2016/02/29

ありふれた、人目につかぬ人生こそが。

今日もキャロライン・メイスの言葉を紹介しましょう。


「『人並み外れてすごい人になる』。
これが人生の一大目標だ、と言う人、実にたくさんいます。

あなた、何言ってるの?
「特別な何か」のために生まれて来た人なんて、いやしませんよ。
一体どこからそんな考えを仕入れてきたの?

ごくごくありふれた、人目につかないような生き方。 
それこそが、あなたにとっての最高にすばらしい人生となり得るのです。 

自分を失うことなく、しっかと捕まえていなさい。 」

キャロライン・メイス



(Caroline Myss Facebook: 2/23/2016 投稿のToday's wis-bitより拝借。)


上の言葉がお気に召したのであれば、こちらの一冊(中古で入手するしかないのですが)もおすすめできるかな、と思います。


思いやりのチャクラ―あなたの選ぶ行動が奇跡を起こす
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第三章「自尊心の贈り物」からの引用です。


「(...)人はだれでも人に尽くすことを学び、そしてその行いを認めてもらいたいという願望を手放すという課題に向き合わなければならない。」 
(キャロライン・メイス、「思いやりのチャクラ」、服部由美 訳、サンマーク出版、2007、p.169)

最初の Today's wis-bit(本日の「プチ名言」←wisdom 知恵、叡智、名言+bit 少々、小片...から成る造語。)に登場した、「人並み外れてすごい人になる(to be extraordinary)」という、誰もが一度は抱いたことのある望み。


これは、要するに自分が成し遂げてきたことや、自分という人間に対して、


「すごいね〜!」
「立派だなあ!」


という賞賛の言葉を送ってもらいたい、他者から「すごい!」という憧れの眼差しで見られたい、という願望のこと。
前々回の記事に登場した中年男性はまさにこの落とし穴にはまり、予想外の結果を招いてしまったのですよね。
ひとつ扱いを間違えてしまうと、人生が大きく狂いかねません。



しかし、そのような「私が...」「私が...」という、エゴの部分から生じる承認欲求はいずれ手放さなければならない、と、メイスは言います。
もし、霊的にさらに成長したい、と心から願うのであれば。


「感情を交えない霊的な(人に尽くす行為)の道を歩んでいる時には、自分のことや願望は手放す必要がある。  

人がすべきなのは、自分の行動にもてるかぎりの美徳に対する信念と確信を吹き込み、それを宇宙に解き放つことによって、<目には見えない行い>をすることなのだ。」(同上)

目には見えないけれど、世のため人のためになる(と、自分が強く信じられるような)行いを地道に続ける。
そうした霊的実践の道を歩む人の人生は、他人の関心をひこうと躍起になっている人の、俗世間の枠組みから逃れられないような人生とは、おのずから性質が大きく違ってくるはずです。






キャロライン・メイスが本書の原題を


【Invisible Acts of Power】
(目に見えないけれど、力をもたらしてくれる数々の行為)


とつけた理由。それは、


「ありふれた、人目につかぬ、 
一見つまらなく見えるような人生の中にこそ、 
霊的に成長するための糧がひそんでいる。」



この確信が彼女の中にしっかりと固まっていたから、なのでしょうね。




...と、まぁ、ここまでずっと「ほろりと来る、ちょっといい話」っぽいキャロライン・メイスの側面を紹介しておいて出すのも何ですが...



この人、「生まれも育ちもシカゴ、がらっぱちで口の悪い60過ぎの断言オバちゃん」でもあります。オーディオブックや、DVDでの講演録にはっきり出ています。



霊性だとか、神の恩寵だとかといった、深遠な話題ももちろん素晴らしいんですが、そうした話題を一切封印して言いたい放題・断言オバちゃんキャラに徹する(というか、こっちが「地」でしょ!)キャロライン・メイスも、私はやっぱり好きですね。
日本だったら、「浪速(ナニワ)のオバちゃんキャラ」が一番近いかなあ?



こちらは、1年半程前の、OWN(オプラ・ウィンフリー・ネットワーク)の番組からのクリップ。
相談に訪れたのは、「職場で自分を強く押し出せない、自己主張できない。だから、軽く見られてしまう。攻撃的にはなりたくないんだけど...。」と悩む、いかにも人の良さそうな(悩み相談しながら、ついカメラや周囲の人々が気になってしまい、微笑まずにいられない...。)お兄さん。



対するキャロライン・メイスは、「ピーナッツ」シリーズの姉御肌キャラ・ルーシーを思わせるようなストレートな物言いで、バッサバッサと相談者の悩みを斬り捨てていきます。


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A Peanuts Book Special featuring SNOOPY―ルーシーの心の相談室

(この、「街頭お悩み相談デスク」企画、元ネタはほぼ間違いなくルーシーの「5セント心理相談室」だと思う。いかにも急ごしらえっぽい机と椅子のセットに漂う制作陣のテキトー感、笑っちゃいますね。)





「あなたねー、仕事場は仕事場、なの。 ビジネスなのよ。
仕事はセラピーではないし、家族でもない。 
個性を受け入れてもらおうとか、自分を認めてもらおうとか、期待するのはやめなさい。
人としての成長だとか、挑戦だとか、そんなのはどっかの奥地にでも行ってやればいいの。
あなたという個人が相手から拒絶されている、なんて勘違いしちゃダメ。 
ビジネスと人付き合いとを混同しないこと。 
気合い入れて、シャキッとしなさい! (Get a backbone, not a wishbone) 
  

超意訳ですが、まぁ、ガラッパチな彼女の雰囲気は伝わったんじゃないでしょうか。



いやはや。重層的で、実に面白い人です。
キャロライン・メイスからはまだまだ目が離せません。


2016/02/27

「あなたは特別」というハニートラップ 〜加藤諦三先生、またまた出番です!〜【後編】

【前編】からお読みください。〜



さて、本題に戻って。
ふにゃふにゃと頼りない自尊心に喝!入れて、シャキッとさせて、頑丈になるまで育てていきたい。
今日はですね、そんなあなたに一押しの一冊が...


あります。(キリッ!)


自分を嫌うな (知的生きかた文庫)
加藤 諦三
三笠書房
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タイトルが全てを物語ります。



以前から何度もご著書を紹介してきました、ラジオ番組のテレフォン人生相談でおなじみ、早稲田大学名誉教授・加藤諦三(かとう・たいぞう)先生。
つい最近、ようやくこの「自分を嫌うな」を手に入れました。
(行きつけの書店に注文するのがちょっと恥ずかしかったため、年末の帰国時に日本で購入...。)



いつにも増して核心をズバッと突いたキレのある言葉の連続に、「ひょっとしたらこれは先生の最高傑作なんじゃ...?」との確信は深まるばかり。
自分の過去を言い当てられたことに気付いた瞬間、息を呑み、しばし放心状態に陥る...ということも幾度と無くありました。
超・濃厚味の集中セラピーを終えて出てきたような、不思議な読後感を体験させていただきました。



前にも書いたことですが、加藤先生の本は私とは相性が良いようで、読み終えた後に他のセラピー系、心理学系の著者による本では味わえないような、特別な充実感が残るんですよ。
これ、いわゆる「カタルシス効果」ってやつですね。ずっと言いたかったけれど、言葉にするのがはばかられてしまいこんでいた心のモヤモヤを、先生が鮮やかにメッタ斬りにしてくれた、という。
いや〜、スッキリした!


まぁ、Amazonのレビュー等から見るに、加藤先生の本には熱烈な賛同者もいる一方で、どうしてもダメ、生理的に受け付けない、という方も大勢いるようです。
体質に合わせて処方しないと全然効き目が出ない漢方薬みたいなもので、合わない方にはからっきし合わない。
苦くて不快っていう後味が残るだけ。



まず、加藤先生の場合、お父様との長年の葛藤から来る恨み節(←失礼。)のようなネガティブ感情が全ての著書において通奏低音のように流れていますので、


「親と仲良し。親、大好き。」


という方には、全く合わないと思います。
悪いけど、他を当たってください。


それから、


「人間不信」

「孤立無援」

という言葉を聞いても、全くピンと来ない人。平静でいられる人。
あるいは、それがどういう状況を指しているのか、体験したことが無いからわからない、という人。








こちらも、他へどうぞ。
「何でこんなに物の見方が暗いの〜?ひねくれてるの〜?」と、不愉快になるだけですから。


あと、


「今に見ていろ俺(私)だって」


と、ついひとりごちてしまいたくなるような、ドロドロした劣等感を生まれてこの方抱いた記憶が無い、という(ある意味しあわせな)人。


んー、こちらも他所へ行かれた方が良いかと存じます。
無理して読まずに、他にもっと共鳴できる著者に直行するのが無難でしょうね。
その方が時間もお金も有効に使えますし。



加藤諦三ワールドって、ある意味、ダークでディープでグロくてじめっとしていますよね。
昭和時代(特に戦後)が作り出してしまった闇の部分を多分に引きずっているような、そんな世界が展開されていると思います。
(無理もありません。本文中、具体例に登場する人物の大半が昭和、特に戦後の高度成長期に現役だった人々ですしね。平成生まれの若い世代なんて、ほとんど出てきませんから。出てきても、せいぜい端役・脇役止まりでしょう。)



戦後復興、その後の高度経済成長に飲み込まれ、金・金・金...の拝金主義に毒されてしまい、「人間として何が一番大切なのか」を考えないまま、もしくは考えることを上の世代や時代から禁じられたまま、ここまで来てしまった人達。そして、その歪みをもろに食らってしまった、その子供達。
昭和の負の遺産を背負った彼らがいかに病んでしまったか、どうしたらその病を克服し、少しでも生きづらさを解消して、自分なりの幸せを作っていけるか。
加藤諦三さんのお仕事は、そうした


【昭和ネガティブからの解放】



というテーマでひとくくりにできるのではないかな、と、私は考えています



ですから、読む側にもある程度の【昭和ネガティブ】に関する予備知識が必要となってきますよね。
内部に同質の、あるいは類似の、呼応する【昭和ネガティブ】な部分がある程度存在しないと、感情移入なんて
無理。
で、感情移入できなければ、「あっ、そうか!」と腑に落ちて、スッキリした〜!と満足することもないわけで。



「辛いけど、これは壁をぶち破るためにはどうしても読んでおかねばならない」という気持ちがこれっぽっちも湧かず、「ただただ読むのが苦痛」としか感じられないのであれば、きっと加藤先生とはご縁が無かったんですよ。
あなたがおかしいのでもなければ、加藤先生が悪いわけでもない。
とっとと他を当たりましょう。




2016年度・今年読んで良かった本ベスト3入りは間違い無し、と早くも確信しているこの、「自分を嫌うな」。
赤線引っ張ったところが多過ぎて、もう数えるのも面倒なくらいなのですが、せっかくですので少しだけ引用しときましょう。
まずは、先のHONYに登場した、妻子に見捨てられてしまった中年男性に真っ先に聞かせてあげたい、この言葉。
自己評価・自尊心の問題に悩む全ての方に贈ります。


心の底で自己評価の低い人間は、自分にすりよってくる人間、自分に迎合してくる人間を望む。 
ところが、自己評価の高い自由な人間は、自分にすりよってくる人間を拒否する。(p.188)


確かに、男性側に「この程度なら」という認識の甘さがあったのは事実でしょう。それはご本人もよくわかっているようです。
でも、結婚20数年、子供が5人、なんて家庭の、いい年したお父さんに目をつけ、「あなたって特別」なんて甘い言葉や態度をちらつかせながら不倫関係を結んだ女性も女性、じゃありません?
まぁ、どっちもどっち...なんでしょうね。
片方だけが全面的に悪い、とは言えないはずです。



浮気に走る直前、この男性は(たとえ外からははどのように見えていようと)長年連れ添った妻との関係がうまく行っていなかったようですね。
その結果、男として、夫として愛されているという自信を失いかけていました。
自分に魅力が無いのだろうか、なんて気にしていたかもしれません。



不倫相手の女性から好意を示されたのは、そのような危うい時期だったみたいです。だからこそ、「よし!自分もまだ捨てたもんじゃないぞ!(歓喜!!!)」と、すっかりのぼせ上がってしまったんですね。
で、軽い遊びのつもりが、抜け出すタイミングを失して、ズブズブと深みにはまってしまったのでしょう。



仮に、この男性が奥さんとラブラブで、責任ある夫・父としてのプライドをしっかり持っていて、「自己評価の高い自由な人間」として地に足のついた生き方をしていたならば、
「おや、何だろう、この女。俺に気があるのかな。まぁ、嬉しくないわけではないが、でも、面倒なことになるのだけはごめんだ。うまくやり過ごすとしよう。」
...こんな感じで冷静に対処していれば、家庭崩壊という悲劇だけは避けられた...かもしれません。



次は、加藤先生の十八番的テーマですね。
「毒親」を持つ人特有の「生きづらさ」、その理由が述べられています。


「仕事における自己に対する高すぎる要求水準であろうと、人間関係に対する高すぎる要求水準であろうと、なぜそんなにまで高い要求水準が出てきたのか。
それはいうまでもなく親の高すぎる要求を内面化したからである。」(p.86)


親、特に加藤先生の言う「我執の人」タイプの親(支配過剰で、子供に自分の理想をゴリ押ししてくるような親。)との間がしっくり行かなかった、もしくは今なおしっくり行っていない、と感じている方。
そんな方でしたら、この「高すぎる要求水準」について説明は不要でしょう。



職場やママ社会など、人付き合いで、「今まで愛想良くしていた人が突然牙をむきだした」という経験したことありませんか?
どうやら、その原因は相手の「甘え」にあるようです。


「甘えた人間と、甘えていない人間が接触した時、傷つくのは必ず、甘えていないほうの人間である。 
(...)甘えた者は、他人に自分の受け入れを際限なく求める。そして、自己が受け入れられないと感じた時は周囲に攻撃性を示す。 
(...)結局、甘えた大人とつきあえるのは、甘えた大人だけである。」(pp. 146-147)

一見、きちんとした所のきれいな奥様風って感じの女性たちが、作り笑顔を浮かべながら褒め殺しの応酬をやっているところに出くわしたことってありません?



あれ、要するに「私もあんたのことをこれだけほめてやってるんだから、あんたも同じ分だけ返しなさいよ」と、他人からの賞賛が無いと生きていけない、甘えタラタラ人間が複数人揃うと必ず起こる、壮絶バトルなんですね。おぉ、こわ...。
で、とある筋から「あの人、陰で悪口言ってましたよ」なんて伝え聞こうものなら、そりゃ〜もう大変。
戦闘開始まではあっという間です。



といった具合に、文庫本一冊の中にいろいろなヒントが詰まっていて、読み応え十分です。



前にも貼り付けた動画ですが、復習用にもう一回載せておきます。




加藤先生のメッセージ、ざっとまとめるとこんな感じですかね。


幸せになりたいならば、自分を嫌いにならないこと。
一気に「好き」の段階に行かなくてもいいのです。
とりあえずは「嫌いにならない」という目標を設定し、それを一生涯キープしていきましょう。



じゃぁ、自分を嫌わないようにするためには、どうすればよいのでしょうか。
まずは、おのれの弱点から目を背けず、拒否せず、今ある姿のままに認め、受け入れる。
そうすれば、今まで気付かずに見過ごしていた長所や美点も自然と認められるようになっていきます。


周りの人々にあたたかく受け入れてもらいたい。
だったら、同じように自らの欠点も、美点も全て引っくるめて受け入れるのです。
自分の欠点を受け入れていない人が、人の欠点に寛容になれるはずがないでしょう。
同様に、自分の美点が見えない人は、他人の美点も見えません。


まずは、「自分を嫌うな」から始めましょう。




最後に。
この本のタイトル「自分を嫌うな」が目に入った瞬間、心の奥底がチクリと痛んだ、そこのあなた。
あなたはきっと、傷つきやすいけれど、人の痛みや苦しみがわかる人ではないでしょうか。
本当は「やさしい人として生きたい」と願っていますよね?
だったら、さっきあなたが感じた痛み、どうか「なかったこと」にだけはしないでください。



どうかあなた自身にもそのやさしさを向けてあげてください。



無視したからと言って、傷ついた部分は自然消滅なんてしないんです。
痛みがあるのなら、きちんと向き合って、対話して、その正体を明るみにしていかないと。
さもないと、どんどん肥大化し、醜い姿へと変わり、都合の悪い時に戻ってきては存在をうるさく主張し始めるようになりますよ。



そうなる前に、どうにかしたいものですね。

「あなたは特別」というハニートラップ 〜加藤諦三先生、またまた出番です!〜【前編】

Facebook上に、"Humans of New York(略称・HONY)"という、多くの人々に愛されているページがあります。
ご存知の方も多いのではないでしょうか。

https://www.facebook.com/humansofnewyork/?fref=ts


【公式HP】http://www.humansofnewyork.com/

【フェイスブック非公式日本語ページ】
※英語版投稿の一部を抜粋して、有志の方々が翻訳されているようです。※
https://www.facebook.com/HONYinJapanese/


若手カメラマンのブランドン・スタントンさんが2010年から撮り続けている、大都会・ニューヨークの今を生きるごく普通の、名もない一般市民のスナップ写真。


被写体となった人々が語った生の言葉を写真に添えて、毎日Facebook上に数枚ずつアップしていく、という形式がじわじわと反響を呼び、今では一日につき軽く数万もの「いいね!(Like it!)」評価を獲得する程の人気ページとなっています。





ブランドンさん、こんな風にニューヨークの街を歩き回って、被写体に直接アプローチし、色々とおしゃべりしながら写真を撮らせてもらっているんですね。
どんな相手に対しても同じ目の高さからまっすぐに、誠意を込めて語りかける。
そんな彼だからこそ、被写体となった人も思わず心を開いて、ポロッと本音発言を漏らしてしまう、のかもしれません。


既に書籍化もされていますよ。
こちらが2013年発売の、最初の写真集。

Humans of New York
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昨年秋に出た2冊目の写真集では、被写体となった人々の語るライフストーリーが主役を務めました。


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そして、待望のお子ちゃまニューヨーカー特集。小さなおしゃれさんの笑顔がたくさん詰まっているはずですよ。


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こちらの記事(日本語)でもHONYの略歴がわかりやすく紹介されていました。


Global Voices日本語版 2014/10/10掲載
【スナップ写真で街の住人を紹介。世界を身近に感じられる「ヒューマンズ・オブ・ニューヨーク」シリーズ】



HONYをチェックするようになってから約1年半。
印象に残ったエピソードや人物を挙げればきりがないのですが、つい数日前に掲載された(※英語版Facebookページのみ)、とある寂しげな表情をした中年男性の言葉、そしてそれに寄せられた読者からのコメントは私自身の課題とも重なる部分が多かったため、特に心を打つものがありました。
というわけで、自己流で日本語訳を付けてみましたよ。



男性の写真はこちらでご覧ください。HONY公式HP中の該当ページに飛びます。

http://www.humansofnewyork.com/post/139737397206/i-was-married-for-25-years-and-had-five-children

(どうも、元米国大統領で、ヒラリーさんの旦那さんのあの方に雰囲気が似ている気がするのは、話の内容が内容だから...でしょうか?)


「結婚は25年続いたよ。で、子供が5人。それなのに、僕の方で心にちょっとした誤作動が生じて、人生がめちゃくちゃになってしまった。浮気したんだ。いわゆる情事、ってやつさ。 


『あなたはすごい人。』 
誰かにそう認めてもらいたかった。


その気持ちが抑えきれなくなってしまったんだな。

女房に落ち度は無かった。離婚した今でも、無いさ。まぁ、夫婦なんて、結婚して25年も過ぎれば、マンネリ化するものだからね。 


ちょうどそんな時、別の女が近付いて来て『あなたは特別だ。』なんて言って、ちやほやしてくれたら...そりゃもう、猫にマタタビ、となるよ。いくらでも欲しくなる。で、『じゃあ、そのうち昼飯でも一緒に。』なんて調子で話が進んで...と。

だけど、結局のところ、自分は自分でしかない。 


他の人がどのように思わせてくれようが、自分は何一つ変わりはしなかった。 
一時限りの感情、それだけさ。本気で追いかけたりして、我ながら愚かだったと思うよ。」

(原文)
“I was married for 25 years and had five children, but I allowed myself to make decisions based on emotional glitches. I had affairs. But they were affairs of the heart. I think I had a hunger to see myself as a great man in someone else’s eyes. My wife was a fine person, and she still is, but after 25 years of marriage things become settled. And when somebody else comes along and makes you feel like something special—it’s like catnip. You want more of it. You want to say: ‘Let’s get lunch sometime.’ But in the end, you are what you are no matter how somebody makes you feel. It’s just a feeling. And I wish I hadn’t chased it.”






この男性の写真には、今日の時点(2016年2月27日現在)で4000近いコメントが寄せられているのですが、その中で特に多くの賛同者を得ているのが、Alan D.さんという男性の方による、次の言葉です。
私も思わず、「いいね!(Like it!)」ボタンをクリックしてしまいましたよ。



「浮気した奴が悪い、と、この男性一人を責めるのは簡単だ。 だけど、この話は、なぜ人間が浮気に走るのか、という問題を心理学的に実にまっとうな形で説明してくれているように僕は思う。  

人は『自分は特別』と感じさせてもらいたいがために、つい、浮気へと逃げてしまうことがあるんだ。

実際、彼自身、認めてるじゃないか。『つかの間の、ニセモノの恋』でしかなかった、ってことを。

気付くのが遅すぎたよね。奥さんが彼の元を去ったのは無理も無いと思う。でも、この一件から得られたことだってあっただろうし、彼の今後の成長にとっても良かったんじゃないかな。」

(原文)
You know, it's easy to just condemn this guy for cheating on his wife, but I think this provides a very valid psychology for why people sometimes have affairs. It's about feeling special, and he admits that it was ephemeral and false. It was too late, and his wife should have left him, but there's merit to the story and to his evolution.

ここでは、「浮気」「婚外恋愛」「不倫」を道徳的にどうのこうのと語ることは致しませんよ。
ただ、「どんな人間関係であっても、嘘とごまかしが混入されるのは嫌ですよね。」とだけ申し上げるにとどめておきましょう。


奥さんに去られてしまった中年男性の言う通り、そして、コメント主のAlanさんの言う通り、


「あなたって特別な人なの」
「君は他の人と違うね。特別な存在だ。」


と言われて、グラっと来てしまう人は、確かにいますよね。
性別に関係なく。
...この手のおだて文句に弱くて、実際に誰かに言われたら、コロリと一発で参りそうだ、という方。
お客様の中にいらっしゃいますかー?


(ハイ!ココニ約1名、オリマス!!!)


あれまぁ〜、危ない、危ない。
外の空気に当たってちょっと頭、冷やしてきた方がいいですね。
どうも、「あなたは特別」という言葉には媚薬のような、人の判断能力を狂わせる作用があるみたいです。



他人にわざわざ「特別」扱いしてもらわなきゃいけないほど、脆弱で、ふにゃふにゃな自尊心。
(自尊心とは、特にこれといった根拠が見つからなくても、「うん、私はこれでいいんだ!」と、胸張って断言できるたくましい心...と、私は解釈しています)



これ、実に大きな問題でしてね。
何の対策も講じないまま、フニャフニャと頼りない状態のままに放っておいては、いざという時にとんでもないことになります。
この写真の男性が体験したように。
覆水盆に返らず。壊れてしまってから悔やんでも、遅いんです。



恋愛関係に限った話ではありません。周りをぐるっと見渡せば、ここかしこに「あなたは特別」の甘い誘惑が仕込まれていますよね。
例えば、
「あなたたちライトワーカー(Lightworker)が地球の未来を救うのです...云々」
といった、いかにもニューエイジ/スピリチュアル女子受けしそうな文章だって、要は「あなたたちは選ばれた人です。」という説を何とかして信じ込ませたい、という発信者側の意図が反映されているんですよ。
その他大勢と差別化し、ワンランク上へ持ち上げてやるような物言いをすることで、ポワワ〜ンといい気分にしてあげる、という。(で、あわよくば財布の紐もゆるやかに〜♪...ってね。)
「そうよ!私たちには宇宙から特別ミッションが課せられているのよ!!!」と奮い立つ一方で、実は内心「何も知らない、波動の粗い一般ピーポーは哀れよね...フッ。(笑)」とほくそ笑むような人、もし本当にいるとしたら...う〜ん。(...いや、確実に一定数はいると思う。本人たちは認めたくないだろうけどね。)


【後編】へと続きます。

2016/02/16

続・異端は痛い

前回の「異端は痛い」で紹介した3段階の力について、もう少し書いておくとしよう。自分用の、覚え書き。


「危機に反応するのに、私たちは、

 集団[Tribal =部族の...筆者注。以下同様。]、

個人[Individual]、

象徴視点[Symbolic]

という三つの力を、自分が身につけた順に使っていく。
歴史的にも、個人としても、これはまったく同じプロセスだ。」


チャクラで生きる―魂の新たなレベルへの一歩
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(キャロライン・メイス 「チャクラで生きる」[原題:Why People Don't Heal and How They Can] 川瀬勝 訳、サンマーク出版、2000、p.142)


文庫本もあります。Kindle化して欲しいんだけどなぁ...。

チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
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たとえば、一家の大黒柱であるお父さんが、突然交通事故に遭った、とする。
幸い一命は取り留めたものの、長期間のリハビリが必要な状態となってしまい、そこそこのポジションまで上がっていた会社を辞めねばならなくなってしまった。
苦しくなる一方の家計を支えるために、お母さんはフルタイムで働きに出なければならない。
子供たちも好きな習い事をやめなければならない。
こんな時、家族は一体どういう反応に出るか。
おそらく、


「一体なぜ、私たちがこんな目に」


という、やり場の無い怒りを込めた問いを繰り返すのみ、だろう。
自己憐憫や、怒りが転化してのうつ状態に陥ることも予想される。
無理もない。
足元の地面がガラガラと崩れていくような状況下で、正気を保っていられる人など、ほとんどいないのだから。



だが、いつまでも恨み節ばかり繰り返しているわけにはいかない。事は起きてしまったのだ。
「どうしてこんな目に?」
「どうして、他の人にではなく、自分に?」
と問いかけるだけのレベルをいつかは脱していく必要がある。
さもないと、同族集団から「かわいそうな犠牲者」との烙印を押され、それが定着してしまう。



(他人の不幸は蜜の味...って、いや〜な言葉ですよね。まさにこの、不健全な集団/同族意識のダークサイドそのものですよ。
「あんたたち、そのまんま不幸でいいよ。
成長しなくて、幸せになんなくていいよ。
惨めなまんまでぐるぐる下の方徘徊してたらいいさ。
そうすれば、我々が脅威を感じることなんてないからね〜!」
...上に行こうとする人の足を引っ張ろうとする集団/同族意識、上手にスルーしたいもんです。)



ある程度の期間は「喪の悲しみ」をとことん味わうというのも必要だろう。
これが、いわゆる「魂の闇夜」(Dark Night of the Soul)と呼ばれる、出口の見えない長い長いトンネルのような苦しい期間。
いつ終わるのか。
そもそも本当に終わる日が来るのか。
当事者にすら、
全くわからない。


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(キャロライン・メイス流の「魂の闇夜」論です。超おすすめ。)


やがて、多くの人はこのような自問自答の無限ループに巻き込まれる。


「自分は、この災難を自ら招き寄せたのだろうか?」
「今までの人生で、何か原因となるような罪を犯しただろうか?」


たった一人の被告人、すなわち自分ばかりをつい、責めがちなこの時期。
心身の健康が損なわれやすく、非常に注意が必要とされる。
神仏、もしくはそれに相当する「聖なる存在」の助けが得られないと、苦しみは長く、耐え難くなるばかりだ。


メイスは更に続ける。
(引用中の「病気」という語は、より広義に「危機的状況」と拡大解釈できるだろう。)


「病気という危機が、低いほうのチャクラを通して同族意識に浸透したあと、それは徐々に個人の心へと入っていく。


この移行は重大であるとともに、大きな怖れを伴うものだ。
 


なぜなら、同族意識のレベルで考え、行動しているうちは、私たちの体験も集団の支援を受けることができるからである。
 

しかし、それが個人の精神の領域へと入り、心理的、感情的な反応を引き起こすとき、
 

私たちは自分だけでやっていかなければならない。
 

明日はどんなことに直面しなければならないのか思いめぐらせながら、夜中にベッドに横たわる自分にささやきかけてくる恐れを黙らせることは誰にもできないのだ。」
(前掲書、p.143)


全くもってその通り。
人間は、本来、社会的動物として生きるようにプログラミングされた生き物。
ゆえに、「自分だけでやっていく」というのは実にコワい状況なのだ。



前回書いたように、物質中心・拝金主義にどっぷりと漬かり、神仏などの【聖なる存在】からすっかり遠ざかってしまった日本人・日本社会についていけないな、と感じることが年々増えてきた。
そろそろ同族(集団)意識の呪文から解放されて、「一人で歩いていこうかな...。」と思い始めたところ、意外にもそこにはまず、


「こわい」


という感情が浮かび上がってきた。
こわくないはずがない。「もう枠の外に出たんだから、応援も支えもあげませんよー」って、冷たく宣告されたも同然なのだから。



さて。
災難が起きてから時間も経ち、衝撃も次第に和らいでくると、少しずつ、動いていこうという気力も湧いてくる。
変わらずにはいられない。
それが世の常、人の常...というものである。



思う存分嘆いて、怒って、鬱屈した気持ちを何らかの形で表現し、外に出しきった時には、きっと「魂の闇夜」というトンネルも終点間近なはずだ。
次の課題が少しずつ、姿をあらわす。



いよいよ象徴レベルの力を発動させる段階へやって来た。



そう。
無事、集団/同族レベルの意識(第一段階)から離脱し、
恐れに立ち向かいながら、個人の力だけを頼って旅することができるようになる(第二段階)と、
次は象徴レベルの力の使い方を習得することとなる。
神仏=「聖なる存在」が身近に感じられ、直接(聖職者やチャネラーなどの「仲介者」無しに。)の交信も夢ではない、という段階へとやって来たのだ。


ここまでたどり着けた人には、



俯瞰的な視野


(Copyright: olgacov / 123RF Stock Photo


という、人生を生きていく上で非常にありがたい贈り物が用意されている。
俯瞰的視野、という言葉がピンと来なければ、「近視眼的な物の見方から、パーーーッ!!!と視野が大きく開けること」と言い換えてもいい。



英語に"bird's eye view"(鳥瞰図)という表現があるが、鳥さんの目線でなく、神様・仏様レベルの聖なる存在目線から見た、生命の営みが、つまらぬ個人のこだわりや私利私欲抜きですっきりと、パノラマ画像で見えてくる...ってことだろう。



自分に起きた「不幸」が、実は不幸の形をまとった最大級の幸運であった、とはじめて気付くのも、この段階においてである。



先の交通事故に遭ったお父さんの一家、その後どうなったか少しだけ見てみよう。
力を合わせて苦しいトンネルをくぐり抜けた後、家族の運命は大きく変わっていった。


まず、お父さん。
自身のリハビリ経験を通じて「癒やしと健康」の分野に非常に興味を持つようになった。
一念発起し、数年間専門学校でみっちり学び、国家試験を経た後に鍼灸師として独立。
会社時代に培った幅広い人脈に助けられて、鍼灸院の経営もどうにか軌道に乗り始めたようだ。


次に、お母さん。
ずっと専業主婦だったが、知人の紹介で不動産会社の事務職として勤務。もともと、住まいの分野には興味があったので、次第に宅建の資格を取って収入アップしたい、と、欲が出てきた。通信講座や専門学校の集中講座などを利用し、数年がかりで難関の宅地建物取引士試験に合格し、給料も上がる。細やかな心遣いで、女性客やファミリー客からのご指名もしょっちゅう。


お姉ちゃん。
音大のピアノ科進学を目指していたものの、レッスン代の捻出が難しくなり、断念。その代わり、高校の音楽の先生のすすめで地元国立大学の音楽教育科を受けた。合格後は、週末や夜間にアマチュア合唱団の伴奏ピアニストも務めるようになる。コンクールで賞を取ることばかり考えて突っ走っていた以前より、音楽をもっともっと愛せるようになった気がする。一人で弾いていた時よりも、みんなで音楽を作っていく喜びが味わえて、うれしい。


弟。
私大付属の中高一貫校に通い始めたばかりだったが、やむなく公立校へと転校。居心地は良くなかった。ところが、高校では体育系の部活でまさかの大活躍。毎日が楽しい。
前の学校では裕福な家庭の子が多く、肩身が狭かったが、今の公立高校ではそのようなことは無い。アルバイトも経験した。
自分たちよりもはるかに大変な思いをしている友人の姿を見て、社会の厳しい現実を学んだ。
現在、法学部を目指して受験勉強中。将来は弁護士になりたい。


※以上の話は全てフィクションです。モデルなんていませんよ。※



まぁね。
上の架空の一家の物語は「めでたし、めでたし」と無難にまとめてしまったものの、実際、そこまでうまい具合に展開するかどうか。極めて怪しい。
もし、これが我が家に起こったら、どうなるか。



...どうでしょうねぇ。想像もつかない。



だから、考えても、心配しても、妄想しても、しょうがないわけで。
そんなことしている暇があったら、動け!働け!汗、流せ!でしょ。
で、ひたすら愚直に


「日々の営みは決して無駄にならない。前進は前進。」


と自分に言い聞かせながら歩いていくしかない、と思う。




野望やら、期待(という隠れ蓑をまとった、俗世臭がぷんぷんする「欲望」)なんて、忘れちゃえ。
そんなものは、邪魔くさい同族(集団)意識と一緒に故郷の土地に預けていこう。


旅、特に一人気ままにする旅は、身軽に行くのが一番ですからね。




∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴‥∵‥∴‥∴‥∵‥∴



前回の記事で商品リンクを貼った下のオーディオブックなんですが、私が面白いと感じた箇所、短いですが翻訳してみました。


メイスがいかにして「カトリック」という狭い同族社会の縛りから一歩外に出て、より高い視点から宗教というものを捉え直すことができた、という経験談が語られています。
興味のある方がいれば(←たぶんいないよ...笑。)、と思いまして...。



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Caroline Myss
Sounds True
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【※対談中の略称ですが、

キャロライン・メイス=CM(Caroline Myss)

タミ・サイモン=TS
(Tami Simon:CDの発行元であるSounds True社の創業者で、名インタビュアー。仏教・瞑想に詳しい。)

で表記します。】


TS: 同族レベルの力の縛りから抜け出して、一つ上の段階、つまり個人レベルの力へと移行した、とのお話をされましたよね。もう少し具体的に、ご自身の体験を踏まえて語ってもらえませんか?


CM: 元々、私は筋金入りのカトリック教徒でした。最近では、そこまで堅苦しくない、「キリストの教えに従う者」といった立場へと変わって行きましたけど。


そのような経歴を持つ私がですね、キリスト教以外の宗教...仏教をゼロから「学ぶ」機会がありましてね。
...まぁ、「学ぶ」っていう言い方をするのも変なのですが。だって、宗教とは、ある伝統の枠組の中で「祈る」もの、でしょう?「祈る」か、「祈らない」かのどっちか一つ。「学ぶ」ではない。
歴史的な事実を「学ぶ」ことだって、まぁ、不可能とは言えないものの、そのようなアプローチでは「霊的な力を得る」なんて、どだい無理というものです。


とにかく、当時の私は「何らかの『霊験を得る』ことを目指す、ひとつの伝統」として仏教をとらえ、純粋に研究しようとしていました。
内心では、「仏教なんて、ホンモノの教えじゃないんだし、霊的パワーなんてあるわけないじゃない」と高をくくっていたのですね。


Copyright: kongsky / 123RF Stock Photo


ところが、仏教を学ぶにつれて、それが変わっていったのです。学べば学ぶほど、その教えに強く惹きつけられていく自分に気が付いたんですね。
「あっ、まずい。こんなに仏教のことを好きになってしまったなんて。」
...まるで自分が仏教と霊的に不義密通を犯しているようで、後ろめたい気持ちでした。



私は生まれも育ちも生粋のカトリックなんです。
それまでずっとキリスト教一筋で来ました。
ですから、何としても仏教に惹かれてはいけない、これ以上関わると身の破滅だ。そんな思いで七転八倒しましたね。



結局、最後には流れに逆らうのを諦めました。
で、仏教が説く「非執着(detachment)」「全てが幻想」という真理、そして豊潤な伝統の中に思い切って飛び込んでみたんですね。
すると、最高に気持ち良かった。


かくして、私は[仏教という]新たな力を自分の人生に取り入れることとなりました。
それに伴い、私の内面世界でキリスト教が果たしていた役割も、変わらずにはいられませんでした。
「パワーシフト」が起きたのですよ、自分の中で。
私の内面の構成要素がすっかり変わってしまいました。


あれは大きな転換点だったように思います。

2016/02/08

異端は痛い

「神なき国」となり果てて久しい、21世紀の日本。



この国で「何はさておき、神仏と共に、神仏だけを求めて生きる」ような人間は、はっきり言って【異端】という烙印を押されてしまい、よそ者扱いされてしまう、と思う。
残念ながら。


神。
仏。
聖なる存在。




Copyright: alphababy / 123RF Stock Photo



そんな単語、うっかり口に出そうものなら、サーーーッと周囲から人が引いていく。
「大学程度以上の教育を受けて、学齢期の子供がいて、そこそこ良いお父さんお母さんしていて...」といった、ごくフツーの中産階級日本人のオトナであれば、こんなところが典型的な反応だろう。


彼ら、特に30-40代の母親と呼ばれる女性群(今、こうした人達と接触する機会が多いもんで...。)が何よりも恐れていること、それは


【異端者】という烙印を押されること





【集団意識/グループ・シンクからの追放】という厳罰。


ではないだろうか。




【異端者】とは必要以上に関わり合いにならない方が身のため、である。
自分も同類とみなされて、慣れ親しんだ集団から追放されかねないから。







私は、異国の地に住んで久しい。早いもので、今年で通算17年目を迎えた。
ゆえに、故郷との物理的接点は少ない。
(まぁ、毎年1回は里帰りしているのは、恵まれている方だと思う。)




元々、こちらに移り住む、という運命は自分の意思で選んだ。
それでも、年々薄れつつある昔馴染みとのつながりや、里帰り時に味わう「居場所の無さ感」「お客さん感」には、やはり一抹の寂しさを覚えずにはいられない。
物理的に「流刑者」である私が、この上「精神的な村八分」の刑にまで処せられてしまったとしたら、どうなるのか。




そりゃ、辛すぎる。

正真正銘の根無し草決定、なんて、そう安々と認めたくはない。
心はこんなに日本へと向かってやまない、というのに。



(遠い昔、ブラジルに移民した日系一世・二世には、亡くなるまでずっと日本への愛郷心を強く持ち続けていた方が多かった、とどこかで聞いたことがある。
くーーーっ、わかるな〜、その気持ち。
どんなにこっちが恋い焦がれても、遠い祖国から返ってくるのはつれない態度ばかり。
要するに、「片思い」ってことだね。)




そう。
年々強まっていく自分の【異端者】【はずれ者】的傾向。
最後の最後まで認めたくなかった。




それでも、抑えきれなかったのは、「霊性から完全に切り離されてしまった、今の日本の在り方には馴染めない。」という、正直な気持ち。
神仏=聖なる存在と切り離された生活 イコール 日本人らしい生活、ならば、そんなものは欲しくない。
日本的でない、とそしられても構わない。
【聖なる力】を否定し続けて生きるわけには、もういかない。
このことを潔く認めるだけの勇気、どうしても奮い起こせずにいた。




かと言って、故郷/日本という部族との最後のつながりを自らぶった切る。これもまた、やりたくはなかった。
どっちへ行ったら良いのか自分でもわからなくなってしまって、それでしばらくの間足踏み状態が続いていたのだろうな。



いわゆる日本での「売れ線」「人気」「社会の動向」が気になって仕方がない理由も、これで説明がつく。
日本という「同族集団」から、置いてきぼりにされ、切り捨てられるのがものすごく嫌だったからだ。




自分も、日本社会の片隅にしがみつきながら、一緒に時代を旅していたかった。
日本という、程よい大きさで旨味もたっぷりな、世界でも他に類を見ない独特の閉じた同族社会に所属している、守られている、と感じていたかった。
仲間がたくさんいる、という幻想にすがっていたかった。



同族社会は、老若男女、その中にいる人々のことは基本的に守ってくれるもの。確かに、そのメリットは大きい。

だが、私は心の自由という宝を明け渡さねばならない、という負の側面には目をつぶっていた。
そして、



「大丈夫。まだ追放されていないから。
あなたは今でも『日本社会』という同族集団の一員ですよ。」




という、甘い慰めの言葉で自分をごまかし、前へ一歩踏み出すことをずるずると引き延ばしにしていた。




さて。
もう、目をつぶり、逃げ惑うのはおしまいとしよう。




そしてひとりの【異端者】として、自分だけの道を切り拓くことを選ぼう。




同族集団が共有する価値観から自由になるために、勇気をもって次の一歩を踏み出す時期が来たようだ。



神仏の大いなる導きの前に身を低くし、その道具となって黙々と働こう。
おのれの真実に嘘をつくことなく、正直に生きよう。




そして、集団思考という足かせから自由になるというプロセスを楽しみながら、自分を慈しむことをゆっくりと、ていねいに学んでいこう。





キャロライン・メイスによれば、私たちを内面から突き動かす力には3つのレベルがあるという。



人が一生のうちにどこまで到達できるかは、それぞれの意思・資質次第。
ただ、いやしくも「俗世間に生きる神秘家(mystics without monastery=直訳:修道院を持たない神秘家)」の道を歩もうと決意した者であれば、3番目のレベルにまで到達することが必須条件となるだろう。
一生(もしくはそれ以上)をかけて取り組まなければならない難事業ではあるけれど。

1.同族レベルでの力(いわゆる「集団思考/グループ・シンクgroup think」からの教育/洗脳にどっぷり漬かっている状態。守られているため心地良いのは確かだが、その人独自の個性は育たない) 

2.個人レベルでの力(同族集団=生まれ育った集団から拒絶されるというリスクを冒してでも、自分という人間にとっての真理を追求できるようになる)  

3.象徴レベルでの力(宗教、神話、聖なる存在…等々からのメッセージをダイレクトに受け取り、それに従い、「神の道具」たる自覚を持って行動できるようになる)


とりあえず、今の目標はレベル1からレベル2へと意識的に(居眠りしながら、ではなく。)移行すること、かな。
決して楽な作業ではない。どこまで上がれるのかも、わからない。
でも、一度乗りかかった舟だ。
途中で放り出すわけにはいかない。




Three Levels of Power
Three Levels of Power
posted with amazlet at 16.02.08
Sounds True (2010-04-14)




(前半は聴衆を前にしての講演、後半はSoundsTrue社CEOのタミ・サイモン女史によるインタビューとなっています。中身、特濃!!!ですよ。)