2017/01/22

(5時間目の昼寝常習犯)師岡さんと、大人のための古文【再】入門 その壱

おーーーーっと、気がついたら年が明けて2017年になってしまっていた。

数秘術では、「1」の年となる、2017年。(2+0+1+7=10、1+0=1。)
昨年までのサイクルが一段落し、またゼロから何かが新しくスタートする。この動きは、月を追うごとに活発になっていくはずだ。


新規スタートはどんな現象として現れるのだろう。
正直言って、まだよくわからない。
でも、新学期のクラス替えを目前に控えた時期特有の、ちょっとワクワクした気分を味わっている人がいることも、また事実。(私もその一人。)
悪いことも起こるかもしれないが、うれしいことが起こる可能性だって十分にある。


例の暴言大統領にしても、同じことが言える。
あまり不吉なことばかり予想して、今から勝手に落ち込まない方がいいと思う。
曲がりなりにも、この国の国民のほぼ半数の人が「こっちの方がいい」との結論を下して選んだ候補者である。
納得できない気持ちもわかるが、それでもあの人は多くのアメリカ人が「望んで、願って、引き寄せた」アメリカの代表者なのだ。
最後の最後まで選んだ側の自分たちも、ある程度の責任は取らねばならない。
どのような運命がアメリカという国を待ち構えているとしても、果敢に立ち向かっていくしかないのだ。


天に向かって唾した者は、その唾を顔面で受け止め、あの嫌な感触をも味わねばならない。
それが、アメリカ人の大好きなセリフ・「自己責任で!(At your own risk!)」本来の意味ではなかろうか。
覚悟を決めなきゃね。



とにかく、今、この文章を読んでくださっているみなさんにとって、2017年が記念すべき門出の年として、もしくは人生が上昇へと向かうターニングポイントの年として思い出に残るような1年間となりますように。
お互い、身体に気を付けながら、平穏無事で乗り切っていきましょう。

(いつも読んでくださっているみなさん、本当にありがとうございます。ひとりごとだと自分に言い聞かせてはいますが、やっぱり他の誰かに読んでもらえるのはうれしいものです。)


ここ数週間は大寒波に伴う近来稀にみるドカ雪と、それに続く氷点下10度前後のあり得ない気温とにさんざん振り回されていた。
一人静かにPCの前に座り、ブログを書くようなゆとりなど、とても無かった。
(やっぱり家族が周囲をウロウロしてるとダメなのよ。)


われわれの住む郊外住宅地も、すっかり雪と氷に閉ざされていた。
見慣れた風景が一夜明けたら一面真っ白な世界へと変わり、そしてその状態がいつまでもダラダラと一週間も続いた。
30㎝近く積もった雪のため、大抵の家では車を出すこともできない。
なので、学校は当然休みとなる。
親としては、予告無しに冬休みが突然増量セールされて無理矢理押し付けられたような、そんな理不尽な気分であった。


犬の散歩に行く以外はずっと家にこもりっぱなしで、気が付けば食事の支度ばかりしていた一週間。
先週の半ばには待ちに待ったあたたかい雨がわれわれの地域にもやって来てくれて、雪はようやく視界から姿を消した。
やれやれ。


ただ、今回、思いがけなく手に入ったまとまった時間のおかげで、かねてより少しずつ進めていた

「大人のための古文【再】入門」(※注)プロジェクト

にもじっくりと取り組むことができたのは確か。
籠城状態も、たま~にならば、決して悪くはない。一種のリトリートみたいなもんだから。
ただし、水と電気と食べ物とインターネット接続がしっかりと確保できているならば、という条件付きだけど。

(ああ、ワガママだな~。これだから現代人の甘ちゃんは...。)


(※注:今更説明するのも野暮なんですが、これは言うまでもなく、映画「シーモアさんと、大人のための人生入門」のパクリフレーズです。詳しくは前回前々回の過去記事をご参照ください。
ただ今、渋谷UPLINK他、全国各地のミニシアター系映画館で大好評上映中。見逃した方、もう一度見たい方には、1月26日から始まるUPLINK Cloud~オンラインの映画館~での上映がありますよー。) 


まず最初に、タイトル中の「5時間目の昼寝常習犯」とは何ぞや、というところから説明しなくては。
(まぁ、かつて高校生という身分を体験したことのある人であれば、大体のところは察していただけるとは思うけど。)


これは、今から30年以上も前の話だ。
地元ではちょっとした進学校として知られるA高校に晴れて入学した私。
だが、浮かれ気分もほんの束の間、入学して一ヶ月もしないうちに私は大きな壁にぶつかってしまった。
私が毎晩長時間かけて悪戦苦闘しなきゃいけない、そしてそこまでしてもなお、解き方が全然わからないような数学の宿題を、何の苦労もなく短時間でスイスイ片付けていくような秀才君・秀才ちゃんが、この学校には掃いて捨てるほど(...いや失礼、捨てちゃだめだよね)、た~くさんいたのである。
圧倒的な才能の差を見せつけられた私は、「完敗...」と潔く白旗を掲げるしかなかった。
それからしばらくの間、成績は「中の下から下」のあたりを低迷し続ける。


理数系へと進むのはもはや不可能とわかったので、卒業後に目指すべき方向は自然と固まった。
文系に行くしかない。
文系学科・学部にしても、二次試験で数学を課すようなところ(経済学部とか)は逆立ちしたって絶対無理。最初っから候補には入れない。
試験科目が文系科目(英・国・社)だけで済むようなところへ行くしかなかろう...という結論に至った。


中学からずっと洋楽を聴いてきたので、英語は文句無しに大好き。これは問題無し。
歴史も世界史だったら(ベルばらファンなので)得点源にできる。昔から暗記は得意だし。



残るは、国語ただ一つ。

【うーん...。
得意なんだか、不得意なんだか、自分でもよくわからない...。
ええいっ、多分何とかなるって!
だって文系人間だもん。
国語が苦手なわけないじゃん。
最後の最後にちょっと手入れすれば、どうにかなるさ!】


この行き過ぎたポジティブ思考(と、お粗末極まりない現実分析能力)、今振り返ってみると相当恥ずかしい、と思う。
よくあそこまでおめでたく生きていられたもんだ。
若いってすばらしい。(アハハハ...☆)


苦手な国語については長いこと何の対策も講じることも出来ずにいたが、秋も深まって来た頃、運良く代ゼミの名物講師・田村秀行氏による「田村の現代文」シリーズを発見。土壇場で滑り込みセーフ、である。
田村先生のおかげで現代文だけは辛うじて平均点以上をキープできるようになった。


新・田村の現代文講義―代々木ゼミ方式 (1) 評論〔基本問題〕篇
田村 秀行
代々木ライブラリー
売り上げランキング: 18,698
(我々の時代には「新」なんてついていなかったぞ。さてはバージョンアップしたな、おぬし。)

だが、古文・漢文の方はもう、お手上げ。最後の最後まで惨憺たる状態であった。
あまりにも不得意過ぎたもんで、最終的に受験した4大学5学科のうち3枠を「古文・漢文を出題しない」学校、つまり、国語の試験は現代文のみ、という学校でがっちり固める奇策を使う羽目となった。


何でそこまで私の古文力はメタメタになってしまったのだろう。
どうも、高校入学後のある時期を境にして

「古文の時間 イコール お昼寝タイム」

という図式がしっかりと身体にインプットされてしまったから、らしい。


当時、クラス一の大食い女子だった私(運動部にも入っていないくせにさ...。)にとって、弁当を食べ終えた後の5時間目の授業は、睡魔との闘いが繰り広げられる、ある種の「トワイライト・ゾーン」でしかなかった。
校内の自動販売機にコーヒー牛乳はあるものの、カフェインがギンギンに入った大人っぽい味のコーヒー・紅茶の類は、一切無し。
みんな大好き♡なコーヒー牛乳だけれども、眠気覚ましに使いたい人にとっては、何のありがたみも薬効も無い。
授業時間中は一切外出禁止、という校則があるため、たとえ昼休み中でも外の自販機に缶コーヒーを買いに行くことは不可能だった。
なので、睡魔からの攻撃にはただひたすら耐え抜くよりほかなかったのだ。


...もしくは、おとなしく睡魔に屈服してしまう、か。


先生が板書するのをノートにふるえた筆致で書き写そう(後から読み返しても何を書いたのかちっともわからない。)と試みてはみるものの、また睡魔に襲われ、いつしか机の上へと突っ伏す。
ひょっとしたら、いびきの一つや二つぐらいはかいていたかもしれない。(ちなみに我が校は共学である。)


突然、はっ!と目覚めの瞬間が訪れた時には「あ、私、眠ったりしてませんから!」と、教壇の上の先生にアピールするかの如く無理やり身体を起こし、黒板方向をじっと見つめ、熱心に授業を聞いているようなふりをする。
で、しばらくの後、また意識が遠のき、ゆったりゆったり、舟漕ぎが始まる、と...


よくもまぁ、毎日性懲りも無くこんなことばかり繰り返していたもんだ。
呆れる。


何の因果かは知らないが、うちのクラスの時間割は、なぜか午後イチで古文が入る、という日が多かったように思う。
担当するのは、横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の熱狂的なファンだった(いや、現在もきっとそう。)Y口先生。


中・高校生だった頃、毎週月曜夜にTVK(テレビ神奈川)で見ていた洋楽情報番組・ファンキートマト(略称・ファントマ)。番組が終わると、数分以内に必ず流れたのが大洋ホエールズの球団CMでした。「♪行くぞ大洋 行くぞ大洋 行くぞ大洋 Go Go Go Go!!! ど~ろにまみれ~て~ す~べり~こ~み~...」の部分はしっかり脳内に刻まれました。

「いや~、昨日の齊藤(明雄選手。当時は「ヒゲの斉藤」として有名)のピッチングは最高に良かったですねー。巨人打線がコテンパンにやられて、もう、痛快で痛快で...!(以下略)」


といった、お馴染みの大洋アゲ⤴アゲ⤴=巨人サゲ⤵ネタでひとしきりハッハッハ( ̄∇ ̄;)とみんなを気持ち良く笑わせてくれる、とっても楽しい先生なのだ。
で、巨人ファンの生徒も負けじとしっかりツッコミ入れたり、当時絶頂期を迎えていた阪神ファンも先生のアンチ巨人発言に加勢してみたり...と、クラス内の雰囲気はたちまち和やかになる。
そんなゆる~いやり取りを聞きながらリラックスするうちに、いつしかまぶたは重く、身体は前のめりに、意識がもうろうとなり...


ってなわけで、またしてもお昼寝タイムへと滑り落ちてしまうのであった。
腹満ち足りた後の、日当たりの良いあたたかな教室でむさぼる、午後イチの惰眠。
あの心地良さは経験した者にしか理解できないだろう。
(いい子ちゃん・モテ子ちゃん・まじめ子ちゃんとして人生を送ってきた人には、まず通じない話だと思う。)


♪あったかいんだからぁ~ (←古っ)



「そんなに眠くなるなら、昼ご飯の量をセーブすればいいじゃないか」と思うのは、大人になって、ある程度食と体調との相関関係が理解できるようになった今だからこそ。
でも、あの頃はそうも簡単に割り切れない、貧乏高校生なりの複雑な事情が居眠りの背後にいろいろとあったのだ。


当時、親からもらう小遣いは月当たり4-5000円ほどだったように思う。
それでも、「これだけは絶対欲しい!」というレコードや雑誌の購入を最優先してしまうと、大した額は残らない。だから、常に金欠でピーピーしていた。
(一応進学校だったので、勉強についていくのが大変だったため、バイトなどはとても考えられなかった。)


慢性金欠高校生であった私が当時何よりも恐れていたこと、それは
「空腹」
「飢餓状態」
に陥って苦しむこと、だった。
今でもその恐怖は自分の中に根強く残っているように思う。
出されたら出されただけペロッと平らげてしまう。
困ったことに、胃腸は丈夫なのでそれでトラブルが起こったりすることは滅多に無い。
さすがに最近では医者に「あなた、このままだとまずいわよっ」とお小言をちょうだいしたので、かなりセーブして腹八分目でストップできるようになったけど。
(これ、飢餓状態で死んでいった過去世の名残かなんかなんだろうな。多分、すぐ前の前世だと思う。)


なので、放課後にお腹が空くと、このような「貧乏学生の救世主」である王道駄菓子のみなさんにどうしても頼らざるを得なくなる。
1つあたり10円か20円だったからね。


やおきん うまい棒 たこ焼味 6g×30袋
やおきん
売り上げランキング: 3,003

菓道 キャベツ太郎 14g×30袋
菓道
売り上げランキング: 1,063

格安スナック菓子にはどれだけお世話になったかわかりません。
「100円でこんなに買えるよ!!!」なんて言いながら、嬉々として毎日新聞部の部室で山のように食べまくっていた私。ドアホ。


伝説の激安炭酸飲料・チェリオ。
1985年前後のお値段は1本60円。
私らの頃はネジ式ではなく、王冠タイプのキャップだった。
うちの学校の校門すぐ脇の店の前に自販機があったので、
毎日舌をカラフルに染めるツワモノ生徒も珍しくなかった。

画像はhttp://blog-imgs-21.fc2.com/h/e/n/henyacyoko/CHERIO_001_R.jpgさんのものをお借りしました。Thanks!

とにかく、自分としては、夕方ラッシュ時の混んだ小田急線の電車で、空腹のあまり気持ち悪くなる、なんてことだけは死んでも避けたかった。(空きっ腹だと乗り物酔いしやすい体質なんですよ、昔から。)
だったら、昼ご飯はしっかりと食べておかなくっちゃ。
そのためには、古文の授業には多少犠牲になってもらうことも止むを得ないか、と...。
今考えても、切ないんだか、アホなんだか、自分でもよくわからない屁理屈である。


昼休みを終えた生徒たちが気持ちよく授業に入れるように、とY口先生が毎回してくれていた野球トーク(ほとんどは大洋ホエールズ話)だが、私には少々効き過ぎて、気分良くなり過ぎてしまったようだ。
ありゃ絶対に催眠術並みの効き目だったよ。Y口先生、美声過ぎです。
(Y先生の名誉のために急いで付け加えるが、授業の最初から最後まで居眠りせずに起きていた日だってあった。落第することなく、無事に卒業できたのが何よりの証拠。)


(以下、「その弐」へと続く。)

0 件のコメント:

コメントを投稿