉に近い生き方が目標となりますよね...。