また間が空いてしまいました。
お元気でお過ごしのことと思います。
故国・ポーランド二都市での室内楽公演を終えられ、12月からはいよいよ本格的なソロ・リサイタルを中心とした演奏会シーズンの始まりですね。
日が暮れるのが早く、夜がとっても長い冬のヨーロッパ。
場所によっては相当冷え込むところもあるのではないかと思います。
どうぞお身体を大事になさって、これからの約7か月を無事乗り切ってください。ご成功をお祈りしております。
・・・あっ、でもその前にまずは"Wesołych Świąt! /Joyeux Noël! /Merry Christmas!" 。
大切な方々と一緒のクリスマス休暇、楽しんでくださいね。
(原題は"Seymour: An Introduction)
というニューヨークシティ(NYC)在住の、今年89歳になるピアノ教師・ピアニスト シーモア・バーンスタイン(Seymour Bernstein)の日常を追ったドキュメンタリー映画の話をしかけたところで、一旦話を区切りました。
【こちらが映画の予告編です。上映スケジュールはhttp://www.uplink.co.jp/seymour/theater.phpでご確認ください。
日本全国、いろいろな街で続々と上映が決定しています。皆さんのお近くの映画館にも来るかもしれませんよ。クラシック音楽好きも、それほどでもない人も、ぜひご覧になってください。】
なんて素敵な笑顔なんでしょう...。
この予告編の途中に、【"わたし"の先生】という字幕が流れますが、私の場合、映画の最初から最後までシーモアさんが
【"わたし"の地蔵菩薩さま】
http://www.wikiwand.com/ja/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9 |
に見えて仕方がありませんでした。
子供と動物が大好き。(愛猫家さんです。)
ご自身もまた、幼子のように純粋で、慈悲深い心の持ち主でいらっしゃる。
日本人のわれわれには実に馴染み深い、「お地蔵さん=地蔵菩薩さま」のイメージにぴったりとはまるような、愛らしいおじいちゃま先生がそこにいました。
フリー素材屋Hoshino |
目の前にいる人を包み込む、あたたかな微笑み。
戦死した仲間を思って流した、きれいな涙。
そしていたずらっ子の少年が見せるような、お茶目な表情。
映画が始まって何分もしないうちに、私、シーモアさんの魅力にすっかりとろかされてしまいました。
途中で登場する日本人生徒さんのIchikawa Junko(市川純子)さんの言葉を借りるならば、まさに"I fell in love in him.(恋しちゃったんです)" といった感じでしょうか。
(Junkoさん、その後慌てて"...in his music([シーモアさんの]音楽に)"と付け加えましたよね。あの時の表情、とってもキュートでした!)
本作品の監督・イーサン・ホークも、きっと私たちと同じような気持ちを抱いたに違いありません。
共通の友人宅での夕食会に招かれ、会った途端に"I felt safe with him."(この人は大丈夫、安心できるって思った)と確信。
悩み相談に乗ってもらううちに、イーサンは「シーモアさんを主役にしたドキュメンタリー映画を作ろう」との決意を固めます。
彼もまた、シーモアさんに恋しちゃった一人ですよね。
シーモアさんが口にする言葉は、一つ一つが宝石みたいにキラキラと叡智の光を放っている。
素敵に年齢を重ね、人類の宝である超一級の芸術作品と親しむ人ならではの確かな眼力を備え、【本物】を鋭く見極めることができる。
それでいて、実際に会ってみると、威圧的なところなど微塵も無い。
幼子のように純粋で、生きとし生けるもの全てへと向けられた慈悲心の持ち主である...。
シーモアさん、やっぱりどこまで行っても地蔵菩薩さまっぽいですよ。
「大人」と呼ばれるようになって久しい、アラフィフ(もうすぐ50歳...。)世代の私たちではありますが、さて、このような条件を全て満たすような大人って、果たして私たちの周りにどれだけいるでしょうか。
...いませんよね。
たとえいたとしても、せいぜい一人か二人といった程度、じゃありませんか?
残念ながら。
映画を見た人、実際に会った人の誰もがたちまちシーモアさんに恋してしまう理由。
それは、
「こんなに魅力的な大人、いまだかつて見たことない!」
という新鮮な驚きと、そういったたぐいまれな偉人と出会えた喜び。
こういう感情が限りなく「恋」の初期段階と似通っているから、ではないでしょうか。
"I thrive on solitude.
I have to be myself in order to sort out all the thoughts that course through my mind.
Our social world is unpredictable.
Someone who may be the closest to you can, one day, say something and somehow the relationship dissolves.
I have to tell you that our art is totally predictable.
Music will never change. (...) Because of the predictability of music, when we work at it, we have a sense of order, harmony, predictability, and something we can control. "
「僕は一人でいると生き生きしてくる。
自分の中をよぎる種々の思いを整理したかったら、一人にならなきゃいけない。
一寸先のことは予測できない。それが他人との付き合いだ。
誰よりも親しくしていた人が、ある日急に何かを言ってきて、関係が途切れてしまう。そういうこともある。
だけどね、芸術っていうのは完全に予測可能なんだよ。
音楽は決して変わることがない。(...)
予測可能だからこそ、音楽に向き合うことで、人は秩序、調和、予測可能といったものを実感できるし、自分がコントロールできる何かを手に入れることもできる。」
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(英文はアメリカ版DVDの字幕から引用。拙訳を付けました。以下、同様。)
でも、ただ優しく、甘いだけじゃないんです。教育者・友人としてのシーモア・バーンスタイン先生は。
人によっては物凄く厳しい先生、と感じられるかもしれません。
"When you reach my age, you stop playing games.
You stop lying to people, and you just say really what's in your heart. And you find out that it's the greatest compliment to someone when you really say the truth and don't just say what they expect you to say."
「僕ぐらいの年になると、もうごまかしはしなくなる。
嘘をつくのを止めて、ただ心にあることを包み隠さず話すようになる。相手が聞きたいと思っているような話ではなく、真実を語ること。
結局、それが相手にとっては最大級のほめ言葉になるんだ。」
自分が嫌われたくなくって、仕返しを受けるのが恐ろしくって、【真実を語る】のを忌避する人があまりにも多い。
それが現代社会という、われわれが生きる、ある意味で「残念な」社会です。
20世紀後半の私たち現代人は、痛みや辛さを減らすことを最優先したがために、それ以外の場所では決して得ることのできない、貴重な学びや教訓といったものもどんどん減らし、視界からきれいさっぱりと排除するところまで行ってしまいました。
で、最後にたどり着いたのは「ネガティブ(否定的)なのはダメ!ポジティブでなくっちゃ!」を連呼するような、いわゆる「ポジティブ教」。薄っぺらい現実逃避の一手段に過ぎないものが、「これは金になる」とばかりに飛びついた世界中のメディアが猛プッシュして、たちまち一つの巨大ムーブメントが作られたのです。
例えば、「引き寄せの法則」(Law of Attraction)、それにヒントを得てうまくパッケージ化した「ザ・シークレット」、そして、それらに続いての流行りとなった「覚醒」「悟り(Enlightenment)」モノの数々。
(私も一時期ハマりましたので、あまり偉そうなことは言えませんが。バカだったな、って反省してますよ・・・。)
苦しみや辛さの原因に真っ向から立ち向かうことを拒み、人間本来の姿にはつきものの弱さ・情けなさから逃げる。
そうした似非(エセ)の「教え」が、あまりにも多く市場に溢れ過ぎてしまいました。
人と人との付き合いにしたって、同じことが言えます。
問題の根っこから目を背ける。
面倒な関わり合いは避ける。
気分が良いことしかしない。
波動が下がっちゃうようなところには行かない...。
どうもこういうのが最近のトレンドらしいですよ。
ちょっとやそっとの揺れではびくともしないような真の信頼を伴わない関係ばかりだから、
上辺だけの仲良しごっこをしているだけの関係ばかりだから、
ほんの少しの【真実】が混入しただけで、いとも簡単にひびが入って壊れてしまう。
そして二度と元には戻らない...。
われわれが今いる社会って、多分そういう「面倒なことになったら、捨てる」ことが普通になり過ぎたのでしょうね。
ああ人情紙風船。
(←っていうタイトルの、大昔の日本映画があったそうです。古すぎて私も見たことないんですけど。)
そんな中で、われわれの前に静かに現れたのが、シーモアさんのような「真実を語り、信じることの大切さを教えてくれる」タイプの生身の人間。
人と人との信頼関係が揺らいでいる時代にこそ、こういう真実を重んじるタイプの導師(メンター)や、友人が一層求められている。
会ってみたい、話してみたい、って誰もが願っている。口に出しては言わなくても。
私にはそう思えてなりません。
一時的には聞く側に痛みを与えてしまうかもしれないけれど、それでも嘘よりは真実を口にする方を選ぶ。
ごまかさない。
そういう方が周りにいて、困った時に話を聞いてもらえたら、どんなにか心強いことでしょう。
(常に誠実であろうとする生き方って、実はとても勇気の要ることなんですね。他人からの承認を絶えず追い求めているような、自信ゼロの臆病者にはとてもできません...。)
確かに、そうした方って、実人生でお目にかかる機会はほとんど期待できないです。
まぁ、インドの奥地やヒマラヤの高山にある洞穴にでも訪ねて行けば別でしょうが。
一人や二人ぐらいはそうした条件を満たす、徳高い聖人・聖者がいて、われわれにありがたい教えを授けてくれるのかもしれませんけどね。
とはいうものの、そんな所へ赴く金も無ければ、時間も無い。
現代の都市型社会に暮らす大多数のわれわれにとっては、それが現実です。
でも、私たちはご縁あって、シーモアさんという希代の名教師の存在に触れることができた。
珠玉の言葉を聞くことができた。
その幸運をつかめたことを天に感謝しなければ、ですね。
たとえそれが映画/DVDという形であっても、素晴らしい先生との出会いは価値ある出会い。
これがきっかけで、人生が大きく変わっていく人だっているかもしれないのです。
優れた芸術作品には、そうした人格の変容を促す力がありますよね。
それはあなたが誰よりもよくご存知なはずです。
映画の最後で、シーモアさんは監督のイーサン・ホークとその演劇仲間たちを前に、35年ぶりのソロ・リサイタルを開きます。
(もっとも、こちらの本によりますと、室内楽の演奏会といった、ソロ以外での演奏活動は細々と続けられていたそうですが。
詳しい人に聞いたところ、ピアノソロリサイタルと室内楽でのピアノパートの演奏は、その緊張度・ストレスにおいて、物凄い差があるようです。
コンサートピアニストって、本当に精神的にしんどい、苛酷なお仕事なんですね...。P.A.様、そして古今の名ピアニスト全ての皆さんに心からの敬意を表します。)
Hay House, Inc. (2016-02-23)
("Play Life More Beautifully"というタイトル、映画の中でイーサン・ホーク がシーモア先生に語った、あの印象的なせりふから取ったのでしょうか?ーーー"Playing life more beautifully is what I'm after.")
P.A.様も最近精力的に取り上げていらっしゃる作曲家で、
Warner Classics (2010-11-22)
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(2016-2017シーズン後半の演奏会では、シューマンのピアノ協奏曲も披露されるんですよね。
一日も早くCD化が実現するといいなあ。あなたらしい解釈の、真綿のように柔らかく、そしてきれいな音が特徴のシューマン、ぜひ聴きたいです!)
一日も早くCD化が実現するといいなあ。あなたらしい解釈の、真綿のように柔らかく、そしてきれいな音が特徴のシューマン、ぜひ聴きたいです!)
ドイツ・ロマン派音楽の代表的な作曲家、ロベルト・シューマンが最愛の女性・クララに捧げた曲「幻想曲 ハ長調 op. 17」。
シーモアさんは、この第三楽章をリサイタル(と、映画)の最後を飾る曲に選びました。
(このティーケトル、ロベルト&クララのシューマン夫妻が本当に所有していたものだそうですよ!)
演奏者の人柄、その生き方は、作り出す音の中へと自然とにじみ出て、結果として聴衆の心を深く、激しく揺さぶるほどの偉大な力を持つようになる。
本当にその通りだと思います。
普段からあなたの演奏を聴きながらうすうす感じてはいましたが、シーモアさんのこの映画を見たことで、それが絶対的な確信へと変わりました。
去る3月、Humans of New YorkのFacebookページに掲載されたインタビューであなたが語っていた言葉。
その一つ一つがシーモアさんの口から出てくる言葉と重なり、こだまのように響き合うのを感じていました。
その事実が私の中でより一層大きな感動の波紋を生み出し、心の隅々にまで静かに広がって行きました。
映画を見ながら、幾度もこう思ったものです。
【たとえ世代や国や育った環境が大きく異なっていたとしても、本当に誠実に音楽と向き合い、良いものを生み出そうと日々努力している一流の音楽家であれば、語る内容や考え方は自然と似てくるものなんだなぁ...】
って。
参考過去記事:
【続報】ま・さ・かの有名ピアニスト...いきなり大炎上
エンドロールが流れ始めた頃には、もう、涙ぼろぼろ。しばらく止まらなかったです。
バッハのカンタータ (BWV106、「神の時こそいとよき時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」)の演奏をバックに、心の中にしつこく居座っていた様々な迷いやためらいをきれいさっぱりと洗い清めてくれた涙。
まるで日照りが続いた後の、恵みの雨のように優しく、ありがたい涙でありました。
シーモアさんが私たちに贈ってくれた叡智の言葉。
もう、たくさんあり過ぎて、これだけ引用してもまだまだし足りない程です。
でも、私にとって、一番心の奥深くにずしーんと響いたのはこれなんですよ。
"When I placed tremendous challenges before me, only to be cast down, something in me said, 'Really, you're inadequate? Well, then stop beefing about it and make your self adequate.'
Instead of practicing four hours a day, I turned it eight."
「とてつもなく大きな困難を自分に課しておきながら、それに打ち勝てずにいた時、自分の中でこういう声がしたんだ。『もうだめだ、できない、って、本当にそうか?さあ、弱音なんて吐くのは止めて、できる自分になってみろよ。』
で、一日4時間だった練習を8時間へと増やしたよ。」
練習時間を4時間を8時間に増やす。
文字にしてしまうとサラッと読めてしまいます。別に大したことないじゃない、と、軽く流されてしまうかもしれません。
...が!!!
ピアノに向かって8時間。
...よくよく考えると、これって物凄い練習量ですよ!
種目にもよるでしょうが、プロのアスリートだって毎日きっちり8時間練習する人なんてそれほど多くはないはず。
しかも、御年80代後半に差し掛かったシーモアさんがここまで真剣に取り組むのですからね。
...常人の想像をはるかに超えたそのプロフェッショナリズムに、ただ脱帽するしかありません。
「足りないようなら、練習量を増やす。」
結局、このシンプルな処方箋に勝るような安全・確実な「自信増強法」なんて、この世の中にはありっこ無い、ということですね。
近道?
早道?
抜け道?
そんなもの、期待するだけ無駄です。余計な妄想なんて止めて、とっとと仕事に取り掛かるしかありません。
ズルして楽して、ちゃっかり成果だけ手に入れよう、甘い汁吸おう...。
できるわけないじゃないですか。
世の中はそういう仕組みでは動いていないのです。最後の最後には努力した人だけが微笑むのです。
今も昔も。これからも。
もうお気づきでしょうが、私、最近のスピ系な人々(英語だと"New Ager"か。)がいかにも好みそうな「波動vibrationを上げれば望みは叶う!」といった、あまりにも調子の良過ぎるスローガンにはすっかり辟易していましてね。
でも、シーモアさんにここまで潔く
「できるようになりたい?だったら、努力を倍増するしかない。」
って言い切ってもらえたおかげで、百万の援軍を得たような、そんな頼もしい気持ちになりました。
何しろ、コンサートピアニストとして、カーネギーホール、アリス・タリー・ホール(リンカーンセンター)といった、P.A.様もこれまでに何度も演奏していらっしゃるような超一流の会場でのソロ・リサイタルを何年も何年も経験してきた方ですから。
説得力は抜群です。
だから、私もシーモアさんを見習って、これからもずっと
書きます。
書き続けていきます。
書くことを止めたりしません。
他の誰のためでもなく、
ただ「自分が充たされる」ために。
これからもずっと書きます。
下手っぴぃでも、コツコツと練習します。
ナイキ(Nike)のCMじゃないですが、
"Just do it." (とにかく、やれ。)...ですよね。
私にとっては一生忘れられない宝物となった映画・「シーモアさんと、大人のための人生入門」。
もしまだご覧になっていないようでしたら、ぜひ。
決して後悔はさせません。
既に3人を無理矢理劇場へと追いやり、しかもその全員から
「あまりにも内容が豊か過ぎて一回見ただけじゃ足りない。何回も繰り返して見たい。」
という絶賛の言葉を引き出した、この私(どの私なんだか)が言うのですから。
騙されたと思って、まずは見てください。心からお勧めできる作品ですよ。
そして、"わたしの"地蔵菩薩さま・シーモアさんに思う存分「恋しちゃって」くださいね。
きっと何かいいこと起こるはずです。
(英語版と日本語版の予告編、使用されている場面が若干異なるんですよ。
行こうか行くまいかまだ迷っている方の参考になれば...ってことで。)
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