男性の髪型、です。
もちろん、古代・共和制ローマの軍人・政治家であり、「ガリア戦記」の作者としても知られるジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)の名前にちなんだ名称です。
これね。
「人間は自分がそうだったらいいな、と望むことを簡単に信じてしまう。 そして、自分が考えていることは、他人も同じように考えている、と思い込む。」 http://i.quoteaddicts.com/media/quotes/1/15579-julius-caesar-quotes.jpg |
で、私は、と言いますと.. つい最近までそんな名称、知りませんでしたよ。
私の中では単に「短髪」。それで事足りてました。名前がちゃんと付いていたとは。
シーザーはシーザーでも、サラダでしたら、たま〜にレストランに行った時には食べてるんですけど...。 (なぜ、ロメインレタスの上にパルメザンチーズとドレッシングとクルトンをかけたこのサラダに「シーザー」の名前が付いたのか、それはまた別の話。どうやら、メキシコ、その後アメリカでレストランを開いていたイタリア系移民のCaesarさんが考案したことから、その名前で呼ばれるようになったようです。 古代ローマの偉人・カエサル/シーザーとは関係無いんですって。)
(アメリカの料理にありがちな、きっつい酸味が苦手な私も、シーフードレストラン・Red Lobsterのシーザーサラダは大好き。酸味がマイルドで、チーズやクルトンも、あくまでも脇役に徹するべく、控えめな味付けが施されているのみ。でも、その配合がとっても上手なんですよね。個々の役者が、それぞれの持ち場でいい仕事をしている。だから、何度食べても飽きない、おいしいサラダに仕上がっているわけです。
日本のレッドロブスターでは、これと同じシーザーサラダ、出しているのかな?もう20年以上も行っていないな〜。)
https://www.tripadvisor.com/ |
はいはい。 シーザーカット、ですね。
今年始めのこと。 ハフィントン・ポスト日本語版でたまたま読んだ記事で、そのような名称で呼ばれる髪型がこの世に存在していたことを、初めて知りました。
【昔は「かっこいい!」と思ってた......。時代遅れになった男性ヘアスタイル17選】http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/25/17-mens-hairstyles-should-stay-dead_n_9075036.html
原文はこちら。
【17 Men’s Hairstyles Of The Past That Should Just Stay Dead】http://www.huffingtonpost.com/entry/bad-mens-hairstyles_us_56a13ec1e4b076aadcc5b77b
12番目に出て来る、この、お医者さん時代のジョージ・クルーニーがしていた髪型、がそれです。
The Men's Hair Forumという英語のサイトから、簡単な説明だけ引用しますね。
【ソース:http://www.menshairforum.com/talk/Thread-Caesar-Cut-Hairstyle-Guide-How-to-Style-Haircut-Products-Pictures-and-Tips 】
http://img.huffingtonpost.com/asset/scalefit_600_noupscale/56a148fa2a00002c000310c5.jpeg |
「シーザーカットとは?
シーザーカットとは、前髪を下ろした形の、男性の短髪のひとつ。頭頂部の髪をフラットにして前方へと流すこのスタイルは2014・2015年に流行中の髪型のトレンドとは一線を画している。 シーザーカットの人気は、1990年代後半に特に高まった。ジョージ・クルーニーが大ヒットテレビドラマ「ER」でこのスタイルをして出演してから、一躍流行の髪型へと躍り出た。以来、シーザーカットは、またたく間に30歳〜45歳のアメリカ人男性を中心とした層の支持を集めることとなる。」
【ソース:http://www.menshairforum.com/talk/Thread-Caesar-Cut-Hairstyle-Guide-How-to-Style-Haircut-Products-Pictures-and-Tips 】
映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じていた古代ローマ人・ルシウスの髪型も、シーザーカットの系譜にあると見て差し支えないでしょう。少々伸びかけの感はありますがね。
何と言っても、物語の舞台が古代のローマですし。衣装も髪型とばっちり合ってます。
ジャケット裏面も、やっぱりシーザーカット。(当たり前だ)
何と言っても、物語の舞台が古代のローマですし。衣装も髪型とばっちり合ってます。
まぁ、「シーザーカット」と言えば、私にとっては何と言ってもこちらのお方、なんですけど。 (1996年録音のCD。レーベル・レコード会社を変えての発売となったため、下のジャケ写は2002年撮影。)
リンク先のAmazon.co.jpページで、曲の冒頭部が試聴できます! |
ジャケット裏面も、やっぱりシーザーカット。(当たり前だ)
...また脱線してしまいました。
髪型の話に戻りましょう。
これ、The Huffington Post紙の記事タイトルで、筆者のJames Cave氏が主張している通リ、
「そのまま過去と一緒に死んでてもらった方がいいヘアスタイル」
("hairstyles of the past that should stay dead")
と正式認定した方がいいですよ。
そして、できるだけ大きな声出して、世界中に拡散すべきだ、と思います。
だって、上の3人を見れば、あまりにも明らかじゃないですか。
シーザーカットは、「人」を選ぶヘアスタイルなんです。
美容院や床屋さんに行って、
「今日はどうしますか?」と聞かれ、
「シーザーカットにしてください」
といったやり取りを交わして良いのは、上に挙げたジョージ・クルーニー、阿部ちゃん、そしてP.A.様並みに
大きな、力のある瞳
が印象的で、
彫りの深い、濃い顔立ちをした、
誰もが認める
☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜美 男 子☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜
とカテゴライズされる人のみ。
それ以外の者には
原則としてシーザーカットは 禁止。
ってことにしませんか。
それが公共の福祉にも寄与することになります。
うやむやにしておいては、絶対、真似する人が出てきます。
特に日本人の男性は要注意ですよ。
はっきり言って、「お猿さん」化する確率があまりにも高過ぎるんですよね。
東洋人の平板な顔立ちの上に、シーザーカットを乗っけてしまうと。
いわゆる、標準レベルの顔立ちの人が「テルマエ・ロマエの阿部寛さんみたいな髪型にしてください」とオーダーしてみたところで、行き着く先は、まぁ、こんな感じでしょう...。百聞は一見に如かず。
うっかり試してみんなの笑いものにならないでください。
https://youtu.be/KkrW-nRK20s |
https://youtu.be/z2oSBDo6FMI |
(あ!加卜ちゃんのシャツ、上の仲本工事シャツと一緒だ! ちなみに、うちには真ん中の写真で志村けんが着ていたのと同じ、黄色い横縞模様のシャツ+半ズボンが一体化した 「なりきり志村けん」衣装があります。 DVDーBOXの特典でおまけに付いてきたの。 一体どうすりゃいいんだ、これ...。宴会芸に使う予定も無いし...。) |
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...と、安易に「シーザーカット」へ挑戦することへ警鐘を鳴らしといたところで、そろそろ音楽に関する戯言(と、P.A.様による、上のCDについての話)へ移るとしましょうか。 クラシックとロック、どちらの音楽にもある程度の理解と興味とをお持ちの音楽ファンじゃないと、多分、読んでいても何が何だかわからないかも...。 なので、時間を無駄に使いたくない方はどうぞスルーしてください。
【※以下、超・長文です。引き返すなら今のうちですよ...。※】
今日、こちらのCD・「イギリス組曲 第6番ニ短調」他2曲(ベートーヴェン、ウェーベルン)を聴きながら、考えました。 【※以下、超・長文です。引き返すなら今のうちですよ...。※】
(←ちょっとぉ〜、ジャケ写にばかり注目せずに、ちゃんと真面目に音楽聴きなよ...。)
いや、真面目に聴いてます。
ふざけた人間なりに、いろいろと考えています。音楽のあれやこれやについて。
午前中、犬と一緒に散歩しながら、J.S.バッハの「イギリス組曲No.6」を聴いていました。
最後の曲・トラック8 Gigue(ジーグ/ジグ)に差し掛かった時、ふと浮かんできました。
【...演奏者の技量をこれでもか!これでもか!と試し、聴いているものを圧倒するような激ムズ志向の曲作りって、何も、現代のハードロック・ヘヴィメタルといった、ビートルズ以降の大衆音楽に始まったことじゃないんだな。バッハの頃からあったんだ。
バカテク(=バカみたいにテクニックのすごい)演奏家が、聴衆に対し、「お前らも、しかと両目両耳開いてとくと見やがれ聴きやがれ!俺様のこの抜群のテクニックを!」と、ドヤ顔アピールするために作られたような特別な曲は、昔から綿々と存在してきた。19世紀のリストやパガニーニよりも、もっと前から。
そう考えると、20世紀〜のロック音楽も、やはり西洋音楽の一部である、「超絶技巧の演奏家」の能力を最大限にフィーチャーするという伝統を、しっかり受け継いでいる、って考えていいわけね...。】
そもそも、J.S.バッハは、生前、作曲家としてよりはむしろ、天才オルガニストとしてその名を馳せた人。
舞曲形式のこの「イギリス組曲」の最後の最後に、キーボーディストの面目躍如といった感じの超絶技巧がバンバン飛び出すのは、そうした華麗なる演奏技術を披露するという意味合いも含まれていたのかもしれません。
この「ジーグ」の部分、ダンスフロアの着飾った男女も呆然と立ち尽くし、「何もここまでしなくたって...。」とつい、言いたくなるほどの激しい曲調となっています。
なぜ、そこまで強烈にしたかったのか。
それは、きっと、ヨハン・セバスチャン・バッハという炎のキーボーディスト(鍵盤楽器奏者)が普段抑えつけていた、
「いいか、よく聴け!
俺は本当はこういう熱くて激しい音楽をやりたかったんだ!!!
貴族の坊っちゃん嬢ちゃん御用達のダンス音楽専門家だなんて思って、甘く見るんじゃねーぞ!!!」
という「魂の叫び(シャウト)」がここで一気に炸裂!したから。
...ではないでしょうか?
というのも、私はもう随分前から、
「実はバッハって、意外と現代のロックミュージシャンと近い、熱くて激しい魂を内に秘めているんじゃないだろうか?」
と薄々感じ始めていたんですよ。
敬虔なキリスト教徒で、数々の教会カンタータや、「マタイ受難曲」などの宗教音楽を生み出したことから、「聖なる世界」「神の領域」と結び付けられがちなバッハですが(もちろん、そういうバッハも私は大好きです。人生を変えるだけのすごい力を持つ音楽ですよ。)、でも、それだけじゃないはず...。
聖も俗も、全て包み込んで、我が物にしてしまうような、とてつもなく大きな存在。
そういう懐の深さこそが、私にとっては巨人・バッハ最大の魅力なんですよね。
今回、こちらのP.A.様の演奏を聴き、「そうそう、私が聴きたかったのは、こういうバッハ!」と、久々に興奮してしまいました。
こういう、熱くて、エネルギッシュで、エッジの効いた(edgy)演奏で聴く、バッハの音楽。私は大好きです。
「恐れ多い...」と、祭壇に祭り上げて、平身低頭したくなるような、青白い、真面目な顔したバッハとは全然違います。
ちゃんと「血が通っている」と感じられるバッハです。
昔ながらのクラシック音楽ファン、特に謹厳実直なキリスト教徒としての古き良きバッハ像を手放せない人々には好かれないかもしれませんけど。
ま、「言いたい人には言わせとけ」ですよね!
ちょいとばかり占星術の話を絡めますと...
太陽・水星・金星、ついでに土星と小惑星キロン、と、いろいろな星を牡羊座にお持ちのP.A.様(1969年4月4日生まれ)。
この「イギリス組曲 No.6」も、いかにも牡羊座らしい演奏だと興味深く聴きました。
「とにかく自分一人でこうと思ったら突き進む!」といった調子の、猛烈に前進するエネルギーとスピード感にあふれています。
実に凛々しいバッハに仕上がっていると思います。
...かと思うと、同じ「イギリス組曲」第6の他の部分、特にガヴォットの部分では、まったく違う顔を魅せてくれる、P.A.様の演奏。
それはまるで、両手のひらからあふれるほどに盛った淡水パールを、磨き上げたガラス板の上に散らしていくかのよう。
繊細で、愛らしい音の粒々の連続でもって、聴く者をうっとり夢心地...✨にさせてもくれます。
すぐ後に続く激しいジーグとの物凄い落差。これ、たまりません!
そういえば、このCDこそがP.A.様にとっての記念すべき、ソロ・デビュー作でしたからね。
全身全霊のこもった大力作となったのも当然でしょう。
大人しくって上品なだけのバッハじゃ何か物足りないんだよな〜、クソ真面目なだけっていうバッハは、どうも違うんだよな〜、という方でしたら、きっとP.A.様のこの演奏、気に入るんじゃないでしょうか。
有名どころで言えば、オランダの名オルガニスト/ 鍵盤楽器奏者であるトン・コープマン(Ton Koopman)も、そうした「実はロックなJ.S.バッハ」的な部分をしっかりとつかんでいる一人ではないかな、と思います。
下の動画「トッカータとフーガニ短調」(♪ちゃらり〜ん 鼻から牛乳〜...のアレ、です。)の、最後の1分間なんて、畳み掛けるような熱演ぶりに圧倒されますよ。
「この人さぁ、実は1970年代、一部で熱狂的なファンがついていたナントカっていうイギリスのプログレバンドのキーボード奏者やってて、それからクラシックに転向したんだよー」って聞かされたら、「へぇ、そうなんだ〜」って信じてしまいそう。
(あ、そんな事実、全くありませんから。一応念のため言っときます。)
グレン・グールドの革命的な解釈による「ゴールドベルク変奏曲」(1955)も、「バッハ、実はロック。」の説を裏付けてくれました。
発表当初はクラシックファンや評論家の間で相当物議を醸しましたよね。
それが今じゃ、「ゴールドベルクといえば、グールド盤」と言っても過言では無いほど、幅広く受け入れられているのですから。
専門家の意見なんて、まぁ、当てになるようで、ならないような、です。
元々大勢いたはずの反対派の人達、だんだん声を小さくするより他になかったのだろうなぁ。
時代が変われば、人々も変わる。
人々が変われば、音楽の受け止め方もまた、変わる。
グールドの1955年の「ゴールドベルク変奏曲」が、それを見事に証明してくれました。
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この「ゴールドベルク変奏曲」、違ったジャンルの音楽家、特にジャズやロックを専門とする人々や、ポピュラー音楽で育った若い世代の音楽ファンからは熱烈に歓迎されました。
自分の経験から言いますが、グールドの弾くバッハって、あんまりクラシック、クラシックしていないから、親しみやすいんですよ。
専門家受けを狙ったような「お行儀良すぎる」バッハじゃなかったから、型破りな、異端的な演奏だったから、門外漢の私でもすーっと入って行きやすかったのだと思います。
「自分がこうしたいからこう弾くんだ」という彼のアンチ権威主義も、
ジャズやロックといったポピュラー音楽の愛好家にはむしろ清々しいものとして映ったに違いありません。
Amazonのレビューで書かれた方がいましたが、確かにこれは「パンクロッカー」的な解釈と言えます。
唯一、パンクロッカーと違うのは、幼少時から母親よりピアノの英才教育を受けてきたグールドには確かな演奏の腕が備わっていた、ってこと。
70年代後半のロンドンパンクの人たち、言っちゃ悪いですが、楽器も歌もヘタでした。
バッハって、自分の超・イケてる演奏技術をひけらかすような場面、他にもたくさん作ってますよね。
例えば、「ブランデンブルク協奏曲 第5番」の1.ニ長調Allegroの終わりだと、こんな感じ。
こうなると、現代のロックコンサートにおけるクライマックス、超人的テクニックで知られるバンドの花形・ギタリストを輝かせるため延々と披露されるソロ演奏と、根っこにある動機は何も変わらない、って気がしませんか?
参考動画を載っけておきたいところなのですが、P.A.様ご本人の演奏はYouTubeには見つかりませんでした。んー、ざんねん。
なので、P.A.様が師事されたこともあるアメリカ人のベテランピアニスト・マレイ・ペライア(Murray Perahia)の、品行方正できれいな演奏で、Gigue(ジーグ)。
もう少しロックっぽい演奏がお好みであれば、ぜひ、Piotr Anderszewski(ピョートル・アンデルシェフスキ)さまが演奏する上のCDを買ってみてください。
グールドの「ゴールドベルク」は、81年の演奏よりも55年の方が断然好き!という方におすすめです。
P.A.様による「ジーグ」を聴き終わった途端、マイケル・シェンカーが演奏するインストゥルメンタル曲の”Into The Arena"が無性に聴きたくなりましてね。
ノリが、疾走感が、まるで同じなんですもん。
1970年代から活動しているドイツ・ハノーヴァー出身の天才ギタリストです。
同じドイツの有名バンド・スコーピオンズのギタリスト、ルドルフ・シェンカーは実兄。マイケルも一時期はスコーピオンズに在籍していました。
中学2〜3年生の頃、大ファンでした。
ドラマーが、コージー・パウエルの時代、でしたね...。
それから、こちらはドイツではなく、北アイルランド出身ではありますが、同時代の天才ギタリストだったゲイリー・ムーア。
お急ぎの方は1:43からの部分に直接どうぞ。
あのギターを弾いていた人、と聞けば、ピン!と来る方は多いかもしれません。
2011年、没。58歳の、あまりにも早過ぎる死でした。
ブルース系の音楽をルーツとするギタリストではありますが、上の曲の長いイントロ部分で魅せてくれる超絶技巧を聴けば、彼もまた、マイケル・シェンカーや、ディープ・パープルやレインボーのギタリスト・リッチー・ブラックモア(Richie Blackmore:「狂信的なバッハ好き」を公言して止まないギタリスト。)と同様に、ヨーロッパ音楽におけるヴィルトゥオーソ(達人の域に到達した、類まれな名演奏家)の系譜の中に位置付けられるのではないか、と思います。
【参考】Wikipedia「ヴィルトゥオーソ」の項: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%BD
バッハ(ドイツ語で「小川」の意)という小さな流れが、19世紀に入ると次第に大河へと発展し、20世紀の後半ともなると、治水工事が進み、人手が大幅に加えられ、昔とは全く違う姿を見せるようになった。
それでも、やっぱり、川は川。
大海目指して流れていくその道筋は、昔も今もおおむね一緒、です。
流れる水の清らかさは昔とは比べ物にならないもしれないし、かつては存在しなかった外来生物が、いつの間にか我が物顔でのさばっている、といった変化はあるのかもしれない。
でも、この大河に「より高く!より上を目指して!」というミュージシャン達の熱い思いが流れ続けていることだけは、昔も今も少しも変わらない...。
いや〜、この文章、真面目なクラシック好きの人に見せたら、「ふざけんな!ロックなんかと一緒にすんな!」って怒りの鉄拳が飛んできそうです。
でもね、そういう「クラシック=偉い音楽。ロック=低俗な音楽。」という思い込みにずっと縛られているのって、もったいない、って思いませんか?
世の大勢の人々が良しとして讃え、愛しているものを頭ごなしに否定し続けるっていうのも、なんだかつまらなそうな人生だな〜、損してるんじゃないかな〜、って、ちゃらんぽらん者の私なんぞはつい、思ってしまいますね。
好き嫌いが存在するのは仕方ないこと。人間ですからね。
でも、音楽のジャンルに貴賎は無い。
「こっちが上」「あっちは下」といった序列も、あってはならないはず。
私にとっては、クラシックも、ロックも、どちらも大好きな音楽です。
どちらも大切。人生を歩む上での、かけがえのない同伴者、って感じですから。
優劣なんて、付けられません。
今日はうれしい発見ができて、良い一日でした。
今まで好きだったバッハの音楽が、またグッと身近に感じられたような気がして。
戦後文化&現代文明の産物の最たるものであり、音楽史の「鬼っ子」的存在とされているロックミュージックを、西洋クラシック音楽史の流れの中に、自分の納得行くような形で位置付けられる(こじつけられる?)ことができて。
スッキリしました!
これも、P.A.様の音楽と出会えたおかげ、です。
そうそう。
ここ5、6年のP.A.様は、ジョージ・クルーニー風のヘアスタイルでずっと統一していらっしゃいますよね?
©MG de Saint Venant licenced to Virgin Classics http://www.kajimotomusic.com/jp/artists/k=79/ |
(https://www.digitalconcerthall.com/ja/interview/22391-4 日本語訳付きのインタビューがリンク先のページで見られます。無料。) |
理知的で、思慮深く、それでいて自然体なP.A.様の人となりを表しているような今の髪型、とってもお似合いです。
賢明なご選択をされていると思います。
若い頃ももちろん素敵でいらっしゃいましたけど、最近のP.A.様の方がもっともっと素敵だ!と、思います。 私が京都で一番好きなお寺・銀閣寺の落ち着いた佇まいにも似て...って、こんな言い方していいのかいな。
全然ほめ言葉のように聞こえないよね、これ。ううむ...。
さて、明後日に迫った日本行きのための荷造り、始めるとしますか。
予定ぎっしりの忙しい毎日となりそうですが、懐かしい人達に会えるのが楽しみです。
でも、横浜は毎日、朝から晩までうんざりするぐらい暑いんだろうなぁ...。
はぁ。(ため息)
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