2016/05/24

月は蠍座にありて、影深く【3】(Blame it on the Moon in Scorpio)


シマノフスキ・ピアノ・アルバム



(今、私はあなたが演奏するポーランドの作曲家・シマノフスキのアルバム(上の画像)を聴きながらこれをタイピングしています。
メロディーを追いかける必要は無いけれど、でも、周りの空気をある方向へと向けてくれるこういう独特の魅力を持った音楽、最近好きです。確かに慣れるまで時間はかかりますけど、癖になりますね、これ。ヘヴィメタル/ハードロックの延々と続くギターソロやドラムソロみたいな感じ(笑。違うか?)  
★YouTubeのプレイリスト★→https://www.youtube.com/playlist?list=PLT_qumLCdp9v_CX7Mh1ltNS5-Smv5fLcl


最近、ようやくおぼろげながらわかってきたことがあります。
自分は、長いこと自分の手でわざわざ【疎外感】を作り出すような、愚かしいことをずっと繰り返していたのだ、ってこと。
決して「あの人達」が悪いのではない。


原因は、自分の方にありました。





「みんなを満足させようと頑張っている人が、
実は一番寂しいと感じている人なのかもしれない」


「どう頑張っても話が合うワケがない、同世代の日本人女性達と無理して集い、『仲間言葉』で話し、楽しそうなフリをする。」
私、こういう状況にわざわざ自分を追い込んできたように思います。
誰かに「そうしろ」なんて命令されたわけでもないのに。



「いい人」と思われたかったんでしょう。
「わがまま者」と後ろ指さされるのが怖かったんでしょう。
本当の気持ちを殺して、「我慢、我慢。周囲に合わせて、無難な人という役柄を演技してしまえばいいだけのこと。」と、長いこと自分自身に言い聞かせてきました。
これ、立派に"Disease to Please"(邦題:「好かれたい病」)の症状に当てはまりますよね。(アメリカの臨床心理学者の故・ハリエット・ブレイカーによる命名です。)


The Disease to Please: Curing the People-Pleasing Syndrome: Curing the People-Pleasing Syndrome


思わずYESと言ってしまう自分―NOと言う勇気が、あなたの心を軽くする



唯一の接点が日本語を話す、同年代の子を持つ母親同士というだけの人々に、そこまで擦り寄って、媚売る必要なんて無いのです。
どれほど会話や時間を共有しても、楽しいこと嬉しいことの中身は少しも共有できない人々。
心が通った、互いの人間性を深く知ることができた、という充実感がちっとも感じられない人々。



そういう人々に「好かれようとして」無理を重ねると、必ず身体は危険信号を発してきます。
家に帰って来て、どーーーーーっと疲れが襲ってきて、炭水化物や甘いものに伸ばす手が止められなくなる。
「好かれたい病」(disease to please)の症状は、こんな乱暴な形を取って、私の生活の至るところに現れては、存在をアピールしていたんですね。
身体って正直ですよ。



今、私は日本を離れ、家族と一緒にアメリカ西海岸のとある平和な郊外住宅地で暮らしています。
隠遁者のように。



ポツンと大海に浮かぶ離れ小島のような寂しい社交生活ではありますが、あなたが演奏するピアノの音に包まれながら何とか心の平和をキープできるようになってきました。
素晴らしい本を読む喜びを味わいながら。
時々ヨガの練習をし、viniyogaのクラスを週1〜2回受けながら。
近所の森や野原を犬と一緒に歩きながら。
そして、日々の雑事をどうにかこうにかやっつけながら。



他の人との不要な付き合いを最小限に抑えたら、本来自分が持っていた大らかさだとか、人間の滑稽さを愛する心(「どうしようもなく間抜けなんだけど、そこがまたいいじゃん...」)だとか、「いいものはイイ!」とすぐアホみたいに熱狂しては突っ走る性質だとか、とにかく自分の中でキラリと光る、愛おしい部分が少しずつ息を吹き返してきたんですね。




「日本人社会の誰にどう思われようと構わない。
一人でいられる時間の確保を最優先しよう。他人よりも、まずは自分を喜ばせよう。」
こう決意してから、私の幸福度は確実に急上昇しました。
「好かれたい病」を根絶することが、私の場合、幸福への近道だったようです。


今の心境には、ミシェル・ド・モンテーニュの言葉がぴったりと当てはまります。
16世紀フランスに生きた「自室大好き!引きこもり万歳!」教の教祖でありながら、実は愉快でお茶目で愛すべきおじさまなんですが、そういう彼の一面はあまり日本では知られていませんねぇ。



モンテーニュ随想録
ええわかってます。この新訳本、確かにお高い。
でも、モンテーニュ先生の「声」は、やっぱり関根先生の語り口でないと!


一人でいるのは本当に楽しいです。
時間がいくらあっても、やりたい事・知りたい事が次から次へとあふれて来て、退屈している暇など全くありません。
一日24時間でも足りないくらい。



「一人になった」とはいえ、時々、本当に気の合う身内の人々や、ごく少数の友人と、腹の探りあい一切無し!な楽しい長電話(長スカイプ、か。)ぐらいはしますよ。子供の習い事関係で知り合った、「この人達ならば」と安心できる何人かとランチすることだってありますし。(←2ヶ月に1度が限界だけど。)
「人間関係を100%カットした」ってわけじゃありません。
厳選には厳選を重ねた相手とだけ丁寧に、誠意を持って付き合う、ということです。
それ以外はにこやかな表情と、挨拶オンリーでよろし、と。



親日家のあなたならば、よくご存知のはず。
食事や各地の名所を楽しむだけの一観光客に徹するならば、日本ほど快適な国は他に無いでしょう。
それに、私にとっての日本とは、何だかんだ言ってもいつかは帰ることになる故郷。
年老いた親達のことを考えると、なるべく早くアメリカを引き払い、横浜のどこかにでも落ち着きたい、とは思っています。
海外暮らしが長かった分、年を取ったら友人達や家族といつでも気軽に行き来できるようになりたいですし。


でも、子供が育つ環境として、日本という国、果たしていかがなものでしょう。
個々の人間が安心して自分らしさを発揮できるか、と問われれば、答えはNo。アメリカとは比べ物にならない程の、はるかに窮屈な社会。それが日本です。
【個】をあるがままの姿で受け止める、一人ひとり違っていて当たり前の【個】を潰さずに育てる、という視点が、日本人の教育にはすっぽり抜け落ちていますから。
【個】としての尊厳を踏みにじられたら、怒って反発するのは当たり前のことなのに、そうすることも忘れてしまう程に家畜化されてしまっている。
そう。Sheeple(「羊sheep」+「人々people」の合成語)そのもの。



マスコミは若い世代のことを「草食系」なんて茶化して、無気力だの、行動力が無いだの、外国や外の世界に興味が無くて「内向き」だの、もう、言いたい放題。
でも、じわじわと「教育」という美名の下、彼らがそうならざるを得ないように手間隙かけて調教してきたのは、一体どこの誰なんでしょうね?



道理で、【個】としての意見をはっきりと表明できる人々がどんどん減っていくわけです。


もし、自分なりの意見を表明できるような、まっとうな考えの持ち主が無事成長したとしても、いわゆる「普通の人々」に囲まれて暮らすのはかなりの苦行となるでしょう。
余計なこと言って墓穴を掘るよりも、できるだけ目立たないように「無言の行」の人生を選ぶか。(精神的には自死に等しい行為ですがね。)
もしくはさっさと外国へでも行って自分なりの道をずんずん突き進むか。
両極端の選択肢ですが、どちらかをパパッと選んでしまえば、それはそれで楽なんです。



その中間に位置する人達、つまり、思うこと、考えることはいろいろあるけれど、とりあえずは社会に馴染んでつつがなく暮らすことを優先したい、という大勢の人々は、日本ではかなり生き辛くなるはずです。
だって、自分の良心が「こうした方がいいよ」と告げていることと、現実との間に大きな乖離が生じていることを常に意識しなければなりませんから。
アクセル踏みながらもハンドブレーキは緩めないといった状態で、言葉や行動を制限しなければなりませんから。
伸び伸びと全力を出して生きることが難しいから、当然、幸せを感じることも少なくなる。
で、周りの大人たちが幸せな毎日を生きられないのであれば、当然、子供達だって幸せ感を感じられないまま成長していくしかない...。
それが今の日本の社会です。



日本という国は、まず【社会】があるのが大前提。【個】は二の次、三の次、です。
ーーー【社会】に認めて欲しければ、【個】を抑えよ。
ーーー【我】を張るな。出る杭は打たれて当然なのだから、目立たないようにせよ。
こうした日本社会に根強く残る暗黙のルール、昭和の昔も、平成の今も、あまり変わってはいません。残念ながら。
かつて日本のことを「世界一成功している社会主義国」と評した外国の人(ソ連のゴルバチョフ元大統領?)がいたそうですが、この方、本当に慧眼の士だと思います。さすがです。


「個人的な好き嫌いは殺せ。集団の平和のためには【個】なんて、無視せよ。」という日本社会独自の洗脳から、自由になる時期が私にもやって来たようです。
なかなか簡単には行きませんけどね。
幼少時から時間をかけて、じわじわと刷り込まれてきた「教え」ですから。



だから私は「自由になろう。一人を楽しもう。」と決めたんです。
死ぬ瞬間に「もっと...すればよかった。」という後悔を残したくないので。



3月1日のFacebook上、”Humans of New York"であなたが話していた内容、まるで自分の考えであるかのように理解できました。

http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/03/humans-of-new-york.html

要約(意訳かな?)しますね。

人間らしさを取り戻すとは、【自分らしさを取り戻す】ということ。
本気でそれを望むのであれば、人は他人から干渉されずに一人になる時間を持たねばならない。
さもないと、心はますますすさみ、スケジュールを機械的にこなすだけの単なる自動人形(オートマトン)へと化してしまい、【世間】【他人】から易々とコントロールされるようになってしまう。


それだけは阻止しなければいけない。
 たとえ他人から何を言われようとも。止められるのは、自分しかいないのだから...。


あなたのおっしゃる通りだと思います。
結局、社会も、企業も、集団も、効率良く具体的な結果を出そうと目論むのであれば、【個】の才能や、望みや、好き嫌いなんて無視する方向に行くんですよ。
【個】は、めんどくさい。
【個】は、一度口を開き始めたら、抑え付けるのが厄介。だから、初めから黙らせとくのが最良。
【個】を大切にしてもらいたかったら、スポーツとか、音楽とか、芸能とか、とにかく社会全体の利益につながるような才能を伸ばせ。
さもなければ、黙れ。



...かつての、ソビエト連邦や、ポーランドといった東欧の共産主義国家は実際にそうしていました。
国を挙げてのスポーツ選手養成や、音楽家の卵たちへのエリート教育がそのいい例です。
苛酷な環境でもへこたれることなく、無事生き残って、目に見える結果を残した人だけが「勝者」として称えられ、国からの保護を受ける存在となり得たのです。


音楽に優劣をつけて勝ち負けを競うという現在の音楽コンクールのシステムや、留学先の南カリフォルニア大学で出会った「成功至上主義」(芸術としての音楽そのものと向き合うよりも、ビジネス面で目に見える結果を出すことの方が大事。)といった風潮にあなたが反発されたのも、もしかしたらそうした共産主義体制の負の側面と通じ合うものを感じ取られたから...なのかもしれません。



もう二度とあのような時代を再現してはいけませんよね。
元気な十代の若い子達が、「好きなものは好き! 嫌なものは嫌だ! 親も学校もクソ食らえ!」と、自由に、かつ大声で叫び続けることが許される社会。
できるだけ長く続けばいいな、と思います。
そうした若者のやんちゃぶりを許容しない社会は、どこか病んでいるんですよ。何かが狂っているんです。




そうそう、思い出しました。
つい先日、面白い研究結果を見つけましてね。
イギリス北部のダーラム大学と、ロンドンのブランネル大学が、ヨーロッパの25の国民を対象に行った「孤独度調査」というものがあるんですよ。2011年に発表されていました。


ウクライナ、ロシアなどの旧ソ連邦諸国や、ポーランド、ハンガリー、スロヴァキア(旧チェコスロヴァキアから分離した片割れ)といった旧共産主義諸国においては、「今、自分は孤独だ」と感じる人々の割合が他のEU諸国に比べて明らかに高かったそうです。特に、60歳以上のお年寄りにはその傾向が顕著でした。


上のHPには元々ポーランド出身で、現在はイギリス在住で現地の人と結婚し、子供もいるというAniaさんという女性の言葉が紹介されています。



「大家族で支えあいながら暮らすのが当たり前だったこれらの国々で、若い世代が良い職と収入を求めて故郷を出て行くようになってしまった。
 
東欧文化圏では、元々、感情表現を抑えるのが当たり前。 
だから、目の前の人が悲しんでいるのか、それともハッピーなのか、よくわからないということが多い。 孤独に苦しむ人がいたとしても、その人が本当に助けを必要としているのか、それとも放って置いた方がいいのか、周囲の人々もよくわからないのではないか。」


西側の、豊かな世界へ足取りも軽くさっさと旅立ってしまい、そのまま戻らなかった若い世代。
そして、彼らに取り残されてしまったことで、やり場の無い悲しみと悔しさを自分の内側に溜め込むしかなくなってしまった、60歳以上の旧世代。


彼らもまた、一種の洗脳犠牲者です。
若い時から共産主義的イデオロギーを善なるものと信じ込まされていたところ、1980年代後半から21世紀初頭にかけて自分達が騙されていたとわかる。
気付いた時には、アメリカや西欧諸国がリードする世界の潮流からすっかり置いてきぼりになっていた...。気の毒としかいいようがありません。



東欧諸国の年長者達が今、日々格闘しているに違いない【疎外感】という怪物。
彼らの気持ち、考えるだけで、切なくなります。


最後に一つだけ、P.A.様に私から質問を。


クイーン(Queen)っていうイギリスの4人組グループ、知ってますか?
あなたのお母様の出身国であるハンガリーでは、民主化が早く進んでいたからでしょうか、1980年代でも大人気のバンドだったんですよ。
【参考動画: Queen:Hungarian Rhapsody - Live In Budapest 1986



もし「これだけは!」というクイーンの動画を一本だけ選ぶなら、私はこちらの1985年・Live Aidでの伝説的なステージをぜひ、一度ご覧になるようおすすめします。


 
21世紀の、いわゆる「イマドキの音楽」ではありません。
でも、1960年代後半に生まれ、10代の大半が1980年代と重なった私にとって、これは「同時代の音楽」としておすすめできる、最高最強のライブパフォーマンスです。


大スタジアムを埋め尽くした聴衆と、クイーンの4人とが作り出すこの、物凄い一体感。
これをしのぐ力を持ったライブ演奏、私にはちょっと思いつきません。



ヴォーカルのフレディー・マーキュリーはこの6年後、AIDSのためにこの世を去ってしまっています。
フレディー・マーキュリーの訃報を聞いた時のことは、今でも鮮明に覚えていますよ。私にとって、人生で最初の、そしておそらく最大の衝撃を味わった有名人の死...でした。


彼は、死の数年前にこんな素晴らしい歌も残していってくれました。
言わずと知れた、スペインが生んだ世界的な名ソプラノ・モンセラート・カバリエ(Montserrat Caballé)とのデュエットです。
1992年、フレディー亡き後に開催されたバルセロナオリンピックの公式ソングとして世界中の人々に広く愛されました。
ロックファンにも、そして、die-hardなクラシック音楽ファンにも。





3月1日のインタビュー後半で、必要も無いところでいきなりF-wordを使ってしまう、反骨精神(音楽ファンならそれをrock 'n' roll spiritって呼ぶところです。)にあふれたあなたでしたら、こういう音楽もきっとお気に召すのではないかな、と思いまして。
(ご存知無いかもしれませんが、あのF-wordの使用、Facebookのコメント欄では結構物議を醸したんですよ。HONYのようなオルタナティブ志向の写真&インタビュー集の読者の中にも、あのような単語を不快と感じる保守的な人がいるのには驚きました。まぁ、いろいろな価値観の人がいますよね。)


それに、あなたは「魔笛」の中でもトリックスター的キャラクターのパパゲーノが好きだ、って、インタビューや映画でしょっちゅうおっしゃっていますよね?
私が思うに、フレディー・マーキュリーはロックの歴史の中で、1、2を争う程の、稀代のトリックスター的人物です。自分自身を滑稽なものと見ることをちっとも恐れずに、見る者達の心をかき回して楽しんでいたような人でした。
こんな衣装、天性のトリックスター的要素を持った人にしか着られませんよ...。

日本では「白鷺ファッション」として知られました。


王冠+ガウンにトレパン!靴がアディダス!

「ヒゲとボイン」。"I Want to Break Free"のプロモーションビデオより。


まぁ、騙されたと思って、1960年代後半生まれのわれわれが十代だった頃の音楽、一度聴いてみてください。
だって、世界的な音楽家として一流と評されるあなたの口から「ビートルズは知ってる。でも、その程度。」といった言葉しか出てこないようでは、あまりにも寂しいじゃありませんか。
ビートルズが解散してから、もう45年は経ってるんですよ...。
ですから、クラシック音楽以外のジャンルにも、ほんの少しだけ目を向けてください。せっかく休暇中なのですから、音楽の「新大陸」へも足を一歩踏み入れてみてはいかがでしょうか。
もし、そうしてくだされば、ロック&ポップミュージックを深く愛する者として、こんなにうれしいことはありません。



すみません。
また今日もだらだらと喋りすぎました。
6月、7月のドイツでのコンサート、ぜひ成功を収められますよう、お祈りしています。
それまで、どうかお身体に気をつけて。お元気でお過ごしください。


あなたのファンであり、a fellow dog-loverでもある
師岡桂子。





【オマケ...タイトルの「月は蠍座」について。】


「月が蠍座」。
もちろん、P.A.様のもの、とされた出生チャート(ホロスコープ)を元に書いております。こちら→http://www.harmoniclife.com/sample.aspx?SampleID=431962
(今、西洋占星術の話をしています。)


本当に正しいかどうかは、ご本人にでも聞かないと確かめようがありませんけど。
でも、この数ヶ月、この方を熱心過ぎる程に研究(笑)してきた私としては、「多分、これで間違いない。」と、断言して良いかと思います。


天秤座か、蠍座か。
非常に微妙なところではあります。ですが、P.A.様の月は蠍座にIN、でほぼ間違いないでしょう。
まず、彼の演奏スタイルを特徴付けているのが、妥協というものを知らぬ、超・完璧主義。
彼の場合、「自分に嘘をつくのがとにかく嫌だ」「自分をごまかすのが嫌だ」という動機ゆえの完璧主義、と私は見ます。
プライベートに関してはいろいろと饒舌に喋っているかのような印象を与えますが、実はとても秘密主義の人。当たり障りの無いことしか話していません。その徹底ぶりは見事です。
この方のモットーは「もっと深く!もっと高く!もっと本物を!」
薄っぺらい人間、薄っぺらい音楽はとにかく大嫌いなのです。

(だからリストは極力弾きたくないんだそうです。「似非スピリチュアル」なイメージに走って僧籍入りした晩年のリストには、特に我慢がならないのだとか。
←ソース:http://www.anderszewski.net/news/index.cfm?press_id=8
何を隠そう、これを書いている私自身もやはり蠍座に月を持つ者なのですが。





(「ショパン生誕200年とか、たかがそんな理由で僕はショパンは弾けないし、弾きたくもない。」 断言しちゃうP.A.様のような超・正直者な演奏家がいる。
かと思えば、元気いっぱいのチャイナ☆スター、お馴染みラン・ランのように「今年はリスト生誕200年だから、記念にアルバム1枚作っちゃえ!イェイ!!!」といった感じの、軽いノリが売りのショウマンシップ旺盛な演奏家もいる。 
どっちが正しくて、どっちが間違い、という話ではありません。 
どちらのタイプもいていいんですよ。いや、いてくれないとつまらないです。だって、弾く側のタイプもいろいろならば、聴く側の好みもいろいろですから。
音楽の喜びへと至る道は、できるだけたくさんあった方が世の中が豊かになると思います。選べる、ってことは幸せなことですよね。
...でも私はラン・ランはYouTube動画見てるだけでいいかな。CD買うのは、他の人に任せとく。 



そもそもですね、月が天秤座にある人がですよ、


無造作に置かれたレジ袋(左端)と
パスタ用と思しき大型水切りザル
が堂々と写り込んだ
美的要素=「ステキ〜❤」ポイントがまるで見つからない、「自宅だけど、それが何か?」的写真の掲載許可なんて、まず出さないと思うんですけど。


この写真なんて、特に蠍座的だなあ。
見る者の内面までじっと覗き込み、全てを見透かしてしまうかのような、そんな不敵な表情...。 



P.A.様こと、Piotr Anderszewski様。
あなたは、あなたにしか歩めない道を歩んでください。
北米大陸の片隅から、これからもずっと応援し続けます。

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