2016/10/27

【記事紹介】ジェイン・オースティン「エマ」に学ぶ、認知症介護のあり方。

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原文はこちら。

http://www.nytimes.com/2015/12/20/opinion/jane-austens-guide-to-alzheimers.html


ジェイン・オースティンに学ぶ アルツハイマー型認知症 
(Jane Austen’s Guide to Alzheimer’s)
キャロル・J・アダムス (Carol J. Adams)
New York Times Dec. 19, 2015


私がジェイン・オースティンの「エマ」に辿り着いたのは、50代に入ってから。
世の一般的なオースティン読者と比べれば、遅い方だろう。
父親と二人暮らし、何不自由無い生活を満喫し、村のみんなのキューピッド役を買って出る。
そんな21歳の女性を描いた物語なんて、以前だったら少しも興味を持たなかっただろう。


「火のない所に煙を立てる」とでも言わんばかりに、他人の恋心はさかんに煽り立てる。
なのに、自分の恋となると、目の前にあっても全く気付かない。
このエマという主人公、初めのうちはあまり好きになれなかった。



だが、親の介護という、私にとっては人生の一大危機を体験してからは、その印象も大きく変わった。
あの頃、一体何度オースティンの小説を読み、オーディオブックで朗読を聞いたことか。
飴玉一つをゆっくりと舐め、溶かしていくような調子で、彼女の言葉を頭の中で何度も何度も転がし続ける...。
それが当時の私であった。


母はアルツハイマー型認知症を発症していた。
介護が始まって間もない頃は、オースティンの他の作品に慰めを見出したものだが、病気が進み、中期の段階に入ってからは「エマ」が私の座右の書となった。
最初は単なる娯楽目的で手にした本。
だが、これが私にとても大切な事を教えてくれる教科書であったと気付くのに、そう時間はかからなかった。


母の病気は、いつも私をひょいと追い越し、一歩先へ、先へ、と進んでいってしまう。
だから、我が家には介護関係の本も山ほど揃えている。
その中の一冊に、ケネス・P・シレッピ(Kenneth P. Scileppi)著、”Caring for the Parents Who Cared for You ”(直訳:「あなたを世話した親の世話」)という本がある。



著者・シレッピは本書で次のように述べている。
「認知症が進んだ人の生活で、『これだけは間違いない』という法則が一つあります。それは、


【変化は、どんなものであれ、悪影響しか及ぼさない】


というものです。」


ここを読んだ瞬間私の脳裏をよぎったのは、92歳にして認知障害が目立ち始めた私自身の母親ではなく、エマの父親・ウッドハウス氏であった。
小説の中で、彼は「神経質」であり、「変化と名の付くものはどんなものであろうと」忌み嫌う人物、として描かれていたからだ。


物語作者によると、エマは「苦しみも悩みもほとんどなかった」とされている。
にもかかわらず、彼女はいろいろな苦しみや、悩みにぶつかる。父親にとっては、エマは娘であり、親なのだ。それも、随分と前から。





母は間違いなく認知症の類を患っている、と知ってしまったあの日。
私に誕生日のプレゼントを渡しながら、父が言った。
「これ、お母さんが自分で選んだんだよ。」
母の性格上、誕生日のプレゼント選びを人任せにすることなどあり得ない。
父がわざわざ付け加えたその一言で、私は全てを悟った。
ああ、プレゼントひとつ選ぶにも、父の助けが要るところまで症状が進んでいるんだ...と。



父が気を利かせて言い添えたあの一言がきっかけとなり、私はジェイン・オースティンが「エマ」で読者にほのめかしていた事柄に気付き始めた。エマの父親に対する接し方から判断して、ウッドハウス氏の認知能力が劣化しつつあることは、少なくとも私の読みでは、もはやはっきりしていた。


エマが父親を手助けする場面は、作中に数多く登場する。
たとえば、人への贈り物を選ぶとき。他にも、似たような例はすぐに見つかる。
エマは、父親の関心が横道にそれることがないよう、脇から支えてやり、父親の言いたいことを代弁しつつ、会話のやり取りを引き受ける。
父親の相手をするときは、エマ自身が好むような複雑なゲームを避け、単純なものを選ぶようにしている。


窓の外に小雪がちらつき始めたのを見て、父親が恐れおののき、エマに助けを求める場面がある。
「どうしたらよかろう、かわいいエマや?...どうしたらよかろう?」


シレッピ博士(先述)の公式に従えば、ウッドハウス氏の狼狽ぶりは以下のように説明がつく。


記憶の喪失(memory loss) + 不安感(anxiety) 
= 外部に安心の言葉を求める(search for reassurance)



親の意識が曖昧模糊とした状態へとなりつつあるのを察知したら、子の側からうまく補うようにする。
不安と混乱を前にして戸惑っているときは、安心させてやる。
どっちへ行けばよいのかオロオロしているときは、正しい方向へと向けてやる。
エマにとっても、そして私にとっても、毎日がこうした作業の繰り返しであった。



私は、アルツハイマー型認知症について専門書から得た知識を思い出しながら、「あれはどうなのか」「これでいいのだろうか」と、自問自答し続けた。そうこうするうちに、いつしか私は小説「エマ」を以前よりも一層深いレベルで読み取れるようになっていた。
介護者としてのあるべき姿を、私はエマの一挙一動を追うことでひとつひとつ学んでいったのである。



200年前の今月【訳者注:1815年12月】にその初版が世に送り出された「エマ」。
介護に関わる人々にとって、この一冊が実に力強い応援歌となる。
作中で描かれているのは、介護につきものの、さまざまな困難、要求、フラストレーションだ。
小説の至るところで問題にぶつかるエマの姿を認められるようになってからは、彼女への苦手意識は消えた。
彼女の苦しみのひとつひとつが、我がことのように感じられたからだ。


母を自宅で介護する日々は、終わりなきマラソンのように延々と続いた。
その間私がひたすら聞き続けたのが、「エマ」のオーディオブック版だ。

https://librivox.org/emma-by-jane-austen-2/(ボランティアさんたちによって運営されている、名作朗読の無料ダウンロードサイトです。 
リンク先はカナダ人のMoira Fogartyさんによる「エマ」全編の朗読ダウンロードできるページ。イギリス英語ではないのですが、とっても聞きとりやすい発音です。ぜひ試し聴きしてみてください!)




あなたも少しは一息つかないとダメよ、ということで、友人が2時間我が家にいてくれることになった。
その間、何をしようか?
泳ぎに行こうか?
細々した用事を済ませてしまおうか?
それとも、散歩に出かける?
夢はどんどん広がる。私は、その自由な2時間のことを思い、幸せいっぱいになった。
ちょうどその時、聴いていたオーディオブック版「エマ」で、エマの義兄が、エマの社交活動に一言口をはさむという場面に差し掛かった。
【訳者注:義兄=エマの姉・イザベラの夫である弁護士のジョン・ナイトリー氏。ロンドンで弁護士業を営む。】


エマは猛然と義兄に反発した。
「私、このハートフィールドを2時間も空けることなんて、ほんと、めったに無いのよ。それなのに!」
傍目からは自由に歩き回っているかのように見える、エマ。
だが、彼女の「自由」とは、拘束だらけの中で行われる活動、そして細切れにされた時間の寄せ集めでしかなかった。
ウッドハウス氏が常に家にとどまり、娘の帰りを今か今かと待っているのだから。


ある調査によると、介護従事者の3分の1が24時間休むことなく、アルツハイマー病患者に付き添うことを余儀なくされている、というのが現状だという。エマが言う通り、2時間だけでも外に出ることができれば、まだましな方なのだ。


例の自由な2時間が目前に迫った、ある日のこと。
たまたま聴いていた小説のオーディオブックでも、ちょうどあの「2時間」の部分が出て来たのよね、と女友達に話したことがある。
するとこの女友達、あまりにも小説「エマ」と私自身の生活が符号し過ぎていることを懸念したのか、「あなた、もう、オースティンなんて読むのやめなさいよ!」と強く迫ってきた。


まさか。
冗談じゃない。
私にはエマがどうしても必要だった。
母の介護にあたる身として、もっと忍耐強くいられるように。非難めいた言葉を吐かずにいられるように。
介護の専門書は、私たちに「こうしろ、ああしろ」と言葉で言うのみ。
だが、エマは身をもってそれを私たちに教えてくれている。


母は、他人が家の中に入り込み、生活を覗かれるのを嫌がった。
同様に、夜、私が父の書斎で仕事をすることも好まなかった。


ある晩のこと、母は書斎で調べものをしている私を見つけて、「ここに、いないでほしいの」と頼んできた。
私は答えた。「でも、シャッターはちゃんと下りて閉じているはずよ」
「上のシャッター?」
「ううん、そうじゃなくって。」
「仕事なら、ダイニングルームでしてほしいんだけど。」
「でも、別に私がダイニングルームで仕事する必要なんて、無いでしょ。」
私も意固地になっていた。
当時の私は「アルツハイマーの患者とは、口論すべからず」という解説本のアドバイスにまだ出会っていなかったのだ。


母の方も、一歩たりとも引かなかった。
「仕事するならダイニングルームでしてちょうだいよ。」


最後には私が折れるしかなかった。
この時の私は、母の被害妄想を、病気特有の症状としてではなく、単に「わがまま」としてとらえていた。
手助けならば、もちろんする。
でも、私自身の生活を完全に曲げてまで、母に合わせるつもりはない。
あの頃はそう考えていた。


では、エマの場合はどうだろう。
エマは、父親のウッドハウス氏との言い争いは避けて、目指す方向へと父親を誘導している。
予め解説書をきちんと読んで予習してきたかのような、実にうまいやり方だ。
エマに教えてもらいながら、私は自分を見失うことなく、より多くを与えられる介護者へと成長していくことができた。
彼女がいつも私の心に寄り添っていてくれたおかげである。


時として、介護する者の周りに犠牲者が生じる場合がある。それは「エマ」の作品中でも触れられている。
介護者が冷静さを失い、不安定になっていくとき、誰かしらはとばっちりを食らう人が出てくるものだ。
犠牲者は必ずしも介護を受ける側の人間だとは限らない。その場に居合わせただけの、たまたま通り過ぎただけの、運の悪い人が被害をこうむる場合だってあるのだ。
小説の後半、物語のクライマックスとなる場面で、零落する一方の哀れなオールドミスに向かって、エマは非礼極まりない言葉をぶつけてしまっていた。


大好きなナイトリー氏に厳しく叱責され、絶望のどん底に落とされるエマ。


ジェイン・オースティンの小説世界のほとんどが、架空の土地を舞台としている。
だが、この「エマ」一行の遠足の目的地に作者・オースティンが選んだのは、ボックス・ヒルという実在の場所だった。
イングランドの田舎風景の中でもその美しさは格別とされ、周辺地域を広く見渡せる景勝地として名高いところだ。




エマは、この、見晴らしの良い丘の上に立って初めて、父の介護と引き換えに自分が失っていた世界をようやく見渡すことができた。
だが、その高みから下界へと下りていくとき、彼女はひとりぼっちになってしまう。
しかも、涙が止まらない。


私はこのボックス・ヒル巡礼の旅へと出かけることに決めた。
介護者としての私、そして、介護者としてのエマをねぎらうために。
もはやエマは私にとって忠実な友であり、深い共感を覚える相手として、かけがえのない存在となっていた。


ボックス・ヒルへ向かう途中の駅では、がらくた市が開催されていた。
私は骨董品の中から小さなブッダ像を見つけ、それを買った。
数か月後、死の床にあった母の元に向かう私は、リュックサックの中にこの「ボックス・ヒル・ブッダ」の小さな像を忘れずに忍び込ませた。


一日中ずっと母の世話をし、本を読み聞かせ、話の相手をする。
それらを終えて眠りにつく前のひととき、私は「ボックス・ヒル・ブッダ」を握りしめながら、ずっと考えていた。
私は母から何をもらったんだろう、オースティンから何をもらったんだろう...と。


介護者にとっての「自由な時間」は、いざ与えられてみると、目がくらみ、どうやって扱えばいいのかわからないように感じられるものだ。
ボックス・ヒルのてっぺんから周囲の田園風景を見下したエマがそう感じたのと同じで。


介護生活の中で、私自身もエマ同様、「ボックス・ヒル的八つ当たり」、つまり、罪もない第三者にきつく当たるという過ちを犯したことは一度や二度では済まなかった。
誰にも見られない場所に隠れて涙を流したことだって、何度もあった。


でも、エマには無かったが、私にはあったものが一つだけある。


...それは、小説・「エマ」。

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