2016/10/29

R.I.P. ピート・バーンズ(Dead or Alive)。〜「僕には子供時代なんて無かった (I had no childhood.)」

10月23日に突然この世を去ってしまったデッド・オア・アライブのヴォーカル、ピート・バーンズ(1959-2016、享年57歳)。


有名な、あまりにも有名な。


下にG+の埋め込みという形でYouTubeへのリンクを貼っておいた。(直接ブログ本文に動画の貼り付けができないもんで。)
この「サイキック・セラピー」、正確な情報は確認できなかったのだが、おそらく2007‐2008年頃にイギリスで放映されたテレビ番組と思われる。
司会進行役のサイキック/ミディアム(死者のメッセージを伝えられる人)・ゴードン・スミスが、ピート・バーンズと一緒に彼の半生を振り返り、壮絶な子供時代の体験を聞き出し、死んだ身内からのメッセージを伝えることによってセラピー(療法)的効果を得ようと試みた、ドキュメンタリー番組である。
つい先ほど見つけたのだが、あまりにも凄まじい話の内容に引っ張られて一気に最後まで見てしまった。


ピート・バーンズの生い立ちについては、Wikipediaのピート・バーンズの項にも詳しい。そちらもぜひご参考に。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA


ゴードン・スミスというミディアム(霊媒)、今まで知らなかった。
グラスゴーなまりの英語を話すスコットランドの方。元・床屋さんだそうだ。
動画を見る限り、「物凄い切れ味のリーディング!」っていう感じはしない。
でも、なんかこう、あったかくて、二人っきりで話しているだけで、凍りついた心が少しずつ溶けていくような、そんな魅力を持った人だな、との印象を受けた。
霊能者にありがちな儲け主義が前面に出てこない点も、好感が持てる。
床屋さんだった頃は、リーディングもお金を貰わずに引き受けていた、という。


なぜ、悪いことが起こってしまうのか?
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ちなみに英語の原書は、みんな大好き☆なニューエイジ/スピリチュアル系書籍の大手出版社・ヘイハウス(Hay House)から出ていたりするんだな、これが。相変わらず、商売がお上手なようで...。






1から5まで見終わり、ただ、ただ、「悲しい...」という気持ちだけが残った。



2016/10/27

【記事紹介】ジェイン・オースティン「エマ」に学ぶ、認知症介護のあり方。

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原文はこちら。

http://www.nytimes.com/2015/12/20/opinion/jane-austens-guide-to-alzheimers.html


ジェイン・オースティンに学ぶ アルツハイマー型認知症 
(Jane Austen’s Guide to Alzheimer’s)
キャロル・J・アダムス (Carol J. Adams)
New York Times Dec. 19, 2015


私がジェイン・オースティンの「エマ」に辿り着いたのは、50代に入ってから。
世の一般的なオースティン読者と比べれば、遅い方だろう。
父親と二人暮らし、何不自由無い生活を満喫し、村のみんなのキューピッド役を買って出る。
そんな21歳の女性を描いた物語なんて、以前だったら少しも興味を持たなかっただろう。


「火のない所に煙を立てる」とでも言わんばかりに、他人の恋心はさかんに煽り立てる。
なのに、自分の恋となると、目の前にあっても全く気付かない。
このエマという主人公、初めのうちはあまり好きになれなかった。



だが、親の介護という、私にとっては人生の一大危機を体験してからは、その印象も大きく変わった。
あの頃、一体何度オースティンの小説を読み、オーディオブックで朗読を聞いたことか。
飴玉一つをゆっくりと舐め、溶かしていくような調子で、彼女の言葉を頭の中で何度も何度も転がし続ける...。
それが当時の私であった。


母はアルツハイマー型認知症を発症していた。
介護が始まって間もない頃は、オースティンの他の作品に慰めを見出したものだが、病気が進み、中期の段階に入ってからは「エマ」が私の座右の書となった。
最初は単なる娯楽目的で手にした本。
だが、これが私にとても大切な事を教えてくれる教科書であったと気付くのに、そう時間はかからなかった。


母の病気は、いつも私をひょいと追い越し、一歩先へ、先へ、と進んでいってしまう。
だから、我が家には介護関係の本も山ほど揃えている。
その中の一冊に、ケネス・P・シレッピ(Kenneth P. Scileppi)著、”Caring for the Parents Who Cared for You ”(直訳:「あなたを世話した親の世話」)という本がある。



著者・シレッピは本書で次のように述べている。
「認知症が進んだ人の生活で、『これだけは間違いない』という法則が一つあります。それは、


【変化は、どんなものであれ、悪影響しか及ぼさない】


というものです。」


ここを読んだ瞬間私の脳裏をよぎったのは、92歳にして認知障害が目立ち始めた私自身の母親ではなく、エマの父親・ウッドハウス氏であった。
小説の中で、彼は「神経質」であり、「変化と名の付くものはどんなものであろうと」忌み嫌う人物、として描かれていたからだ。


物語作者によると、エマは「苦しみも悩みもほとんどなかった」とされている。
にもかかわらず、彼女はいろいろな苦しみや、悩みにぶつかる。父親にとっては、エマは娘であり、親なのだ。それも、随分と前から。





母は間違いなく認知症の類を患っている、と知ってしまったあの日。
私に誕生日のプレゼントを渡しながら、父が言った。
「これ、お母さんが自分で選んだんだよ。」
母の性格上、誕生日のプレゼント選びを人任せにすることなどあり得ない。
父がわざわざ付け加えたその一言で、私は全てを悟った。
ああ、プレゼントひとつ選ぶにも、父の助けが要るところまで症状が進んでいるんだ...と。



父が気を利かせて言い添えたあの一言がきっかけとなり、私はジェイン・オースティンが「エマ」で読者にほのめかしていた事柄に気付き始めた。エマの父親に対する接し方から判断して、ウッドハウス氏の認知能力が劣化しつつあることは、少なくとも私の読みでは、もはやはっきりしていた。


エマが父親を手助けする場面は、作中に数多く登場する。
たとえば、人への贈り物を選ぶとき。他にも、似たような例はすぐに見つかる。
エマは、父親の関心が横道にそれることがないよう、脇から支えてやり、父親の言いたいことを代弁しつつ、会話のやり取りを引き受ける。
父親の相手をするときは、エマ自身が好むような複雑なゲームを避け、単純なものを選ぶようにしている。


窓の外に小雪がちらつき始めたのを見て、父親が恐れおののき、エマに助けを求める場面がある。
「どうしたらよかろう、かわいいエマや?...どうしたらよかろう?」


シレッピ博士(先述)の公式に従えば、ウッドハウス氏の狼狽ぶりは以下のように説明がつく。


記憶の喪失(memory loss) + 不安感(anxiety) 
= 外部に安心の言葉を求める(search for reassurance)



親の意識が曖昧模糊とした状態へとなりつつあるのを察知したら、子の側からうまく補うようにする。
不安と混乱を前にして戸惑っているときは、安心させてやる。
どっちへ行けばよいのかオロオロしているときは、正しい方向へと向けてやる。
エマにとっても、そして私にとっても、毎日がこうした作業の繰り返しであった。



私は、アルツハイマー型認知症について専門書から得た知識を思い出しながら、「あれはどうなのか」「これでいいのだろうか」と、自問自答し続けた。そうこうするうちに、いつしか私は小説「エマ」を以前よりも一層深いレベルで読み取れるようになっていた。
介護者としてのあるべき姿を、私はエマの一挙一動を追うことでひとつひとつ学んでいったのである。



200年前の今月【訳者注:1815年12月】にその初版が世に送り出された「エマ」。
介護に関わる人々にとって、この一冊が実に力強い応援歌となる。
作中で描かれているのは、介護につきものの、さまざまな困難、要求、フラストレーションだ。
小説の至るところで問題にぶつかるエマの姿を認められるようになってからは、彼女への苦手意識は消えた。
彼女の苦しみのひとつひとつが、我がことのように感じられたからだ。


母を自宅で介護する日々は、終わりなきマラソンのように延々と続いた。
その間私がひたすら聞き続けたのが、「エマ」のオーディオブック版だ。

https://librivox.org/emma-by-jane-austen-2/(ボランティアさんたちによって運営されている、名作朗読の無料ダウンロードサイトです。 
リンク先はカナダ人のMoira Fogartyさんによる「エマ」全編の朗読ダウンロードできるページ。イギリス英語ではないのですが、とっても聞きとりやすい発音です。ぜひ試し聴きしてみてください!)




あなたも少しは一息つかないとダメよ、ということで、友人が2時間我が家にいてくれることになった。
その間、何をしようか?
泳ぎに行こうか?
細々した用事を済ませてしまおうか?
それとも、散歩に出かける?
夢はどんどん広がる。私は、その自由な2時間のことを思い、幸せいっぱいになった。
ちょうどその時、聴いていたオーディオブック版「エマ」で、エマの義兄が、エマの社交活動に一言口をはさむという場面に差し掛かった。
【訳者注:義兄=エマの姉・イザベラの夫である弁護士のジョン・ナイトリー氏。ロンドンで弁護士業を営む。】


エマは猛然と義兄に反発した。
「私、このハートフィールドを2時間も空けることなんて、ほんと、めったに無いのよ。それなのに!」
傍目からは自由に歩き回っているかのように見える、エマ。
だが、彼女の「自由」とは、拘束だらけの中で行われる活動、そして細切れにされた時間の寄せ集めでしかなかった。
ウッドハウス氏が常に家にとどまり、娘の帰りを今か今かと待っているのだから。


ある調査によると、介護従事者の3分の1が24時間休むことなく、アルツハイマー病患者に付き添うことを余儀なくされている、というのが現状だという。エマが言う通り、2時間だけでも外に出ることができれば、まだましな方なのだ。


例の自由な2時間が目前に迫った、ある日のこと。
たまたま聴いていた小説のオーディオブックでも、ちょうどあの「2時間」の部分が出て来たのよね、と女友達に話したことがある。
するとこの女友達、あまりにも小説「エマ」と私自身の生活が符号し過ぎていることを懸念したのか、「あなた、もう、オースティンなんて読むのやめなさいよ!」と強く迫ってきた。


まさか。
冗談じゃない。
私にはエマがどうしても必要だった。
母の介護にあたる身として、もっと忍耐強くいられるように。非難めいた言葉を吐かずにいられるように。
介護の専門書は、私たちに「こうしろ、ああしろ」と言葉で言うのみ。
だが、エマは身をもってそれを私たちに教えてくれている。


母は、他人が家の中に入り込み、生活を覗かれるのを嫌がった。
同様に、夜、私が父の書斎で仕事をすることも好まなかった。


ある晩のこと、母は書斎で調べものをしている私を見つけて、「ここに、いないでほしいの」と頼んできた。
私は答えた。「でも、シャッターはちゃんと下りて閉じているはずよ」
「上のシャッター?」
「ううん、そうじゃなくって。」
「仕事なら、ダイニングルームでしてほしいんだけど。」
「でも、別に私がダイニングルームで仕事する必要なんて、無いでしょ。」
私も意固地になっていた。
当時の私は「アルツハイマーの患者とは、口論すべからず」という解説本のアドバイスにまだ出会っていなかったのだ。


母の方も、一歩たりとも引かなかった。
「仕事するならダイニングルームでしてちょうだいよ。」


最後には私が折れるしかなかった。
この時の私は、母の被害妄想を、病気特有の症状としてではなく、単に「わがまま」としてとらえていた。
手助けならば、もちろんする。
でも、私自身の生活を完全に曲げてまで、母に合わせるつもりはない。
あの頃はそう考えていた。


では、エマの場合はどうだろう。
エマは、父親のウッドハウス氏との言い争いは避けて、目指す方向へと父親を誘導している。
予め解説書をきちんと読んで予習してきたかのような、実にうまいやり方だ。
エマに教えてもらいながら、私は自分を見失うことなく、より多くを与えられる介護者へと成長していくことができた。
彼女がいつも私の心に寄り添っていてくれたおかげである。


時として、介護する者の周りに犠牲者が生じる場合がある。それは「エマ」の作品中でも触れられている。
介護者が冷静さを失い、不安定になっていくとき、誰かしらはとばっちりを食らう人が出てくるものだ。
犠牲者は必ずしも介護を受ける側の人間だとは限らない。その場に居合わせただけの、たまたま通り過ぎただけの、運の悪い人が被害をこうむる場合だってあるのだ。
小説の後半、物語のクライマックスとなる場面で、零落する一方の哀れなオールドミスに向かって、エマは非礼極まりない言葉をぶつけてしまっていた。


大好きなナイトリー氏に厳しく叱責され、絶望のどん底に落とされるエマ。


ジェイン・オースティンの小説世界のほとんどが、架空の土地を舞台としている。
だが、この「エマ」一行の遠足の目的地に作者・オースティンが選んだのは、ボックス・ヒルという実在の場所だった。
イングランドの田舎風景の中でもその美しさは格別とされ、周辺地域を広く見渡せる景勝地として名高いところだ。




エマは、この、見晴らしの良い丘の上に立って初めて、父の介護と引き換えに自分が失っていた世界をようやく見渡すことができた。
だが、その高みから下界へと下りていくとき、彼女はひとりぼっちになってしまう。
しかも、涙が止まらない。


私はこのボックス・ヒル巡礼の旅へと出かけることに決めた。
介護者としての私、そして、介護者としてのエマをねぎらうために。
もはやエマは私にとって忠実な友であり、深い共感を覚える相手として、かけがえのない存在となっていた。


ボックス・ヒルへ向かう途中の駅では、がらくた市が開催されていた。
私は骨董品の中から小さなブッダ像を見つけ、それを買った。
数か月後、死の床にあった母の元に向かう私は、リュックサックの中にこの「ボックス・ヒル・ブッダ」の小さな像を忘れずに忍び込ませた。


一日中ずっと母の世話をし、本を読み聞かせ、話の相手をする。
それらを終えて眠りにつく前のひととき、私は「ボックス・ヒル・ブッダ」を握りしめながら、ずっと考えていた。
私は母から何をもらったんだろう、オースティンから何をもらったんだろう...と。


介護者にとっての「自由な時間」は、いざ与えられてみると、目がくらみ、どうやって扱えばいいのかわからないように感じられるものだ。
ボックス・ヒルのてっぺんから周囲の田園風景を見下したエマがそう感じたのと同じで。


介護生活の中で、私自身もエマ同様、「ボックス・ヒル的八つ当たり」、つまり、罪もない第三者にきつく当たるという過ちを犯したことは一度や二度では済まなかった。
誰にも見られない場所に隠れて涙を流したことだって、何度もあった。


でも、エマには無かったが、私にはあったものが一つだけある。


...それは、小説・「エマ」。

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2016/10/20

そそりの大家・吉田健一。ヨシケン、ふたたび。

某ブログでその存在を知った、文体診断ロゴーン(http://logoon.org/)という、謎のHP。
64人の作家・有名人の文章サンプルから、10項目の要素を抽出・解析し、得点化。
そのデータをあなたが入力した文章から得られたデータと照らし合わせ、誰の文章に最も近いかを診断してくれるというのである。



早速やってみた。
前回投稿した記事・「続・人は変わるの~キャロライン・メイスが読み解く『がん』~」から一部を切り取って、ロゴーン先生に解析していただく。



結果は、これ。





読んだことあるのは、太宰治だけ。
それも、あまりどよぉ~~~~んと暗くならない、「女生徒」のようなライトタッチな太宰作品のみ。(翻訳:「ほんのわずかしか読んでいない」)


女生徒
女生徒
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(2012-09-27)


青空文庫さんの「女生徒」は、こちらからどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card275.html


吉川英治も、中島敦も、正直言って、よくわからないや。読んだこと無いので。
何せ、物心ついた頃からのバタ臭い西欧モノ好き(これは明らかに「ベルサイユのばら」の影響が大)な私。
人名が漢字だらけで、ドレスも宮殿も舞踏会も、ついでに王子タイプの洋風イケメンも全く登場しないような、男臭い東アジアの歴史物や戦記物には食指が動かないものでねぇ...。剣豪とか武将には興味無いんですよ。「戦い」に関心が無いの。
(中国史・アジア史、本当に苦手だった。殷周秦漢...あぁ、もうだめだ。何でこんな細かいことまで暗記しなきゃいけないんだろう。日本の受験生、かわいそ過ぎるよ。若くて鮮度の良い頭脳はもっと有効に使うべきだと思う。)



面白いので、ブログやGoogle+に投稿した過去記事もいくつか切り取って、診断してもらった。

おおむね、

小林多喜二(「蟹工船」)
浅田次郎(「鉄道員(ぽっぽや)」)


といった作家さんたちが一致指数の上位に来ることが多いみたい。こちらのグラフだと、右下方面に固まっているという感じかな。

http://logoon.org/about/sanpuzu.png


一度だけ、一致度ベスト3に松たか子、という名前が入った。
「な、なぜ、芸能人エッセイストの中で、わざわざこの人がサンプルに選ばれたのだろう? (阿川サワコさんとか、沢村サダコさんとかでなく…… ←古い?)」
ロゴーンの開発者さんがたまたま彼女のファンで、手元に彼女のエッセイ集があったから、なのか?


ただ、下のNaverまとめを見ると、この「松たか子現象」、決して珍しいものではないようだ。
「イマドキのメディアでよく目にするような、イマドキの若い読者が最も読みやすいと感じる、いわば【時代の流れに合わせた、最大公約数的なライター文体】を♪ありの〜ままの〜姿で見せてくれる人」の代表格として彼女が選ばれただけのかもしれない。
(松たか子さんの本を読んだことが無いので、的外れなこと言ってたらゴメンなさい。)

「自分の文体ってどうなの?文体診断ロゴーンと小説解析素分析で診断!」
http://matome.naver.jp/odai/2140558198198854901


まぁね、好きな作家、好きな作品を書いた人と、自分の文体とが必ずしも一致するとは限らない。
この事実を再確認できたことが、文体診断から得られた最大の収穫かもしれない。
坂口安吾の「堕落論」「日本文化私観」といった快刀乱麻エッセイがどれほど好きだとしても、文章を書く上ではほとんど参考にしていなかった、ということになる。
文章というよりは、その背後にある威勢の良さ、正直さ、やぶれかぶれ具合...といった、【その人の魂の質】が好きだから、私は時々無性に坂口安吾を読みたくなるのだろう。



「じゃぁ、アンタは誰の文章・文体が一番好きなのか?」



そう聞かれて、思いつくのはこの人しかいない。


吉田健一


吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖)

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1912年(明治45年)、吉田茂元首相の長男として誕生。


妹・和子は麻生太郎元首相の実母なので、健一と元首相はおじ・おいの関係となる。


外交官だった父の赴任先に帯同し、イギリス紳士としての教育を受けるという恵まれたスタートを切った彼。第二次世界大戦前夜の不穏な空気を察したのか、1931年、ケンブリッジ大学を中退し、日本に帰国。1931年といえば、アジア大陸の東端では満州事変が起こった年である。
以後は文学評論・文筆業に従事。文壇の名士たちとも交流を深める。一時期は中央大学などで教鞭も取った。
英・仏両言語に通じていたため、翻訳作品も多数残している。


ファニー・ヒル (河出文庫)
ジョン クレランド
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(よい子の皆さんは知らなくてもいい本です。
一応、初恋の人と最後に結ばれる純愛モノであることは確かなので、女性でも安心して読めます。
ただし、家族の目の届かぬ場所に保管した方がよろしいかな、と...。)


もちろん、「ファニー・ヒル」のように人前で書名を大声で言えないような本以外の英米文学作品も、吉田健一は数多く翻訳を残している。以下は、そのほんの一部に過ぎない。


ブライヅヘッドふたたび
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海からの贈物 (新潮文庫)
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【筆者注:アン・モロウ(モロー)・リンドバーグは、人類初の大西洋横断単独無着陸飛行(ニューヨーク~パリ間)に成功し、「翼よあれがパリの灯だ」との名台詞と共に記憶されている、チャールズ・リンドバーグの奥方である。】



ジェイン・エア (集英社文庫 フ 1-1)
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書き手としては、相当アクの強い人ではないかと思う。
決して万人受けするタイプではない。
たとえば、彼、ヨーロッパという語をいつも「ヨォロッパ」と書く。英語だと「ユーロップ」に近いような気がするのだが。
トーストは、「トオスト」と書く。「トウスト」ではなく。
本場イギリス仕込みの英語使いであったにもかかわらず、なぜかこういうこだわりの片仮名表記をする人なのだ。


日本の食や酒といった話題も多数扱っている彼ではあるが、残念ながらその分野における吉田健一はほとんど知らない。
下戸である私は、この方に酒のうまさや素晴らしさをどれほど熱っぽく語られたとしても、「ふーん。そう。」と、冷ややかな反応しかできないからだ。わざわざ日本から取り寄せてまで読む気はしない。
ご遺族の希望なのか、はたまた出版社が勝算無しと踏んでいるからなのか、吉田健一の作品は一部の翻訳書を除き、電子書籍化も進んでいないらしいし...。
まぁ、焦る必要は無い。縁があったら、いずれ出会う機会もあるだろう。



英国に就て (ちくま学芸文庫)
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「吉田健一、いいじゃん!」と、私が最初に心打たれたのは、こちらのエッセイ集でイギリスのパンやトーストの話を読んだ時である。

「そのトオストなのだが、ただパンを薄く焼いただけなのではなくて、理論はそのとおりでもパンが柔いのとこりこりの丁度間ぐらいで、バタを付けるとじゅんと音を立てそうにして溶けるのは、これも何かやり方があるのだろうと思う。 
朝の食事の時ではなくて、午後のお茶の時間に、先にバタをつけて出すトオストはまったく素晴らしいとでも言う他ないもので、バタがどろどろして芳香を放ち、パンがこれに応じてパン粉の風味となって舌に媚び、アラビアの物語に出てくる回教徒の教主が舌鼓を打つ菓子もかくやと思わせるものがある。 
これに紅茶の味が加わってどんなことになるか、これは宝籤(くじ)でも当てて英国に行って験して見る他ない。」
(「英国に就て」所収、「食べものと飲みもの」、p. 245)

...バタがじゅんと音を立てそうにして溶ける。
吉田健一という人が、「人生、うまいものたらふく食ってナンボ」という思想にどれだけ(多分、頭のてっぺんがすっぽりと隠れるまで。)浸かっているかが、嫌というほど読者に伝わって来る、すごい一節である。
ひゃー、たまらん。



そうそう、紅茶の味!
確かに、紅茶だけはイギリス国内で味わうのが一番、って気がする。現地の水の味と一番相性がいいものが消費者に選ばれて、市場に残っているんだろうなあ。



さすがに水までイギリスから取り寄せるわけにはいかないが、うちはこの「どこにでもある、庶民値段のスーパーマーケット紅茶」としてはエース級のPG TipsをアメリカのAmazonでずっと買い続けてますよ。
だって、どんなブランド物紅茶よりも、缶に入ったご立派なギフトセットのよそ行き紅茶よりも、絶対こちらの方がおいしいんだもの。
ガツンと濃く出るから、これまた濃厚なイギリスの牛乳とは相性抜群なのだ。
間違っても、低脂肪とか脂肪分ゼロなんて薄い牛乳と合わせちゃいけない。胃が荒れること必至だから。





宝くじが当たらなくても、こうした「英国民の支持No.1」の紅茶を、自宅で手軽に楽しめるようになった今の日本人。幸せ者である。



そして、トーストに絶対欠かせないのが、上質の、うまいパン。

「英国のパンも麦の匂いがする。英国のトオストが旨いのは、パンを扱うのにトオストを作る以外に能がないからではなくて、パンも本当に旨ければ、これをただ焼いてバタをつけて食べるのが一番そのパンという材料に適した食べ方だからである。」 
(「英国に突て」所収、「英国人の食べもの」 p.256 )

読んだら絶対食べたくなるでしょ。
行きたくってたまらなくなるでしょ、イギリスに。
行ってみたところで、果たして吉田健一が味わったのと同じレベルの絶品パンが食べられる、なんて保証は無いのだけれどね。
だってこの方、パンクムーブメントに沸いた1970年代後半~80年代初頭の、怒れるイギリスを見ることなくしてお亡くなりになっているわけだし(1977年没)。
長引く不況、そして移民の大量流入といった流れを受けた現代のイギリスで、果たして旅行者が彼と同じようなパンを味わえるかどうか...。
私は少しだけ疑っている。



吉田健一が少年時代を過ごした古きよきイギリスは、ちょうどこの作品のシリーズ後半部分と重なっているはず。
現代のわれわれが見ているイギリスとは相当かけ離れたものであることは、読む方の側も覚悟して読まねばなるまい。


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でも、2016年の今でも、ちょいと奮発して五つ星クラスの高級ホテルにでも泊まったら、ひょっとして吉田健一が語ったような絶品パン&絶品トースト&絶品紅茶の組み合わせが食べられるかも...。
その絶品パンに、これまた絶品のマーマレードを塗れば、バターとは違った別の幸せな味が楽しめるかも...。
夢で終わるかもしれないが、それでも、つい大きな夢を見てしまう。



「ホントはもっと言いたいことあるんだけどさ」
「こんなのとは比べ物にならないような、もっと旨いもの、知ってるんだけどさ」



と、出し惜しみするような、勿体ぶった書きぶりをすることで、読者の欲望を思いっきり煽り立てる...。
吉田健一の文章には不思議な魔力が込められている。
読みかけの本なんて放り投げて、うまいものを求めて街へ繰り出したくなるような、そんな気持ちにさせられる。
頭→心→からだ、の順番で、読み手の全身にじわじわ働きかけるような、そんな能力を持った稀有な書き手。
それが私にとっての吉田健一、通称ヨシケン先生...である。
たった今思いついた「そそりの大家」という称号を、謹んで進呈したい。



私の中では間違いなく「好きな文章家No.1」のヨシケン先生。
でも、ひとつだけ残念なことがある。


私が最も愛し、尊敬する18-19世紀の境目に生きた女性作家・ジェイン・オースティンの扱い方、だ。
彼女への評価が、どうも「生ぬるい」のである。
食べものや酒について滔々と語る時のあの饒舌な吉田節に比べると、実にありきたりな、はっきり言って「英文学史の教科書から拝借してきたような」、無難でつまらない説明でお茶を濁した感がある。
お好みに合わなかったか、それとも単に読む機会に恵まれなかったか。


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「そこに事件らしい事件は何も起きないが、登場人物の日常の営みが話の筋になって(...中略...)
このように最小限度の材料を用いて小説の正攻法で、これほどに清新に人生を描く技術は世界の文学にその類例がない。リチャアドソンからオォステンに至るまでの間に、英国の小説の手法が実質的には完成した事情をそこに窺うことが出来るのである。」
(「英国の文学」、吉田健一、岩波文庫、1994、p.173 )

何だろう、ここから湧き上がってくる「ふん、どーでもいいよ」感。
ジェイン・オースティンなんて女子供用の作家には全然興味無いんだけど、とりあえず省くわけにいかないので、世間一般で言われているようなことだけさらっと書きました、って感じがアリアリ、である。


シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」を翻訳していることから推測するに、先生、ブロンテ姉妹みたいに「燃え上がる情念の炎!!!」的な、実にわかりやすい形で女・オンナ・おんなっぽさを発散するような女性作家の方がお好みなんだろうか。
ジェイン・オースティンみたいに「頭の回転が抜群に速いけど、実はほんのりロマンチスト」な才女には、大してそそられなかったのだろうか。



もし、ヨシケン先生が本気スイッチON!にしてジェイン・オースティンの世界と取っ組み合いしてくれていたら。
そして、あの徹底したマニアックさでもって彼女の作品を料理してくれていたら。
どれだけ面白い文章が生み出されていたことだろう。
想像すればするほど、残念な気持ちになる。



ヨシケン先生の代わりに...な~んて、言うもおこがましいのだけど、次回のブログでは、ジェイン・オースティンの「エマ」を再び取り上げるとしよう。
「エマ」について書いた過去記事はこちら。

http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/06/blog-post.html#more
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/06/blog-post_8.html

「エマ」を、面白い視点から読んでいる人の記事を見つけたので、(勝手に)翻訳させてもらうつもり。




*蛇足*
アマゾンのレビューで吉田健一のことを「よしけん」と略している人がいて、大笑いさせてもらった。
「失恋レストラン」の清水健太郎はシミケン。
サンバも踊る暴れん坊将軍の松平健はマツケン。
ドジャースの前田健太はマエケン。
私が高校で古文を教わったのは山口健一先生で、ヤマケン。
どうも、ファーストネームに「ケン」の音が入っている人って、○○ケンというあだ名がつき易いみたい。響きが心地よいからかな。
あっ、そういえばDANCE☆MANも歌ってたっけ。「♪名字と名前を略して呼ぶ... ヤマケン♪」って。)


2016/10/13

続・「人は変わるの」 ~キャロライン・メイスが読み解く「がん」~

先日書いた記事「人は変わるの」では、「歳月とともに、友達との付き合い方も変わっていいのだ。」という趣旨の英文記事を簡単にご紹介した。







そう。
出会った当初は、面白おかしいだけの付き合いで良かった。
だが、いろいろな世界を見聞きし、そこでまた興味深い人々と出会ううちに、「彼女(彼)とこうやって惰性で付き合っていて、果たして自分のためになるんだろうか。」と、疑問を抱き始める。
「会いたいから会う」のではなく、「過去のつながりに義理立てしなきゃいけないから、会う」ようになってくる。
新規開拓するのが面倒だから、多少の不満はあるが、いつまでも近所にある馴染みの店に通い続ける、というランチタイムの行動パターンにどこか似ている。


惰性でつながっているような、いわゆる「腐れ縁」(日本語って本当にいい表現持ってるよね...)。
残念ながら、こうした人付き合いからは、


成長

学び


発見


喜び


励まし

支えあい ...


といった、人間にとって絶対必要な栄養分を摂取できることはまず期待できない。
生命(いのち)を燃え立たせるだけのエネルギーなんて、含まれていないのだ。そういう「くたびれた人間関係」には。
強いてメリットを挙げるならば、未知の世界へ飛び出さなくてもいい、という偽りの安心感を与えてくれること、ぐらいかな。
長い目でみたら、決してプラスに働くことはないのだが。
だって、「偽り」だもの。いつかは壊れる。



「人は変わるの」というタイトルは、元の英文記事で筆者のRajie Kabliさんが使った"People Change."をそのまま使わせてもらった。
彼女が元・友人と縁を切ることを決意した時の言葉、たいせつな事がギュッと凝縮されているので、ここに引用しよう。


I learned a lot from that friendship, but the biggest takeaway came when she reached out again and I just didn’t respond. Some may find that cold or harsh but I say it was the biggest lesson for me because I came to a deep understanding that this person is not meant to be in my life and it’s better that way. Saying no is okay. We serve neither ourselves nor others by holding on to stagnant or unfulfilling relationships.
彼女との付き合いから学んだことはたくさんある。でも、何よりも大きな気付きが訪れたのは、彼女の方から再度私に連絡してきた時のこと。私からは何の返答もしなかった。ただ放置した。 
「冷たい」「ひどい」と、私を責める人もいるだろう。でも、あれが無ければ、私にとって人生最大の教訓を得ることもなかっただろう。あの時、私はようやく心の底から理解することができた。「これ以上、私の日常に彼女を居座らせていてはだめ。離れた方がいい。」と。

「No」と言ってもいいのだ。腐れ縁と化してしまった人間関係や、心満たされない人間関係にしがみついていても、良いことは無いんじゃないかな、と思う。自分のためにも、相手のためにも。


もはや自分にとってのエネルギー源とならないような人間関係や、環境。
そこから立ち去ることは、決して悪でもなければ、「人でなし」な行為でもない。
逆に、立ち去らず、その場にとどまっていることを選ぶ方が問題を悪化させてしまうことがある...。



興味深いことに、人間の身体にもそのからくりがそっくりそのまま当てはまるらしい。
タイトルで既にネタバレしているが、


がん

が、まさに


「立ち去ることを選ばずに、その(腐りかけた)場所にとどまり続ける」



ことと深く関わっている病気だ...



という説を唱えている人物がいるのである。
言うまでもなく、その人物とは、既に本ブログで何度も取り上げているキャロライン・メイス(Caroline Myss)


「人は自分の部族のルールからはみ出して生きるのを嫌がる。
部族から追い出されることが怖いからだ。---キャロライン・メイス」



直観医療能力者(medical intuitive:他人の健康状態や身体エネルギーを直観で読み取り、病気の状態や原因を特定できる能力の持ち主。)としての活動を始めた1980年代後半から、彼女の主張は少しもブレていない。進化・発展はしているものの、基本的な主張はずっと変わらない、と言っていい。
お見事。



健康の創造―心と体をよい関係にするために
C.ノーマン シーリー キャロライン・M. ミス
中央アート出版社
売り上げランキング: 568,728

[筆者注:Myssは、「メイス」が正しい発音。また、シーリー博士の名前は、通常、Norm Shealyノーム・シーリーと表記されることが多い。] 





上の日本語版は、1988年発行の初版原本を底本としたもの。
1993年版の英語原書を見ると、記載されている症例の数が邦訳本よりもかなり多いので、できるだけ英語版を読み進めることにしている。もちろん、日本語版は常に傍に待機させているけどね。医学用語をいちいち辞書引くのが面倒くさいもんで(笑)。


彼女のエネルギー分析によると、いわゆる「がん家系」という言葉で表されるような遺伝的素質を別とすれば、がんを生じさせるのは以下の五つの心の在り方だ、という。


1.過度の恐れ(excessive fears) 
(例:金銭的な不安、「年金がもらえなくなるかもしれない」、病や死への恐怖、「配偶者が心変わりするかも」といった慢性的な恐れ...)

2.罪悪感(guilt feelings)
(例:過去の挫折や失敗の引きずり、家族や所属する集団の期待に応えられなかった後ろめたさ...)

3.変化に対応できない無力感(the inability to cope with change)
 (例:弱りつつある肉体への失望、年老いて下の世代に世話になることで感じる情けなさ...)

4.自己嫌悪/自己否定(self-hate or denial) 
 (例:「自分はダメな奴だ」という思い込み、「家族が第一。自分は二の次。」的な生き方...)

5.「未処理案件」(unfinished business) 
 (例:幼少時の虐待体験を引きずる、昔の恋人の裏切りを忘れられない...)

【※以上、訳語は「健康の創造---心と身体をよい関係にするために」 (C.ノーマン・シーリー、キャロライン・M.・ミス共著、石原加代子訳、中央アート出版社、1995 )中のものを使用。これ以降の引用も同じ。】


今や日本人の死因第一位となってしまった病気だけに、知人・親戚ぐるりと見回せば、必ずや一人や二人は、この病気と共に生きている人が見つかるはずだ。
有名人・芸能人のがん患者さんの近況を聞き、「こわいわ~...」「検診、行ってみようかな...」と、心がざわざわすることも多いだろう。
(特にここ数年、気持ち悪いぐらい増えているような...。)


今この瞬間にがん治療を行っていらっしゃる方々が、上の部分を読んで「ひどい!自分はこんな人間じゃないのに!」とご立腹されたとしたら、引用者としてそれは大変申し訳ない、と思う。
上の5つの項目に何一つ思い当たる節は無い、という方には、「こういう説を唱えている人もいるんですよ。全員に当てはまるとは限らないと思いますが、お気を悪くされたのであれば、ごめんなさい。」と、先におわび申し上げておきたい。



私の身内にも、過去にがんに罹って回復した人、また、現在がん治療中の人が何名かいる。
また、高校時代からの友人のお母様も、50代という若さで肺がんのためこの世を去ってしまわれた(家に誰も喫煙者がいないのに!)。初孫の顔も見ないうちに。
そんなこともあって、私は「がん」という病を、決して軽く考えているわけではない。
原因はどうあれ、がんに罹ったことで、苦しみの日々を経験されている患者さんには、「どうか一日も早く、病から治る力がもたらされますように。笑顔の日々がやって来ますように。」と、心からの祈りを捧げたい、と思う。



でも、そういう患者さんも、また、患者さんのご家族の方も、ここは少しだけ冷静になって、キャロラインの言葉に少しだけ耳を傾けてみて欲しい。
どこか、上に紹介した「人は変わるの。」の筆者が到達した、「腐れ縁からは離れろ。未知の領域へと踏み込むことを恐れるな。」の結論と重なりはしないだろうか。


「わたしのワークショップでは、参加者に自分がとてつもなく大きなチーズクロス(目の粗い薄地の布)



(https://www.amazon.com/Cheesecloth-Unbleached-Cotton-Filter-Reusable/dp/B015F11N54?th=1 より拝借)

だと想像してみるよう教えています。


理想的には、人生の一瞬一瞬で得たあらゆる感情や経験が、チーズクロスを通る風のようにわたしたちを通り抜けていくべきなのです。
 

わたしたちは何かを一瞬、一瞬に学んでいくわけですが、  
その学びを包み込んでいる容器(出来事、対人関係、境遇)は捨てていくべきなのです。 

これが理想的な在り方であることを、もう一度強調しておきます。 
ガンは死にいたる第1の原因ですが、それは、この理想的な在り方を実現することが恐ろしく難しいからです。
わたしたちは容器のほうにしがみつこうとして、学ぶことを無視し、避けようとするのです。」
(シーリー、ミス、前掲書、p.215)

これを読み、お釈迦様が説かれた、「筏(いかだ)」のたとえ話を思い出す人もいるかもしれない。
ガンジス川の向こうへと渡してくれた筏は、確かに良いものだ。
だが、いくら良いものだからと言って、川の向こう岸に渡ってからもなお、筏を手放さずに頭の上に担いでいるのは、一体いかがなものだろう。その場に捨てていくのが良いだろう...っていう内容。(←乱暴なぁ~。)




本書には、上の説明に続けて、タイプの異なるがんに罹った4人の患者のケース・リポート(症例)が紹介されている。興味を持った方は、ぜひ、中古本になるが「健康の創造」を何とか入手して、ご自分でお読みいただきたい。
好みのツボにはまれば


めちゃくちゃ面白い本


だってことは、この私(どの私なんだか)が自信を持って保証いたしますです。
まぁね、正直な話、自分の体調や症状と関係した部分を読むのは、少し勇気が要るのだけれど。



あ、でも、その前に、より入手しやすいこちらの本で予習してからの方が面白さが増すんじゃないかな。彼女独特の用語の使い方にも慣れておけるし。


チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
サンマーク出版
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2:31からの部分、西城秀樹の「ヤングマン(Y.M.C.A.)」サビ部分の振り付けと同じで、毎回見るたび身体が勝手に動いてしまう...(笑)。
これも一種の脊髄反射。

2016/10/05

「私だけの音楽」がもたらす、幸せ効果~映画「パーソナル・ソング」


今朝、Facebook上で流れてきた、とある記事にふと、目が留まった。



認知症の患者さんに音楽療法を施したその結果...といった感じの、なかなかそそられる見出しだったからだ。
子供の頃から今に至るまで、音の無い生活なんて考えられないほどの音楽好き。
しかも、身内にも数人認知症を患い、介護施設で暮らす高齢者がいる。
そんな筆者としては、この記事、どうしても見逃すわけにはいかなかった。



紹介されていたのは、2014年のアメリカ映画・"Alive Inside"(邦題「パーソナル・ソング」)制作へとつながっていった、とある認知症の男性を取り上げた動画だった。
日本語版が存在することを知らなかったので、まずは英語版の動画を見てみる。6分半ほどの短い動画だ。
2011年にアップロードされて以来、地味な話題であるにもかかわらず、5年間で200万超え、という再生回数を記録していることからも、反響の大きさがうかがえる。





今すぐ動画を見られない人のために、内容を簡単にまとめてみると...


認知症を患い、10年間介護施設で暮らしているヘンリーさん。

施設の人によると、普段は「Yes」「No」の一語文以外、言葉を発することはほとんどない、という。他人との交流にも無関心なようだ。


だが、娘さんによると、ヘンリーさん、若い時は大の音楽好きであった。
いつも家族の前で歌ったり踊ったりしていた、陽気なお父さんだったそうだ。街角を歩きながら名画「雨に歌えば」の一場面を真似してみる、なんてこともあったらしい。




そこで、音楽療法を研究する団体・Music&Memoryは、施設職員と家族からの協力を得て、ヘンリーさんが好きそうなジャンルの音楽をiPodにたくさん詰め込み、しばらくの間ヘッドフォンで聴いてもらうという実験を行った。



結果は誰もが驚くものとなった。 


常にうつむきがちで、他人が話しかけてもつれない反応しか返してこなかったヘンリーさんだったが、若い頃好きだった音楽がヘッドフォンから流れてくるにつれて、たちまち顔に生気が戻ってきた。

気持ち良さそうな鼻歌を交えながら、上半身を揺らして踊り始めるヘンリーさん。
最初は戸惑い気味で、うまく会話に乗れないかのように見えたが、質問者がYes-Noで答えられる簡単な文で話しかけるようにしてからは、彼の口から次々に言葉が飛び出してきた。

ビッグ・バンド・ジャズ時代のスターであったキャブ・キャロウェイ という歌手の歌が特に好きだったことも思い出し、お気に入りの歌のフレーズまで口ずさみ始めた。(なかなかお上手!)



「愛する気持ちが...ロマンチックな気分がわいてきた。
みんな、音楽を聴いて、歌を歌わなくっちゃいけないな。
だって、世界にはこんなに美しい、すてきな音楽があるんだから。
愛が...夢が...いやぁ、押し寄せて来るねぇ。感じるねぇ...。」



10年間、他人に心を閉ざし、娘の名前も思い出せなくなってしまった人の言葉とは思えないほど、前向きな言葉ではないか。

「人を瞬時にして純粋に幸せな気持ちで満たすことができる。」

これが、音楽という芸術の持つ、偉大な力。

高齢化社会が進む今こそ、われわれは音楽の力を見直す必要がある。人が幸せな老後を送り、そして幸せにあの世へと旅立つための一助として、音楽を大いに利用すべきである。

日本では2014年、全国のミニシアター系劇場にて上映されたそうだ。



(昨年夏、この世を去った神経学者・オリバー・サックスの在りし日の姿...。)



熱心な映画マニアでもない大部分の人にとっては、「知らないうちにひっそりと始まって、知らないうちにひっそりと終わっていた」類の作品、じゃないだろうか。
なんたって、横浜の小さな映画館・シネマ ジャック&ベティで上映されていた、ぐらいだもの。
(ここはいつも面白そうな作品をずらりと揃えているミニシアターなんですよ。里帰りの時に一回ぐらいは行きたいな~、って、毎年思うんだけど、なかなか、ね...。)


【参考記事:「はまれぽ.com」より
「横浜で、都心の『シネマテイク』や『シネマスクエア』並みの興味ある映画をやっている映画館はありませんか?」】



でも、見逃した人でも大丈夫。ちゃんとDVD化されていました!
品切れ・入手困難になる前に私も買おうっと。


パーソナル・ソング [DVD]
日本コロムビア (2015-05-20)
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詳しい情報は、配給会社の公式HPをどうぞ。
http://personal-song.com/


医療情報が満載の「Health Press(ヘルプレ)」に掲載された記事は、こちら


こちらの「安心介護」というサイトの記事では、映画の内容紹介とともにTwitterから拾った観客の声も含まれていて、とても参考になった。


特に、こちらのTweetには、首ブンブン振って同意!同意!と叫びたくなったほど。


すばらしい。
ネオRICHくまこさん(おぉ、レオナルド博士...!)、これ、至言です。
人が「音楽で癒される」ために、周囲の人がやるべきことは、まず、認知症患者さんお一人お一人の異なる嗜好にこちらから寄り添い、何が欲しいのかを汲み取ってあげること。
つまり、その人にとっての「パーソナル・ソング=私だけの音楽」を見つけ出し、そうした音楽と再会する機会を作ってあげること。
究極的には、音楽という芸術の力を借りて、個人的な体験を呼び起こしてあげること...。
まったく、その通りだと思う。



「療法」「セラピー」を自称するからには、ひと時の慰安体験以上の何か、つまり、一人ひとりの心がぐらぐらっと揺さぶられるような体験が欲しいところだ。
十把ひとからげの、「さぁ、みなさんご一緒に!」ではない、一人ひとりへのきめ細やかな働きかけがあってはじめて、個々人の魂の奥底に眠っていた生命力も目を覚ますのではなかろうか。


だって、一人ひとりの人生ドラマも、感動体験も、指紋のようにみんなそれぞれ違っているのだから。
「みなさんご一緒に!」と、効率第一で「まとめてしまう」というやり方は一番そぐわない領域なのだ。本来は。
(まぁ、実際、介護や医療の現場にいる方々に言わせれば、「だってそんな手間も暇も無いのだから、仕方ないじゃないか!」となるのでしょうが。...もちろん、それは理解できます。
理想は理想、現実は現実。厳しいですよね...。)



となると、後はいかにしてその人材・戦力を確保するか...という問題が生じてくる。
これは、上にもリンクを貼っておいた音楽療法ボランティア養成・ならびに派遣団体であるMusic & MemoryのHPを後からじっくりと読んでみることにしよう。
日本でも似たような活動がどんどん広まるといいなぁ。
音楽が大好きで、時間と熱意のある一般市民が少しでもそうした取り組みに興味を持ち、地域の小さな灯火(ともしび)となって、思い出を失いつつある人たち一人ひとりの心をあたためていけるようになればいいな、と思う。



原題は"Alive Inside"(内面は生きている)というこの映画。


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邦題に「パーソナル・ソング」(一人ひとりの歌/曲)という表現が選ばれたのは一体なぜなのか、と少し考えてみればいい。
音楽療法に何が必要なのか、どんなアプローチが望ましいのか、映画制作者側がたどり着いた結論はおのずから明らかになるのではなかろうか。



内側から、心揺さぶられるような、「私だけの音楽(パーソナル・ソング)」との再会。
それがあって、はじめて、眠っていた思い出や、自分らしさや、言いたくても言えなかった言葉が意識の表面に浮かび上がってくるのだ...



制作陣が訴えたかったのって、多分こういうことじゃないかな。
他にもメッセージはいろいろ詰まっていると思う。家族みんなで楽しめるように、まずは日本語版DVDを注文し、見てみなくっちゃ。



とりあえず、公式HPの映画紹介文を締めくくる質問を、自分に、身内に、友人に投げかけてみよう。


「自分にとってのパーソナル・ソングは何だろう?」


その答をきっかけに、相手の意外な一面がポロリと見えてくるかもしれないし、ひょっとしたら「あの時、思い切って聞き出しておいて良かった!」とありがたく思える日がいつか来る...かもしれない。



で、私自身の「パーソナル・ソング」は何か、と問われれば...


今日のところは、これ。
1980年代、北イングランドのヨークシャー地方出身の叙情派バンド、プリファブ・スプラウト(Prefab Sprout)の、"A Life of Surprises"を選んどきます。
心のツボ(時に、涙腺も)を刺激してくれるような歌詞やメロディを生み出すことにかけては、ほんと、天才ですよ。ヴォーカルのパディ・マクアルーン(Paddy McAloon)って人は。私の中では、ダントツのナンバーワンです。






歌詞全体は


(...) 
Never let your conscience be harmful to your health
Let no neurotic impulse turn inward on itself
Just say that you were happy, as happy would allow
And tell yourself that that will have to do for now


Darling it's a life of surprises
It's no help growing older or wiser
You don't have to pretend you're not crying
When it's even in the way that you're walking
Baby talking


Never say you're bitter Jack
Bitter makes the worst things come back


(前略) 
身体が壊れてしまうまで 「いい子」をやってはいけないよ
神経症的な衝動を 自分の中へと向けてはダメだ
ひたすら言うんだ 「幸せだった、最高に幸せだった」って
そして自分に言い聞かせるのさ ここらでひとまず幕引きだ、って

ねぇ君 人生なんて所詮サプライズの連続さ
年を取っても 賢くなっても どうにかできるってものじゃない
泣いてなんかいない そんな振りなどしなくていいよ
たとえ歩くときに 涙が邪魔になるとしてもね
子供扱いするような物言いになるけど


辛いなんて弱音は吐くなよ ジャック
弱音ばかりじゃ 最悪の状況がまたぶり返すから

A Life of Surprises: The Best of Prefab Sprout
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パディ・マクアルーン、網膜剥離のために視力を失ったばかりか、メニエール病から来る耳鳴り悪化のために、聴力まで損なわれつつある、という。何という悲劇だろう。
どうか、何があってもパディには強く生き抜いてもらいたい。家族に囲まれて幸せに過ごして欲しい。
あなたの歌に支えられて辛い時期を乗り切った私たち世界中のファンが、今度はあなたのことを応援する番です。



あなたの毎日が平和なものであり続けますように。
私たちは祈り続けます。