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2017/03/10

「なめんなよ」~「傷」についての良記事、二つ。

http://item.rakuten.co.jp/festival-plaza/10007382/
こちらのお店の画像を拝借しました。
うち、このカードセット買って持ってます。20枚。

「腐ったミカン」@金八先生ジャストミート!な世代には懐かしいこの光景。不良と言えば、バイクに長ランボンタン。女子はずるずるマキシ丈のスカート。休み時間にトイレで喫煙。頭髪痛むぜチリチリパーマ。
...って、もはやこういう1980年代初頭の特殊カルチャーを理解できない人の方が多いか。
(下の動画を見てもイメージ湧かない人は、「ツッパリ」という語をググって画像検索してください。)


今聴いてみると、意外に曲も歌詞も手堅い作りになっていて、プロの仕事だよな~と感心してしまう。
曲後半部での「なめんなよの心得」シャウト部分(歌詞を読みたい人はこちらから)、特に「ワン公のようにやたらシッポを振るべからず」のフレーズは「好かれたい病」からの脱却を目指している私にはビビビン☆ビビン☆上田敏!と響いてしまった。シビレルナー。

【参考過去記事@楽天ブログ・アーカイブ館】
「人に好かれたいという病気は、現代のペスト(黒死病)」

「まぐまぐ」発行のメルマガを購読していると、ニュース記事を集めたMAG2NEWSという、まぐまぐメルマガからピックアップした記事のチラ見せ用日刊メール新聞が自動的に送られてくる。たまーに気が向いた時に開封して読むこともあるため、購読解除することもなく、今日まで来ている。


数日前、記事ヘッドラインの中で「おっ!」と目を引いたのが、こちらの文章だ。http://www.mag2.com/p/news/242257




これ、こちらでさんざん取り上げてきているキャロライン・メイスおばさんのメッセージとほぼ同趣旨のメッセージだと思った。
「傷の言語(Woundology)」で話してばかりいるな、不幸自慢・自己憐憫の蟻地獄にはまるな、という、彼女の主張と非常に近いことを言っている。

「心の傷を強調することは、傷そのものと変わらないほど精神に損傷を与えるのである。傷についてあれこれ思いわずらうことは、それ自体が自分を傷つけ、鞭打つ行為であり、意識は回復ではなく、つねに弱さのほうへと向けられる。」
(「チャクラで生きる」キャロライン・メイス、川瀬勝訳、サンマーク文庫、2009、p.79)

そうした「傷についてあれこれ思いわずら」っているような人々の集まりを、記事の筆者であるビジネスコンサルタント・中久保浩平氏は「なれ合い」「ぬるま湯」と断定している。そして、

「小学校や中学校なんかのマラソン大会で一緒にゴールをしてくれる仲間を探して、ゴールをするのが楽しい、とか、自分のことを分かってくれる仲間というのを、『大変ですよね』『ほんと、大変ですよね』って返してくれる人をほんとの仲間だと思って人脈が出来た! と喜ぶレベルです。」

と 、斬り捨て御免!
いやはや、随分と思い切ってやってくれたものだ。


一緒にゴールしてくれる仲間(ウププフ。笑)...これ、実にナイス!!!なたとえ話だ。
「真剣勝負」も、「本気」も、「必死」も、そこには全くといってよいほど存在していない、ってこと、よく伝わってくる。
「出来レース」化した人生の姿がここにある。
うーん、イヤですねぇ。送りたくないですねぇ。
そんな嘘まみれのレースでたとえ「勝った」としたって、全然嬉しくないに決まっているから。
死の床にあってもなお、「あの時、もし、ああしていたら...」ってグジグジと悔やむことになりそうだ。



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人間だから、疲れることもある。
本気モードをOFFにしてぐでっとしていたいときだって、もちろんあるだろう。
長い人生、常にGo!Go!Go!と、エンジンフル稼働状態で前に進める時ばかりではない。
そういう時には、「予め退出する時間を決めて」同族意識のぬるま湯にどっぷり浸かり、のんびりするのもいいかもしれない。慰安旅行に参加するような気持ちで。
ただし、ごく短時間の滞在でうまく切り上げられるよう、しっかりとアラームを設定しておく必要はあるだろう。

「枠にはまった同族意識の見方から個人の力への移行は避けられないものなのだ、と気づけば、少しは気が楽になるのではないだろうか。いちばん慣れ親しんだ世界が、もはや自分には合わなくなる、という瞬間が、誰にでもいつかはやってくる。なかには、こういうことが何度も起こるという人もいる。」 
(「チャクラで生きる」キャロライン・メイス、川瀬勝訳、サンマーク文庫、2009、p.154)

どれほど名残惜しいと思っていても、どれほど心地良く過ごせたとしても、私たちはぬるま湯・馴れ合い的互助サークルから離れて、一人で旅立たねばならない。
先程の中久保氏のたとえ話のように、いつまでもいつまでも「一緒にゴールインしようねー!約束だよー!」なんて、仲良しごっこやってるわけにはいかないのだ。
いい年してトイレまで腕組んで歩いていく女子中学生みたいなことをやっていたら、最後まで何一つ実のあることをやり遂げられずバカを見るのは自分である。


そんなつまらない「約束」で自分を縛ってしまったら最後、「エキサイティング(ワクワク・ドキドキ...)」な人生からはどんどん遠ざかる一方だ。
ホントはもっと成長したい、もっと力を伸ばしたい、という気持ちが途中から沸き起こってきたとしても、最初に約束して縛り合ってしまった時のサイズ以上に自分を大きくすることは、もはや不可能となってしまう。


それはやめておいた方がいいと思う。
自分がこの世を去る瞬間、人生に悔いを残したくなかったら、余計な縛りや枠はできるだけ早い時期に取り外し、身軽になっておいた方がいい。


「傷の舐め合いはするな」という同様の趣旨を説いたこちらの記事にも、深い共感を覚えた。上のまぐまぐ(MAG2NEWS)の文章と重なる主張もあるのだが、こちらも負けず劣らずの良記事なので貼り付けておこう。



【ソース:好きを仕事にする大人塾・「かさこ塾」塾長・カメライター・セルフマガジン編集者かさこのブログ http://kasakoblog.exblog.jp/ 】

フリーエージェント。
フリーランス。
一匹狼。


「私、できます!(キリッ✨ )」と、大きな声で即答できない。それは、残念だけれども、今の自分の現状。そこまで力を付けていないのだから。
でも、そっち方面に狙いを定めたからには、一歩ずつ近付いていきたいもんだ。


100人の「ぬるま湯トモダチ」から大歓迎されて仲間に加えてもらうより、たった一人の真のフリーエージェントな生き方をしている一匹狼に「おぬし、なかなかやるな。」と言われてみたい。


今はそんな風に思っている。


で、今日も西洋占星術を学ぶのだ。
「その年で??? 今から??? プププ(←失笑)」なんて言う奴のことはほっとけー。


このおっちゃん先生(Steven Forrest氏)のしゃべり、
オーディオブック版の講義録では抜群に面白い!
聴覚型の学習者は、教科書本文ではなく、先生の脱線話や逸話から
ガッツリ学ぶのだ。音声学習教材は欠かせない。

一応、こちらではEvolutionary Astrology(進化占星術、っていう訳語が使われているみたい。)の大家として有名な人なんですけどね。

The Inner Sky: How to Make Wiser Choices for a More Fulfilling Life
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表紙上には何と、あのスティングが推薦文を寄せているという...。
彼もやっぱりフォレストせんせーに鑑定してもらったのかな。
あまり行く先の事について迷ったり、悩みを抱いたりしたりするタイプには見えないんだけど(笑)。





2017/02/13

Google+に代わるおふざけ話の新ブログ(3号館)、開きました。

このたび、Google+に書き溜めてきたようなよもやま話を、装いも新たにBloggerブログの方へとお引越しさせることにいたしました。


今お読みのブログ(1号館)と比べると、長さは控えめ、内容もそれに合わせていささか軽めです。おふざけ色もより強くなります。
もしお暇でしたら、一度覗いてみてやってください。


「ドラゴンは、真夜中過ぎに一人で笑う。」 
https://dragonlaughsalone-pastmidnight.blogspot.com/


Google+のアカウントは今後も生かしておくつもりですが、これからは

「失われた【本質】を求めて、今。」(1号館。今ご覧になっている、コレですよ。)
「『さよなら、サイコパス ~Psychopath Free~』 (Peace著) 試訳。」(2号館)
「ドラゴンは、真夜中過ぎに一人で笑う。」(3号館)

という3ブログの「更新告知」以外の投稿はしない、と思います。たぶん。
(だって、Google+さんったら、他HPの画像付き記事埋め込み機能をいつの間にかカットしてしまうんだもん~。...埋め込みマニアのBlogger使いとしては、最後の頼みの綱・Facebook使うしかなくなっちゃったんだよー!ブツブツブツ...😢)

2017年2月11日(米国時間)、新築ほやほやの3号館ブログに投稿した一番最初の記事、下に貼り付けておきます。
(初回のごあいさつということで、文章はいささか長めです。)


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2017/01/26

【閑話】人はみな、それぞれの物語を背負って今ここに。【休題】

Facebookで禅についての話をしていた時、ふとこのセリフを思い出した。
もう9年前になるのかあ。




「あなたと違うんです!」

誰もが密かに心の中で一度や二度はつぶやいたことのある一言を、つい、ポロッとマイクの前で出してしまった福田元首相。
記者団の質問についカチンと来て、うっかり本音が漏れたのだろう。


みんな、当時はさかんにこれを笑い、呆れた口調で語っていたけど、実は「他人事じゃないな。場合が場合なら、自分だってやりかねない。」という複雑な思いで見ていた人も多いのではないかな。
少なくとも、私はそうだった。
あの手のゴーマンかましちゃいました発言、脳内では昔から今の今に至るまで結構頻繁にやっているように思う。
ただ、口に出して人前では言わないだけだ。罪深さは同じである。


「覚醒」

「マスターからの瞑想伝授」


「チャネリング能力が花開く」

といった甘い言葉に釣られて、不当に高い金をぽんぽん払っちゃうような消費者が後で泣くのは、ある程度仕方ないこと。自業自得だ。
今回だけは授業料だと思って諦め、次はもうちょっと考えてから、必要とあらば信頼できる人の意見を聞いてから、事を起こすようにすればいい。
(金が余って余って使い道に困る?だったら、ご自由にどうぞ~。)



でも、何でそういうビジネスに引っ掛かるか、と考えたら、全ての根っこにはこの


「あなたと違うんです」

を外の世界にアピールしてくれるような《何か》



を求めずにはいられない、という人間のしぶとい欲望があるせいだ、思う。



みんな、人より頭ひとつ分出たくって、自分のことを差別化したくってたまらないのだ。


それは、最近流行りの言葉を使うと、「マウンティング mounting」せずにはいられない、という欲望にも簡単につながる。
見栄っ張りの女性集団、例えばちょっと競争心の強い幼稚園ママ友グループなんかではしょっちゅう見られる光景らしい。
おお、こわ。


【参考記事: 
日経WOMAN「女性同士のイヤな感じ、正体は「マウンティング」 】


この「あなたと違うんです」とつい言っちゃう/思っちゃう、本能的な衝動。



どうやったら、コントロールできるんだろう。
どうやったら、湧き上がらないようにできるんだろう。
どうやったら、「他人と比較する」ことをやめられるんだろう...。



しばし考えて、今、ヒントらしきものがふと浮かんだ。



車なんて基本的にちゃんと動いて、燃費が良くて、目的地まで安全に行って帰って来れれば100点満点。そう私は考えている。
今乗っているのは、8年前に買った日産の小型ハッチバックで、まさに100点満点の車。だから、買い換える予定なんて無い。最後の最後まで大切にするつもり。



車へのこだわりなんてゼロ、の人間だから、誰がベンツに乗ろうが、BMWに乗ろうが、革張りシートの最上級グレードの車に乗ろうが、
「ああ、車が好きで、そこにお金をかけたい人なんだな。」
って思うだけ。
値段なんてぜ~んぜん気にならない。というか、よくわからない(笑)。
これまでの数少ない経験から、高級車のシートは確かに乗り心地抜群、と知っている。長時間ドライブをよくする人だったら、身体への負担を考え、たとえ多少高価であってもどうしても上位車種が欲しい、と考えるのも理解できる。



あるいは、その人か、その人のパートナーがその特定の車種に若い頃からずっと憧れていたのかも。
今、ようやく金銭的にも余裕が出るようになり、遂に購入へと踏み切ったのかもしれない。めでたく夢をかなえたわけだ。
勝ち組と見られたいから、ベンツに乗る...なんて薄っぺらい人ばかりじゃないのだよ、世の中は。


それなりの理由があるから、
今こうなっている。


一つ一つの選択の背後には、
その人だけが知る、
その人なりの理由がちゃんとある。



そう。この、「選択ノ背後ニ理由アリ」という部分に思いを馳せるだけの想像力を奮い起こすことが、今、私たちに強く求められているんだと思う。



表面に出ている現象だけを見て、

「なにあの人、金持ちぶっちゃって。」
「だんなさんが医者だからって鼻にかけてんじゃないわよ。」
「○○大学出たのに、その程度の会社に勤めてるの?」
「(タワーマンションの)2階? 安いからそこしか買えなかったんでしょ?」


と言い放ってしまう人の内側では、次のような流れが起こっているはず。

「人と自分との浅薄な比較

--->気に食わない『異物』、発見

--->脊髄反射 
(何も考えない。本能だけでガバッと動く。)

--->「あぁ、ムカつく!」「凹ませてやりたい!」


脊髄反射とは、本能そのまま、原始動物時代から受け継がれてきた部分が丸出しといった感じでとっさに出てしまう反応のこと。
高度に発達した生き物(人間のような。)にのみ与えられたすばらしい才能である「想像力」と共存共栄させていくのは、なかなか難しいかもしれない。
どちらか一方に偏らねばならないのだったら、より洗練され、より有益なはたらきだと誰もが認める【想像力】を選ぶべき。
本能そのままに敵意むき出しな生き方をしていては、心安らぐ人間関係なんて築けるわけがないのだから、いつか必ず行き詰まる。


上に挙げたような一連の脊髄反射のパターンが対人関係の中ですぐに出てきちゃうような人々、あなたの周囲にいないだろうか。
もし、思い当たる誰かがいるのなら、その人(たち)からは勇気をもって距離を置くようにした方がいいだろうね。
時間も、エネルギーも、その人(たち)には知らず知らずのうちに随分と吸い取られているはずだから。


一人になるのは怖い。
その気持ちはよくわかる。(かつての私自身がそうだった。)
でも、時間泥棒・エネルギー泥棒同然の人達から離れることができれば、自分ひとりで過ごす時間という素晴らしいごほうびが手に入るのだ。
その時間を使って、「これがあるから生きていける」「これがあれば幸せ!」と言えるような興味・関心事、もしくは打ち込める仕事を探せばいいじゃないか。
その方が、どれだけ身も心も豊かな気持ちになれるかわからない。


長いようで短い人生。
どうせ一緒に過ごすなら、「良い人でありたい。今日はイマイチでも、明日こそは良くなりたい。」との心掛けで生きている人と過ごした方が、得られる喜びが大きいのだから。
もし、今その場所で、そのような人が見当たらないのであれば、「まぁいいさ。縁があればそのうち出会うだろう。」とどっかり構えて、そして一人でなきゃできない何かに打ち込めばいい。
本、音楽、映画、美術、工芸、写真、釣り、スポーツ、ヨガ、山歩き、寺社巡り、下町散策...など、一人で自由に動き回れるからこそ楽しめる何かを探しに行こう。
他人がいても、いなくても、自力で幸せの種を見つけられる人になろう。


ひとつの集団がどっぷりと浸かっている無意識の悪癖は、薬物中毒にどこか似ている。
自分一人が「よし、手を切るぞ。二度とやるもんか。」と頑張ったところで、また「ね~、行っちゃうのぉ~?もうちょっと一緒にいようよ~。」と後ろから引き留められると、つい、ズルズルと付き合ってしまうからね。なかなか断ち切るのが大変。
朱に交われば赤くなる。昔の中国の人はうまいこと言ったもんだ。


「あいつ、気に食わない」となったら、たちまち悪口大会が始まり、その人のことを「共通の敵」へと仕立て上げて、自分たちは「共犯者」としての結束を固める...。
そんなことに時間も、エネルギーも費やして、面白い?
そんな話ばっかりして、幸せ?
モヤモヤするばかりの人間関係なんて、切っちゃえ。スルッと逃げちゃえ。
(悪口は、お口もお顔も心も歪みます♪しかも年取ったら直したくってももう直りません!)


もし、そういった「仲間」と距離を置いた後も、自分ひとりでいて、誰かの行動を見た瞬間に心がざわざわっと騒ぎ、即、脊髄反射だっ!って流れに飲み込まれそうになったら、まさにチャンス到来、だ。
自分を鍛えて、よりまっとうになるための絶好のトレーニングの機会がやって来た、ととらえればいい。


で、

「目の前にいる人のこの行動も、
それなりの理由があってしたこと。
背後には何らかの物語が、ある。
表に見えている材料だけで、即、決め付けないにしよう。」


と、言い聞かせるといいよね。何度も、何度も、繰り返して。


「どんな人の背後にも、物語がある。
なぜその人が今あんな風なのかにも、理由がある。
誰かをこき下ろしたくなったら、そのことを考えてごらん。」



そういう訓練を人知れず繰り返すように努める人が一人でも、二人でも増えていけば、私たちが生きる社会も少しずつ変わっていくかもしれない。



...まぁ、それが簡単に出来るようなら、世の中っはとっくの昔にもっと平和になっているはずだけどさ。
(そもそも私自身が全然できてないもの。
だから、こうして文章に記すことで自分に暗示をかけているのだ。「もうやるなよ!」って自戒の念で書いてるんですよ。)



私のエニアグラムの師匠である故ドン・リソ(ドン・リチャード・リソ)先生が、来日された時、教え子にアドバイスを求められ、こうおっしゃったそうだ。



【反応(reaction)】に気を付けなさい。


【過去記事:ドン・リソさんの夢〜「置かれた場所で咲きます」宣言 】
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/08/blog-post.html 


...何も考えずにバババッ!と口から出してしまう、或いは心の中でつぶやいてしまう脊髄反射的なひとこと。
これでもって人生を狂わせてしまわないよう、気をつけなければ。


とっても難しいことなんだけどね...。何度も言うけど。


心と頭をクールダウンして、まっとうな思考の働きを活発に保っておきたいのなら、やはり瞑想、坐禅のような身体を巻き込んでの訓練を日頃から地道にやっていくしかないんだろうな。

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せっかく詳しい方に推薦していただいたのに、中古本のお値段がた、高い...。復刊されないかなあ。


ヨガの後にやる瞑想だと、どうも自己流に陥ってしまっていけない。

妙なスピリチュアル・ファンタジー系(内容ですか?まぁ、その、スピリットガイドとか、ハイヤーセルフとか、守護天使とか、そっち系統ですよ。あぁ言っちまったよ。恥ずかし~。)に走ってしまいがちで、こんなんでは非常にまずいと思い始めている。
何とかならないかなあ。
変な癖、無くしたいんだけど、一人ではなかなか...。


アメリカ人のやってる禅センターも近くにあることはあるんだけど、うーん、何だかなぁ、って感じ。
(当地の禅センターには日本人のお坊さんは常駐していない。サンフランシスコのような大都市じゃないからね。)

あんなに豊かな漢字の世界、シンプルだけど実に味わい深い仏教用語の世界を知っている日本人が、わざわざ英単語で禅を説明される、ということに物凄く抵抗がある。

Satori(サットォーリィ←"r"の音が効いた発音で。)なんて言葉を耳にするの、やだもん。
(だったら、インドから来たヨガを白人系アメリカ人の先生に教わっていることについてはどう説明するんだ。←自分でツッコミ入れてみる。)


去年は時間が無くて諦めたけど、次に日本に帰った時は、必ずどこかの坐禅会に行くぞ!
(継続して行ければベストなのだが、海外在住者ではそりゃ無理というものだ。)


臨済宗・黄檗宗の坐禅会情報:
http://www.rinnou.net/cont_02/zen_info.html


曹洞宗の坐禅会情報:
http://www.sotozen-net.or.jp/searchsystem_zazen


憧れの方・P.A.様も、数年前の長期休養中には京都の禅寺で坐禅なさったんですものね。新作、今からとっても楽しみです。


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新作、遂に2月17日発売です。予約受付中!
モーツァルトとシューマンの「ファンタジア(幻想曲)」集。
シューマンの方はシーモアさんが映画のラストで弾いた、あの第三番も入っています。

...それにしても、なんと素敵なお姿なのでしょう...。(*゚∀゚)=3ハァハァ.

(もし、坐禅会に行って、こういう方が隣にいらっしゃたら、もう、鼻血ブー・心臓バコバコ状態で、とても坐禅どころじゃなくなると思うな~。警策...きょうさく...でひっきりなしにビシッ!バシッ!と打ってもらわないことには、1時間持たないかもしれない...。  
これから先、いつかどこかでP.A.様にお目にかかれる機会に恵まれるのであれば、坐禅道場やヨガの教室以外の場所がいいかなー。 ←この不届者。一体何を期待してやがる。

※ちなみに、私が2015年の夏に参加した曹洞宗大本山・總持寺の坐禅会では、「手を上げて合図した希望者のみビシッ!」でしたよ。 なので、怖がり屋さんでも安心して参加できます。
持寺HP 参禅のご案内http://sojiji.jp/zenen/sanpai/sanzenkai.html 


福田さんの「あなたとは違うんです」を何度も聞いていたら、なぜか突然このヴィンテージなCMを思い出してしまった。
ああ、昭和。





福田さん、あの突然の辞任会見以降、ほとんど政治の表舞台に出られなくなってしまったような気がする。今思うに、「あなたと違うんです」のあの一言って、このCMの「コレ(小指)」級の破壊力があったな。後世に残る名ぜりふだった。

2016/09/18

疎遠になってしまった「友達」。後悔したって仕方がない。

これ、「ちょっといい話」として読まれたがっている記事なんだろうけど...。



言わんとしていることは、わかる。
身近な人の死を経験したことのある人、何らかの形で生と死について考えた経験のある人であれば、おおむね共感できる内容だろう。


文中に出てくるナース(看護師)は、ブロニー・ウェアさんというオーストラリアの方。
記事中では明記されていないが、2012年にHay House(*注)から単行本も出されているそうな。
あ〜、道理で、イギリスのThe Guardian紙などでも大きく取り上げられていたわけだ。

【参考記事】 Top five regrets of the dying  (02/01/2012 The Guardian)

いわゆる「ステマ」、つまり巷で盛り上がっているというイメージを演出するための「ステルス・マーケティング」の一環だったのか。
Hay Houseという出版社がいかにも好みそうな売り出し方だ。

*注:Hay House/ヘイハウス=玉石混交のニューエイジ・スピリチュアル系に力を入れている、新興の大手出版社。アメリカ版サン◯ーク出版ってところかな。あられもない派手な宣伝の仕方とか、大げさなキャッチコピーとか、猛プッシュする作家や本の選び方とか、「双子か?」って言いたくなるほど、似通ってます。
(...ちなみに、私が幾度も取り上げているキャロライン・メイス(Caroline Myss)は、Hay Houseとサン○ークの両方から本/オーディオブック出してますがね。怪しさ倍増じゃん...。)
 創業者は、自らも数多くの自己啓発本を執筆していることで知られるルイーズ・L. ヘイ 


The Top Five Regrets of the Dying: A Life Transformed by the Dearly Departing
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しかも、その年の暮れには、日本語版も出ている。それも、新潮社という、これまた大手出版社から。
早っ!!!


(上の洋書版唯一の五つ星カスタマーレビュー、明らかに日本語版関係者の手による「宣伝文句」ですね。ホント、コウイウノ、ヤメテホシイ...。
書く方も書く方だけど、内容が全然伝わらないようなやらせレビューをレビューとして放置するAmazonさんの姿勢もどんなもんかな〜、と思う。)


死ぬ瞬間の5つの後悔
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記事の中で、一箇所だけ引っ掛かりを感じたところがあった。
それは、




「4. 友達をもっと大切にして、
連絡をとっておけばよかった」



の部分。



「連絡をとっておけばよかった」と死ぬ段になって悔やまれるような付き合いレベルの「友達」、ねぇ...。



あのー、そういう過去のつながりしかない人のことを【友達】と呼ぶ癖、いい加減にやめてはいかがでしょう?
で、

【昔の知り合い】
【古い知人】
【以前、親しかった人】


にワンランク格下げ、でOKってことにしませんか。
断捨離、断捨離。



知り合いになった人は誰でも彼でも特Aランクの【友達】というカテゴリに突っ込み、後生大事にキープしておく。
音信不通となって久しいにもかかわらず、【友達 or not? 】と自問する嫌な作業は先延ばし。
そうこうしているうちに、「あの時、自分から連絡していれば...」と、楽しかった過去の日々を思い出しては、後悔ばかりが繰り返される、という悪循環に陥る...。




私だけが一人で叫んでもしょうがないか。
では、ちょっとこの辺でドクネットでつながっているスペシャルなドクター...じゃなかった、エリザベス朝イングランドの演劇界を代表する大御所劇作家であり、人間観察マイスターとしても知られるシェイクスピア先生にも聞いてみるとしよう。


「先生、『友達』って何なのか、わかりやすく教えてください!」


「今の君のあるがままの姿を知っていて
これまで君がたどってきた道をわかっていて
今、出来上がりつつある君を受け入れていて
なおかつ 君の今後の成長をやさしく後押ししてくれる。
それが友達というものだ。
−−−ウィリアム・シェイクスピア」

異議な〜し。
誰かを【友達】と呼ぶには、【今・現在】でのつながりが不可欠、ってことか。
さすがシェイクスピア先生。よ~くわかっていらっしゃる。
【友達】とは、現在形・現在進行形で語り、未来に向かって続いていく間柄の人。
となると、過去でしかつながっていないような関係はやっぱり単なる【知り合い】として構わないんだな。



ちょっと雑談して、メルアド交換した程度の仲なのに、「あー、あの子は私の友達だよ〜」と、その場にいない第三者との仲良しぶりを周囲にアピールしたがる人。
時々お目にかかる。
日本でも、英語圏でも。



「友達に、連絡をとっておけばよかった」と死の床で悔やんでいる人々の中には、そうした「あっという間に誰とでも友達面(づら)シタガリーノ」なタイプの人々が大勢混じっているのではないだろうか。
彼らにとって、友達は「質より、断然、量!」。付き合いは「広く、浅く!」。
ユング心理学で言う「外向性」にかなり傾いた人たちだと思われる。



(FacebookなどのSNSで、特に有名人というわけでもないのに「友達」の数が何百人、何千人...という人がいれば、まずヘヴィーな外向型の人と見て間違いなさそう。)


【参考記事】
「内向性と外向性の違いってなに?科学的に検証する」(2015.10.26 カラパイア 掲載)


若い頃にはあちこちに顔出しては遊びに仕事に忙しかった彼ら。
そんな彼らも、いつかは年を取る。
身体の自由が効かなくなってきて、いざ死を目前にした時に気付いた。
辛くてしんみりした状況にある今の自分にただ静かに寄り添い、話に付き合ってくれるような人は、結局一人もいなかった...。


そういう絶望的な状況からこの「後悔」が出ているのだとしたら、ちょっとかわいそうだな、気の毒だな、とは思う。
死に対する恐怖と、孤独とのダブルパンチでもって、相当心がもろくなってしまっているのではないだろうか。



一人遊びが得意中の得意で、ちょっとやそっとの孤独では揺らがないよう、さんざん鍛えられてしまった内向型人間の私。
残念ながら、彼らがどれほど苦しんでいるかは、単に想像することしかできない。



もし、そのような「連絡とっておけばよかった...」と悔やんでいる人が、私とそこそこ親しい関係にあって、ゆっくりと話せる時間が持てるのであれば、こんな話をしようかな、と、思う。


確かに、昔親しかったお友達と「もう一度会いたかった」「話したかった」というあなたのお気持ち、痛いほどよくわかります。

かく言う私にも、「音信不通にしちゃって、悪かったなぁ...」と、後ろめたい気持ちを感じないでもない「元・友人」が何人かいます。 おそらく、彼女達とはこの先一度も会うことは無いでしょう。仮に会ったところで、空白期間にどうしていたか、どこに住んでいたか、と、互いの歴史を確認するだけの、表面的な会話しかできないはずです。

だったら、このままフェイドアウトでいいのかな、って。今はそう自分に言い聞かせています。

結局、そうした「元・友達」とは、それ以上の仲に進展する理由が無かったのです。別にこっちが悪かったわけでもないし、はたまた相手に非がある、というわけでもない。特別に強いつながりでもない限り、人と人との縁が途切れてしまうなんてことは、昔の村社会と違って入れ替わりの激しい今時の人間関係ではザラにあること。 仕方がないことさ、縁があればまたいつかどこかで会えるさ、と、ドライに考えた方がいいと思います。

最近では、進学、結婚、転勤などの理由で、国内ばかりでなく、海外へ移住する人も珍しくありません。新しい環境に馴染もうと必死に頑張るあまり、昔の人々とついつい疎遠になってしまうのも仕方ないですよね。

何もかもうまくやろうとしたって、どこか取りこぼしが出てしまう。悲しいかな、人間は所詮、不器用な生き物なんです。 人付き合いでも100点満点取らなくっちゃ!なんて、それこそ「絵に描いた餅」じゃないですか。そんな高い目標を掲げてみたって、どこかで無理が来ますよ。

切れてしまった縁に関しては、「残念だけど、仕方がなかった。」その一言だけで充分でしょう。 

悔やんだところで、自分の至らなさを責めてみたところで、今更その人との間がどうなるわけでもないですし。万が一、再会できたとしても、それで「元・友人」が即、「現・友人」に昇格して、昔のような親密な交流が復活するかっていうと...ねぇ。

そういうハッピーエンド風の展開、期待しない方がいいでしょうね。もうちょっと若い頃だったら、「それもありかも...♪(ワクワク)」なんて夢の一つや二つも見たかもしれませんが。

人と人との間に起こる「化学反応」(「クリック click」)って、そんな単純なものじゃない、と思います。間に空白期間をはさむような場合は、特に。


「どんな人でも、人生の各段階において
一人ぐらいは『友達』がいるものだ。
だが、『一生を通じて付き合える友達』
に恵まれる幸運な人々は、
われわれの中のごく一部に過ぎない。」
(作者不詳)

なぜ、ある人とは縁が長いこと続き、ある人とは疎遠になってしまうのか。

お芝居にたとえてみましょうか。
たとえば、劇中では端役を担当している俳優が、突然気まぐれを起こしたとしましょう。


『もっと長い間舞台上にとどまりたい』

『もっと主役と長い台詞でやり取りしていたい』

と、与えられた脚本から脱線していった、とします。


しかし、俳優としては、あくまでも脚本に書かれた指示に従わなければいけません。
「退場」とあったら、退場。
それが、共同作業でもって一つの作品を作り上げていく舞台人に課せられた、暗黙の絶対ルールです。


出番を終えたはずの俳優が唐突に舞台袖からしゃしゃり出てきたり、 はたまた脚本を完全無視していつまでもウロウロしたり。そんなこと、普通、あり得ないですよね。そんな勝手気ままを許してしまったら、お芝居自体が大混乱に陥ってしまいます。先も見えない、結末もまとまらない、ただの混沌(カオス)でしょう。そんな失敗作を見せ付けられたお客さんにしてみれば、「金返せ!」でしかありません。


だから、複数の人間が協力して何か価値あるものを作り上げるためにはある程度の「縛り」「秩序」「たたき台」が必要となってくるのでしょう。お芝居の場合は、それが「脚本」。

人間関係も、一種の共同作業です。数え切れないほど多くの出演者が複雑に入り乱れているように見えても、実は背後にしっかりとした「脚本」があるんだと思いますよ。でなければ、「どうしてこのタイミングであの人と出会うことができたんだろう?」といった、忘れられない偶然の出会いを説明することはできないでしょう。 
去っていくお友達を繋ぎ止められなかったのは、あなたが悪いからではありません。お友達が非情だったからでもありません。単に、あなたと絡む場面が終わって、脚本にしっかりと「退場」と指示されていたから、立ち去ったのです。もっと大きな、断れないほど魅力的な役柄のオファーを受けて、別の劇場へと移ったのかもしれません。


あなたも、彼らも、脚本の指示通りに動いた。
それだけのことです。 


(こういう「人のはかなさ」をいきなり冒頭から論じるような文学作品が
何百年もの間、大切に受け継がれてきた国。
日本人のそういう美意識、素晴らしいと思います。)

まぁ、自分が主演する【人生】というお芝居に、脚本を書くのは一体誰なんだ、なんて聞かれても、正直なところ「わかりません」と言うしかないです。「生まれる前の自分と、天界のアドバイザーさん達が協力して仕上げた脚本」って説は、私の中では一番収まりがいいですけどね。

人は誰もがそうした脚本を心の奥底に隠し持っている。
意識でもってとらえることはできないながらも、その脚本の指示に従い、【人生】という一つの長いお芝居を一幕、また一幕...といった感じで組み立てているんじゃないでしょうか。

あなたは、その【人生】というお芝居で、主人公という役柄を立派に演じてこられたではありませんか。途中で投げ出したりしなかった。それだけでも、大変なお仕事ですよ。
手に汗握るスリリングな急所も無事切り抜けたし、たくさんの暴徒が乱入してきて、主人公危機一髪!という場面でも、雄々しく闘い、勝利を収めたではありませんか。

 なのに、あなたは今もなお、過去を振り返り、「しくじった」「もっとうまくやれた」と悔やんでいらっしゃる。

これ以上、後悔し、ご自分を責める必要、ありますか?

「無いです。与えられた役割は、精一杯、演じました。」って、今日からは力強く言い切ってしまいましょうよ。 

過去は過去。「もっと〜できたのに。」「〜すべきじゃなかった」と、ご自分をいじめるような真似はなさらないでください。そばで見ていて、いたたまれない気持ちになります。

後悔する気持ちを、祈りへと変えていきましょう。 もう会えないかもしれない、懐かしい人々が、今この瞬間にも地球上のどこかで平和に、無事に暮らしていることを祈ってみませんか。 

その思い、きっと時空を超えて、相手のもとに必ずや届くと思いますよ。

 「バカバカしい」と思われるのなら、それも結構。一種のファンタジーなんだろう、と、笑って受け流してくださいね。

生死問答-平成の養生訓 (平凡社ライブラリー)
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五木 スピリチュアル系の人の見解は、ファンタジーみたいにおもしろいので、つい物語として読んでしまいます。それによると、生まれてきたときには、あの世で計画してきたスケジュール表は、すべて忘れるようになっているから、この世では、自分で考え、自分で選択、行動しているように思えるけれど、じつはこれも、自分で描いた筋書き通りに歩いでいるだけだという。  
(...中略...)  
少なくとも、現在をつくっている過去の因果を、すべて肯定することで、あまりジタバタしない生きかたができるように思えますが。 


帯津 そうですよね。挫折によって、新しい可能性が生まれてくるということですね。少なくとも医者は、挫折を体験した人のほうがいい医者になりますね。すると挫折も、その人をいい医者にするための、筋書きなのだということになりますね。うん。楽しいですね。 
(「生死問答 平成の養生訓」五木寛之・帯津良一、平凡社、2011、pp.167−168)

五木さん、おもしろいです。
帯津先生、楽しいです。


五木 親鸞は、「わが計らいにあらず」という言葉をのこしていますが、ひとの人生のできごと、生老病死を考えると、私はいつもこのことを思います。
人生、 
「なるようにしかならない」、  
そして、さらに  
「しかしおのずとかならず、なるべきようになるのだ」 

と心のなかで納得します。そうすると、
不思議な安心感 
がどこからともなくやってきますね。 
(前掲書、p.168)

そう。
目指すべきは、この、安心感という最終目的地。
少しでも近づきたいのであれば、後悔という負の感情には背を向けた方がいい。
勇気を出して、逆の方向へと歩いていかないとね。




2016/07/18

本日のお題:シーザーカット。(付記:実はロックなJ.S.バッハ。)

シーザーカット。


 男性の髪型、です。 


もちろん、古代・共和制ローマの軍人・政治家であり、「ガリア戦記」の作者としても知られるジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)の名前にちなんだ名称です。



 これね。
「人間は自分がそうだったらいいな、と望むことを簡単に信じてしまう。 そして、自分が考えていることは、他人も同じように考えている、と思い込む。」 http://i.quoteaddicts.com/media/quotes/1/15579-julius-caesar-quotes.jpg

「シーザーカット」という名称を聞いただけで、頭にパッと画像が浮かぶ方。 おそらく美容業界の方か、ファッションにお詳しい方でしょうか。 もしくは、古代ローマ史や世界史をよくご存知の方、なのかもしれません。



 で、私は、と言いますと.. つい最近までそんな名称、知りませんでしたよ。
私の中では単に「短髪」。それで事足りてました。名前がちゃんと付いていたとは。



 シーザーはシーザーでも、サラダでしたら、たま〜にレストランに行った時には食べてるんですけど...。 (なぜ、ロメインレタスの上にパルメザンチーズとドレッシングとクルトンをかけたこのサラダに「シーザー」の名前が付いたのか、それはまた別の話。どうやら、メキシコ、その後アメリカでレストランを開いていたイタリア系移民のCaesarさんが考案したことから、その名前で呼ばれるようになったようです。 古代ローマの偉人・カエサル/シーザーとは関係無いんですって。)  
(アメリカの料理にありがちな、きっつい酸味が苦手な私も、シーフードレストラン・Red Lobsterのシーザーサラダは大好き。酸味がマイルドで、チーズやクルトンも、あくまでも脇役に徹するべく、控えめな味付けが施されているのみ。でも、その配合がとっても上手なんですよね。個々の役者が、それぞれの持ち場でいい仕事をしている。だから、何度食べても飽きない、おいしいサラダに仕上がっているわけです。 
日本のレッドロブスターでは、これと同じシーザーサラダ、出しているのかな?もう20年以上も行っていないな〜。)
https://www.tripadvisor.com/
あ、髪型の話でしたっけ。すみません。
はいはい。 シーザーカット、ですね。
今年始めのこと。 ハフィントン・ポスト日本語版でたまたま読んだ記事で、そのような名称で呼ばれる髪型がこの世に存在していたことを、初めて知りました。
【昔は「かっこいい!」と思ってた......。時代遅れになった男性ヘアスタイル17選】http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/25/17-mens-hairstyles-should-stay-dead_n_9075036.html  
原文はこちら。
【17 Men’s Hairstyles Of The Past That Should Just Stay Dead】http://www.huffingtonpost.com/entry/bad-mens-hairstyles_us_56a13ec1e4b076aadcc5b77b
12番目に出て来る、この、お医者さん時代のジョージ・クルーニーがしていた髪型、がそれです。

http://img.huffingtonpost.com/asset/scalefit_600_noupscale/56a148fa2a00002c000310c5.jpeg



The Men's Hair Forumという英語のサイトから、簡単な説明だけ引用しますね。

「シーザーカットとは? 
シーザーカットとは、前髪を下ろした形の、男性の短髪のひとつ。頭頂部の髪をフラットにして前方へと流すこのスタイルは2014・2015年に流行中の髪型のトレンドとは一線を画している。 シーザーカットの人気は、1990年代後半に特に高まった。ジョージ・クルーニーが大ヒットテレビドラマ「ER」でこのスタイルをして出演してから、一躍流行の髪型へと躍り出た。以来、シーザーカットは、またたく間に30歳〜45歳のアメリカ人男性を中心とした層の支持を集めることとなる。」

【ソース:http://www.menshairforum.com/talk/Thread-Caesar-Cut-Hairstyle-Guide-How-to-Style-Haircut-Products-Pictures-and-Tips
     
 映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じていた古代ローマ人・ルシウスの髪型も、シーザーカットの系譜にあると見て差し支えないでしょう。少々伸びかけの感はありますがね。
何と言っても、物語の舞台が古代のローマですし。衣装も髪型とばっちり合ってます。

テルマエ・ロマエ
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まぁ、「シーザーカット」と言えば、私にとっては何と言ってもこちらのお方、なんですけど。 (1996年録音のCD。レーベル・レコード会社を変えての発売となったため、下のジャケ写は2002年撮影。)


バッハ:イギリス組曲 第6番 / ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ31番 他
リンク先のAmazon.co.jpページで、曲の冒頭部が試聴できます!

ジャケット裏面も、やっぱりシーザーカット。(当たり前だ)


...また脱線してしまいました。
髪型の話に戻りましょう。


これ、The Huffington Post紙の記事タイトルで、筆者のJames Cave氏が主張している通リ、



「そのまま過去と一緒に死んでてもらった方がいいヘアスタイル」
("hairstyles of the past that should stay dead")


と正式認定した方がいいですよ。
そして、できるだけ大きな声出して、世界中に拡散すべきだ、と思います。



だって、上の3人を見れば、あまりにも明らかじゃないですか。
シーザーカットは、「人」を選ぶヘアスタイルなんです。


美容院や床屋さんに行って、
「今日はどうしますか?」と聞かれ、
「シーザーカットにしてください」
といったやり取りを交わして良いのは、上に挙げたジョージ・クルーニー、阿部ちゃん、そしてP.A.様並みに


大きな、力のある瞳


が印象的で、


彫りの深い、濃い顔立ちをした、


誰もが認める


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜美 男 子☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


とカテゴライズされる人のみ。
それ以外の者には



原則としてシーザーカットは 禁止。 


ってことにしませんか。
それが公共の福祉にも寄与することになります。



うやむやにしておいては、絶対、真似する人が出てきます。
特に日本人の男性は要注意ですよ。
はっきり言って、「お猿さん」化する確率があまりにも高過ぎるんですよね。
東洋人の平板な顔立ちの上に、シーザーカットを乗っけてしまうと。


いわゆる、標準レベルの顔立ちの人が「テルマエ・ロマエの阿部寛さんみたいな髪型にしてください」とオーダーしてみたところで、行き着く先は、まぁ、こんな感じでしょう...。百聞は一見に如かず。
うっかり試してみんなの笑いものにならないでください。

 
https://youtu.be/KkrW-nRK20s

https://youtu.be/z2oSBDo6FMI


(あ!加卜ちゃんのシャツ、上の仲本工事シャツと一緒だ! ちなみに、うちには真ん中の写真で志村けんが着ていたのと同じ、黄色い横縞模様のシャツ+半ズボンが一体化した 「なりきり志村けん」衣装があります。 DVDーBOXの特典でおまけに付いてきたの。
一体どうすりゃいいんだ、これ...。宴会芸に使う予定も無いし...。)        

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(これの初回限定盤・特典付きのBOX。ビッ◯カメラ川崎店に残っていた、最後の1点を運良くディスカウント価格で手に入れました。 天井からなぜか唐突に落ちて来る...の場面でおなじみ、金色のやかんも付いてきましたよ。もちろんミニチュアだったけど。)

...と、安易に「シーザーカット」へ挑戦することへ警鐘を鳴らしといたところで、そろそろ音楽に関する戯言(と、P.A.様による、上のCDについての話)へ移るとしましょうか。 クラシックとロック、どちらの音楽にもある程度の理解と興味とをお持ちの音楽ファンじゃないと、多分、読んでいても何が何だかわからないかも...。       なので、時間を無駄に使いたくない方はどうぞスルーしてください。



2016/05/24

月は蠍座にありて、影深く【3】(Blame it on the Moon in Scorpio)


シマノフスキ・ピアノ・アルバム



(今、私はあなたが演奏するポーランドの作曲家・シマノフスキのアルバム(上の画像)を聴きながらこれをタイピングしています。
メロディーを追いかける必要は無いけれど、でも、周りの空気をある方向へと向けてくれるこういう独特の魅力を持った音楽、最近好きです。確かに慣れるまで時間はかかりますけど、癖になりますね、これ。ヘヴィメタル/ハードロックの延々と続くギターソロやドラムソロみたいな感じ(笑。違うか?)  
★YouTubeのプレイリスト★→https://www.youtube.com/playlist?list=PLT_qumLCdp9v_CX7Mh1ltNS5-Smv5fLcl


最近、ようやくおぼろげながらわかってきたことがあります。
自分は、長いこと自分の手でわざわざ【疎外感】を作り出すような、愚かしいことをずっと繰り返していたのだ、ってこと。
決して「あの人達」が悪いのではない。


原因は、自分の方にありました。


2016/05/13

月は蠍座にありて、影深く【1】(Blame it on the Moon in Scorpio)

親愛なるP.A. 様。


モーツァルト:ピアノ協奏曲第17番&第20番
10年前の写真ともなると、さすがにお若い。

ご機嫌いかがですか。
待ちに待たれた長期休暇(サバティカル)、きっと楽しまれていることと思います。

(※以下、読む人完全無視の強引独り言モードに突入しますので、クリックは自己責任でお願いします。)

2016/05/02

ファンとはこういうものなのです。

ファンという人種のあり方について、日本経済新聞に掲載されたとあるコラムがすっごく良いことを言っていたようだ。Twitterで拡散されて話題を呼んでいるらしい。
とても共感できるので、こちらにも貼り付けておこう。

(うちの大学の先生方は、卒論審査の際、このような一次資料に直接当たらない邪道な引用のことを「孫引き」と呼び、ルール違反だから今後は絶対にやらないように、と何度も強調なさいました。 
...仏文科の先生方、ごめんなさい。また、性懲りも無く悪い癖を繰り返しております...。)

憧れのあの方が


バッハ:イギリス組曲集~第1,3,5番



「ただ、元気でいてくれるだけでいい。
本人が好きなことを続けて、
幸せだと感じていてくれれば、
それだけでいい。」

という境地。遅ればせながら、最近ようやくそこまで辿り着けたように思う。



とはいえ、ここに至るまでの道は決して平坦・平穏とは言えないものであった。
昔は、「お願い!!! 私の方にだけ振り向いて!!!(←ばーか。)」という、一方的な思い入れ過剰で、妄想が暴走してばかりいたからなあ。
(幸か不幸か、どちらかと言えば小心者、しかも財力にもあまり恵まれていなかったため、「追っかけ」「ストーカーもどき」といった大胆かつ迷惑な行動に出ることは一切無かった。というか、そのような「あの方」に嫌われるような真似、絶対にできなかった。)


根っからの「信奉者/崇拝者体質」であり、狂気すれすれ(と、人は言う。)の激烈ファン道を若い時にとことん経験し尽くして「もう、いいや。」という所まで行ったからこそ、今は静かな確信を持って、穏やかな口調でこう言えるようになった。


「この人はみんなの、そして、全世界の宝。
だから、みんなで末永く支え、大切にしていかなくては。」


「私が...」「私を...」といった具合に、「私」で始まる文で「憧れのあの人」を語ることしかできなかった昔。
でも、近頃は「私たちみんな」という、一人称複数形の視点から語ることがむしろ当たり前、と思えるようになってきた。
少しは成長したのだろう。たまには自分に「グッジョブ!」と言ってやるかな。
(じゃ、ご褒美にCDをもう1枚...って、ほらー、また調子に乗り過ぎだぁ~。)

ピョートル・アンデルシェフスキ・ライヴ・アット・カーネギー・ホール




以下、G+に投稿した元記事(http://grapee.jp/173252)へのコメント部分。


異議なーし。
ファンとはまさしくこういうものですよ。
素晴らしい文章です。

私達は憧れのあの人(人々)の、「昨日よりも今日、今日よりも明日」と、誰も見ていないところで日夜努力し続けている姿を知っています。
(ね、P.A.様。J.S. BachのWell-tempered Clavier...Book IIだけでも大歓迎です...のCD録音、いつか実現させてください。首を長くして待っていますので。)

残念ながら、そうした絶え間のない努力が必ず100%報われ、良い実を結ぶとは限りません。その人自身がどれほど強くいい結果を出そうと思っても、一人の頑張りだけじゃどうにもできない場合だってありますから。いわゆる不可抗力、というやつです。

そんな時でも、どうにかしてあの方(達)だけには天界から「よく頑張ったね」というご褒美がダイレクト便でもって届いてくれればいいなあ、と、願わずにはいられない。
それがファン心理というものです。

金銭や名声という形でのご褒美も悪くはないですが、ファンとしてはむしろ私達の大切なあの方(達)が

「今まで頑張ってきて良かった。生きてて良かった。」 
と心から思えるような
    幸 せ な 時 間
  
を少しでも多く、少しでも濃密に体験する、という形でのご褒美を希望します。
お金に換算できない努力には、
お金で買えない喜びという報酬が
最もふさわしいと思いますので。







日本経済新聞、2016年4月28日付夕刊からの引用だそうです。
(上二点の画像、 http://korekichi2ch.com/archives/5931749.html から拝借しました。)


P.A.様。
あなたの演奏する、理知的で美しい音のバッハが大好きです。
...なんだか小学生が書く作文みたいな言い方で、ちょっと恥ずかしいんですが。
でも、今はそれだけ言うのが精一杯です。
音楽から受けた感動を美辞麗句で飾り立てて、書き手の自分を少しでも良きもの・高きものとして演出するなんてこと、やりたくないんですよね。虚しくなるだけですから。

これからも、あなたの好きな素晴らしい音楽をたくさん聴かせてください。ずっと応援し続けます。



(残念ながらアップロード側の設定により、こちらのYouTube動画は外部ブログへの貼り付けはダメみたい。なので、こっちもG+の投稿で。)




2016/03/14

こんなソフトクリームは嫌だ

ここのところですね、ピョー様...おっと失礼、ピョートル・アンデルシェフスキ(ポーランド+ハンガリー系のピアニスト。過去記事のこちらをまずご参照ください。
の動画をヘビーローテーションでYouTubeで見ているのですが、



(理由?あのですね、少しは察してくださいよ。暴走機関車なんですってば、暴走機関車。クレイジー・トレイン。オジー・オズボーン。←知らない方、すみません。)


Crazy Train (Live)
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(すごい!!! 飛行機事故で若くして不慮の死を遂げたランディー・ローズですよ。 彼のギターはさすがと言うしかないですが、ルディ・サーゾのベースも抜群にカッコいいっ!バックに映った黒地に白水玉のフライングV、昔、よく雑誌広告で見たなあ。
...えっ!? ルディ・サーゾって、アニメタルUSAの一員として「マジンガー・メドレー」とか「ガッチャマン」とか演ってるの!? ひょえー。)




ひとつ困ったことがあります。
皆さんも、YouTubeで動画を見ようとすると、何遍かに一回は<広告>と称するビデオが勝手に上映されるのは、ご存知ですよね?
うちはアメリカなので、当然アメリカの広告がほとんどなのですが(たま〜〜〜〜に日本語のCMが流れてびっくりすることがある)、



最近、どうもそのCMの傾向がヘンなのです。




例えば、
トイレで大をした時に、一瞬でニオイを消しちゃう魔法のスプレー、「プープリ」のCM。
ちなみに、アメリカの口語でpooとは「ウ◯チ」(名詞)、もしくは「ウ◯チする」(動詞)。特に子供相手の会話でよく使われます。



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(た、高い!と一瞬ビビったのですが、よく読んだら12本セットのお値段ですってよ。ホッ。)





説明は不要でしょう。悩ましいウ◯チのニオイをテーマにした陽気なミュージカル、お楽しみください。
ヨガのクラスやセクスィーダンスの場面でお尻のニオイが気になって辛い、なんてこと、年にたかが数回あるか無いかだと思うんだけど。(絶対無い、とは言うつもりありませんが。)
...それでも強引にこじつけて、商品買わせる理由にしちゃうのね。。



"Skip Ad"のボタンをクリックしない限り、このビデオ、いい気になってまるまる3分流れ続けるんですよね。



あまりのバカバカしさに感服しつつ、1度だけ最後まで見てしまった時がありました。画面下部に歌詞字幕までご丁寧についているもんで、ついつい追っかけてしまい...。




すると!


次回から、なぜか毎回決まってこの手のCMが流れるように。
どうやらこちらの好みをYouTube側に学習されてしまった模様です。
で、しょっちゅうお目にかかるのが、下のCM動画。



タイトルは、「このユニコーンのおかげで、ウ◯チの仕方が変わりました〜スクワッティ・ポッティ」。



potty=小児語で「おトイレ」「おまる」、squat=「ヒンズースクワット」等の語でご存知の方も多いでしょうが、「しゃがむ」という、これまた動詞です。その二つの合成語を商品名にしたんですね。
まずは、ご覧になってください。
とにかく、見ていただければ全てわかります。言葉は要りません。




ユニコーンが謎のしゃがみ姿勢でいると、そのお尻の下にコーンカップが流れてきて...




お、おぉ!出てくる出てくる、虹色のとぐろ!
しかも、形が均一に整っているとは!




え"っ!? マジで食べるんかいな!? いいのか、王子!腹壊すよ!


それにしても胡散臭い顔してますね、この「王子」。高貴さのカケラすらも感じられない庶民顔(笑)。




ぎゃーっ!いたいけな子供達にまでそんなものを!!! 
(しかも、お口拭き用の紙として、ナプキンじゃなくてトイレットペーパー渡してる。)



上の写真でユニコーン君の足元に置かれた白い踏み台。
それが今回ご紹介する商品の「スクワッティ・ポッティ」です。


【追記:日本でも出ていたんですね。しかも結構なレビューの数...。びっくり。】





前回紹介したバンドのスクリッティ・ポリッティScritti Politti と響きがよく似ている辺り、長年のファンとしては何とも複雑な気持ちになります...。】



早い話、洋式便器にこの踏み台を継ぎ足すと、ウ◯チの時の体勢を和式便器使用時のそれに限りなく近づけることができる、という画期的な発明らしいです。




残便感ゼロ!




トイレ滞在時間も大幅に短縮!


便秘に悩む王様にもふさわしい足乗せ台、スクワッティ・ポッティ!



べ、便秘王...。
(a constipated king)




...いえね、別にいいんですよ。
こういうバカバカしい、いかにも小学生が喜びそうな下半身ネタのCM、結構好きですから。
ただ、少しは登場させるタイミングを考慮していただけないかなー、と思いましてね。YouTubeさん。



せっかく「今日は『イギリス組曲』聴こう♪」(←近日中にCD届く予定)




バッハ:イギリス組曲集~第1,3,5番




「インタビュー見よう♪」


 
(どうして畳が壁に貼り付いているのでしょうか。どなたか、説明お願いします。)



...と、わくわくしながらYouTube動画をクリックしたのに、決まって飛び込んでくる光景は、ユニコーン君の、目にも鮮やかなウ◯チソフトクリームの製造風景。



昨日も、今日も。

多分、明日も。

明後日も。



私、何かいけないことをしたのでしょうか。
ヘコみます。


(だったら、ウ◯チ関連商品の宣伝動画、出てくる度に消さないで必ず最後まで見切ってしまう、というヘンな習性を止めたらどうなんだっ!!! )←天の声。

2015/10/11

ブレちゃいかんね、ブレちゃ。

以下、Google+ (https://plus.google.com/109106637251818312547/posts/AWbZpmNNFgp) に今朝投稿したものに、加筆・修整を施したものです。

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ここ4、5年の間、ファンを公言し、出演するラジオ(ポッドキャスト)番組も欠かさず聴いてきた、医療直観能力者(medical intuitive) の女性。旧楽天ブログの頃も含め、すでに何度か記事で取り上げたことがある。
(大きな声じゃ言えないが、実はつい数ヶ月前の投稿でも…。)

昨日、2年ぶりにその人の生講習会に行ってみた。 お題は「波動の高低とその見分け方、および波動の高め方」。 

折り良く、こちらの本を最初からまた読み返していたところ。 
こりゃいいや、渡りに船だわ、と、一ヶ月前に申し込みを済ませた。 


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Frequency: The Power of Personal Vibration (English Edition)
Atria Books/Beyond Words (2009-02-03)
(メインの教科書・人生のバイブルとはなり得ないけれど、ちょっと励ましが欲しい時に手に取る、副読本的な本かな。ペニーさんの謙虚で誠実なお人柄が行間からひしひしと伝わり、心が弱っている時でも安心して読める一冊だと思います。)


得るところはあったのだ。 たとえば、【下腹部に両手を当てて、第二チャクラと「対話」する】ことで直観にアクセスする方法、など。
行ったこと自体は後悔していない。

ただ、行ってみて記憶に残ったのは、
"Feeling good"
(いい気分になること)
と、 
"Not too much thinking"   
(あまり思考に走り過ぎないこと...チョットマテョ、ドコカデキイタコトアルヨウナ...) 

の部分ばかり。

「そういうの期待してたんじゃないんだけど...。」というのが、正直な気持ちだった。 

おまけに、昨日は他の来場者とも微妙な距離感を感じた。  

唯一、接点らしきものが見つかった人といえば、いかにも語学と海外旅行が好きそうな、州立大学でスペイン語を教える同年代の女性だけ。 会場にいた全員が善男善女揃いってことはほぼ確実なんだろうけど(男性、たった3人だけ★)、話すきっかけが作れなかった。

自分以外の全員が見事に欧米系の白人種(しかもアッパーミドルクラス感漂う...)で統一されていた、という場の空気に、圧倒され気味だったのかもしれない。  
ほぼ100%真っ白の、ホワイトブレッドな世界‥‥。 
©123rf.com


断っておくが、有色人種ほとんどゼロ、なんて集まり、私の住む地域では滅多にお目にかかれない。   
実際、郊外の戸建て地区に住む我が家なんて、左隣はアフリカ系アメリカ人、右側はベトナム人大家族、お向かいはインド人、、斜め向かいでようやく白人家族...ってな具合。実にコスモポリタンである。
人種のごった煮状態が当たり前、なのだ。

それだけに、今回、久々にオール白人の集団に囲まれることは予想していなかった。 まぁ、今時のヨガとかスピリチュアルとかに興味持つのは「そこそこ暮らしにゆとりがあって、暇もある」人じゃないと無理だからね。人種的に偏りがあるのは仕方がないか。 


一夜明けて。 
起きたら、風邪が悪化していて身体がだるい。 
気持ちも、重い。
「今日は家でおとなしく休もう。」
(2日目の受講料無駄になるけど...幸い、それほど高額ではなかった。) 
そう家族に宣言したら、少し楽になってきた。
なるほどね、身体が拒否反応起こしてたわけね。  


アストラルの階層とつながっている霊能力者。
アストラル的な教え。
そんなキーワードが頭をよぎり始めたもんで、本山博先生によるお気に入りの一冊を紐解いてみた。 

「アストラルの次元の霊能者は、自分の感情やイメージが入りますから、オーラの色を伝えるなどして、ほかの人を感情の次元で呼び込むのが上手です。また、普通の人よりも感情が豊かで、人の気持ちを容易に直観することができます。 
(中略)  
...アストラルの次元では、コンパッション(同情)が起きやすくなります。それだけに、人をひきつける何か感情的なものがあって、霊能者として『ああしなさい、こうしなさい』と言うようになります。」
(pp. 153-154)

「霊能者や相談を受けてくれる人が、自己欲やこの世的な欲望、たとえば健康とか成功とか、自分を守るための欲が基本になっている場合、みなさんがそこに通い続けたとしても、霊的な成長はできないでしょう。

自分を捨てないと、霊的な成長はできません。  

(p.174、強調は引用者による。)

スピリチュアリティの真実
本山 博
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本山博先生は去る9月19日に89歳の長い人生を終えられました。 
われわれにたくさんの霊的知識をもたらしてくださった上、陰ヨガYin Yoga開発への道をも切り拓いてくださった本山先生。本当にありがとうございました。) 

‥‥そういうことなのかなぁ。  
ん〜、アストラル、ねぇ。
ウルトラマンレオの弟はアストラ、だけどさ。

一日分の内容を振り返ってみるに、どうも参加者には
  
引き寄せの法則 &愉快な仲間たち   

特有の人工的な高揚感というか、独特のノリの良さが求められていたようである。 
(あくまでも個人の体験談です。主催者側の意図を正確に反映しているかどうかは、わかりません。悪しからず。) 

まぁ、何というか... 
神仏の領域とは繋がりの無い、現世利益(現世でワクワク!浮世の波乗りイケイケgo-go‼︎ )に重きを置いた内容、っていうんですかね。‥…(~_~;) 

だから、本山先生の「自分を捨てての霊的な成長」とも違うし、
キャロライン・メイス流の「ひたすら沈黙の行に徹」して、透明人間になる(become invisible)」スタイルの奉仕、っていうのとも、また違う。 

あの先生の講習会/クラスに参加することはもう無いだろう。

私にとっては、心身相関論、直観医療の分野に目を開かせてくれた恩人的存在だけに、そこまで言い切ってしまうと、一抹の寂しさを覚えずにはいられない。 

でも、それでいいのだ。 
先生のベクトルと、私のベクトルとが完全に違う方向に向いている、と気付いてしまったから。
"Time to move on!" (もう離れなきゃ)という内なる声に逆らうわけにはいかない。
過去は過去。今日は今日。明日は明日、だ。


2日間のうち、半分だけ出てボイコット(?)しちゃった講習会。
決して無駄ではなかった。 
無駄どころか、自分の方向性を再確認し、力強く肯定するための絶好の機会をもたらしてくれた。 

そう。 
誰が何を言おうと気にしない。ぶきっちょでも、地道に、一歩一歩自分の足で前に進もう。 

スカスカの空元気ではなく、中身のぎっちり詰まった力をつけよう。

【ど根性大根】のような生き方を貫こう。 

こちらのCDで再三再四強調されていることだが、

Self Esteem: Your Fundamental Power
Caroline Myss
Sounds True
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【実際に行動を起こし、 
継続することでしか生まれない、正真正銘の自信】

を手に入れよう。

一見遠回りに見えるけど、これが最強最良の処方箋なのだ。

他にもっと楽な方法があるよ、近道はこっちだよ、なんて外野の声は無視するに限る。
だって、ホンモノ至上主義の人だったら、楽して得取るのが美徳だなんて言わないはずだし、他人に易々と勧めるようなこともしないはず。 
自分の弱点や、立ち向かうべき課題を煙に巻いていい気分になる...。 
そんなのは、ドラッグやアルコールと同じだ。 
楽なのはほんのわずかな期間だけ。 誘惑に負けて安易な道を選べば、いつか必ず深い幻滅と自己嫌悪にぶち当たる。 過去にあれだけ痛い思いして学んだんだから、もうそろそろ同じ轍を踏むのは止めにしないとね。

真の【Self-Esteem(自尊心)】って、自己暗示とか、魔法めいた呪文とか、嘘やごまかしと紙一重のような「テクニック」とは無縁のものだ、と思う。
大体さぁ、嘘混じりで始めたことがハッピーエンドを迎えるわけがないでしょう? まっとうな結果が欲しければ、邪(よこしま)な心を一掃し、しぶとく、バカ正直に取り組むしかないんです。 

だから今日も私は語学の習練に励む。英語。仏語。日本語。
たとえ一円の儲けにすらならないとわかっていても、止めない。 目に見える形で上達しなくても、すぐに諦めたりしない。他人の華々しい活躍を見ても、くさらない。落ち込まない。 

未来は「引き寄せ」るものじゃない。 
自分の力で歩いて行って、つかみ取るものだよね。

(まさか日本人学校のバザーでこんな掘り出し物↓に出会えるとは...。出版社がつぶれたため、もはや新本での購入は不可、の貴重本らしいです。
しかも終了時間間際だったから、タダ同然の「持ってけドロボー」状態でGETできたんですよ。これはもう、運命のお導きに間違いないわ(笑)。修業だ修業だぃ!)

和文英訳の修業
和文英訳の修業
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佐々木 高政
文建書房
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