2016/05/13

月は蠍座にありて、影深く【1】(Blame it on the Moon in Scorpio)

親愛なるP.A. 様。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番&第20番
10年前の写真ともなると、さすがにお若い。

ご機嫌いかがですか。
待ちに待たれた長期休暇(サバティカル)、きっと楽しまれていることと思います。

(※以下、読む人完全無視の強引独り言モードに突入しますので、クリックは自己責任でお願いします。)

「長期」とは言っても、6月末から7月にかけて、サー・ジョン・エリオット・ガーディナー指揮のバイエルン放送交響楽団との共演予定がしっかりと入っていますので、そんなに長々と羽根を伸ばす時間は取れないかもしれませんね。


3月1日付のFacebook上・Humans of New York(HONY)に掲載された写真。
ツアーも終了間近とあって、相当お疲れのご様子でした。 
(日本語訳はこちらの過去記事をお読みください。
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/03/blog-post.html


長期でお休みが取れれば、普段なかなか行けない歯医者(芸能人じゃないけど歯は大事。)や健康診断にも行けるでしょう
どうか、身体も心もいたわってくださいませ。
これ、世界中のファンからのお願いです。
本当は、愛犬家のあなたがワンちゃんと一緒にゆっくり過ごせるような機会でも持てれば理想的なんですけど...。 
(ひょっとして写真の犬、ポーランド原産の「タトラ・シェパード・ドッグ」/Polish Tatra Sheepdog、もしくはその犬種の血が入っている子でしょうか?大きなしっぽがかわいい~。)

http://www.amazon.com/Piotr-Anderszewski-Beethoven-Diabelli-Variations/dp/B00005NGDS


今度の演目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第17番(←リンク先動画はJ. E. ガーディナー指揮、English Baroque Soloists+Malcom Bilson /フォルテピアノ...によるヴァージョンです。)
サー・ジョン・エリオット・ガーディナーの指揮する音楽(特にバロック期の音楽)を好んで聴くようになってからもう随分と経ちます。
何と言っても、古楽器使用の演奏は耳にも、身体にも、心地良いですから。重厚長大といった感じの演奏が多いベートーヴェンの交響曲でさえも、古楽器オーケストラの演奏ならば後味さっぱり。胃もたれしなくていいのです。



Beethoven: The Symphonies
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Beethoven John Eliot Gardiner
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(や、安っ...。私が買った時、確かこの3倍近くのお値段はしたような気がする。日本って、ホントにデフレなんだなあ。) 


ご存知の通り、サー・エリオットは古楽器を使ってのバッハ演奏に長年心血を注がれて来た方ですし、






今回の演奏会も、きっとモダンに走り過ぎることなく、切れが良くて端正な感じのモーツァルトになるんでしょうね。どんな音に仕上がるのか、とても興味があります。
どこかで聴く機会があればいいのですが。



【2016.05.13、18時40分追記。...と、ここまでさんざんドイツのコンサートについて書いてきて、たった今、HPに何か新しい記載が無いかどうかを確かめ始めたところ、



え"え"-----っ!?



去る3月のNYC公演@Lincoln Center以降の予定が全消去されてしまっているではありませんか!!! 
6月と7月は一体どうしたの???

あぁ、一体P.A.様に何が起こってしまったのでしょう??? 気になって夜も眠れない...。(←ウソ。シッカリ寝マス。)
*ちなみに、バイエルン放送交響楽団のHPには公演情報がきちんと掲載されています。今のところ、演目変更の発表はありません。http://www.br-so.com/k/4927/  

【2016.5.24追々記。公式HPの公演情報、2016−2017年度版が出揃いました! ほっ。http://www.anderszewski.net/performances/index.cfm  



こちらの動画は、ワルシャワのオーケストラと2002年(だそうです)に共演した時の協奏曲第17番。
勝手知ったる故郷での演奏会、しかもお姉さん(すぐ後ろでバイオリン弾いているショートカットの女性。P.A.様と顔立ちが似ているので簡単にわかるでしょう。)がコンサートミストレスを務められているとあって、あなたの伸び伸びと、楽しげに弾き振りしている様子がとても印象的。
観ているこちらも嬉しくなります。


いかにもモーツァルトらしい感じの、生き生きとした素晴らしい演奏になりましたね。
子供が歓声を上げながら跳ね回る姿を想像させるような、生の喜び。
時折暗雲のように訪れては、われわれの心を曇らせる悲哀や憂鬱。
あるいは、人間という生き物が逃れられない、愚かしさや卑しさ。
30分少々の演奏の中に、それらの要素が全て見事に詰まっていました。
Bravi!


この上なく純粋で、この上なく美しい世界。
汚いことだらけの地上世界で生きるわれわれが、そうした理想郷のような世界を体験したくなった時、無性に聴きたくなる音楽。それが私にとってのJ.S. バッハやモーツァルトの作品です。
毎日、運転中や食事中に軽く聴き流すタイプの音楽ではありません。そんな雑な聴き方は作品に失礼ですよ。(でも、バッハの「コーヒー・カンタータ」だったらそれもあり、かな?)


絶対にこの世から無くしてはいけない。
そういう音楽だと思います。
人類全体で大切にしていきたい、宝物ですね。








さて、話は突然、18世紀のモーツァルトから現代のロックへと飛びます。


つい数週間前のこと。
4月21日(米国時間)に全世界に特大級の衝撃が走りました。
プリンス(本名・Prince Rogers Nelson)という1958年生まれのミュージシャンが自宅で死去した、との一報が世界を駆け抜けたのです。



1980年代、溢れんばかりの才能とカリスマ性でもって世界中を魅了したプリンス。


57歳という若さで、しかもコンサート活動やCDの制作を積極的に行っていた中での突然の死。
特にファンというわけではなかった私にとっても、これは衝撃的でした。
同じ1958年生まれのスーパースターだった故・マイケル・ジャクソンが早世したのに続き、プリンスよお前もか...とつぶやきながら、その日はずっと暗澹たる気持ちで過ごしました。


私は彼のことを「すごい才能の持ち主」とは認めています。
いい曲を書いていることも知っています。例えば、チャカ・カーンが歌った これ とか、アイルランドの歌手・Sinead O'Connorが歌った これ 。 



が、正直に白状しますと、ミュージシャンとしての彼を「好き」と感じたことはありません。ただの一度も。
他の人が歌ったらいい曲なのに...とつい言いたくなる、ということは、プリンスの声や歌い方を苦手としているのでしょうね。今まで聴いた彼の曲で、「美しさ」や「感動」を覚えたことも、多分無かったような気がします。



神々しさとか、清々しさというよりも、どちらかというと「エロ・グロ」の領域に近い人。
「エロ・グロ」自体、別に悪いとは思いませんけどね。
そういうプリンスの世界がたまらなく好き、という人達も大勢いますし。
こればかりは個人の好みの問題でしょう。
「優等生的で、きれいな音楽」なんてつまらない、聴くだけ無駄、と評する人は案外多いもの。そのような人々に語らせれば、プリンスだってきっと正当に評価してもらえるに違いありません。
なので、これ以上私から余計なことは言いますまい。



何年か前、彼が某キリスト教系(と、本人たちは主張。)のある新興宗教に入信し、戸別訪問という形での布教活動に勤しんでいる、という噂を聞いたことがあります。
その時も、「ああ、なるほどね。」といった感じで、さほど驚きませんでした。
喜びも悲しみも怒りも、とにかく強烈な形で表現することで知られていたプリンス。
「中庸」「穏健」を重んじるタイプの伝統的宗教よりも、社会から異端視されているような過激な教えの方に惹かれそう...といった雰囲気は、昔から漂わせていました。


(玄関に誰か来た、とドアを開けたら、あの個性的なルックスのプリンスが布教用パンフレットを持って立っていた...という状況、一度経験したかったなぁ<笑>。
まぁ、うちは彼の自宅があるミネソタ州からは遠く離れた西海岸なので、彼が訪ねてくるなんていう可能性は限りなくゼロに近かったのですが。)


それにしても、ここまで大げさに世間の人々がプリンスが死んだ、死んだ、って大騒ぎしていたのって、一体なぜだったのでしょう。


彼の死後間もなく、日本を含めた世界中の人気ミュージシャン、それから俳優・女優などといった有名人からの追悼の声が続々と流れてくる様子を見ているうちに、なんとなく分かってきたことがあります。
それは...


...世界の大半が本当に悲しんでいるのは、
プリンスという人気ミュージシャンを失ったこと、ではない。

あのとびきり派手でゴージャスで陽気だった
【黄金の1980年代】の記憶を甦らせてくれる力を持つキーパーソンが
また一人、この地上から永遠に消えてしまった。
世界は今、そのことがどうしようもなく悲しくてたまらないのだ。


そのような理屈をこしらえてみて、やっと納得が行きました。
だって、私、個人的に「プリンス大好き!」って人、生まれてこの方一度も会ったことないんですもん。CD1、2枚は持ってる、来日コンサートに行った...程度の「にわかファン」ならば何人か知ってますが。



今回、特に興味深かったことがあります。
それは、
「プリンスは本当に死んじゃった」という情報が伝わるにつれて、世界中の音楽ファン(プリンスファンも、そうでない人も。)とファンとをつなぐ一種の【同族意識】のようなものが、どんどん広がりを見せて行った、ということ。



「悪趣味!」
「ケバい!」
「Big hairとspandexばかりの、ファッション暗黒時代!」
とか何だかんだ悪態ついていても、結局あの時代を通り抜けた人の誰もが、1980年代という時代、そして「いかにも80年代を彷彿とさせるような」物や人にかなりの愛着を持っていたんだな~、ってことが明らかになりました。
みんな、80年代に恋していたんですね。

1999
「1999」の曲だけは大好きなので、今回バラ買いで入手。



あの時期、特に80年代前半は、誰が何と言おうと、英米大衆音楽の黄金期でした。
ハリウッドの俳優から政治家に転身したロナルド・レーガン大統領が、「強いアメリカ」という国家像を、内外にアピールしようと躍起になっていた。
そういう時期です。


マドンナ、マイケル・ジャクソンと並び、プリンスはまさにそうした「強くてギンギラギンに輝くアメリカ」を象徴するスーパースターの一人でした。
奇しくもこの3人、全員が1958年の生まれです。



音楽ファンにとって、毎日毎日貪るように聴いていたミュージシャンが突然地上から消えてしまうのは、大好きな年上の友人を亡くすのと同じくらい、いや、もしかするとそれ以上に辛い体験です。
その人のコンサートを生で見たり実際に会ったりした経験があるならば、喪失感も並大抵のものではありません。


もっとも、こうした「スターの死」にショックを受けるのは、クラシックやジャズといった他ジャンルの音楽ファンにも起こり得ること。何もロックやポップミュージックといった大衆音楽に限ったことではないです。


ただ、他ジャンルの音楽とロック/ポップミュージックとが決定的に違う点。
それは、ファン層の「若さ」です。


ファンが若ければ若い程、一人のアーティストから受ける影響力は大きくなります。
しかも、そうした若い音楽ファンたちは、ヘッドフォンや部屋のスピーカーを通じて、毎日その人の声や音楽とそれこそ「肌身離さず」という感じの一体感を保ち、結果的に自分と、そのアーティストの間とに濃厚で密接な関係を築き上げます。
そして、そうした関係を実生活の人間関係並み、いや、ひょっとしたらそれ以上に重要であるかのように「錯覚」したがります。


親や同級生にも言えない悩みを、大好きなアーティストが歌詞の中で代弁してくれた。
激しいギターやドラム&ベースの音に身を委ねることで、やり場の無い怒りや絶望感が少しは解消されて、反社会的な行動に出ずに済んだ...。
心理療法やカウンセリングを受けたことが無い子でも、音楽には相当癒されているはず。
ロック/ポップミュージックが好きな人なら、そうした癒やし、誰でも一度は体験していることでしょう。
そうやって、われわれは1980年代と共に十代を過ごし、大人になりました。



ロックやポップミュージックといった大衆向け音楽を愛するわれわれにとって、憧れのアーティストは単なる「演奏者」という存在を超えた「メンター(mentor)」であり、「ヒーロー/ヒロイン」であり、年の離れた「親友 (best friend forever)」でもある存在。
特に、周囲の人間関係に馴染めず、一人思い悩むことの多い内向型人間にとってはその傾向がより顕著に現れます。


自分にとって意義深い存在が、ある日突然この世からいなくなってしまう。
残るのは、自分の一番奥深いところにしまってある、最も純粋で熱かった部分がえぐり取られてしまい、その跡に空いた大きな穴。
この喪失を乗り越えるプロセスって、かなりしんどいです。


時が来れば喪の悲しみも少しずつ癒え、事実は事実として受け止められるはず。
で、「1980年代って、本当に最高だったよね。私たち、1980年代の音楽が大好きだったよね。」と、楽しく語れる日がいつかやって来るでしょう。
甘いも酸いも。まじめもバカも。ぜ~んぶ、ひっくるめて。
再び十代だった頃の自分に戻り、『同族」である音楽を愛する人々と延々語り合うことができれば、それは最高の心理療法にも匹敵するような、特別な癒やし体験となるはずです。



音楽への熱い思いがきっかけとなり、人と人との間に生まれるコミュニケーション。
国境や、民族・人種といった枠組を超えて生まれる、一種の【同族意識】。
素晴らしいと思いませんか?
今回、プリンスの死という事件をきっかけに、そうした美しい相互サポートネットワークのような人と人とのつながりが世界のあちらこちらで生まれているのを目の当たりにし、私、ちょっと感動してしまいました。


3月1日のインタビューで、あなたは「芸術はコミュニケーションだ」と語っていましたよね。
アーティストと聴衆の間に生まれる双方向コミュニケーション、もちろんこれからも大いに促進されてしかるべきだ、と思います。
そのためには私達ファンの側でもできるだけのことはしますからね。
聴衆だけでなく、演奏者の人達にも満足の行くステージパフォーマンスであって欲しいですから。「金払ったから一方的にサービスを受ける」という態度でいてはダメなんですよね。会場にいるみんなが幸せな時間を味わえるよう、やれることは何でもやらなくては。



まずはCDをちゃんと買う。
行ける時は何としても演奏会に足を運ぶ。
「あ、今のフレーズはCDで聴いた時よりも更に進化して、より素晴らしい仕上がりになっている!」と的確にキャッチできるよう、いい音楽をたくさん聴いて耳を養う。
このぐらいの努力はしていくつもりです。



それと、もう一つ。
舞台側と観客席の間の交流に加え、聴衆と聴衆との間をつなぐ横のコミュニケーション、つまり、同じ時代や文化の中に生きる聴衆同士を結びつけていく


【部族意識】のような横方向のコミュニケーション


を育てることにも、これからは熱心に取り組んでいかないといけないな、と私は思います。
でないと、音楽業界、特に金銭的に余裕のある高齢の客が多数派を占めるようなクラシック音楽業界は衰退の一途をたどるばかりとなります。
若いファンが喜んで新規参入してきて、「ここは居心地がいいからしばらく探索してみようかな」「クラシック音楽って、素晴らしい。もっと詳しく知りたいな。」と言って、長居してってくれるような、魅力的なコミュニティを作り上げていかないといけませんよね。


昔はレコード会社や、プロモーターなどが率先して「ファンクラブ」「友の会」などといった組織を作り、ファン達を引っ張っていってくれました。(しっかりとお金も取られましたけど。)



今の時代、ファン同士のつながり方は全く違う、より自由度の高い形を取るようになりました。いつでも、どこでも、聴衆と聴衆が横方向につながる機会なんて簡単に作れます。
面倒くさい手続きなど不要。
インターネットやSNSのおかげで、お金だってほとんどかかりません。
誰かが「Aさんを応援しよう!」と一声上げたら、後は勝手にみんなが集まってくるのを待てばいいのですから、気楽にできます。(例えば、こちらはFacebook上にあるあなたのファンページ。ドイツのファンの方が作ってくれたみたいです。最近は新規イベントの告知も無いので、動きが無くてちょっと寂しいです...。)



「同じ時代を共有する聴衆と聴衆との間に生まれる横のつながり=同族意識」って素晴らしいですね、なんて書いたばかりの私ですが、ふと、気付きました。


あなたも私も、同じ1960年代後半の生まれではありますが、旧共産主義国家・ポーランドで生まれ育ったあなたの十代は、恐らく私達の十代とは似ても似つかぬ物だったに違いありません。
陽気さも無ければ、ギラギラした輝きも当然、無い。どこを探してもそんなもの、ありません。
「1980年代は『Let's Go Crazy!』って調子で、楽しかったよねー!」という、あの、高揚感あふれる独特な時代の空気。当時のあなたには、全く縁の無いものだったのですよね。



ロンドン、ロサンゼルス、パリ、そして現在のリスボン(ポルトガル)…と移り住み、30年近くに及ぶ旅人のような生活ですっかり「西側世界」に溶け込み、世界各地を華麗に飛び回っているかのように見えるあなたですが、かつては全く違った世界の住人でしたよね。



いわゆる「鉄のカーテン」の向こう側、政治的にも文化的にも旧ソ連の強い支配下にあったポーランドの首都・ワルシャワの音楽学校に通い、
「退廃的で、堕落した」西側諸国の現代文化から完全に遮断された状態で、
ひたすらクラシック音楽の修行に励む...。


それが、あなたにとっての「十代の日々」でした。



〜【2】に続きます。〜

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