「おはようおじさん」。
この言葉にピクッと反応した人、あなたはひょっとして神奈川県出身...
とは限らないんですよね。
むしろ、「沖縄の方ですか?」と、聞くべきなのかもしれません。
つい数日前、この衝撃の事実を知りました。おじさんは、沖縄にいたのです。
まさか、30年という長い年月を経て、「おはようおじさん」に再び会えるとは。感無量。
あれは、遠い昔。中学3年生の夏休みのことでした。
クラスの仲良しの友達グループと、「みんなと一緒でいーよね。」と、いい加減に申し込んだ、夏期講習。
30分程電車に揺られて、みんなでくっちゃべりながら(どうせ、好きな男子とか、芸能人とか、他愛の無い話に決まってる。)通うのが、高校生活の先取りみたいに感じられて、中途半端に田舎な郊外住宅地の公立中学生だった我々にはなかなか新鮮でした。
講習の会場は、今となってはかなりの進学校となってしまった、JR南武線沿線にあるS学園の校舎。
駅から10分程だらだらと歩いていくのですが、そこで我々は出会ってしまったのですよ。あの方に...。
当時は頭の上のお花も付けていらっしゃいませんでした。ごくシンプルに、ヘルメットだけ。
また、バイクももっと身軽でした。
今しがた新聞配達を終えた、って感じの、恐らくはホンダスーパーカブか、同等クラスの比較的地味な業務用二輪車だったように記憶しています。周りに荷物なんてあったかな。その辺はよく覚えていません。
近年撮影されたおじさんの映像/画像中のお姿とは異なり、当時(1983年)、特にこれといった小道具は手にしていらっしゃらなかったですね。
来日したマリリン・モンローを指圧し、「Shiatsu」の言葉を世界中に広めたことで有名な指圧指導者の故・浪越徳治郎先生(「指圧の心は母心、押せば命の泉湧く...。」←名言!)のトレードマークとも言えるあの親指♪立て♪立て♪の状態で、リズミカルに両手を上下に揺すぶっていました。
(2014.3.17訂正 立てていたのは人差し指だったそうです。下のリンク先の記事の写真通り。)
浪越先生の手つき、下の動画の左端の写真でわかるかなあ?
な、なぬっ?マリリン・モンローだけでなく、御大・ジャイアント馬場全日本プロレスリング社長まで施術された、と???そりゃ初耳だ。
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それにしても、まずいですよ、この歌。キャッチー過ぎて癖になりそうだ...。
♪ナミコシ、ホンゴシ、ツライコシ...♪ だ、誰か止めて~~~!!!
おじさんは、バイクの座席に横向きに腰掛けては、道行く中・高校生に向かって
「おはよう、おはよう。おはようおじさんですよ。」
と、ひたすら語りかけていました。
何でも、他の子によりますと、「盆踊りは終わりましたか~」と話し掛けられたこともあったそうです。
「おはよう、おはよう...」以外にも、話のバリエーションは多少あったんですね。
夏期講習で訪れていただけの、「よそ者」に過ぎなかった私達中学生グループ。
正直なところ気味が悪かったので、おじさんの側を通り過ぎる時はひたすら「見て見ぬフリ」に徹することにしました。
まだ中学生でしたし、まともかまともでないか、よくわからん人(おじさん、ゴメンネ。)を下手に刺激して、自宅から遠く離れた川崎市内で厄介事に巻き込まれるのだけは嫌でしたからね。
携帯電話なんて「ドラえもん」のひみつ道具と同じで、まるで夢みたいな話、という時代でしたから。親に電話かけるにしても、コイン式公衆電話が頼り、ってね。
だから「触らぬ神にたたりなし」。これで行くしかなかったんです。
結局、我々は一度たりともおじさんの挨拶や問いかけに答えないまま、講習最終日まで視線を合わせないようにしてスルーし続けました。
その後、受験だの何だのと忙しくなったこともあって、おじさんのことはいつの間にか記憶の彼方へと飛んでいったのです。
さて。
その翌年です。
無事試験も終わり、県央地区の公立高校に通い始め、そろそろ学校生活にも慣れたかな...という頃。
国道246号線の高架下、薄暗い歩道上に浮かび上がる、一人の男性のシルエット。
停めたバイクの座席に横座りした、あの丸顔の男性って、もしや...。
おはようおじさん!
前年のS学園近くで見かけた時と、いでたち、そして「おはよう、おはよう、おはようおじさんですよ...」という一方通行の挨拶、身振り手振り、その他何一つ変わったところはありませんでした。
「なんだありゃ~」と当惑していた同級生達に、
「あの人、去年、川崎のS学園のそばの道でも毎朝毎朝おんなじカッコして、『おはよう、おはよう、おはようおじさんですよ~』」って学生達に声かけてたんだよ!!! いろんな所に出没しているに違いないよ!!!」
と、私は興奮しつつ皆にレクチャーしまくりました。
川崎から我々の高校のある街までは随分と距離があるので、にわかには信じ難かったのですけどね。
でも、間違いなく同一人物でした。
...っていうか、あんなユニークな人、そうそういませんでしょ...。
その後、「今朝はポンポンを振り回していた」との目撃談もちらほら。(残念ながら、私は見逃しました...。)
今では「ポンポンおじさん」の名の方が沖縄では通りが良いようですが、そのポンポンという小道具、1984年の時点で既におじさんのパフォーマンスの一部となっていた模様です。
宗教のことについては、まだ何も言っていなかったような...。まだ構想中の段階だったのかもしれませんね。
沖縄B級ポータル DEE okinawa 2011.04.19 【緊急対談】ポンポンおじさん
おじさん、神奈川県だけではなく、北海道を除く全国津津浦浦をバイクひとつで行脚してらしたんですか。
しかも、実は「科学教会」を主宰する、「金城牧師」というプロの宗教者だったなんて...。
「200歳まで生きる」ための科学、ですか。
はぁ。
死後の世界も無い、と、キッパリ言い切ってらっしゃる。
ほぅ。
「科学教会」の教義に関しましては、もうそれ以上私からは何も言いますまい。
突っ込みどころは山ほどあるのですが...ここはぐっと抑えて。
勇気あるA高校の男子学生が本人に直接アタックしたところによると、おじさんが路上に立ち続けるようになったのは、子供を交通事故で失くしたことがきっかけ、とのこと。
悲しみがあまりにも深いため、全てを捨てて身一つで「交通安全祈願の旅」に出て、通学途中の青少年を見守ることに生涯を捧げたおじさん。
そんな優しいおじさんには、あんまりケチつけたくないんですよね。
それに、この「おはようおじさん」の話をハガキに書いて、当時、ラジオ日本で夜10時から放送されていた「サウンドプロセッサー」という音楽番組に出したところ、音楽評論家・大貫憲章さん(クイーンの日本デビュー・アルバム↓に、ぶっ飛んだすごい解説文を書いたことで、洋楽業界ではかなり有名な方。)に読んでいただけた、という、良い思い出もあることですし。(←プチ自慢。)
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えへ〜。ハガキ読みながら、憲章さん、笑い押し殺していたな〜なんてこと、今も思い出す度にニンマリしちゃいます。
その後、何人かのリスナーから「私も見た!」「東京にも出た!」なんて反響もありましたっけ。
北海道を除く全国を廻っていらっしゃったのですから、他県でも目撃情報があったのは当然だったのですね。
インタビューを読み終え、あまりにも謎に満ち満ちたこの「おはようおじさん」/「ポンポンおじさん」について、更なる情報は無いかな〜、と、軽く検索したところ、
何と!
どひゃー。
一体なんなんだ、これは〜〜〜〜!
おじさんの英語、すごい...。
鈍器でバコン!と一発殴られたような衝撃を受けました。
1970年代まで米国統治下にあった沖縄のご出身だったとしても、
ご本人曰く、米軍基地での勤務経験があるとしても、
それにしても表現や言葉の選び方に確かな実力を感じさせます。おじさんの英会話。
70代にして、アメリカ人を相手にしたこの自然なやり取り、すごすぎません???
しかも、おじさん、大学時代に少し学んだフランス語ももっと頑張りたい、だなんて...。(唖然。)
その昔、フランス語を大学で学び(+さっさと忘れ)、現在アメリカ在住十五年目に入ったにも関わらず、いざとなるとどもってしまう、怪しい会話力の自分は、おじさんの前向きな言葉、前向きな生き方にただただ、身の縮む思いであります...。
おじさん、ごめんね。
今までずっと色眼鏡で見てしまっていたこと、投稿ネタにして笑ったこと、どうか許してください。
最近はあまり目撃情報が出て来ないので少々気がかりなのですが、沖縄のどこかでのんびり無事に暮らしていることを願います。
どうかいつまでもお元気で!
人を見かけで判断しちゃいけませんね。
ホント。
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