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2017/01/26

【閑話】人はみな、それぞれの物語を背負って今ここに。【休題】

Facebookで禅についての話をしていた時、ふとこのセリフを思い出した。
もう9年前になるのかあ。




「あなたと違うんです!」

誰もが密かに心の中で一度や二度はつぶやいたことのある一言を、つい、ポロッとマイクの前で出してしまった福田元首相。
記者団の質問についカチンと来て、うっかり本音が漏れたのだろう。


みんな、当時はさかんにこれを笑い、呆れた口調で語っていたけど、実は「他人事じゃないな。場合が場合なら、自分だってやりかねない。」という複雑な思いで見ていた人も多いのではないかな。
少なくとも、私はそうだった。
あの手のゴーマンかましちゃいました発言、脳内では昔から今の今に至るまで結構頻繁にやっているように思う。
ただ、口に出して人前では言わないだけだ。罪深さは同じである。


「覚醒」

「マスターからの瞑想伝授」


「チャネリング能力が花開く」

といった甘い言葉に釣られて、不当に高い金をぽんぽん払っちゃうような消費者が後で泣くのは、ある程度仕方ないこと。自業自得だ。
今回だけは授業料だと思って諦め、次はもうちょっと考えてから、必要とあらば信頼できる人の意見を聞いてから、事を起こすようにすればいい。
(金が余って余って使い道に困る?だったら、ご自由にどうぞ~。)



でも、何でそういうビジネスに引っ掛かるか、と考えたら、全ての根っこにはこの


「あなたと違うんです」

を外の世界にアピールしてくれるような《何か》



を求めずにはいられない、という人間のしぶとい欲望があるせいだ、思う。



みんな、人より頭ひとつ分出たくって、自分のことを差別化したくってたまらないのだ。


それは、最近流行りの言葉を使うと、「マウンティング mounting」せずにはいられない、という欲望にも簡単につながる。
見栄っ張りの女性集団、例えばちょっと競争心の強い幼稚園ママ友グループなんかではしょっちゅう見られる光景らしい。
おお、こわ。


【参考記事: 
日経WOMAN「女性同士のイヤな感じ、正体は「マウンティング」 】


この「あなたと違うんです」とつい言っちゃう/思っちゃう、本能的な衝動。



どうやったら、コントロールできるんだろう。
どうやったら、湧き上がらないようにできるんだろう。
どうやったら、「他人と比較する」ことをやめられるんだろう...。



しばし考えて、今、ヒントらしきものがふと浮かんだ。



車なんて基本的にちゃんと動いて、燃費が良くて、目的地まで安全に行って帰って来れれば100点満点。そう私は考えている。
今乗っているのは、8年前に買った日産の小型ハッチバックで、まさに100点満点の車。だから、買い換える予定なんて無い。最後の最後まで大切にするつもり。



車へのこだわりなんてゼロ、の人間だから、誰がベンツに乗ろうが、BMWに乗ろうが、革張りシートの最上級グレードの車に乗ろうが、
「ああ、車が好きで、そこにお金をかけたい人なんだな。」
って思うだけ。
値段なんてぜ~んぜん気にならない。というか、よくわからない(笑)。
これまでの数少ない経験から、高級車のシートは確かに乗り心地抜群、と知っている。長時間ドライブをよくする人だったら、身体への負担を考え、たとえ多少高価であってもどうしても上位車種が欲しい、と考えるのも理解できる。



あるいは、その人か、その人のパートナーがその特定の車種に若い頃からずっと憧れていたのかも。
今、ようやく金銭的にも余裕が出るようになり、遂に購入へと踏み切ったのかもしれない。めでたく夢をかなえたわけだ。
勝ち組と見られたいから、ベンツに乗る...なんて薄っぺらい人ばかりじゃないのだよ、世の中は。


それなりの理由があるから、
今こうなっている。


一つ一つの選択の背後には、
その人だけが知る、
その人なりの理由がちゃんとある。



そう。この、「選択ノ背後ニ理由アリ」という部分に思いを馳せるだけの想像力を奮い起こすことが、今、私たちに強く求められているんだと思う。



表面に出ている現象だけを見て、

「なにあの人、金持ちぶっちゃって。」
「だんなさんが医者だからって鼻にかけてんじゃないわよ。」
「○○大学出たのに、その程度の会社に勤めてるの?」
「(タワーマンションの)2階? 安いからそこしか買えなかったんでしょ?」


と言い放ってしまう人の内側では、次のような流れが起こっているはず。

「人と自分との浅薄な比較

--->気に食わない『異物』、発見

--->脊髄反射 
(何も考えない。本能だけでガバッと動く。)

--->「あぁ、ムカつく!」「凹ませてやりたい!」


脊髄反射とは、本能そのまま、原始動物時代から受け継がれてきた部分が丸出しといった感じでとっさに出てしまう反応のこと。
高度に発達した生き物(人間のような。)にのみ与えられたすばらしい才能である「想像力」と共存共栄させていくのは、なかなか難しいかもしれない。
どちらか一方に偏らねばならないのだったら、より洗練され、より有益なはたらきだと誰もが認める【想像力】を選ぶべき。
本能そのままに敵意むき出しな生き方をしていては、心安らぐ人間関係なんて築けるわけがないのだから、いつか必ず行き詰まる。


上に挙げたような一連の脊髄反射のパターンが対人関係の中ですぐに出てきちゃうような人々、あなたの周囲にいないだろうか。
もし、思い当たる誰かがいるのなら、その人(たち)からは勇気をもって距離を置くようにした方がいいだろうね。
時間も、エネルギーも、その人(たち)には知らず知らずのうちに随分と吸い取られているはずだから。


一人になるのは怖い。
その気持ちはよくわかる。(かつての私自身がそうだった。)
でも、時間泥棒・エネルギー泥棒同然の人達から離れることができれば、自分ひとりで過ごす時間という素晴らしいごほうびが手に入るのだ。
その時間を使って、「これがあるから生きていける」「これがあれば幸せ!」と言えるような興味・関心事、もしくは打ち込める仕事を探せばいいじゃないか。
その方が、どれだけ身も心も豊かな気持ちになれるかわからない。


長いようで短い人生。
どうせ一緒に過ごすなら、「良い人でありたい。今日はイマイチでも、明日こそは良くなりたい。」との心掛けで生きている人と過ごした方が、得られる喜びが大きいのだから。
もし、今その場所で、そのような人が見当たらないのであれば、「まぁいいさ。縁があればそのうち出会うだろう。」とどっかり構えて、そして一人でなきゃできない何かに打ち込めばいい。
本、音楽、映画、美術、工芸、写真、釣り、スポーツ、ヨガ、山歩き、寺社巡り、下町散策...など、一人で自由に動き回れるからこそ楽しめる何かを探しに行こう。
他人がいても、いなくても、自力で幸せの種を見つけられる人になろう。


ひとつの集団がどっぷりと浸かっている無意識の悪癖は、薬物中毒にどこか似ている。
自分一人が「よし、手を切るぞ。二度とやるもんか。」と頑張ったところで、また「ね~、行っちゃうのぉ~?もうちょっと一緒にいようよ~。」と後ろから引き留められると、つい、ズルズルと付き合ってしまうからね。なかなか断ち切るのが大変。
朱に交われば赤くなる。昔の中国の人はうまいこと言ったもんだ。


「あいつ、気に食わない」となったら、たちまち悪口大会が始まり、その人のことを「共通の敵」へと仕立て上げて、自分たちは「共犯者」としての結束を固める...。
そんなことに時間も、エネルギーも費やして、面白い?
そんな話ばっかりして、幸せ?
モヤモヤするばかりの人間関係なんて、切っちゃえ。スルッと逃げちゃえ。
(悪口は、お口もお顔も心も歪みます♪しかも年取ったら直したくってももう直りません!)


もし、そういった「仲間」と距離を置いた後も、自分ひとりでいて、誰かの行動を見た瞬間に心がざわざわっと騒ぎ、即、脊髄反射だっ!って流れに飲み込まれそうになったら、まさにチャンス到来、だ。
自分を鍛えて、よりまっとうになるための絶好のトレーニングの機会がやって来た、ととらえればいい。


で、

「目の前にいる人のこの行動も、
それなりの理由があってしたこと。
背後には何らかの物語が、ある。
表に見えている材料だけで、即、決め付けないにしよう。」


と、言い聞かせるといいよね。何度も、何度も、繰り返して。


「どんな人の背後にも、物語がある。
なぜその人が今あんな風なのかにも、理由がある。
誰かをこき下ろしたくなったら、そのことを考えてごらん。」



そういう訓練を人知れず繰り返すように努める人が一人でも、二人でも増えていけば、私たちが生きる社会も少しずつ変わっていくかもしれない。



...まぁ、それが簡単に出来るようなら、世の中っはとっくの昔にもっと平和になっているはずだけどさ。
(そもそも私自身が全然できてないもの。
だから、こうして文章に記すことで自分に暗示をかけているのだ。「もうやるなよ!」って自戒の念で書いてるんですよ。)



私のエニアグラムの師匠である故ドン・リソ(ドン・リチャード・リソ)先生が、来日された時、教え子にアドバイスを求められ、こうおっしゃったそうだ。



【反応(reaction)】に気を付けなさい。


【過去記事:ドン・リソさんの夢〜「置かれた場所で咲きます」宣言 】
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/08/blog-post.html 


...何も考えずにバババッ!と口から出してしまう、或いは心の中でつぶやいてしまう脊髄反射的なひとこと。
これでもって人生を狂わせてしまわないよう、気をつけなければ。


とっても難しいことなんだけどね...。何度も言うけど。


心と頭をクールダウンして、まっとうな思考の働きを活発に保っておきたいのなら、やはり瞑想、坐禅のような身体を巻き込んでの訓練を日頃から地道にやっていくしかないんだろうな。

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せっかく詳しい方に推薦していただいたのに、中古本のお値段がた、高い...。復刊されないかなあ。


ヨガの後にやる瞑想だと、どうも自己流に陥ってしまっていけない。

妙なスピリチュアル・ファンタジー系(内容ですか?まぁ、その、スピリットガイドとか、ハイヤーセルフとか、守護天使とか、そっち系統ですよ。あぁ言っちまったよ。恥ずかし~。)に走ってしまいがちで、こんなんでは非常にまずいと思い始めている。
何とかならないかなあ。
変な癖、無くしたいんだけど、一人ではなかなか...。


アメリカ人のやってる禅センターも近くにあることはあるんだけど、うーん、何だかなぁ、って感じ。
(当地の禅センターには日本人のお坊さんは常駐していない。サンフランシスコのような大都市じゃないからね。)

あんなに豊かな漢字の世界、シンプルだけど実に味わい深い仏教用語の世界を知っている日本人が、わざわざ英単語で禅を説明される、ということに物凄く抵抗がある。

Satori(サットォーリィ←"r"の音が効いた発音で。)なんて言葉を耳にするの、やだもん。
(だったら、インドから来たヨガを白人系アメリカ人の先生に教わっていることについてはどう説明するんだ。←自分でツッコミ入れてみる。)


去年は時間が無くて諦めたけど、次に日本に帰った時は、必ずどこかの坐禅会に行くぞ!
(継続して行ければベストなのだが、海外在住者ではそりゃ無理というものだ。)


臨済宗・黄檗宗の坐禅会情報:
http://www.rinnou.net/cont_02/zen_info.html


曹洞宗の坐禅会情報:
http://www.sotozen-net.or.jp/searchsystem_zazen


憧れの方・P.A.様も、数年前の長期休養中には京都の禅寺で坐禅なさったんですものね。新作、今からとっても楽しみです。


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新作、遂に2月17日発売です。予約受付中!
モーツァルトとシューマンの「ファンタジア(幻想曲)」集。
シューマンの方はシーモアさんが映画のラストで弾いた、あの第三番も入っています。

...それにしても、なんと素敵なお姿なのでしょう...。(*゚∀゚)=3ハァハァ.

(もし、坐禅会に行って、こういう方が隣にいらっしゃたら、もう、鼻血ブー・心臓バコバコ状態で、とても坐禅どころじゃなくなると思うな~。警策...きょうさく...でひっきりなしにビシッ!バシッ!と打ってもらわないことには、1時間持たないかもしれない...。  
これから先、いつかどこかでP.A.様にお目にかかれる機会に恵まれるのであれば、坐禅道場やヨガの教室以外の場所がいいかなー。 ←この不届者。一体何を期待してやがる。

※ちなみに、私が2015年の夏に参加した曹洞宗大本山・總持寺の坐禅会では、「手を上げて合図した希望者のみビシッ!」でしたよ。 なので、怖がり屋さんでも安心して参加できます。
總持寺HP 参禅のご案内http://sojiji.jp/zenen/sanpai/sanzenkai.html )


福田さんの「あなたとは違うんです」を何度も聞いていたら、なぜか突然このヴィンテージなCMを思い出してしまった。
ああ、昭和。





福田さん、あの突然の辞任会見以降、ほとんど政治の表舞台に出られなくなってしまったような気がする。今思うに、「あなたと違うんです」のあの一言って、このCMの「コレ(小指)」級の破壊力があったな。後世に残る名ぜりふだった。

2017/01/22

(5時間目の昼寝常習犯)師岡さんと、大人のための古文【再】入門 その弐

(その壱 からの続き。)

午後の授業はお得意の野球談議から。
それが、国語科のY口先生のシグネチャースタイルだった。入学以来、3年間ずっとお世話になった。
(もっとも、話の9割は先生が熱烈に愛してやまない横浜大洋ホエールズで占められていた。前日の試合で繰り広げられた数々のドラマ、もしくは「次こそは期待できる」といった応援演説の類に終始。ホエールズ話の合間に、チョコチョコと巨人下げ~⤵の話が入り混じる...というフォーマットは、われわれが卒業するまでずっと変わらなかった。)


温厚なお顔の印象そのまんまのお人柄だったY口先生。
円やかで慈悲深く、生徒達からも大変慕われていた。
あいにく、肝心の授業内容の方はほとんど覚えていない。
文法のプリントをよくもらったような気はするのだが...記憶はそれだけ。


Y口先生、ホントにごめんなさい。
決して悪気があったわけじゃなかったんです。
劣等生は劣等生なりに、先生のことを心憎からず思っていたんですよ。
でなきゃ、30年経った今でも、野球なんて全く興味が無いこの私が、授業の「マクラ」であった大洋ホエールズにまつわるよもやま話なんか覚えていませんって。
先生が、同僚のN倉先生(現代文の先生!)と一緒にお書きになった問題集を、卒業後20年以上経ってからわざわざアメリカから取り寄せるなんて酔狂なこともしませんって。

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(絶版になってしまったようだけど、社会人の人でも脳トレ本・教養本として充分使えますよ。
もし手に入るのであれば、おススメ!)

...いつか学年全体の同窓会でお会いする機会があったらY口先生にはきちんと謝らなきゃな、って思う。
そして、30年後の今、はじめて古文の面白さに目覚めて頑張ってます、ってことだけは何としてもお伝えしなければ。
少しは罪滅ぼしができるかな。


それにしても、高校時代ずっと、居眠りにかまけて古文の授業の大半を聞き逃したツケ。
これは実にデカかった。
後からじわりじわりとボディーブローのように効いてきては、私を長年にわたって苦しめることとなる。
(←「ボディーブローのように」。これ、ボクサーでもない自分がよく言うわ、といった感じの陳腐な言い回しだよね。単なる受け売り表現ってことでひとつヨロシク。)


高校3年生の秋。
入試本番がもうすぐそこに迫っているというのに、古文の読解問題では依然としてろくに点が取れないという状態が続いていた。
人一倍鈍い私も、これにはさすがに焦り始めていた。
今思うに、全ての元凶は「頭に貯蔵されている知識の量が圧倒的に不足して、しかもその一つ一つが壊れている」こと。
これに尽きる。
だが、当時はそれが全く見えていなかったのだ。(トホホ...。)


どのようにして毎回テスト問題を解いていたのだろう。
改めて振り返ってみると、こんな感じになるだろうか。


まず、問題用紙が配られると、文章をざっと読む。
そして、比較的自信があった文学史問題だけを一番最初に片付ける。
それから何回か本文に目を走らせながら、何とな~く意味のわかる(と、錯覚していた)単語を拾い出し、文脈にうまく合うような意味(それが正しい訳語かどうかはきわめて怪しい)が浮かび上がって来たら、何とかそれらの訳語をつなぎつつ、文章全体の言わんとしていることを推理してみる。
で、自分なりにどうにかこうにか辻褄を合わせ、「いかにもこうなりそうな」流れを勝手に自分でこしらえ、それでもなおわからない場合は当てずっぽうでも仕方ない、と諦めてとにかく解答欄を埋めていく。


こりゃ、へっぽこ霊能者がやる、的中率の恐ろしく低い「サイキックリーディング」(コールドリーディング?)とどっこいどっこいだわ。
だから、読みが大きく外れ、意地悪だけどもデキる出題者が仕掛けた罠にまんまとはまった時などは、そりゃもう、悲惨。
目も当てられぬほどの結果となって返ってくる。(何度やったかわからない。)


さすがに古文読解問題には通用しないだろーよ、サイキック・マジックは。

そう。
私の場合、頭に入っていて、武器として使える古文知識の絶対量が、何と言っても少なすぎた。
当たり前だ。全然勉強していないんだから。
覚えようと、理解しようと、努力していないんだから。
もし、ごくわずかではあるが、頭に引っ掛かっている単語や文法事項があったとすれば、それは単なる


点



と



点


でしかない。



そうした「点」のような不完全な知識が、ポツン、ポツン...と離れ小島同士のようにただ海面上、つまり意識上に時々顔を出していただけ、だ。
離れ小島と小島をつなぐ「線」など、一切存在しない。
だから、その「線」がいくつもまとまって一つの大きな知識体系(この場合、古典文法)を作り上げ、頭の中にしっかりと根を下ろしてぐんぐん成長していく...
なんてことも100%起こらない。
当然だ。

http://travelingyourdream.com/?page_id=2976

ただテキトーに何の脈絡も無く、ポツンポツンと脳内に置かれているだけの、壊れかけてボロボロな知識の断片。
それを寄せ集めたところで、「使え」るわけがない。
海外旅行用に「一週間で覚える旅行会話・フレーズ」なんてタイトルの本を買って、国際線の飛行機の中で数時間ばかりゴニョゴニョ音読練習したところで、その言語の達人になれるわけがない。
古文読解だって、それと同じだ。



だから、試験にこういう文言が出てくると、当時の私は瞬時にしてフリーズし、頭の中が真っ白になっていたものだ。


...完了の助動詞「たり」の活用の型は、って? 
(ラ行変格活用=ラ変型、です)

...助動詞「べし」の異なる意味・用法って? 
(す・い・か・と・め・て=推量・意志・可能・当然・命令・適当)

...係助詞・副助詞の代表的な例を挙げよ?
(係助詞=は・も・ぞ・こそ・なむ・や・やは・か・かは/副助詞=すら・だに・さへ・し・しも・のみ・ばかり・まで・など)

...この歌で使われている縁語を抜き出せ、って? 
(解答例:「くむ(汲む)」と「石清水」の「清水(しみず)」が縁語関係にある。)



...知らないよっ、そんなの!!!  
ずっと寝てたから、覚えてないんだってば!!!


ごくごく例外的に、

「~ましかば まし」
(意味:もし~だったら、...だろうに。/英語の仮定法に相当する表現。)

なんて、響きの愉快なフレーズが断片的に頭の中に入って来たケースもあったことはあったが(CMの文句と同じで、そういうのだけは即、覚える)、所詮小ネタは小ネタ。得点源にはならない。


もし、タイムマシンがあって、今、高校生だった頃の自分に会えるのであれば、「おぅ、古文舐めんじゃねーよっ!いい加減に気合入れろよ、気合っ!!!」と、凄みをきかせてきつーく叱ってやりたい。
あの頃の自分がいかにたるんでいたかは、英語学習に話を置き換えてみればよくわかる。

【中学1年生程度の貧弱なボキャブラリーしか持たない子。 
 「今度ね、英検準1級受けるんだ。合格すればラッキー☆彡」などとふざけた事をほざいているが、何の準備もしようとしない。】

古文に関して言えば、当時の私はまさにその大胆過ぎて玉砕必至!の中1レベルでずっと足踏みしていた。
まぁ、その後、無事大学に滑り込むことができたのだから結果オーライ、ドンマイ!なんだけどさ...。
喉元過ギレバ熱サヲ忘レル。


あれからほぼ30年。
(きみまろ節の「あれから40年。」調で感慨深げに読んでね。)


ある日のこと、こんな年(40代後半)になっても、いまだに
「古文だめなんです。」
「古文は苦手でずっと避けていまして...」
と、ぶざまな言い訳を連発しては、問題から逃げ続けている自分の後ろ向きな生き方に、ほとほと嫌気が差した。
このまま死ぬまで同じセリフを繰り返していくつもりなのか。
そんな自分を情けなく思わないのか。
しばらくの間、自問自答し続けた。


で、遂に決心する。


大人のための古文、【再】入門しよう


って。


立ち上がるきっかけをくれたのは、この本だ。

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時は2014年の春。
「エイブラハムとかいうイタコ霊言ショーが猛プッシュする『引き寄せの法則』にしても、E.T.に似てなくもないエックハルト・トールとかいうドイツ人が大手メディアと結託して世界的に広めようとしていた『悟り系いまここ』にしても、どいつもこいつも胡散くさい奴ばかり。
もう、現代モノなんて懲り懲りだ。自分の見る目の無さには、それ以上にうんざりだ。」
そんな暗~い、自己嫌悪全開気分の時に偶然出会ったのが、映画「禅 ZEN」だった。


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映画を通じて道元禅師さんという素晴らしい霊的指導者の存在を知った私は、もっともっと禅について知りたい、お釈迦様の教えについてもっともっと知りたい!との思いを強くしたのだった。
参考過去記事:【映画「禅 ZEN」:ただ坐る。ただ生き抜く。】

道元さんご本人の手による「正法眼蔵」の方は相当難解そうで歯が立ちそうにもない。
下の本は電子版で買ったけど、案の定「そのうちね...」のカテゴリへとすぐさま押しやられ、Kindle端末の中で1年以上ほこりをかぶっている。
古文ではなく、れっきとした現代語訳であるにもかかわらず...。

現代文訳 正法眼蔵〈1〉 (河出文庫)
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昨年末に出たひろさちやさんによるこちらの「NHK・100分de名著」テキスト


道元『正法眼蔵』 2016年11月 (100分 de 名著)

NHK出版 (2016-10-24)
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(親切で良い本だと思いますよ♪)
をざっと一読してみても、その印象は覆らなかった。
ひろさんが穏やかに、優しく嚙み砕いて解説してくれればくれるほど、「...いや、本物はこんなもんじゃないだろうよ。『正法眼蔵』の原文が富士山の頂上だとしたら、この本やテレビ番組で紹介されていることは車で楽々行ける、五合目辺りのパーキングエリアレベルなんじゃないか」と、ひねくれた感想ばかり抱いてしまう。
なので、今はとても「正法眼蔵」に手を出す気になれない。たとえ現代語訳であっても。
まだ機は熟していない、って気がしてならないのだ。



でも、弟子・懐奘(えじょう)の手による、「正法眼蔵随聞記」の方だったら?
師・道元の教えを聞き書きした本、という体裁を取っている。問答形式だ。
こちらなら、ちょっとだけ頑張ればどうにか手が届きそうだ。
この一冊だけはどうしても自力で、原文そのままで読んでみたい!と思ったのである。
鎌倉時代の文章だから、平安期、たとえば「源氏物語」などの文章よりはよっぽど読みやすいけど、それでも「点と点」のお粗末極まりない古典知識しか持ち合わせていない古文劣等生にとっては、かなりのチャレンジだ。


特に、高校生時代にしっかり理解していなかった助動詞「べし」。
この一言が文の中に出てくると、頭の中が途端に全てがフリーズし、思考停止状態になってしまう。
「べからざるなり」なんてつながりが出て来た日には、もう、絶対、ダメ。本を閉じて、逃げたくなってしまうほどだ。
(まぁ、古文だけでは太刀打ちできない部分も多いので、いずれ漢文もざっとおさらいすることになると思う。課題、なかなか減らないな~。)

正法眼蔵随聞記講話 (講談社学術文庫)
鎌田 茂雄
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一生読み続けていきたい一冊。鎌田先生の謙虚で誠実なお人柄が行間から伝わってきます。



続きは「その参」で。

2016/09/08

嘘つきは、自己愛人間(ナルシシスト)のはじまり。

キャロライン・メイス(Caroline Myss)。


今、6枚組CDセット”What Makes Us Healthy?”(人はいかにして健康になれるか...←意訳。)の3枚目を聴いている。





いや~、このおばちゃん、とことん「ブレない」ですね。清々しいほど。



嫌われても、叩かれても、そんなん知るか!って感じでズンズン我が道大股歩きしちゃってる。
岸見一郎さん(アルフレッド・アドラーの心理学をわかりやすく説明した著書を多数出されていることで有名。)流に言えば、
「嫌われて大いに結構!(おぉ、晩飯食うな!)」という決めゼリフが見事に決まる、勇者の中の勇者ってところだなー。


(「バカで結構、晩飯食うな!」という、人からバカ呼ばわりされた時に昔よく使っていた応酬言葉。 あの〜、ひょっとしてこれ、神奈川方面でしか使われていない「ご当地表現」なんでしょーか!?)



嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健 
ダイヤモンド社 
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アドラーせんせい、こ、これはもしかして仮面ライダーV3の変身ポーズでわ???

(加藤諦三先生がゲストの回で「人に好かれたい病」を告白していた大竹まことさん。
両親ともに有名芸能人ということで、陰ではいろいろと苦労もあったであろう辺見えみりさん。
岸見さんの誠実な語りによってお二人の素顔がうまく引き出された良い対話でした。)



とかく自分を甘やかし過ぎ、憐れみ過ぎ、特別扱いし過ぎな現代のわれわれ。

こうした甘ちゃん連中の性根を徹底的に鍛え直し、「ナルシシズム(自己愛)の害毒」から引き離してやるわよ、とばかりに、またもや鬼軍曹キャラを遺憾なく発揮しているキャロライン。
今回のCDでは、ブッダ(お釈迦様)の言葉や、「すべては幻」に代表される仏教の教えにかなり接近しているといった感じ。



「癒された~い」 「慰められた~い」



と期待した人、1枚目のCD開始から10分も経たぬうちに激しく後悔するはず。
(その手の人による怒りの一つ星レビュー、Amazon.comにいくつも掲載されてますね。これも、キャロライン・メイスにとっては「いつものこと」。想定内ですよ、想定内。)




彼女曰く、こうした自分甘やかしが特徴の「ナルシシズム(自己愛)」からいつまでも抜けられない人の生育史を発掘していくと、たいていの場合、6~7歳辺りの子供時代に、



「本当は真実を言いたかったんだけど、何らかの事情で言えなかった」 
「正直に白状することもできた。なのに、つい心が弱くなって嘘ついてしまった」


といった、


「真実」 「嘘」

の境界線を曖昧にして、自分の心の声を押しつぶしてしまった...という実体験が見つかる、という。



嫌われたくなかった。
親が怖かった。
自分一人だけ悪目立ちするのがいやだった。
...など、嘘をついてしまった理由はさまざまだが、


【真実を言い出せなかった】


という、6~7歳での決定的な体験がきっかけとなって、人は


【自分かわいさゆえに、保身に走る】


という逃げの態度を身につけてしまう、ということらしい。
人生のどこかで「これじゃダメだ」と気付いて、矯正しようと意識的な努力をしない限り、大人になっても「自分は悪くない、悪いのは他の奴らだ。世間だ。会社だ。何で自分ばかりがひどい目に遭うんだ~!」といった泣き言ばかり繰り替えすようになるのだ、という。
(これ、あくまでもキャロライン・メイス説ですからね、念のため。)



アメリカ合衆国初代大統領・ジョージ・ワシントンの、あまりにも有名な
「すみません。僕が桜の木を切りました。」というエピソード。
(もっとも、現在ではあれは一種の「都市伝説」だ、との見方が有力なようだが。)
逸話では、ジョージ少年が厳しい父の前で「辛くても、真実を語ろうと勇気を振り絞った」とされるのが、7歳の時だった...と伝えられている。
「嘘=保身に走るか。それとも、真実=勇気を選ぶか」という、人生の大きな分岐点に差し掛かった6~7歳の小学校低学年児童に、


「嘘はだめです。
たしかに、真実はこわい。
でも、勇気を振り絞って真実を選べば、最後には必ず報われます。」


という教えをわかりやすく伝える道徳説話として「使える」ことが長年の歴史で証明されてきたからこそ、アメリカのみならず世界中で語り継がれる逸話となったのだろう...



以上、キャロラインおばさんによる仮説でした。



ここから先は私自身の勝手なつぶやき。CDの内容からは少し離れること、あらかじめお断りしておく。




6~7歳。
幼稚園年長から小学校入学にかけての、「【仲良し】と、【それ以外】の人間関係がそろそろ固まってくる時期」だよね?
【自分】と【他者】の力関係を天秤にかけて、「あぁ、今までずっと自分は『世界で一番エラい』なんて思っていたけど、実は自分なんて大したことない、つまらない存在なんだな。本当にエラいのは、【他者】だの方だった...。」
という、辛い結論に到達する子もいるかもしれない。


となると、この6〜7歳という時期を境目として


「仲間ハズレにされるのが怖くて...」 
「一人だけ目立ちたくなくって...」 
「ママの喜ぶ顔が見たくって...」


といった理由に駆られて、やむなく「嘘デビュー」を飾らざるを得ない子供たちがうじゃうじゃ出てきても全然おかしくはない。
最近の言葉で言うならば、「同調圧力に負けて」の嘘デビュー、ってことかな。



嘘自体が絶対的に悪い、と、聖人君子ぶるつもりはない。
目の前の人を傷つけたくなくって事実を曲げて、本当ではないことをつい、言ってしまったことは誰にでもあるはず。もちろん、私にもある。
英語でいう"white lie"といった類の嘘は、なめらかな人間関係をキープする上ではある程度避けては通れないものだ、と思う。



恋愛が絡む場面となると、誰でも嘘の一つや二つはついた(あるいは、「つかれた」)苦い思い出があるんじゃなかろうか?
「いいえ、無いです!(キッパリ!)」と断言できる方がいたらいたで、それは素晴らしいですがね。これからも正直街道を驀進していただきましょう。


デモ、イルノカナ、ソンナヒト…。





(リソ&ハドソン両先生によるエニアグラムの本で一番嬉しかったのは、Fleetwood Macの「元祖・美魔女」スティーヴィー・ニックスStevie Nicksと、元ユーリズミックスのアニー・レノックスAnnie Lenoxが自分と同じタイプに分類されていたこと。
ええ、どうせ単なるミーハーですよ。)




問題となるのは、それが恒常化してしまった時。
「こんなの、『プチ嘘』だよ。そう言う以外に仕方が無かったんだ。大したことじゃないさ。」と、悪いことしても自分を正当化するのが当たり前になってしまい、後ろめたいという気持ちも起こらなくなってしまう。

そこまで善悪の感覚が麻痺してしまうと、あらゆるシチュエーションにおいて


自分をごまかす


 という行為に、何の迷いも疑いも持たないような思考回路が固まってしまう。
同時に、どこまでが自分の奥から出てきた声で、どこからかが【他者から刷り込まれた内容】なのか、線引きする能力も衰えていってしまう。
善と悪。
自分の願望と他者の願望。
これらの区別がつけられないのであれば、人生が徐々につまらないものとなり、 生きる喜びを味わうことも難しくなっていくに違いない。


かくして、

自分は悪くない。自分は可哀想。
こんなひどい目に遭わされたからには、見返り貰わないと割に合わんわ。

といった発想にすぐ逃げ込みたがる【自分が一番かわいい!】ナルシシズム/自己愛人間が作られる……。
キャロライン・メイスによると、そういうことだ。



アメリカ人はどうだか知らないけど(高い離婚率と何らかの関係はあるのかも)、日本人って、それほど親しくない人々との付き合いにおいては、別に嘘をつく必要が無い場面においても「プチ嘘」を安易に連発する大人が多いように思う。
社会全体の流れとして「嘘をつく」ことへの抵抗が年々薄れつつあるような、そんな気がしてならない。



たとえば...



「今度またお茶しましょうねー♡」みたいににこやかな顔して平和的に別れを告げたすぐ後で、


「Pさんってさぁ、自分がX大学出身っていうこと鼻にかけてて、いちいち学生時代の話持ち出してきて、ちょームカつく!旦那もT大出だって、自慢気に言ってたよ〜。」 
[※実はこれ、以前ランチした時にPさんを追い詰めて無理矢理引き出した情報なのだが、ここは自分を悪者にしないためにもしれっと脚色。かくしてプチ嘘は生まれる。]


...なんて具合に、周囲の女子軍団にネガキャン(ネガティブキャンペーン)しまくる腹黒ママとか腹黒同僚。
あなたの周りにもいるでしょ。きっと。


「親友は本物?巷にはびこる"フレネミー"に気を付けろ!」
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こういう「プチ嘘」は、「プチ」でも何でもない、れっきとした嘘。
「プチ」なんて矮小化するような言葉で飾るべきではないよね。


どうも日本人って、欧米のキリスト教文化と比較してみると、「嘘をつくことは罪である」との意識があまり強くない民族なのかもしれない。
一神教文明に特有の「神は 見ていらっしゃる」という視点が欠けている上、その神に代わって「他人の目」「世間」がもっぱら幅をきかせる、という、よく考えてみると 「何だかな〜」な状態がわれわれの社会ではずっとデフォルトとされてきた。


「バレなきゃいいんだ」式の嘘や偽装工作がはびこりやすい社会、と言える。


物事の判断基準を「他人の目」「世間」に頼る、ということは、その他人やら世間やらが全体的に劣化していけば、自分も一緒に劣化していく、ということを意味する。


 最近の芸能人や政治家のズレまくった言動をワイドショーなどで見て、
「あ、有名人もこういうことしてるんだ。だったら、自分がやっても何ら問題は無いよね?」
といったおかしな勘違いをする人たちも、実際に増えているのかもしれない。
それは善か、それは悪か、と、冷静に自問自答できる人が減りつつある、ということでもある。


1980年代にビートたけしが放った「赤信号、みんなで渡れば怖くない」。
あれって、昔も今も変わらない日本社会が持つ病(=個々人における、罪意識の希薄さ)のど真ん中をグサッと突いたスゴい一言だったんだなあ、と今更ながらたけしさんの才能には脱帽だ。



そうした悪しきベクトルをググッと逆方向へと向けていくのは、なかなか骨の折れる仕事となりそう。
キリスト教やイスラム教社会のように、道徳的・宗教的な縛りもこれといって無いし、われわれの祖父母の世代が聞いていたような「閻魔様に舌を抜かれる」との説を真に受ける人もほとんどいないのが、今の日本だから。
こんな調子では、ますます「嘘つくのはダメ!」という良心の声が通りにくい社会になっていくのではないだろうか。
そうなると、自分に甘く、自分を憐れみ、都合悪いことは全部自分の外へと丸投げする【自己愛人間(ナルシシスト)】がうじゃうじゃと増殖してくるのも、まぁ、当然と言ったら当然なのかもしれない。




同じ間違いを犯したとしても、


「こんなの大したことないさ」と現実から目をそらし、結果的に自分を甘やかす。

「過ちを犯したのは事実。でも、大切なのは立ち直ってからどういう生き方をするか、だ。前へ進もう。」と、自らの非を認めた上で自分に許しを与える。


甘やかしと、許し。
一見、似たもの同士のようではある。
だが、両者を隔てる溝はグランドキャニオンよりも長く、そして、深い。



自分の責任を全く認めようとしない前者と、責任逃れをしないで後始末をきちっとしようとする後者。
この二つをごちゃ混ぜにしてしまう人間たちが、現代のアメリカをはじめとした豊かな西側諸国にはあまりにも多すぎる。
特に「ニューエイジ」「スピリチュアル系」「精神世界」「ヒーリング」と称される業界やコミュニティに吸い寄せられるような人々にその傾向が強く見られる。
キャロライン・メイスはそう指摘する。

くぅーーーーっ、耳が痛いぜぃ...。


さて、そろそろ残るCD3枚分に戻ろう、っと。

キャロラインおばちゃんにビシバシ叱咤激励されて来るとしましょうかね。
ちょっとやそっとでヘタっているわけにはいかないのですよ。
良薬は口に苦し、です。
(あらまぁ、実はドMだったのか、私は!)

2014/05/19

映画「禅 ZEN」:ただ坐る。ただ生き抜く。

2009年に劇場公開された、こちらの作品。






主演は、中村勘太郎(現・勘九郎)さん。
言わずと知れた、歌舞伎界の巨星・故・中村勘三郎さんのご長男ですよね。
40半ばのおばさんである筆者としては、「あぁ、あの可愛かった坊やが、よくぞここまで立派な役者さんに...。」と、実に感慨深いものがあります。





1:15以降の部分、弟さんの七之助さんとのツーショットには「きゃー!可愛い~~~!!!」を抑え切れませんっ。
それにしても、最初のサラダ油ギフトセットCMに出てくる勘三郎さん、若い...。
1970年代の若人、って感じです。



監督は高橋伴明さん。
そのためか、冒頭部分に奥様の高橋恵子さんが、主人公の母親役でほんの少しだけ出演されています。



道元禅師

道元禅師は1200年、京都にお生まれになり、14歳のときに比叡山(ひえいざん)にて得度(とくど)されました。24歳で仏道を求め宋に渡ると如浄(にょじょう)禅師のもとで修行に励まれ、「正伝の仏法」を相続されました。

28歳で帰国した後、正しい坐禅の作法と教えをすすめようと『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』を著され、34歳のときに宇治に興聖寺(こうしょうじ)を建立し、最初の僧堂を開いて修行者の養成と在俗の人びとへの教化を始めました。

また、仏法の境地と実践を伝えるべく『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の執筆を続けられ、45歳のときに越前に大仏寺(後に永平寺と改名)を建立しました。

その後も道元禅師は修行の生活を送りながら弟子の育成につとめられ、1253年、54歳でそのご生涯を閉じられました。
(曹洞宗公式サイト・曹洞禅ネット「一仏両祖」の項より )





これまでの私は、海外在住が長いこともあって、仏教とは疎遠な毎日を送っていました。
(お線香の香りとお寺の純和風建築、そして鐘や木魚の音色は昔っから大好きですけどね!)
世界史選択の日本史嫌いゆえ、道元や曹洞宗について知っていることなんてごくわずか。
道元さん = 鎌倉時代に始まった日本の禅仏教を代表する僧侶。福井・永平寺を開山。
「正法眼蔵」などの著作は、ハイデッガーなど西洋の哲学者からも高く評価されている。
...その程度。






でも、夫の実家も、私の実家も法事の時にはずっと曹洞宗のお寺にお世話になってきたんですよ。
なのに、「全然知らないんですぅ~☆」じゃぁ、ねぇ。
いい年した大人が、さすがにそれではまずいと思いましてね。





旅に習い事に同窓会に...
と、現在、第二の青春を謳歌中の、我が家の3人のおじいちゃん・おばあちゃんたち。彼らもそろそろ80代です。
子世代としても、曹洞宗や、お寺さんに関する最低限の知識ぐらいは押さえておかないと、いざという時、お坊さんときちんと話もできないだろう...と、ずっと気になってはいました。
そんな時、YouTubeでたまたま見つけたのがこの映画「禅 ZEN」。







なんとありがたいことでしょう...。
この週末、全編フルに堪能させていただきました。



心に響いた場面は多々あります。
中でも一番ずしんと来たのが、ここ。上の予告編でも出てきましたね。



内田有紀さん演じる、貧しい遊女・おりん。
病気で乳飲み子を亡くした彼女は、救いを求めて道元の寺を訪れ、坐禅に取り組みます。



53:52あたりからの場面です。


http://youtu.be/PcoNpB4zG3o?t=53m52s



道元の弟子・俊了から坐禅の手ほどきを受けていたところ、抑えていた感情が爆発したように
「死んでやる~~~!!!」と、激しく取り乱し始めた、おりん。


「あたいは自分が憎い。

殺してやりたいほど、憎い。

あたいの中に仏がいる、なんてだます、あんたらも憎い...!

南無阿弥陀仏の方がよっぽどましだ!!!」




「嘘ではない!」


騒ぎを聞きつけて駆けつけた道元の、魂のこもった一喝。


「汝の中に、仏はいるのだ!!!」



「...ただな、簡単に仏さんには出会えんのだよ。

人間は誰もが あれが欲しい これが欲しい

ああなりたい こうなりたいと 貪(むさぼ)り、

思うようにならぬと 腹が立って 愚かなことをしてしまう。



そのようなもので目隠しをしているから、

仏が見えぬのだ。


だから坐るのだ。

その目隠しが取れるまで、ひたすら坐るのだ。

そうすれば 自分の中の仏と向き合える。


...おりん。


自らを殺すとは、仏を殺すことだ。


そして 他者への依存は
自らの仏を 否定することだ。」



実にシンプルな言葉です。
道元禅師はここで私たち人間全てに向けて、大変重要なメッセージを発しておられます。



「自殺は、してはならない。
他殺も、してはならない。
そして、自分以外の他者への依存も、

 止めねばならない。
仏は、自分の中にいる。」




精神世界・スピリチュアルといった分野の本は相当読み漁ってきたので、これまでにも似たような言葉はどこかで見聞きしているはずです。
でも、ここまでストレートにずしんと自分の内奥部分にまで届いたメッセージ、ちょっと思い出せません。




何事にも受け入れるのに適切な「時」(タイミング)がある。そういうことなのですね。
すごいなぁ。「時」と自分の内面が化学反応した時にだけ起こる、魔法の力って。




道元禅師という人物、そして禅の教えにとても興味が湧いて来ました。



これまで自分が経験してきた出来事ひとつひとつを教材としながら、先人の残してくれた禅の叡智を少しでも理解したい。
心からそう思えました。
もう「禅もどき」に戻ることは無いでしょう。



他にも忘れがたい場面もいくつかありました。


例えば、当時の執権・北条時頼が道元から教えを授けられる場面。
周囲からの殺意や敵意といった、さまざまな悪しき想念を一身に受けるうちに、狂人すれすれのところまで追い詰められてしまった、【孤独で哀れな若者】という時頼像を、藤原竜也さんが見事に演じています。それに対する道元禅師の教えも見事です。
藤原竜也さん、十代の頃から「心に闇を抱えた少年(青年)」を演じさせたら天下一品でしたよね。素晴らしい俳優さんだと思います。日本版レオナルド・ディカプリオ...って感じ、しませんか?



ボクらの時代 自分を「美しく」見せる技術
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↑そ、そっか。だから「友情出演」なのね!しかも高橋大輔選手!どこかの図書館にあったら読みたい~!



また、この作品は上に引用した部分でもわかる通り、「おりんという女性の成長物語」という伏線からアプローチすることもできます。
アマゾンレビューで多くの方々が書かれていますが、最後の場面での子供たちとのやり取りには、思わず目頭が熱くなってしまいます。引用なんて野暮なことはしません。
ぜひ、ご自分でご覧になって、何かを感じてみてください。
「慈母」そのものといったまなざしで子供達を見つめる内田さん。美しさにほれぼれしますよ。



最後には、力強く中国の大地を一人歩む、おりんの姿が映し出されます。
自らの天命を見出した人ならではの澄み切った、まっすぐな瞳が印象的です。
そんな彼女の姿を遠くから見守る道元禅師の、そして引いてはお釈迦様の目線にも似たカメラアングルでもって、作品は静かに幕を閉じます。



ほんとに、この作品は「人間的な、あまりに人間的な」おりんさんの存在抜きには成立し得ないですよ。
人生のスタートがどれほど不幸まみれでも、何度つまづいたとしても、それでも、人間には自力で仏性をおのれの中に再発見するだけの力が、ちゃんと備わっている。
彼女の生き方がそれを教えてくれました。






そしてそして。
主演の中村勘太郎(現・勘九郎)さんが作り上げた道元禅師像。
映画全編をスーーーーッと「流し見」してしまうと気付きにくいのですが、こうして文章にするためYouTube上の動画をちょこちょこおさらいしてみると、


【若き学僧時代の道元】



から



【禅の教えを体現する偉大な霊的指導者・道元】



に到るまでの間、話し方や表情が大きく変化しているのに驚かされます!
ほとんど別人、と言ってもいいほど。いやぁ~、感服です。お見事としか言いようがありません!!!



勘太郎さんも、中村勘三郎(先代・勘九郎)という偉大な父親の長男として歌舞伎の世界に生まれ、「どうにもならない運命」の呪縛に幼い頃からずっと苦しんでこられた方ではないかと思います。



ガッチガチの伝統やらしきたりやら、とにかく「過去から伝えられてきた物が偉いんだ!」という業界にあって、いかに自分というものを表現できるか。

いかに自分なりの生き方を切り開いていくか。自問自答を絶えず迫られます。
そうした困難な課題と常に向き合い、ひとつひとつハードルを乗り越えてきた中村勘太郎さんだからこそ、日本仏教の歴史に名を残した偉人・道元禅師を演じるという難易度の高いお役目も立派に果たすことができたのかも。
私には、そう思えてなりません。



仏教と歌舞伎。
全く異質に見える二つの世界ですが、
【先人たちの業績を尊ぶ】
【ひとつの道に専心する】
【常に『超一流』のレベルを要求される】
点では共通しています。
案外、近いところに位置しているのかもしれません。




でなかったら、勘太郎さんがあそこまで「透き通った」感じの道元禅師は演じられないと思うのです。
監督さんが「とにかく真面目」と評する、彼のお人柄によるところも大なのでしょうけど。




DVDは2種類あります。ご予算に合わせて、どうぞ。
映画館までの交通費、それに加えての飲み物だの、食事だの、なんて出費を考えれば、決して高いお値段ではありませんよね。


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(早速、楽天市場のポイント使って買っちゃいました~♪手元に置いて、じっくりと見返したい作品ですから。)



道元禅師の教えを福井・永平寺とともに受け継ぐ、曹洞宗もうひとつの大本山・総持寺(横浜市鶴見区)にも、今年はきちんとお参りしたいなあ。日帰りの坐禅体験、日程が許せば行きたいですね。
白状しますと、今まで私にとっての総持寺と言えば、



石原軍団




(石原裕次郎さんのお墓があります。しかも、境内の立て札には「裕ちゃんの墓」...。)



と、



毎夏恒例の「一休さん」レイブ盆踊り w/DJ Bouzuでしかなかったので、





そろそろ意識の書き換えをしないと(笑)。
(一休さんは曹洞宗でなく、もうひとつの禅宗メインストリーム・臨済宗のお方、なんて突っ込みはナシよ♥♥♥)


2014/04/29

Oops! またやっちゃったよ、ブリトニー。



あ~あ。また、ですかい...。


前回の記事で取り上げました、世界的スピリチュアル・ティーチャー エックハルト・トール氏。(以下、E.T.氏と略しますね。)
「ニュー・アース」を読み始めた頃の時期の軽い興奮もすっかり冷め、最近では「Present moment…present moment,.... Being in the Now… Being in the Now...」ばかりの繰り返しに食傷気味。おかげで、少し突き放して見るだけの余裕が生まれましてね。


で、
「うーん。この程度の『教え』を、最終目的地とみなすわけにはいかないなぁ。人としてこう生きるべし、っていう、倫理的な要素も無いし。単なるマインド・ゲームと変わらない程度のものを『教え』(teaching)と呼ぶのは、ちょっと、ね...。
あくまでも箸休めの一品小鉢、って感じ。とてもメインのおかずとして扱う気にはなれない。」
との結論に到達しました。


そうして書いたのが前回記事「道の駅。でも最終目的地ではない。」です。



確かにどの本もそれなりにいいことは言ってはいるんですよ。
字面だけ追う分には人畜無害、後味はそれ程悪くないです。
でもね、よく読んでみると、その言葉のほとんどは禅仏教の僧侶たちや、イエス・キリストや、ブッダ、「奇跡のコース(A Course in Miracles)」のようなチャネリング本、


奇跡のコース 第1巻/テキスト ―A COURSE IN MIRACLES Vol.1/TEXT―
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それからJ.クリシュナムルティ


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(↑とあるブロガーさんのお勧めだった一冊。若い人たちからの質問に答えるという形式が、私のような初心者にはぴったりでした。難易度もちょうど良し。
寝る前に読むと、妙に落ち着くんですよ。)



ラマナ・マハルシ

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(未読なのですが、マハルシの教えとE.T.氏との親近性を指摘する人は多いようです。)



といった近現代のインドが生んだ賢人など、既に評価の定まった人々(←「人」じゃない方もいますが...。)の著書から発せられたもの。
元ネタが良いとすれば、それらをふんだんに散りばめた彼の本の読後感がすこぶる良くなるのは、まぁ、当然でしょう。
E.T.氏、アンソロジー(撰文集)作者としてはなかなかいい仕事していると思います。
私が彼の著作に惹きつけられたのも、「アンソロジー」として「ニュー・アース」がとても魅力的だったから。
そして、「ペインボディ」という概念が新鮮だったから。この二つが主な理由です。


ただ、一つどうしても納得行かない部分がありました。
E.T.氏が著書中で用いる逸話や書物からの引用の出典をほとんど明らかにしないこと。
あたかも、自分オリジナルのエピソードであるかのように、しれーっと紹介して、出処を明らかにしないこと。
これは鎌倉仏教、特に禅宗にゆかりの深いお寺を数多く擁するわが故郷・神奈川県をこよなく愛する一人の日本人として、看過するわけにいきません。



「引用の出典を明らかにしない」というE.T.氏の困ったクセについては、既に多くの人が指摘しています。
私も、最初に紙の本(英語版)を手に入れた時、巻末の注を見ながら、
「あれー?聖書以外にも、禅仏教とか、インド人著者の本とか、もっと色々な本から引っ張ってきているはずなのに、どの本が出所か、書いてない。おっかしーなー。」と感じましたね。
注のほとんどは、新・旧約を合わせた聖書からの引用を示すもの。
後は、シェークスピア、ニーチェ、エマソンといった、「大御所」的な人々の作品名がちらほら。
圧倒的に西洋人寄りです。



「ニュー・アース」をお読みになった方ならご記憶かと思います。
禅宗を初めとした仏教関係者(老僧と弟子、とか。)絡みのエピソード、ここかしこに使われていますよね?
例えば、「ペインボディ」の章(第5章)。
若い娘さんを担いでぬかるみを無事に渡してやった僧・担さが、5時間経った後で同行していた友人から「どうしてあなたはあんなことをしたのか?」と聞かれ、「おや、まだあなたはあの娘のことを考えていたのかい。」と答える部分、章の肝心カナメ、と言っても良い部分です。



数えてみました。
全部で33個ある巻末の「注」(どの本から引っ張ってきたか、元ネタの場所を示す記述)のうち、禅や仏教を扱った本の書名記載は、なんと、ゼロです。
皆無。
とにかく、東洋系の本に対しての扱いがひどいです。たった4冊しか書名が引かれていないんですよ。4冊のみ。
老子の「道徳経」を出典とするところが2箇所。それから、ヒンドゥー教の古典のひとつ・「ケーナ・ウパニシャッド」 、残るもう一箇所は14世紀ペルシアの詩人・ハーフェズ の作品集・"The Gift"。


イスラームの神秘主義: ハーフェズの智慧 (学術選書)
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インド方面からも、やはり不満の声が上がっています。
"Hinduism Today"誌・「なぜヒンドゥー教はいつも貧乏くじばかりなの?」

In the Church of Oprah...Why does Hinduism get the short end of the stick?

日本人の私が「ちゃんと禅や仏教から引用したって書きなよ!」とプンスカしているのと同じで、インドが誇る諸聖人・賢人の業績をちゃんと認めるべき!と、ご立腹のようです。



明らかに印象操作、してますね。E.T.氏は。
いかにも「聖書使ってるよ!バイブルの教えに従ってるよ!!!」と、フレンドリーな顔して、アメリカ人のお茶の間にズカズカと入り込む。
オプラ・ウィンフリーの番組で大々的に取り上げてもらうからには、敬虔なアメリカ人キリスト教徒の善男善女に難なく受け入れてもらわないと行けません。
東洋思想ばかり引用するような著者では、やはりまずいわけですよ。基本的にアメリカは保守的なキリスト教徒が支配する国なので。特に、田舎。
元ネタが異教徒発&異文化発ばかり、って感じの本にするわけにはいかなかったのです。
でないと、せっかくつかみかけた巨大なビジネスチャンスもパーになってしまう。




数年前、「引き寄せの法則」でお馴染み・「エイブラハム」というエスター・ヒックスおばさん(監督&脚本:彼女の配偶者であった、故・ジェリー・ヒックス)のイタコワンマン「霊言」ショーにまんまと引っ掛かり、各種商品を買い漁り、YouTubeビデオを片っ端から見まくった...いう暗い過去の持ち主である私。
(詳しくはこちらをご参照ください。)



「もしかして、今回も、また...???」という嫌な予感と闘いながらも、この週末、件のE.T.氏についての世間での評判を徹底的に調べてみることにしました。



やっぱりそうでした。
...あーあ。またやっちゃったよ。



またしても、私は「大量生産&大量消費」の国・アメリカが誇る一大輸出産業


McSpirituality




【マックスピリチュアリティ】
(...もちろん、皆さんご存知の、あのファストフードチェーン店に引っ掛けてるんですよ!)



が得意とする、巧妙かつ効き目抜群のマーケティング戦略、および集団催眠術(要するに、洗脳/マインドコントロール。)に見事、引っ掛かってしまっていたのでした。

「禅」のツラした「禅もどき」に当たると、胃袋の代わりに脳味噌にじわじわ来ますよ。



そう。催眠術だったんですよ、催眠術。
私も、あなたも、それから全世界のE.T.読者も、集団催眠の術にまんまとかけられていたようなのです。
特にYouTubeの動画をたくさんみてしまった、そこのあなた。
(←あ、私、ほとんど見てません。だって、おもしろくないんですもん。本に書かれたことのリピートばかりですし。)



以下、あまり詳しくないので深くは立ち入りませんが...。
「E.T.は、NLP(神経言語プログラミング)
、特にミルトン・エリクソンの催眠技法を使っている。それも、かなり巧みに。」といった主張も、個人のブログや掲示板にていくつか散見されました。以下はその代表的な例。



http://grassrootsnlp.com/blog/4/nlp-language-patterns-eckhart-tolle

http://dharmawheel.net/viewtopic.php?f=63&t=15022#p204618



【参考:NLPラーニング 「エリクソニアン催眠特別セミナー」紹介文より引用。http://www.nlplearning.jp/seminar_event/erickson_s.html


「エリクソンはセラピーの中でいつでも催眠を使っていたわけではありませんが、
彼の催眠手法はそれまでの伝統的催眠とは随分と趣の異なるものでした。
いわゆる間接的アプローチと言われるもので、普通に会話をしながら
いつのまにかクライアントを催眠状態(トランス状態)に誘導したり、
意表をつくようなやり方であっという間にトランスに入れてしまうものでした。」】



こちらのGunther Weilという心理学者であり、人事コンサルタントでもある人物。ページの一番下にある記述に注目しましょう。「2001年、ベストセラー”The Power of Now"の著者・E.T.に招かれ…【今ここにある(Presence)】の実践を教える。」とあります。


http://valuementors.com/about-us-2/gunther-weil/



NLPマスターと名乗るこの方が得意とするのは、ミルトン・エリクソンの催眠技法のようです。オンライン版・エリクソニアン催眠情報ポータルサイトの執筆者の一人として、一番下の方に名前が見つかりますね。
はは~ん。どうやらこの方が指南役のようです。E.T.氏はこの方から直々に集団催眠のテクニックを学んだのですね。





悪用厳禁...って。そう書けば必ず悪用する人が出ますよね(笑)。ついクリックしたくなる動画です。うまい。


そして、こちらの掲示板。



以前は「ロス研究所(Ross Institute of New Jersey) 」の呼称で知られたCult Education Institute。
その名の通り、カルト宗教に関するあらゆる問題(啓蒙活動、被害者の救済、家族からの相談、脱会者へのカウンセリング等...)を取り扱う、非営利団体です。


エイブラハムの時もそうだったんですが、「ちょっとでも怪しいと思ったら、ここを探れ!」という良心の声(?)に促され、週末、じっくりとこちらの掲示板に目を通してみました。



ありました、ありました。
「ザ・お仕事(直訳。←なんだかダ〇ソーの商品に付いたラベルみたい。)」と呼ばれる一種のセラピーメソッドで知られる女性著者・B.K.とひとまとめにされて色々突っ込まれています。超・長大なスレッドです。


http://forum.culteducation.com/read.php?12,12906,page=1

全部(2014年4月末現在で287ページ分)は読めませんでしたけどね。さすがにそこまでは暇じゃないっす。



「認識の自殺」というぶっそうなタイトルの下、”The Power of Now”の矛盾点やE.T.氏の「教え」の欠陥を指摘し合うスレッド。全24ページ。

http://forum.culteducation.com/read.php?12,7166,page=1



極めつけは何と言ってもこれでしょう。
イギリス時代の彼を個人的に知っているという、「元・友人」の女性が掲示板に登場したのです。
この方の話が本当だとすれば、E.T.氏の人物形成・思想形成を知る上での大きなヒントとなりますね。
長大なスレッドの中に埋もれそうになっていたのを危惧した一投稿者が、別スレッドとして独立させました。


http://forum.culteducation.com/read.php?12,73107,83276#msg-83276



信じる・信じないは、読者の皆様のご判断にゆだねます。



こういう「暴露話」を嫌う方が大勢いることはわかります。
確かに、匿名掲示板でこのような知人の過去をぶちまける、というのは、かなりの「悪趣味」なのかもしれません。
ただ、私自身は全てのやり取りを読み終えても、この「元・友人」さんにそれ程悪い印象は抱きませんでした。(←そういうお前が下世話な奴だからだ、と言われれば、まぁ、それは否定できませんね。うん。)
というのも、かねてよりE.T.氏とその「パートナー」である女性の間柄に関しては、私もどこか違和感(=単なるビザ/永住権のための「偽装結婚」カップルのような雰囲気、とでもいいましょうかねぇ。)を感じていましたので、この「元・友人」さんの話はある程度真実だろうな、と、いう気がするんですよ。
100%真実ではないとしても、ある程度は。



E.T.氏の場合、「Eckhart Teaching」という商標名で持って自分を「ブランド化」し、動画配信やグッズの販売(笑)を行うなど、その活動やビジネスの規模は「単なる一般市民」を超え、半ば公人といっても良いほど。
このように影響力、特に人の精神生活/霊的生活に影響力を及ぼす人物の場合、「どこからネタを仕入れてきたか」「客から金取って販売している"教え"がパクリではないかどうか」といった情報は、消費者にもある程度は開示されてしかるべきではないでしょうか。
私たちの口に入る食べ物の産地偽装がまずい、というのと同じで、私たちの心や頭に入る霊的な教えの「産地偽装」もやはり好ましいものではない。
私は、そう思います。



興味ある方のために、コメント欄に小分けにして原文(英語)と和訳の両方をアップしていきますね。明日以降になりますが。
E.T.氏のファンの方で、彼のイメージを崩したくない、下世話な暴露話を読むなんて、負のカルマを積むようなこと(...。)はしたくない、とおっしゃるのであれば、どうぞ、お読みにならないでください。



あ~あ。
完全に、「デジャヴュ (déjà-vu)」ですよね。これ。3年前の「エイブラハム」から目が覚めた時と全く同じ展開だなんて。ううむ。
またもや、アホやってしまいました。あまり進歩していない自分にトホホホ...です。
(ま、金額的な損失は今回、せいぜ$25程度、と軽微なのが幸いでした。充実した地元の図書館と、激安古本が手に入るチャリティーショップのおかげですよ。)




McSpirituality 
(ファストフード・スピリチュアリティ)。



安く、早く、手軽に買えちゃう、っていう物にすぐ釣られたりするな、ってことですね。
「さわるな! 危険!!!」とでも、でっかく赤字で書いておきましょうか。



「全米ベストセラー!」「オプラ・ウィンフリーが番組中で取り上げ!」
なんて枕詞が付いたら、その本/著者の言うことはいつもの三倍は疑ってかかれ、ってことなのかもしれません。
「これを買え!これを信じろ!」
...集団催眠かけられて、ポワワ~ンといい気分にさせられたって、いいこと一つもありません。
今回のE.T.氏のように、"Don't think."的な、独裁的な支配者層がいかにも好みそうなメッセージ、気をつけないとすぐに毒されますよ。
テレビ消して、ブラウザも閉じて、電波の届かないところへと逃げた方がいいのです。そして、自分の頭をしっかり働かせないと。
でないと、一方的に洗脳されて、後で悔やむ羽目になりますよ。



日本のマスコミや某大手広告代理店が好むと巷では噂の、「ゴ リ 押 し」大作戦。
まさか、アメリカでも全く同じことが、それもお人よしが多そうなスピリチュアル好きな人々への猛プッシュという形で、静かに、でも、大規模(世界規模!)に行われていただなんて。
まぁ、日本は流行でも何でも、必ずアメリカの一歩後を追いかけていますしね。
そのうち似たような現象が起こるかもしれません。
いや、もしかしたら既に起こっているかも。
くわばら、くわばら。




精神世界・宗教に関しては、
「故人となった著者の作品しか読まない」
「イマドキの人には、深入りしない。関わりを持たない。」
といったマイルール作って、守り通した方がいいのかもしれません。


...本物の「禅」と、ニセモノである「禅もどき」。
その違いがわかるようになるまでは、やはり地道に勉強するしかないでしょう。
頭と、心と、両方をフル稼働させながら。



歴史の淘汰を経て、なおも多くの人々から尊ばれているような「本物の教え」に直接当たってみる。
そこから、自分なりに何らかの真実をつかもうと、七転八倒してみる。
本気でぶつからなくっちゃいけません。
「本物」にじかに触れて、「本物」にしか出せない良質のパワーを見分けられるようになること。
「禅もどき」を見破るには、そういう長くてしんどくて遠い道のりを歩むしかないのだ、と思います。
受身で頭真っ白にして、ただ待ってるだけでは何も変わりません。
(「がんもどき」なら美味しく食べられるけど、「禅もどき」は煮ても焼いても食えないんだよ~。)


禅とはなにか (講談社学術文庫)
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(さすがに道元禅師の「正法眼蔵」は少々手ごわいので、まずはこちらの鎌田先生の丁寧な解説書から。)




「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。
何を考へているのやら、何を言い出すのやら、
仕出来(しでか)すのやら、自分の事にせよ、他人(ひと)事にせよ、
解った例(ため)しがあったのか。
鑑賞にも観察にも堪えない。



其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。
何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。
まさに人間の形をしているよ。
してみると、生きている人間とは人間になりつつある一種の動物かな」

(「無常という事」小林秀雄 こちら↓の本、p.69より引用。)


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2014/04/23

エックハルト・トール:「道の駅」。 でも最終目的地ではない。

【注:こちらの記事は
旧・楽天ブログ2014.04.19の記事 
に寄せられたコメント欄での、a y a f u y a さんとの会話が基点となっています。
全世界的に大ベストセラーとなった「ニュー・アース」

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の著者、エックハルト・トールが「私にはもうエゴは無い。消えた。」と発言したことを私が槍玉に挙げたあたりから、面白い展開になってきました。一部はしょりながら、そのやり取りを転載します。a y a f u y aさんのコメント部分は、ハイライト表示にしました。



エックハルト・トールについての過去記事はこちらからどうぞ。

「今」の力 ~ 案外近いぞ。エックハルト・トールと林修先生。
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201402120000/


フレディー・マーキュリーに学ぶ、「ペインボディ」との付き合い方。
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201403020000/









(...)

結局、「この人【黒犬べーやん注:エックハルト・トールではない、かつてa y a f u y aさんが読んでいたブログの書き手。】もなんてこたぁない、単なる大人になった空想好きの不思議ちゃん&人生生き辛仲間なんだなァ~~」と今では思います。これが一番腑に落ちるんですよね。
別にこの方が「人より悟ってる!」訳でも「特別なチャネラー★」でも何~~~でもなく。





そうですよね。
結局、「あなたも、私も、所詮地球という流刑地に流されておつとめ果たしている、未熟者」に変わりは無いのかも。
(その中で、「模範囚」がいれば、その人を見習えば何かいいことあるかもよ...?)



あ、私、「自分が悟ってる」と公言する人は「あっ、そう。それで?」と即、スルーしたくなるんですよ。
一気に聞く気を失います。
a y a f u y a さんはいかがですか?



あのエックハルト・トールさんも、「自分にはもうエゴは無い」と言っていますが、そこんところは「ほう、そうか。」と聞き流しています。せめて「少ない」程度にしてくれりゃ、説得力あったんですけどね。



ま、「ペインボディ」の説明は、第一級のファンタジー/SFとして自分の中では大いに響くものがありましたので、これからも彼の本は読み返すと思います。



ここまで冷静に見られるようになったのは、スピやオカルトを積極支持する人たちの考えから、一度完全に離脱したのが良かったと思います。これは自分にとって大きな収穫でした★(それだけ、思考のバイアスがかかっていたΣ(・ω・ノ))


「可愛い子には旅をさせよ」って、きっとそういうことだと思います!よかったですね、有意義な「旅」ができて。


すると、アヤスィ話は好きでも「100%モロ」に影響を受けることなく、ファンタジーとして楽しめますし。後はお気に入りの作家を見つけては楽しめばいいんじゃないかな~と★


うんうん。(激しく同意)
あとは、そのお気に入りの作家や宗教家、指導者の言葉の中で、自分に必要なものを選んで、上手に吸収していけばいいのですね。
で、特定の誰かを応援し、拍手を送りたくなったら、その時はそうすればいい、と。
あくまでも、応援。「支配下に入る」んじゃなくってね。


(...)


で、ここからが、a y a f u y a さんに宛てて、今日私が新たに付け加える返信部分となります。



スルーしたくなるっていうのは全く同感です。
「悟ってる人なんて、今現在生きてる人の中には一人もいない」っていうのが自論ですから★


そう思いますね~。
「自分にエゴは無い」と言うのって、なんとなーく、「アイドルはウ○コなんかしないんだ!!!」と言い張る、熱狂的な男性ファンの心理と大して変わらんような気が...。(←きちゃないたとえですいません。)



今生きてる人、それもまだまだ余命たっぷりありそうな(まだ60代ですから!高齢者だなんて呼ばないの!@神奈川県大和市)年齢の方に言われても、釈然としないんですよね。



エニアグラムという性格タイプ学の指導者、故・ドン・リチャード・リソ氏や、共著者であるラス・ハドソン氏もおっしゃっていました。


「エゴっていうのは、本当に頑固で、しぶとい。
死なないんだよ。
死んだと思ったその時に、また戻ってくるんだよ。」


と、何度も強調されていました。
私は、このお二方の言葉の方に、より安らぎを感じます。真実味があると思います。


人間の性格を研究して数十年。その世界では第一人者と呼ばれるようになった後もなお、人格的修養を怠らず、「師」と呼ぶ人の教えを求め、日々自己省察につとめている方々ですら、そう考えていらっしゃるのですから、ねぇ。
(ちなみに、リソさんは元イエズス会所属。ハドソンさんは東洋思想、特に道元の禅仏教を専門に学ばれた方です。)



実際、このエックハルトさんの「自分にはもうエゴは無くなった」発言、引っかかりを感じた人はたくさんいるみたいです。

書評サイト Goodreadsより
「エックハルト・トール:自分がエゴから自由になった、って、どうやって分かったの?」(英語)
https://www.goodreads.com/topic/show/1571085-how-does-eckhart-know-that-he-is-free-of-the-ego



次のYouTube動画に寄せられたコメントの多さ(1000超!)がそれを物語っていると思います...。




「エックハルトさんが言いたいのは、『アタマ (mind) 』『思考』と同一化した自分すなわち エゴ が 一 回 は 死んだ、ってことなんだろう?(その後どうなったかは知らんけど)」
...と、好意的に解釈する人も多い一方で、



「そんなこと口にするなんて恥知らずな」
「イエス様でもない限り、有り得んだろ~!」
とばっさり切り捨てる人も多いんですね。
a y a f u y aさんがおっしゃったのと同じように。



「悟ったと思った」人がいても、わざわざ口にする事なのか??という話でして。。。口にした時点で、誰よりも俗っぽいよな~って思います(´・ω・`)


この辺は東洋人、というか、日本人の【謙遜】の美学...というか、日本人によく見られる【自虐】の美学が関係しているかもしれませんね(笑)。
ええ、勿論、私もまったく同感ですよ~。
「あちゃー。わざわざ口にするかなぁ?」って、やっぱり反射的に思ってしまいました。





「確かに、エゴは死んだ。でも、油断していると復活する。」
程度の言い方だったら、「なるほど。」と素直に受け止められるんですが。
そうは言っても、エックハルトさんのエゴが非常に薄く、向こう側が透けて見える程に弱体化しているって事については何の異論もありません。
その辺にいるあなたや私といった、市井の凡人達と比べれば、エゴの統御ははるかにお上手なはずです。



(...こうした一連のグダグダも、やはり、私の【エゴ】の部分から出た反応なんでしょうけどね...。
他人の口から出た、「それ、怪しからんよ〜」な物言いを黙ってスルーするのって、ホントに難しいもんです。恐るべし、エゴ。
日、暮れて道遠し、です。)


「エゴが無い=私は人間じゃない」と言ってるのと同じだと思うので。

そうそう。「アイドルはウ〇コ...」 


←しつこいよっ!!!(怒)



(じゃあトールさんは妖怪か!?)彼の本は興味深かったけど、その不遜発言は聞き捨てならない★


確かに、水木しげるワールドにすんなり溶け込めそうな風貌...かも。
(生で講演会聞きに言った方の報告によると、猫背だそうです。)
ソース:http://www.elephantjournal.com/2013/11/eckhart-tolle-live-in-london-a-disappointed-fans-review-carli-susu/

















ちゃんちゃんこの好々爺風♡



まぁ、彼の場合、最近活動内容がどんどん資本主義バンザイ! 稼げるうちに稼いじゃえ~~~!って感じでビッグビジネス化してきた、っていう点も気になりますねぇ。
セミナーの費用がベラボーに高かったり。例えば、2009年のオーストラリア・2日間セミナーのお値段は、当時のUSドルで$685。6万円台後半、ですね。宿泊代含まず、で、このお値段なのですから、やはりかなりお高い方でしょう。)
(ソース:http://www.spiritualteachers.org/eckhart_tolle.htm)



...と書きかけたところで、一大発見!!!
あ”~~~~!
ヘイ$ハウス(ルイーズ・L・ヘイが築き上げた、ニューエイジ系書籍を中心に刊行する新興の大手出版社。)主催じゃないですか!

http://www.hayhouse.com.au/tour_details.php?tour_id=11 

...そりゃぼったくり値段でも当たり前だわ。
エックハルトさん、組む相手をちょいと間違えたかもね。
(あまりご存知ない方へ:そういう会社ナンデスヨ...ヘイハウスって~のは。)
大企業ですから、ルイーズさんのご意向とは関係無いところで値段設定が行われているかもしれませんけどね...。

改訂新訳ライフヒーリング(旧ライフ・ヒーリンク゛) You Can Heal Your Life
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エックハルトさん、この時のオーストラリアツアーで受けた批判の声にちゃんと耳を傾けたんでしょうかね。
最近ではご自分たちによる自主興行イベントがほとんどのようです。
6月のニューヨーク州・Omega Instituteで行われるトール夫妻による5日間セミナーは、食事・宿代込みで$1195ですって。
これは悪くないですね。



どうもエックハルトさん、アメリカではお馴染みの、テレビ伝道師(TV evangelist)化しつつあるような気がして、ちょっと心配です。
Eckhart.TVなんていう、有料定期購読の動画配信サービスを立ち上げたり、「二匹目のドジョウ」的なDVDや関連書籍・グッズが後から後からボコボコ出てきたり...。
「それって『霊的指導者(スピリチュアル・ティーチャー)』『自分はグルではない』と宣言した人として、どうなのよ!?」と突っ込まれても仕方ないかな〜、って気がします。


「霊」と「金」。
基本的に、あまり相性が良いとは言えません。



ネット上で小耳にはさんだ噂ですが、中国系カナダ人の奥さん、キム・エング(Kim Eng)さんが元々マーケティング畑出身の方のようで...
何か関係あるかな。



ま、いろいろありそうなので、今回はこの辺で幕引きとしましょうか。


a y a f u y a さん、今回も面白い話を提供してくださいまして、ありがとうございました!