ディーパック・チョプラ デビー・フォード マリアン・ウィリアムソン
ヴォイス
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現代アメリカのスピリチュアル業界において、知名度・影響力ともに抜群の三人の著者たちによる、豪華絢爛コラボ作品です。
トップバッターの章を担当するのは、インド出身、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)や宗教に関する数々の著作でも知られる医師、ディーパック・チョプラ。
確か、9月に来日しましたよね。パシフィコ横浜で講演したと聞いています。
(これ、敬愛する村上和雄先生が監訳されているんだよね。欲しいなぁ...。)
次に登場するのは、デビー・フォード女史。
残念ながら、「故」と付けねばなりません。2013年、惜しまれながらもがんのために他界しました。
彼女が残していった数々の「シャドウ」関連本、書店では依然、静かに売れ続けているようです。
トリを務めるのは、作家であり、社会運動家としても知られるマリアン・ウィリアムソン。才色兼備という形容がぴったりの方です。
故・ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領の就任演説にも引用された大ベストセラー・「愛への帰還」の著者として、そして、ベビーブーマー世代(現在60代前半の人々が中心)に圧倒的な影響力を持つスピリチュアル・リーダーとして、アメリカでは高い知名度を誇ります。
彼女、カリフォルニア州・第33選挙区(ロサンゼルス地区)から下院議員選挙に正式に出馬を発表したとか。
次の目標は政界進出、だなんて。やるなあ。
【シャドウ(影)】という、ユング心理学ではお馴染みのこの言葉に三人三様のアプローチでもって取り組んだ試み。
それが本作「シャドウ・エフェクト」です。
デビー・フォードら三人の著者たちが、どのような意味で【シャドウ】という言葉を使っているかは、まずこちらの映像をご覧いただくとしましょう。
...あの上司のこんなところが嫌いだ。
...彼女(彼)の、ああいう性格が鼻について仕方がない。
...いつも自慢話ばかり。「私ってすごいでしょ」と、
アピールばかりの彼女。うざったい。
【シャドウ】は、こんな具合に、まず、誰か別の人の中にあるイヤ〜な性質・振る舞いとして、出現することが多いです。
で、そうしたイヤ〜な部分、というのは往々にして、
「そんな醜い部分、このアタクシ(俺様)の中になんて、絶対あるはずない!
...あってたまるかよ!!!
何、言いがかり付けてんだこのボケ!!!」
という、全否定の言葉でもって、私たちの視界から都合良くワイプアウトされてしまいがちです。
「ん〜、ひょっとしたら、私の中にも少しは同じようなイヤな部分、あるかもな〜。」
といった、「人の振り見て我が振り直せ」的な殊勝な考えなんて、まず、湧いて来ません。
常に「100%あっちがクロ!」と、全否定の表現をとります。
他人の中に見つけた、望ましくない性質。
できるだけ自分の中にはあって欲しくない。
ある、だなんて、とても信じたくない。顔覆って逃げたくなる。
...わかります、その気持ち。
自分の【恥部】は人の眼からも、自分の眼からも遠ざけておきたいものです。
誰にでもありますよね。
今までの人生を生きる中で、敢えて目を向けて来なかった、ぼうっとした暗闇で覆われた、あまり近寄りたくないような心の一角が。
(聖人レベルの人格高潔な人は別なんでしょうけど。)
この、誰もが足を踏み入れるのを躊躇してしまう、自分の中の暗~い領域こそが
「シャドウ(影)」
であります。
『自分の中にありながら、十分に理解できていない、もしくは存在に気付いていない要素や性質』なんですね。
いつも私たちの後ろから無言でスーッとついて来る自分の影法師に対し、たっぷりと注意・関心を傾けている人なんて、滅多にいないでしょう?
私たちの人格の中にある「シャドウ」の部分にも、同じことが言えます。
あまり省みられることが無い、そういう存在なんです。
今、目の前にいる相手が見せてくれているイヤな性質。
ひょっとしたら自分の中にも同じ性質があるのかもしれない。
でも、それだけは認めたくない。
だって、認めたら、ただでさえ脆弱な自尊感情(=自分はこれでいいのだ」、と、満ち足りる気持ち。)がぐらついてしまい、心の平和が崩れ去ってしまうから...。
で、そっくりそのまま「私以外の他人」に丸投げする、というのが、基本的に腹黒キャラである「シャドウ」が好む常套手段であります。
もし、重い上に異臭まで放っている【醜い性質】が、いきなり自分の中にドドーンと見つかってしまったらどうします?
自分で丸抱えして衆人環視の中、持って歩くのなんて、イヤじゃありませんか?一分一秒でも早く、誰かに押し付けた方が楽に決まってますよね?
「○○ちゃんがまたやらかしたよー。私、やってないよー。」って大声で叫んだら、なおさらスッキリしますよね?
(←子供の頃、兄弟姉妹とあまり仲が良くなかった人にならきっとわかっていただけると思います。この喩え。)
見たくない醜い部分については「じゃ、全部そっち持ちで頼むわ!」。
で、「あんたがこーだ、あの人があーだ...」と、他人を槍玉に挙げては、けなし言葉を連続発射。
遂には、「100%シロ→勝訴!自分はあいつよりはマシだ!!!」だという、はかない幻想にしばし酔いしれる...。
言葉にしなきゃどうせ相手にはバレないさ、なんて、高をくくっちゃいけませんね。
あのですねー、そういう相手を見下した態度って、不思議なもので必ず伝わりますよ。言葉を超えた、動物的な「勘」「直感」のレベルで。
(←経験者は語る...。)
知らず知らずのうちに大きく膨れ上がり、気付いた時には自分でもコントロールできない程の猛威を振るうこともある「シャドウ」。
「シャドウ」が放った毒のある一言で、大切な人との関係を一瞬でぶち壊さないためにも、常日頃よりきちんとメンテナンスしておく必要があると思います。
ペットを飼うのと同じで、「ちっとも面倒を見ない、ずーっとほったらかし」っていうのが一番いけません。こまめにちょこちょこと付き合ってやる必要があるんです。
「シャドウ」とはどんなものか、そして、どんな具合に人間関係をぶっ壊していくのか、が少しはおわかりいただけたでしょうか。
以上、雑な説明でした。
こちらの記事はユング心理学からの解説。
「シャドウ/影」についてもわかりやすく書かれていますので、オススメです。
http://www.j-phyco.com/category3/entry39.html
「ユング心理学における投影とは」
(「ユング心理学の世界へようこそ」HP http://www.j-phyco.com/)
前回書いた記事。
高校の同級生とやり取りしていくうちに、恩師のX先生について我々二人が抱いていた人物像がひどく異なっていて驚いた...。
要するに、それを言いたかったのでした。
その後もずっと、「ん〜、どうしてなんだろう、どこかに納得の行く説明、見つからないかな...。」と、謎解きしたくて、いろいろと手持ちの本をめくっていました。
ふと、気になって手に取ったのが、長いことほったらかしておいた上の本・「シャドウ・エフェクト」日本語版。
上の動画に登場しているデビー・フォードさんによる第2部「自分自身、他者、そして世界と和解する」の中に、キラリッ☆と光る部分、見つけましたよ〜。
「シャドウには、私たちの暗い性質や悪い性質だけでなく、
前向きな性質も含まれています。
一般的に、その種の前向きな性質は
『光の影(シャドウ)』
と呼ばれています。」
(「シャドウ・エフェクト」 ディーパック・チョプラ、デビー・フォード、マリアン・ウィリアムソン共著、佐藤志緒 訳、p.211)
はぁ???
光の影???
何なんだこりゃ、無色透明の光の影、なんていったら、やはり無色透明となるわけで、わけわからん...。
で、同じく長らく放置プレイしていた原書を急いで本棚から引っ張り出し、該当の箇所へ。
HarperCollins e-books (2010-05-04)
"light shadow"(光の影=光のシャドウ)
って言葉になってます。
私が翻訳者だったとしても、多分、こう訳すしかないんじゃないかな、って思いますね。多少、辻褄合わなくっても。
(残念ながら、原文でも、「無色透明の光に影なんてできないぞー」という突っ込みは華麗にスルーされています...。)
おや。
これ、ひょっとして私が考えていた疑問...
「どうして友人の先生像と私の先生像はあんなに違ってしまったのか。」
へのカギとなりそうな気がしますね。
わくわくして来ました。
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