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ご存知、イギリスが生んだNo.1小説家(←シェイクスピアは「劇作家」だからジャンルはかぶりません。)の誉れ高い、ジェイン・オースティン(Jane Austen、1764−1817)の「エマ」です。
オースティンが活躍した時期は、ちょうど江戸時代後期の化政文化時代と重なってますね。本居宣長、十返舎一九(「東海道中膝栗毛」)、平賀源内、杉田玄白&前野良沢(「解体新書」)と同時代。
...と書けば、「随分昔の人なんだな〜」と改めてびっくりされる方も多いでしょう。
私がオースティンの世界にドボンとはまったきっかけとなったのは、ダーシー役を務めたコリン・ファースの名声を確固たるものとした、こちらの作品。
彼も、今じゃすっかりハリウッドでもお馴染みの顔となりましたね。
(でも、他のキャストも、コリン・ファースに負けず劣らず素晴らしい演技を見せてくれていますよ。あまりにも好き過ぎて、この作品についてならば何時間でも余裕で語れそう。)
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イギリスで本放送された1995年には残念ながらちょびっとしか見られなかったのですが、翌年日本に戻ってきた時に、タイミング良くNHK-BSで日本語吹き替え版が放送されました。ラッキー。
以後、「ジェイン・オースティン教」の熱心な信者(巷ではそういう人々をJaneiteと呼んでいます)として生きていこう、と固く決意し、その思いは20年経った今もなお変わること無く、熱く、静かに燃え続けております。
このトラベルマグ、欲しい...。
http://www.cafepress.com/mf/64372895/my-god_mugs |
今回見たのは、その、オースティン後期の大作・「エマ」の、現時点では一番新しい映像化作品。
2009年、BBCが全4回のミニシリーズとしてテレビ放送用に制作しました。
1995年版「高慢と偏見」(上にリンクを貼ったコリン・ファースで有名な作品です)という大傑作を手がけたBBCが作ったからには、駄作にはならないだろう、と少しは期待していたんですよ。
でも、ここまで出来の素晴らしい作品になっていたとは。
正直言って予想していませんでした。
私にとってはこれが「エマ」の決定版、となりそうです。
頼むから、リメイクなんて無駄なことは今後一切しないで欲しいです。要りませんから。
テレビ・映画業界の皆さん、聞いていらっしゃいますか〜。
今作品一番の成功要因は、何と言ってもヒロイン・エマを演じるロモーラ・ガライ嬢の名演技、ではないでしょうか。ジャケット写真からはその魅力があまり伝わらないかもしれませんが、実際動いて、笑っている彼女はとってもチャーミング。ぜひ、下の予告編動画をクリックして、ご自分の目で確かめてみてくださいな。
ここ20年(!...こ、光陰矢の如し!!!)の間に作られた「エマ」の映像化作品としては、まぁ、次の2作が代表的なところではありますが、
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正直申し上げて、どちらの作品を見ても
... 何 か が 違 う !!!
という抵抗感だけがつのっていき、作品を楽しむどころか、逆にストレスばかりが増えていき、プンスカしているうちにジ・エンド、という残念な経験に終わってしまいました。
ストレスの理由ですか?
まぁ、思いつくことはいろいろあるのですが、両作品ともに最後の最後まで主人公のエマが好きになれなかった、印象を好転するきっかけが見つからなかった、というのが一番大きいですかね。
(個々の女優さんに関するコメントは、公の場ですので謹んで自重させていただきます...。要するに、「違う」としか感じられなかったんですよ。)
ヒロインがすったもんだの末、ようやく好きな人と結ばれたというのに、見ているこっちが「ふーん。」と冷め切ったままで話が終わってしまう。
そんな消化不良を起こさせるような作品は、いやしくも「ジェイン・オースティン原作」と謳う以上、「あってはいけない」んですよ。
ヒロインの幸せにうるうると涙腺緩めつつ、「良かったね、ほんとに良かったね!(私もうれしい!)」と、一緒にお祝いせずにはいられない。
そういう純粋な感動の共有+もらい泣きによって引き起こされるカタルシス体験。
これこそ、映像化作品ならではの魅力ではないかな、と思います。
そうした体験を提供してくれない映像化作品なんて、見る意味無いですよ。
時間はかかりますが、小説だけ読んでいた方がはるかに大きな満足感を安全・確実に味わえるというものです。
脚本家や監督といった人々の余計な解釈に邪魔されずに済みますしね。
残念ながら、私にとって上の2作品はそうした「良かったね!(ウルウル)」と気分が良くなるような映画ではありませんでした。
「水戸黄門」で、8時45分になる前にちゃんとテレビの前に座って、格さんが「え〜い、静まれ静まれぃ!」と切り出すのを今か今かと待っていたのに、結局最後まで印籠が出ないまま、とりあえず悪い奴は一掃されました〜と、ナレーターが淡々と説明だけして話が終わってしまった...。
それと同じで、「どうもすっきりしない。」という負の印象しか残らなかったのです。
ところが!
今回の2009BBC版の「エマ 恋するキューピッド」は違いました。
(以下、ネタバレ注意です。)
まず、主演のロモーラ・ガライ嬢。
彼女がほぼ完璧な「エマ」を演じてくれていました。
「『エマ』はこういう感じであって欲しい!」という長年心にあたためていたイメージに極めて近いタイプの女優さんだったので、最初っからグググッと引き込まれましたね。
待ちに待った真打ちがようやく登場。そんな期待感もあって、見始めたら次がどうしても見たくなり、で、そのまた次も見たくなり...ってな具合に、最後まで一気に見てしまいました。もちろん、結末部分では例の「オースティン・カタルシス体験=ヒロインの幸せにもらい泣き」もしっかりと堪能することができましたよ。
やっぱり、オースティン作品の映像化はこうでなくっちゃ。
われわれファンは、登場するヒロイン達にほんのちょっとだけ幸せのおすそ分けしてもらいたくって、オースティンの作品を読んだり、映像化された作品を見たりするんですから。
「エマ」という女性を演じるのって、簡単に見えて、意外と難しいです。
まず、「苦労知らずのお姫様」っぽい雰囲気を漂わせていなければなりません。
だから、貧相なのは、当然NG。
「無理してる」感が漂っているのも、当然NG。
あと、これは個人的な好みなのですが、西洋の物語でお姫様キャラと言ったら、通常はブロンド美女...ですよね(某D社の白雪姫除く)?
ダークな髪のケイト・ベッキンセールは、出てきた瞬間から違和感あり過ぎ、でした。しかも、表情まで暗いと来てますし...。
かと言って、ただ明るくておめでたいだけの、バービー人形さんみたいに薄っぺらな女性も、やはりダメ。
(訳文の好みは分かれるでしょうが、私は阿部訳、好きです。
少々回りくどい言い方も、単純明快ストレートというよりは、ひねりの利いたイギリス人流ウィットを好むジェイン・オースティンの人柄をよく表していると言えますし。)
「エマ・ウッドハウスは、美しく、才気にとみ、裕福であって、あたたかな家庭と明るい気質とを持ち、生活の最上の恵みのかずかずを身に集めているように見え、世に生をうけてかれこれ二十一年になるが、苦しみも悩みもほとんどなかったのである。」
(「エマ」ジェイン・オースティン、阿部知二訳、中公文庫、1974)
あまりにも有名な冒頭部分。
「才気にとみ(原文:clever)」という表現に、ご注目くださいね。
深みのある思索活動や、多読による学識の豊かさを伴わねばならない"intelligent"(知性のある)の語を使っていないところに、オースティンの言葉選びの巧みさが光ります。
途中から登場するジェイン・フェアファックスというどこか陰のある美女になら、「知性のある」という形容詞もしっくり来るのですけどね。
残念ながら、我らが主人公エマは、そこまでお勉強熱心のマジメ優等生タイプではないのです。
天真爛漫なお嬢様・お姫様キャラクターにありがちなことですが、エマの日常を見ていると、詰めが甘くて少々いい加減な部分もあちらこちらに見受けられます。
明るく、若く、美しい。しかも、リッチ。
基本的には「善意の人」ではあるんだけれど、あまり深々と物事を考えないまま、皆にちやほやされて大きくなってしまったお嬢様・エマ・ウッドハウス。
オースティン自身が「わたしのほかには、だれもが、あまり好きにはなれそうもない女主人公」と語ったとされるこのヒロインの、最大の魅力であると共に、最大の弱点となった性質って、何でしょう。
私が考えるに、それは「頭の回転の速さ」です。
回転が速いから、ついついアホな失敗(=お手つき。)もやらかしてしまう。調子に乗ってやり過ぎ、言い過ぎといった行為に出てしまう。「うっかり」が暴走してしまう。
でも、そういうタイプって、一度大失敗して、痛い思いをし、その失敗を通して学ぶきっかけさえ与えられれば、立ち直りも速いもの。
良い方向へと自分を正していくという、進化のスピードもやはり速いんですよね。
しかも、エマの場合、尊敬するナイトリー氏から厳しくたしなめられた後で心から反省し、自分の非を改めるだけの素直さを失っていませんでした。
元々それほど学問や宗教でガチガチに凝り固まった頭をしていなかったのが、逆に幸いしたのかもしれません。
彼女が必要としていたのは、たとえ嫌われようが、反発されようが、本当に彼女のためを思って正しい方向へと軌道修正してくれる「メンターmentor=指導者」だったのです。
16歳年上で、彼女のことを赤ん坊時代から傍で見てきたナイトリー氏以上の適任者、ちょっと思いつきませんよね。(しかも、彼は可愛いエマにメロメロ、というおまけつき...!)
ナイトリー氏の決め台詞として有名な”Badly done, Emma. Badly done!"(あれはまずかった、エマ。まずかった!)の場面(一部加工アリ)、どうぞ。
(※途中、大音量になりますのでクリックの際は周囲にお気をつけて。※)
頭の回転の速さを、物分りの良さ、そして思慮分別を備えた大人の女性への変容へとうまくつなげていく、という難題を見事にクリアした主人公・エマ。
そんな彼女には、ご褒美としてナイトリー氏という、人柄、知性、財力と三拍子揃っただんな様に愛される最高の幸せが与えられます。
この予定調和的なハッピーエンド。
くぅぅーーーっ、たまりません。
「お伽話」と言われようが、「夢物語」と呼ばれようが、気にしない。
言いたい人には言わしておきましょう。誰が何と言おうと、「いいものは(・∀・)イイ!!!」のですから。
でも、ヒロインが素敵な男性と出会って、幸せな結婚をした、めでたしめでたし...。
ジェイン・オースティンが書く物語なんて、結局どれもこれもそれだけじゃないの?なんて勘違い、しないでください。
200年以上の長きに亘って世界中の人々に愛読されてきたからには、必ずそれなりの理由があります。
でないと、「よくもまぁ、次から次へと新作が出て来るもんだ...」と感心するしかない、あの某有名なロマンス本シリーズや、昔も今も最終的には"Girls meet boys"という基本公式へと還元されてしまうような世の大多数の少女マンガと差別化することはできませんよね。
この「エマ」という作品、そしてその作者であるジェイン・オースティンの凄さは、
【シャドウ】(影)
(自分の中にしっかりあるにも関わらず、あることを認めたくない、存在を直視したくない、醜い部分。)
の問題を、ユングがどーのこーの、心理学ではどーのこーの、といった小難しい話一切抜きにして、エマ・ウッドハウスという一人の女性の成長物語として巧みに描き切った、
という点にあるのではないでしょうか。
「シャドウ」については過去記事のこちらでも書いております。
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2014/10/posted-with-amazlet-at-14.html
あらかじめ言っておきますが、「エマ」における「シャドウ(影)」の問題は、何も私が最初に考えたわけではないですよ。こちらのページ
http://www.bbc.co.uk/programmes/b06pd3b9
からダウンロードして聴けるBBC4ラジオのポッドキャスト、”In Out Time"の「エマ」特集で3人の研究者が対談しているのを聞いたのですが、その中で出くわしたある研究者の「発言」。それが元ネタです。
32:45付近からの会話。
司会者がアバディーン大学のジャネット・トッド教授に話を振ります。
上のナイトリー氏からの叱責の原因ともなった、ノンストップで他愛もないお喋りを続けるオールドミス・ベイツ老嬢。
そして、エマに振られたエルトン牧師がバース旅行であっという間に捕獲してきた、持参金はあるが品性下劣な成り上がり者・オーガスタ・エルトン夫人。
この二人について、「単に鬱陶しい登場人物という以上に、何か意味が込められているのではないか」と問われ、トッド教授はこう断言するんですね。
「ある意味、二人はエマの【シャドウ】(影)だと言えますね。」
(もっとも、トッド教授にしたって、この【シャドウ】(影)説に関しては多分言い出しっぺではないです。以前から学界では話題になっていたものと思われます。私は本職の研究者じゃないので、それ以上は調べませんけど...。)あぁ、また長くなってしまいました。
以下、【後編】へと続きます。
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