2014/10/29

「生きざまは身体にあらわれる」(Your biography is your biology.)

キャロライン・メイス(Caroline Myss)が、著書や講演の中でよく使う言葉です。


この方、90年代~現在にかけて活躍中の、「7つのチャクラ」を初めとしたベストセラーを多数執筆している著者なんですね。
直観医療(intuitive medicine)リーディングを専門としています。
近年では、医療からスピリチュアル全般へ、と取り上げる話題がシフトしてきました。



元々カトリックの人なので、取り上げる人物や逸話もキリスト教色が濃厚です。
にもかかわらず、インドの聖者・サティヤ・サイババへの帰依を公言していたり。
一筋縄ではいかない、実に面白いおばさまです。頭も抜群に切れますしね。




(旅行先のスコットランド・フィンドホーン共同体で急病に倒れ、苦しんでいた時のこと。
自分でも訳がわからないまま、「ババ様、ビブーティ(聖灰)を私にください」と祈り続けた彼女の元に、その翌日、"To Caroline Myss"という宛名と共に、小さなフィルムケースに入ったビブーティが届きました。
過去にデンマークで彼女の講義を受けたことのあるファンの男性が、何日も前に投函したものでした。
このフィンドホーンへの旅は全くの私的な休暇だったため、送り主の男性は彼女の居所を知るはずもありませんでした。)

【参考記事】
https://sathyasaibaba.wordpress.com/2008/05/02/caroline-myss-crosses-paths-with-sathya-sai-baba/ 

彼女はCDや書籍の中でも、幾度かこのサイババ神秘体験に触れています。代表的なのは、こちら。(私が持っているのはハードカバー版なのですが、211−212ページにその逸話が登場します。)

チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
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(タイトルが与えるインパクトに関しては、原題の勝ち!)


今朝聴いていたCDに面白いフレーズがあったので、メモっておこうと思いまして。


Personal Healing
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Caroline Myss
Sounds True
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ロンドン中心部にある王宮・セント・ジェームズ宮殿での記念講演会より。
聴衆の中にはチャールズ皇太子もいます。CDの最後で、数分間だけ〆の挨拶をしているのが収録されていますが...まぁ、これは要らなかったかな。
ただでさえメイスおばさんの話、ほんのちょびっとしか入っていないんだもの。


「私たちから力を奪うものではなく、
私たちを力付けてくれるものを
選ぶようにしましょう。
そうすれば万事うまくいきます。


今、その正体がよくわからなくても
構いません。


というのも、どうやら、神様というのは、
なぜ(Why?)】あなたがそれを選ぶのか、という
ことの方がより気になるらしいんですね。
意外でしょうけど。


【なぜ (Why?)】選ぶのか。
そちらが大事なんです。【何(What?)】ではないんです。



Choosing something that empowers you is always better than something that disempowers you,
even if you don't know what you're choosing.
Because, believe it or not, what is probably true is that Heaven cares more about WHY you make the choice that you do, rather than WHAT you choose.


(Caroline Myss,"Personal Healing" <Audio CD>, Sounds True, 2003.
訳文は黒犬べーやんによる。)




7つのチャクラ (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
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(*Myssで「メイス」なんて、読めませんよ、普通...。ポーランド系の苗字だそうですが。
ファーストネームの方にしても、CDのナレーション等では、「キャロリン」の音に近いです。Amazon.comの読者レビュー欄などでアメリカ人による文章を読むと、"Carolyn"とスペリングをミスっている人が多いことからも、発音はキャロラ・イ・ンではなく、キャロリ・ンと読むのが正しいのでしょう。
一応、ここは翻訳本での表記&慣用に従い、「キャロライン・メイス」で統一しときます。)



きっかけは、8月の終わり頃、偶然地元の図書館で見つけた、彼女のオーディオブック(CD)でした。それがこちら。



Caroline Myss' Essential Guide for Healers
Caroline Myss
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ヒーラーでも、ヒーラー修行中でもない、ただの野次馬素人である私なんぞが借りていいのかいな、と迷ったのですが、聞いてみたら内容はいたってまともでした。


自分に自信の持てない「ヒーラー(癒し手)願望の強い人たち」。
そして、既に「ヒーラーになってしまった」人たち。
こういう人には往々にして、真の自尊心というものが欠けている。
真の自尊心を築き上げていない人がヒーリング業界に入ると、クライアントさんを「上から目線」で見てしまいがち。「私が、この手で治すんですよ(ドヤ顔)!」的な誤った傲慢さを身に着けてしまう恐れがある。
これでは、癒しどころか、クライアントさんにとっては害となるばかり。
癒しというものは、ヒーラーの力を超えたところで起こるもの。
それを忘れてはならない。


また、ヒーリングを生業とする者には、常に自分を謙虚に見つめなおすこと、自らのダークサイド(=影/シャドウ)の問題に取り組む覚悟とが要求される。
そんなことすらできない人に、癒しのプロを目指す資格は無い。
プロ失格である。


...といった話が、4枚組CDで熱っぽく語られていました。



「ヒーリング」をテーマとしているにもかかわらず、彼女自身の語気は荒っぽいし、話がヒートアップしてくるにつれて「マッサージの施療室に置いてある、あのチョロチョロと流れてくるミニ噴水の音。あれ、トイレの水漏れと一体どこが違うっていうのよ!!!」とか何とか、もう、言いたい放題。(誰か彼女を止めてくれぃ〜。)
まるで80〜90年代初頭の、ビートたけしの「オールナイトニッポン」や、「北野ファンクラブ」で繰り広げられたような、毒舌トークのノリなんですよ。
(実は私もあの人工的なチョロチョロ水の音には、うーん、ちょっと...と、日頃から複雑なものを感じていたので、これには大爆笑でした。)



そっ。
普段は落ち着いた顔して猫かぶって(←失礼)いるけど、一度火が点き始めるとどっちに飛んでいくのか全く予測がつかない。
そのような、ネズミ花火みたいな人っていうのが、このキャロライン(キャロリン)・メイスの基本イメージ、でしょう。
(はい。私、この彼女の野性味あふれる危なっかしさ、結構楽しんでいますよ。)



アメリカ人でも、"Caroline Myss...Either love her or hate her."なんて書く人が少なくないことから、好き・嫌いがハッキリと分かれる著者(話者)です。
「ヒーリング」「ヒーラー」なんてタイトルに「優しさ~♪」「安らぎ~♪」なんて甘い雰囲気を期待してCDを再生したら、パンチ効き過ぎ、彼女の激辛ド突き説教の連続に怖くて泣いちゃった、っていう方、たくさんいそうです。Amazon.comでの評価があまり高く無いところを見ると。
個人的には文句無しに★★★★★(五つ星)をあげたいところです。
今、この時点で自分に必要なメッセージが目白押しでしたから。良薬は口に苦し、を地でいくような話でした。
まぁ、性格的な相性というものもありますし...お世辞にも万人向き、とは言えないかも。



サンマーク文庫の流麗なる日本語訳からは、決して浮かんでこないと思いますよ、この彼女の鬼軍曹&怖いおばちゃんキャラ...。
こちらは、彼女が司会を務めるラジオに寄せられた電話相談の様子です。



(クスリが止められない「ヒモ」的な男性との今後について相談した質問者に対し、キャロライン姐さん、「そんな男、追い出しなさいっ!出てけー!って言うの。『あんたに利用されるのはもうたくさんだ!』って言ってやんなさいっ!!! 憐れみと愛とは別物なのよっ!!!」と、力強くバッサリ。
某・細○のおばちゃん級の力技・説教トークですね。圧巻。)



「7つのチャクラ」を読んだ時の印象から、もっと学者系スノッブ(=背伸びしぃ~&知ったかのイヤミィ。)で、石頭の修道女っぽい人かなぁ、と思っていたら、全然違ってました。これにはびっくり。
まぁね、本っていうのは、出版にこぎつけるまでに編集者やその他大勢の人の手が入るもの。(版元が大手出版社だと、なおさらそうでしょう。)
汚れも、傷も、きちっと修正された上で磨きをかけられ、ピカピカの姿で出てくる「工業製品」みたいなものです。
書いた人のキャラクターが100%反映されるか、っていうと、そんなことはない。あまりにもぶっ飛び過ぎたところは少しトーンダウンさせて、万人に口当たりが良いよう、上手に加工されますからね。


一方、TV・ラジオやCD(オーディオブック)など、「しゃべり」媒体におけるキャロライン・メイスの印象は、全然違います。
はるかに荒削りで、血の気が多くって、辛口ジョークも連発。
全然「作ってない」「飾ってない」んですよ。聞いててハラハラさせられる時、あります。もう、欠点も何もかも全て無修整でポンポン出しちゃうから(細かく自己検閲なんてマメなことはしない)、CD聞きながら爆笑することもしばしばです。



話の持って行き方も、「ちょ、ちょっとそれ、強引じゃないすかー?」ってこと、結構多いです。(←この、強引さっていうのは彼女の本にも共通して見られる傾向。時々、眉にツバ付けたくなる部分、出てきます。)
かと思うと、ある時突然、じゎゎーんと心に響くような深~い話を、ポロッと吐き出したりする。
ガンガン、ホロリ。
この落差がたまらなく面白いです。



私にとっては、この「ガンガン!&ホロリ。」のメイス話法、つまり、毒舌&暴走発言の合間に、ふっと「デリケートで純粋な、本音発言。」を忍ばせるというテクニック、やはりビートたけしさんとかぶるなぁ、って感じがしますね。
ま、「崇拝」したい...とは思わないですよね。好きだけど、でも、崇拝はしない。
こういう強烈な個性の方々は、公(パブリック)な場でのお姿を遠巻きに見て「ほーんと、面白いこと言ってるよなぁ〜。」と、単なる「ファン」という立場でひたすら感心だけしているのが私自身にとってはベストの距離感、という気がします。
私生活でもどっぷりお友達になる...
う〜ん。別にそこまでしなくても、いい、かな。



(ふと思いついたのですが...。
急激に発展を遂げる新興宗教の教祖とか、企業経営者には、この手の強烈なエネルギーの持ち主、多いような気がします。
「ちょっと強引なところもあるけど、勢いがあって、大勢の人を惹きつけて前進&勢力拡大できるパワーの持ち主。でも、静かにじっくりその姿を観察する人には、雑なところや詰めの甘いところもチラホラ見え隠れしたりする。」
...という感じの人。
いますでしょ?そういうパワフルそのものなお方。あなたの身の回りにも一人や二人ぐらい、いませんか。)



そういえば、たけしさんも昔、こんな映画作ってたんですねぇ。
見たことないのですが。(な、なんて濃ゆい俳優陣なのだろう...。さすがです。玉置浩二と岸辺一徳の両氏をぶつけるなんて!)



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実は、キャロライン(キャロリン)・メイスに接したのは今回が初めてではありません。
数年前、「チャクラ」に興味を持ち始めた時に、上に掲げた「7つのチャクラ」の英語版を入手しました。
最初から最後まできちんと読破したことは、しました。一応。



ただ...
本を読み進むにつれて、その論理の進め方がどうも強引過ぎるような気がしたんですね。で、イライラしてきた。
「インドから来たチャクラ、キリスト教のサクラメント、ユダヤ教(カバラ)の『生命の木』...そんなに都合良く、全てがぴたっと対応するんかいな!? ホンマかいな!?」...って思いました。
で、これ以上読む意味無し!と判断し、ゴミ箱送りの刑と相成った次第。
彼女の本など、もう二度と手に取ることはないだろう、と、その時は思ったのですが...。



なのになのに、それなのに。
「男はつらいよ」のフーテンの寅さんがある日突然、脈絡も無く故郷の葛飾区柴又に帰ってくるように、なぜかは知らねど上の「Essential Guide for Healers」のCD4枚組はいつの間にか私の縄張り内に入ってきてしまいました。
これをきっかけに、キャロライン・メイスの他の著作物も我が家に次々と入り込み(主に図書館から♪)、現に私のPC周辺を占拠してるんですよね〜(苦笑)。カーステレオでもヘビーローテーションで毎日かかってます。聞いてます。実に面白いです。




冒頭に引用した言葉に無理矢理話を戻しますと、


【なぜ?(WHY?】私は今、突然キャロライン・メイスを読み始めているのだろう。


それに対する答えは、きわめて単純・明快です。
この記事のタイトルに選んだ彼女の決まり文句:


Your biography is your biology.

(あなたの伝記はあなたの生物学である...
意訳して

「あなたの生きざまは、
あなたの身体にあらわれる」 


と、してみましたが。)

この一言に


ガツーン!


と、一発、やられちゃったんですよ。
惚れちゃったんです。
運命的な出会いを感じてしまったんです。←オイオイ...大丈夫なのか、脳味噌!?(苦笑)



だって、この"Your biography is your biology."って言葉。
ちょっとすごくありません?


《...文系(伝記) 
と 理系(生物学) が
クロスオーバーするところ 
= 人間の心と身体

という意味が込められているんですよね?



深い。
深すぎる。
これが面白い話にならないわけがないじゃないですか。
右脳ばかりが肥大化し、数字や、論の組み立てなどが苦手な文系人間の私なんぞは、このように思うんですけどねぇ。
皆様はどう思われます?


ゆるゆる、ぼちぼち〜というペースで10年以上ヨガを続けている者としては、この辺りの心身相関論というのは非常に興味をそそられる分野なんですね。
時間があったら、もっとその辺を学びたい...と、ちょうど思い始めていた頃でした。


いや〜、数年前、「7つのチャクラ」ではなく、こっちの本を最初に読んでおけば良かったなぁ。
ハーバード大卒の著名な神経外科医・ノーム(ノーマン)・シーリーとの共著だけあって、怪しげな話は最低限に抑えられた上、各症例の記述も実にしっかりしています。読み応え抜群の、素晴らしい一冊です。


(著者名が「ミス」てなっていますけど、これ、間違いなくキャロライン・メイスですよ〜。訳書が出た95年当時は、YouTubeも、ポッドキャストも、まだこの世に無かったからして、翻訳者の方も発音を確かめようがなかったのでしょうね。)


健康の創造―心と体をよい関係にするために
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日本語版で持っておきたい方、絶版となって久しい本ですので、早めに入手されることをオススメします。
医学英語に詳しい方ならともかく、我々一般の素人にとって、病気の名前や臓器の名前は、やはり日本語(漢字表記)がわかりやすいですからね〜。



ちなみに、原著はこちらです。Amazon Kindle StoreやiTunesストアなどでも電子書籍版が好評発売中。(辞書機能が組み込まれている電子書籍って、洋書を読む人にこそオススメしたいですよね。一度使ったらやみつきになります。)

2014/10/24

「光のシャドウ(影)」...?! 2


前回からの続きです。

「光のシャドウ(影)」(light shadow)について、デビー・フォードさんは次のように説明しています。


自分が他の人々に投影している
"光の部分"を
捜せばいいのです。


もし、誰かのことを『見習いたい』
『まねしたい』と思うなら、
それは、あなたが自分の中にある性質を
相手の中に見ているからです。



また、誰かに心奪われるほど夢中になったとすれば、
それは、あなた自身の中にある愛すべき部分が
相手の中にも存在しているからです。


自分の中にはない性質に関して、
あなたが他者に反応を示すことは
あり得ません。」


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(…中略…)


他の誰かの性質に魅力を感じた場合、
その性質は間違いなくあなたの中にも
存在しています。


それがいかにすばらしい性質であれ、
このことに変わりはありません。」

「シャドウ・エフェクト」 ディーパック・チョプラ、デビー・フォード、マリアン・ウィリアムソン共著、佐藤志緒 訳、ヴォイス、pp.211-212 ...本記事内、引用文中の強調は、全て黒犬べーやんによります。)


【光のシャドウ】。
これは、私たちが人間として成長する過程において、周囲の反発や抵抗にあったがゆえに、自分からも、世間からも隠し、封印してしまった良き性質なのだ−−−
と、デビーさんは主張します。



文中にも登場する「出る杭は打たれる」ということわざ、日本で教育され、日本流の集団生活に従うことを余儀なくされてきた人にとっては、馴染み深い表現です。
自分が所属する集団から突出し過ぎてはいけない。
集団の平和を乱したくなかったら、あまり目立つなよ、変わるなよ、輝くなよ、さもないとコテンパンに叩くぞ!...って、上の世代が下の世代を脅して洗脳し、自分達の都合のいいようにコントロール。
典型的な日本古来の「村社会」は、このように若い世代の活き活きとした魂を殺し、自分達の世代の劣化コピーをひたすら再生産することによってずっと生き永らえてきたんですね。
そうした共同体が嫌なら、道はひとつ。
出て行くこと。
これしかありません。


(ちなみに英語原文では"It's lonely at the top."「頂点に立つ者は孤独だ」という表現を使っているので、翻訳文中の「出る杭は〜」とはちょっとニュアンス違うと思うんですけど...☆
ま、いずれにしても「上に行き過ぎると痛い目にあうぞ」という意味で、足を引っ張ろうとするネタミ〜&ソネミ〜星人の好きそうな言葉ですよね...。)


両翼で大空を飛ぶ自由を、飛べる喜びをすっかり忘れてしまった籠の鳥のように、生気を失った存在。
【光のシャドウ】と切り離されてしまった現代の私たちは、まぁ、そのような鳥たちにも似た存在、と言えるかもしれません。
「みんなに受け入れられたい。社会の中に自分の居場所を作りたい。」 
その一心でもって、周囲に迎合し、言いたいことすら言えずに口をつぐんでしまう。やりたいことも満足にやれない。周囲からの反発を恐れるあまりに。
こうして各人誰もが持って生まれたはずの素晴らしい性質=【光のシャドウ】は、意識の奥底へと追いやられ、忘れられてしまう、とデビーさんは考えます。



【光のシャドウ】と切り離されると、どうなってしまうのでしょう?
キラリッ☆と光る、みんなを元気にするような素晴らしい性質。得意技。
誰にでも備わっているこうした素敵な要素を、自らの手で封印しながら生きているに等しい、ってことなのですよ。
ちょっと、あんまりじゃないですか。
何にも悪いことしていないのに、ただ「目立つと困る」というだけの理由で、長年座敷牢に閉じ込められている無実の囚人級の手ひどい扱いを受けている、ってことですよね?


...このまま一生座敷牢暮らしなのか。
...もう、二度とあたたかい陽の光を浴びることもなく、暗闇の中でずっと閉じ込められたまま過ごすのか...。
ってな感じで、生きる気力を失くしつつある、【光のシャドウ】。
不思議なもんですね。擬人化すると、急に可哀相に思えてきます。
何とか助けだしてあげたい、解放してあげたい、って気分になりません?



でも、人の運命って、時々とびっきり粋なはからいを用意してくれたりします。
何一つ悪いことしていない、それどころか勇気出してみんなの前に出してみれば大勢の人々の力となってくれるかもしれない、私たちの素敵な【光のシャドウ】は、死なせてはなりません。生かしてあげないと。
だから、無駄死にだけはさせないぜ!!!とばかりに、人生の節々で、絶妙なタイミングを見計らって、あなた専属のレスキュー隊員が派遣されてくるんですよ。
(どこから...って?ま、それは皆様のご想像に任せます。)


救助の手を差し伸べてくれるのは、意外や意外、あなたのハートをグワシ!とわしづかみにしてしまう


【とっても素敵な、
憧れのあの人/○○さん】 


です。


別に深い付き合いなんか無いのだけれど、その人のことを知ってすぐさま「私、あの人の大ファンなの!!!」と無条件に言わしめる程の魅力を備えた、(あなたにとっては)素敵な、あの方/あの人/あの子、です


ミュージシャン。
スポーツ選手。
クリエイター。
芸能人。
作家。
実業家。
学者。
医者。


など、大概はマスメディアで目にしたり、その作品や仕事のすごさに触れたりして憧れや尊敬の念を抱くようになった有名人/遠い世界の人、という形を取りますね。
(その方が余計なアラが目立たなくて幻滅を遅らせることができますから。)


それでも、


職場の先輩や上司。
所属する運動部の部長。コーチ。
習い事の先生。
年の離れた親戚のお兄さん/お姉さん。


など、身近(...でも、同居家族や日頃の仲良しグループよりは、ちょっと距離を置いた…)な人間関係の中で出会える場合だって、充分あり得ます。



デビー・フォードさんにとって、ご自分の【光のシャドウ】と向き合う最初のきっかけを作ってくれた人物とは、なんと後に本書「シャドウ・エフェクト」の共著者となる、マリアン・ウィリアムソンでした。
お姉さんがたまたま彼女の講演会チケットを買っていてくれたおかげで(ラッキー!)、聴衆の一人としてその夜、初めて生マリアンに接したデビーさん。
マリアン・ウィリアムソンの真摯なメッセージ、そして理知的でありながら華やかで美しい彼女の雰囲気に圧倒され、たちまち大ファンになってしまいました。




(↑これが、前回ちょこっと触れた、故ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領の就任演説に引用された部分です。 【光のシャドウ】の考え方、ま・さ・にここから生まれた、って感じしますね〜。
原文はこちらの本をどうぞ。)


愛への帰還―光への道「奇跡の学習コース」
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そういえば、VastStillnessさんの動画、頻繁に使わせていただいていますね。いつもお世話になり、ありがとうございます。この場を借りてお礼申し上げます。



残念ながら、得票数は全候補者中、4位という結果に。
今年6月に行われた予備選を突破し、秋の決選投票へと進むことはできませんでした。
ただ、応援団の顔ぶれは超豪華でしたよ。
「シャドウ・エフェクト」の共著者であるディーパック・チョプラを初めとして、他にもキム・カーダシアン(ハリウッド版叶姉妹的役割のひと、って言えばいいんだろうか...。)、パリス・ヒルトンの元親友・ニコール・リッチー、そして、偽インド人ヨギのお笑いピン芸人・スワミ・ビヨンダナンダ (←この名前最高っ〜!)、


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2014.5.19 Huffington Post (USA版)
「私が下院議員にマリアン・ウィリアムソンを推す5つの理由」
http://www.huffingtonpost.com/steve-bhaerman/marianne-williamson-for-congress_b_5341344.html

私の好きな精神科医であり、霊能力者でもある・Dr.ジュディス・オルロフ。(5月にお会いできた時のことは、過去記事で書きました。)


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音楽業界からはチャカ・カーンやエアロスミスのスティーヴン・タイラー、アラニス・モリセットといった、大物ミュージシャンたち。



まともにギャラ払ったら一体いくらかかるんかいな、と下世話な心配したくなる程のセレブな支持者たち、そして200万ドルを超えるとも言われる恵まれた(←州の代表議員選出戦にしては、ですよ)資金力に支えられての選挙戦でしたが、マリアンの国政進出という目標には今一歩、届きませんでした...少なくとも、今回は。)




え”、ニコール・リッチーって、ライオネル・リッチーの養女だったのーーーー!? 知らんかった〜〜〜〜!!!





ライオネル・リッチーと言えば、まぁ、あれですね。80年代、「♪田んぼに行って捨ててこーや...」の空耳(探してみてね☆)でちびっとだけ話題となった、あの曲が一番有名でしょうか。元コモドアーズなんて枕詞、要りませんね。



...すいません。脱線し過ぎました。


講演会が終わり、ひとり家に帰ったデビー・フォードさん。
ステージ上で光り輝いていたマリアン・ウィリアムソンの勇姿に、ひとしきり思いを馳せます。



「これほどマリアンに惹かれるということは、
彼女の中に私自身の光の影(シャドウ)を見つけたからに
違いない。
それはいったいどの部分だったのだろう?」

(「シャドウ・エフェクト」、p.213)


そして、次のような性質に特に魅了されたことを突き止めます。


マリアンは...

1. 率直に真実を話す、勇気ある人である。

2. 世界のことを真剣に考える、無私無欲の人である。

3. ステージ上でもごく自然に振る舞う、嘘偽りのない人である。


それまでのデビーさんは、(ご自身の弁によれば)そのような素晴らしい性質とはまるで縁が無い、と信じて疑いませんでした。
人に嫌われたくなくて本心を偽ったり、自信の無さゆえに言うべきことを引っ込めてしまったり、などといったことばかりしていて、とてもマリアンの域には到達できない、私には無理無理〜、と、考えていたのです。


でも、そこで
「あ〜、マリアンは雲の上の人だからしょうがないや。それに引き換え、私なんて、どーせ...。」
といった、負け犬思考の下降スパイラルに陥らなかった点は、この夜のデビー・フォードさんの大手柄でした。
以前から学び続けていた心理学、特に投影という心的メカニズムについての知識を総動員し、一発逆転の発想へと持ち込んだんですよ。



(参考記事:「私たちが持つ『影』を科学する」 中、「他人への『投影』」の項。
HP ユング心理学の世界へようこそ http://www.j-phyco.com/ より)



【ひょっとしたら、自分もマリアンの素晴らしさを見習って、少しでも憧れの彼女に近付けるかも...?】
長らく地面スレスレレベルで低空飛行していたデビーさんの自尊感情が、すくっと立ち上がり、まっすぐ上を向き始めた。
そんな劇的な瞬間です。



「私はマリアンの中にこれらの力強さを
見つけられた。
ということは、こういう性質が
私の中にも存在する
可能性があるということだ」


ここから、デビーさんの人生は大転換していきます。
ブティック経営者として、フロリダであまりパッとしない毎日を送っていた彼女が、世界的なベストセラーの著者、そして、「シャドウ・ワーク」を専門とする指導者へと変貌する道を歩み始めたんですね。


マリアン・ウィリアムソンという「光り輝く鏡」の中に、デビーさんが見出した彼女自身の美徳。すなわち、


勇気。
正直さ。
無私無欲。


休眠中の状態にあったこれらの良き性質を自分のものとし、状況に応じて上手に使いこなせるようになることで、ひいては世の人々の幸せに貢献する...という、何とも難度の高い課題を与えられたものの、デビーさんはそれらひとつひとつを果敢にクリアしていきました。
その結果、自分でも予想だにしなかった程の大成功と名声とを手に入れます。



「他人に投影している光の部分に気づき、
責任をもってそれらを受け入れた瞬間、このような
可能性(筆者注:憧れのマリアンと一緒に本を書き、
友人として付き合えるようになった、など、いくつもの夢を実現。)
が開かれていきます。


そのためには、投影のトランス状態を続けるのではなく、
自分自身の一部(光の影)をきちんと認めなければ
いけません。


そういう部分は
あなたに早く見つけて
もらいたがっています。」

(同書、p.217)




暗黒のイメージが強い、従来のシャドウ(影)ではなく、「憧れ」「大好き!」という言葉で表現されるような【光のシャドウ】と真剣に向き合うことで、デビーさんは新境地を開拓することができたんですね。



もし何かに対して
強い願望や憧れを抱いたら、
あなたにも似たような性質がある
ということです。

ただし、あなたがその性質を表現する方法は、
必ずしも他者のそれと同じとは限りません。
あなた独自の方法となるでしょう。」
(同書、p.217)


いくら憧れの存在だからといって、マリアン・ウィリアムソンをそのままコピーするのでは、工夫が無さ過ぎる。
それならば、私は私のやり方で行くしかない。
「デビー・フォード」という唯一無二の存在として、マリアンとはまた違う方向性で、自分が得意な何かをやってみようではないか...。



2013年2月。
がんにより他界するまでの十余年の間、ベストセラー作家として、指導者として、そして種々の薬物依存を克服した一人のサバイバーとして、デビー・フォードさんは持てる力を全て出し尽くし、精一杯走り抜きました。
世界各地で、たくさんの人々の人生を劇的に変え、安らぎへと導く、という偉業を成し遂げた後での旅立ちは、カリフォルニア州の自宅で、愛する家族や友人に囲まれての、とても穏やかなものであったそうです。
享年57歳でした。




(映画版「シャドウ・エフェクト」。英語音声のみですが、画像が持つ力のおかげでかなりわかりやすい内容となっています。)



そうか。
...となると、私は、大好きだった高校時代の恩師(前々回記事参照)の中に、自分自身の【光のシャドウ(影)】を見ていた、ってわけ?


どうやら、そういうことになりそうです。




2014/10/13

「光のシャドウ(影)」...?! 1

しばらく前に日本から取り寄せ、3分の1程読んでは放置しておいたこちらの本。

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現代アメリカのスピリチュアル業界において、知名度・影響力ともに抜群の三人の著者たちによる、豪華絢爛コラボ作品です。



トップバッターの章を担当するのは、インド出身、アーユルヴェーダ(インド伝統医学)や宗教に関する数々の著作でも知られる医師、ディーパック・チョプラ。
確か、9月に来日しましたよね。パシフィコ横浜で講演したと聞いています。


SUPER BRAIN
(これ、敬愛する村上和雄先生が監訳されているんだよね。欲しいなぁ...。)



次に登場するのは、デビー・フォード女史。
残念ながら、「故」と付けねばなりません。2013年、惜しまれながらもがんのために他界しました。
彼女が残していった数々の「シャドウ」関連本、書店では依然、静かに売れ続けているようです。



トリを務めるのは、作家であり、社会運動家としても知られるマリアン・ウィリアムソン。才色兼備という形容がぴったりの方です。
故・ネルソン・マンデラ南アフリカ大統領の就任演説にも引用された大ベストセラー・「愛への帰還」の著者として、そして、ベビーブーマー世代(現在60代前半の人々が中心)に圧倒的な影響力を持つスピリチュアル・リーダーとして、アメリカでは高い知名度を誇ります。
彼女、カリフォルニア州・第33選挙区(ロサンゼルス地区)から下院議員選挙に正式に出馬を発表したとか。
次の目標は政界進出、だなんて。やるなあ。



【シャドウ(影)】という、ユング心理学ではお馴染みのこの言葉に三人三様のアプローチでもって取り組んだ試み。
それが本作「シャドウ・エフェクト」です。
デビー・フォードら三人の著者たちが、どのような意味で【シャドウ】という言葉を使っているかは、まずこちらの映像をご覧いただくとしましょう。





...あの上司のこんなところが嫌いだ。
...彼女(彼)の、ああいう性格が鼻について仕方がない。
...いつも自慢話ばかり。「私ってすごいでしょ」と、
アピールばかりの彼女。うざったい。


【シャドウ】は、こんな具合に、まず、誰か別の人の中にあるイヤ〜な性質・振る舞いとして、出現することが多いです。
で、そうしたイヤ〜な部分、というのは往々にして、


「そんな醜い部分、このアタクシ(俺様)の中になんて、絶対あるはずない!
...あってたまるかよ!!! 

何、言いがかり付けてんだこのボケ!!!」



という、全否定の言葉でもって、私たちの視界から都合良くワイプアウトされてしまいがちです。
「ん〜、ひょっとしたら、私の中にも少しは同じようなイヤな部分、あるかもな〜。」
といった、「人の振り見て我が振り直せ」的な殊勝な考えなんて、まず、湧いて来ません。
常に「100%あっちがクロ!」と、全否定の表現をとります。



他人の中に見つけた、望ましくない性質。
できるだけ自分の中にはあって欲しくない。
ある、だなんて、とても信じたくない。顔覆って逃げたくなる。
...わかります、その気持ち。
自分の【恥部】は人の眼からも、自分の眼からも遠ざけておきたいものです。




誰にでもありますよね。
今までの人生を生きる中で、敢えて目を向けて来なかった、ぼうっとした暗闇で覆われた、あまり近寄りたくないような心の一角が。
(聖人レベルの人格高潔な人は別なんでしょうけど。)
この、誰もが足を踏み入れるのを躊躇してしまう、自分の中の暗~い領域こそが


「シャドウ(影)」


であります。
『自分の中にありながら、十分に理解できていない、もしくは存在に気付いていない要素や性質』なんですね。
いつも私たちの後ろから無言でスーッとついて来る自分の影法師に対し、たっぷりと注意・関心を傾けている人なんて、滅多にいないでしょう?
私たちの人格の中にある「シャドウ」の部分にも、同じことが言えます。
あまり省みられることが無い、そういう存在なんです。




今、目の前にいる相手が見せてくれているイヤな性質。
ひょっとしたら自分の中にも同じ性質があるのかもしれない。
でも、それだけは認めたくない。
だって、認めたら、ただでさえ脆弱な自尊感情(=自分はこれでいいのだ」、と、満ち足りる気持ち。)がぐらついてしまい、心の平和が崩れ去ってしまうから...。


で、そっくりそのまま「私以外の他人」に丸投げする、というのが、基本的に腹黒キャラである「シャドウ」が好む常套手段であります。
もし、重い上に異臭まで放っている【醜い性質】が、いきなり自分の中にドドーンと見つかってしまったらどうします?
自分で丸抱えして衆人環視の中、持って歩くのなんて、イヤじゃありませんか?一分一秒でも早く、誰かに押し付けた方が楽に決まってますよね?
「○○ちゃんがまたやらかしたよー。私、やってないよー。」って大声で叫んだら、なおさらスッキリしますよね?
(←子供の頃、兄弟姉妹とあまり仲が良くなかった人にならきっとわかっていただけると思います。この喩え。)



見たくない醜い部分については「じゃ、全部そっち持ちで頼むわ!」。
で、「あんたがこーだ、あの人があーだ...」と、他人を槍玉に挙げては、けなし言葉を連続発射。
遂には、「100%シロ→勝訴!自分はあいつよりはマシだ!!!」だという、はかない幻想にしばし酔いしれる...。



言葉にしなきゃどうせ相手にはバレないさ、なんて、高をくくっちゃいけませんね。
あのですねー、そういう相手を見下した態度って、不思議なもので必ず伝わりますよ。言葉を超えた、動物的な「勘」「直感」のレベルで。
(←経験者は語る...。)



知らず知らずのうちに大きく膨れ上がり、気付いた時には自分でもコントロールできない程の猛威を振るうこともある「シャドウ」。
「シャドウ」が放った毒のある一言で、大切な人との関係を一瞬でぶち壊さないためにも、常日頃よりきちんとメンテナンスしておく必要があると思います。
ペットを飼うのと同じで、「ちっとも面倒を見ない、ずーっとほったらかし」っていうのが一番いけません。こまめにちょこちょこと付き合ってやる必要があるんです。




「シャドウ」とはどんなものか、そして、どんな具合に人間関係をぶっ壊していくのか、が少しはおわかりいただけたでしょうか。
以上、雑な説明でした。




こちらの記事はユング心理学からの解説。
「シャドウ/影」についてもわかりやすく書かれていますので、オススメです。


http://www.j-phyco.com/category3/entry39.html
「ユング心理学における投影とは」

(「ユング心理学の世界へようこそ」HP http://www.j-phyco.com/



前回書いた記事。
高校の同級生とやり取りしていくうちに、恩師のX先生について我々二人が抱いていた人物像がひどく異なっていて驚いた...。
要するに、それを言いたかったのでした。



その後もずっと、「ん〜、どうしてなんだろう、どこかに納得の行く説明、見つからないかな...。」と、謎解きしたくて、いろいろと手持ちの本をめくっていました。



ふと、気になって手に取ったのが、長いことほったらかしておいた上の本・「シャドウ・エフェクト」日本語版。
上の動画に登場しているデビー・フォードさんによる第2部「自分自身、他者、そして世界と和解する」の中に、キラリッ☆と光る部分、見つけましたよ〜。


「シャドウには、私たちの暗い性質や悪い性質だけでなく、
前向きな性質も含まれています。
一般的に、その種の前向きな性質は


『光の影(シャドウ)』



と呼ばれています。」


(「シャドウ・エフェクト」 ディーパック・チョプラ、デビー・フォード、マリアン・ウィリアムソン共著、佐藤志緒 訳、p.211)



はぁ???



光の影???


何なんだこりゃ、無色透明の光の影、なんていったら、やはり無色透明となるわけで、わけわからん...。


で、同じく長らく放置プレイしていた原書を急いで本棚から引っ張り出し、該当の箇所へ。





うん。確かに、


"light shadow"(光の影=光のシャドウ)



って言葉になってます。
私が翻訳者だったとしても、多分、こう訳すしかないんじゃないかな、って思いますね。多少、辻褄合わなくっても。
(残念ながら、原文でも、「無色透明の光に影なんてできないぞー」という突っ込みは華麗にスルーされています...。)


おや。
これ、ひょっとして私が考えていた疑問...
「どうして友人の先生像と私の先生像はあんなに違ってしまったのか。」
へのカギとなりそうな気がしますね。
わくわくして来ました。




2014/10/03

タイプ違けりゃ、世界も違う。...〜相互理解のムズカシさ。

【エニアグラム】という性格論に魅了されて早、20数年。



詳しい定義や用語の説明は、上のエニアグラム研究所E.I. [日本]による解説ページを見てもらえばいいのだが、とりあえず「人間を大まかに9つの性格タイプに分類する」ってことが出発点となる。


各タイプ(タイプ1,タイプ2...以下同様)ごとに異なる物の見方や、
同じ状況に置かれた時に出るとっさの反応などを比較し、そこから人間的に成長していくにはどうしたらいいだろうか、を探る非常に奥の深い人間学である。 扱う素材が生身の人間、とあって、どこまでやっても「全部マスターした!卒業っ!」...とはならない。

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巨大な多面体であって、しかも多重構造と来ているのが、この世界。
唯一無二の解釈なんて、どこを探したってありゃしない。
観察する人の数だけ解釈は存在する。

歴史も、また同様。 
万人が納得する【決定版・THE歴史】なんて、ありっこないのだ。
(だから、ホロコーストや、南京虐殺や、慰安婦問題など、もろもろの「史実」にまつわる論争がいつまでも解決を見ないわけで...。)




一人の人物についての評価も、また然り。
知人の誰もが「あの人はああいう人だったわよね」と口を揃えて語るような、そんな単純な人間、どこにもいやしない。


人も、事物も、全ては「見る側の切り口次第」なのだ。
そこから何を読み取るか、どんなことを学ぶか、は、決して同じにはならない。 解釈者の数だけ解釈は存在する。

時々、家族や友人など、気の置けない人々を相手にお喋りしていると、こんな当たり前のことすらつい、忘れてしまう。
相手が漏らした意外な言葉にはっとさせられ、そして、目の前の相手が自分とは全く違う角度から世界を見ていることに気付かされ、言葉を失う。 今まで順調に流れていたコミュニケーションが凍りつく瞬間である。



相手とは、ほんの数秒前まで、同じ対象を見つめ、同じ情報を読み取っていると信じきっていた。
だが、私の両目が観察中のこの世界と、相手の世界とは、ひょっとしたらとんでもなくかけ離れたもの、なのかもしれない...。

【お互いに理解し合っているはず。】という、大いなる勘違い。 
くれぐれも用心しないと。  
だから賢人たちは言い続けてきたのだ。
人間関係に過信は禁物。相手に失望させられるのが嫌なら、最初っから期待なんてするな、と。

「きっと相手はわかっているさ。私がツーと言ったら、必ずあちらはカーと応えてくれるはずだよ。」

残念ながら、そう単純に行かないのがこの世の常である。 
「私たち、いつも一緒だもんねー!」と腕組んでトイレに入る中学生女子じゃあるまいし、そんな都合の良い人間関係なんて、中年過ぎのオトナにはまず縁がない、と考えた方がいい。
いい加減、目を覚ますのだ。

先日、長年の友人と雑談をしている時、我々二人の恩師であるX先生の近況に話が及んだ。
「あのさ、私、こないだご本人に確かめたんだけど、
先生、もうA.H.(歴史上の有名人。悪名高き...という枕詞が付くような人物。)
のこと、崇拝してないんだって!
A.H.は、もうX先生の神様じゃなくなっちゃったんだってさ。
びっくりしたよー!何がきっかけでそうなったんだろうね?」

すると、彼女、平然とした様子でこう返してきた。
「えぇー?
X先生のA.H.マンセーなんて、
単に生徒の笑いを取るための受け狙いでしょ~?
驚かないよ。最初っから冗談だとしか思ってなかったから。」
...え゛っ。
ちょっとちょっと、そっちこそ悪い冗談やめてくんないかなぁ
とっさにそう反撃したくなったが、ぐっとこらえて黙った。
これ以上引き伸ばしても、永遠に平行線だ。  
私と彼女がこの件に関して共通見解に達することはこれから先もあるまい。
だったら、余計な事言わず、口をつぐむしかないだろう。
性格タイプが、違う。
世界を切り取る切り口が、ここまで大きく違っていたとは。
よくも今まで気付かずに付き合ってこれたもんだ。
同じクラスで、同じ授業を受けて、同じ先生の話をずっと聞いてきたはずなのに、二人が抱いた【X先生像】はまるで別物じゃないか...。
私は軽い目眩を感じていた。

X先生に教えていただいていたのは、もう30年近くも前の高校時代になる。


当時の私からすれば、X先生は正真正銘の【A.H.崇拝者】だった。 
「アカ(共産・社会主義思想寄りの人)」上がりの教師も少なくなかった、当時の教育現場にありながら、先生は右だの左だのといった日本国内の政治運動にはそれ程関心が無いようであった。  
...だって、先生は【A.H.崇拝】という、ある意味日本国内のどんな極右・極左政治団体よりもはるかに危険な「カルト宗教」にどっぷりとはまっていたのだから。
とある男子生徒が「○○○がぁ~」なんて、先生の前でその名前(敬称略)を出そうものなら、先生は神妙な面持ちで「総統閣下とお呼びしなさい...。」と、すかさず釘を刺したものである。
(今、こんな話が明るみに出たらどうなるだろう。小うるさい保護者とマスコミが絶対黙っていなさそうだ。あーあ。めんどくさい時代だ...。ほんのちょっとの毒すら許容できない社会なんて、つまんないったらありゃしない。)
私自身、特定の人物・アイドルにすぐにかぶれて、のぼせて、崇拝しまくるという性癖の持ち主である。
それだけに、X先生のこの「あふれる教祖愛」は傍から見ていて愉快痛快でたまらなかった。

当時高校生だった私にとって、自分と同程度にぶっ飛んだ「天性の崇拝者気質」を遺憾なく発揮し、外野から何を言われ続けようと、ひたすらに我が道を進み続けるすっごい大人・X先生は、師匠であり、先輩であり、そしてヒーローであった。 高校時代、という人格の固まりつつあるこの時期に先生からから受けた影響は、実に大きい。


まぁ、A.H.が実際に行った極悪非道の数々の是非はさておくとして...。 
(とても擁護できるようなもんじゃないです。これは先生への敬意とは全く別物。)





私は自問せずにはいられない。 
友人が30年来抱いてきた「生徒へのサービスとして冗談連発していた」、つまり、【A.H.崇拝者】という特定のキャラを敢えて演じ続けていた、というX先生像。 
片や、私がこれまで30年近くにわたりあたため続けてきた、「熱烈・A.H.教信者」である、X先生像。 

果たしてどちらが本当のX先生の姿を正確にとらえていたのだろう?


考えれば考える程、自分の認知能力に自信が持てなくなってくる。もし、彼女が正しくて、私の方が完全にダマされていたのだとしたら、この三十年間の思い込みは一体何だったというのか?
…まぁ、そんなことは先生にいつか直接お聞きすればわかること。 これ以上考えるのはやめよう。  

それよりも今、大事なのは、むしろこちらの問いの方。  


【ここまで我々の『X先生像』が大きくかけ離れてしまったのは、 一体何が原因なのか?】    


二人とも、同じ時代を共有し、同じ環境の中で、同じ人物をずっと観察したはず。 
なのに、導き出された結論は何故、ここまで大きく違ってしまったのだろう。
まず、考えられるのは、「私と、友人とのエニアグラム・タイプの違い」。
性格タイプが違えば、同じ対象の見方も、その捉え方も、その後どのように反応するかも、全然違う。 
これはエニアグラムの基本中の基本。少しでもかじった事のある人なら、おわかりいただけるかと思う。   


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この友人、基本的には性善説世界の住民である。 
十代の頃から一貫して、「よかった探し」が得意な、いわゆる「ポリアンナ的気質」の人。
エニアグラムのタイプで言えば、タイプ9に属する。 





(ウィング=副次タイプは1で間違いないと思う。時々、1っぽい理想主義肌の側面が表に出てくることがあるから。)




少女ポリアンナ (岩波少年文庫)
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(表紙の女の子の表情、グッと来ますね。本当にいい子なんだよなぁ〜、幸せになって欲しいなぁ〜、って気持ちにさせられるでしょ?さすが岩波。ヘタに現代風にしないところがいいのです。)



人にはいつも優しく、働き者。 
平和を好み、おっとりしていて、聞き上手な人だから、どこにいってもうまく行く。   
家族のためにとことん身を粉にして尽くすような、「母の鑑(かがみ)」のような女性だ。  
一言で言って、「とてもよく出来た人」。 高校時代からずっと変わらない。
マメに手作りお菓子を焼いては皆に振る舞ったり、休日に早起きして家族全員分のお弁当を手作りして
子供達をハイキングに連れていったり...。
肩書だけは「母親」と付いている私も、彼女の献身振りにはホント、頭が下がるのみ。
もう一度人生やり直しして幼年期から再起動できるとしたら、ぜひ彼女のようなお母さんを!と望む人は多いんじゃないかな。
もちろん、私もその一人
こんな趣味至上主義のぐうたら母を持ったうちの子、貧乏くじ引いたんじゃないかな、って、時々思うもん。

いやはや、ホントに突っ込みどころが見つからないんだよなー、この友人って。

過去の付き合いを振り返ってみても、彼女が「絶対にこれがいいっ!あれは嫌い!ダメッ!!!」と、いった調子で自我を通そうとする姿は思い浮かばない。   たとえ家族や周囲の状況に対するマイルドな不平不満を口にすることはあっても、特定の誰かについて毒づくなんて、まず、考えられない。  
...少なくとも、私の前ではそういう姿は見せたことはない。
だから、いつも彼女と話すと、後味はとてもさわやか。 
その代わり、いささかの残尿感(…。)というか、「本音はさ、こんなもんじゃないんだけどな...」と、毒舌を抑え込んでしまったがゆえの、不完全燃焼感が残らなくもない。
(ただし、それは私自身のひねた性格に100%起因するもの。 彼女のせいじゃない。)

その昔、今に比べてはるかに血の気が多かった私は、彼女の「生ぬるい」「ポワワ~ン」とした言動によくイライラしていた。(これはご本人には内緒だ。) 
「熱いことはいいことだ!ドラマチックもいいことだ!」という誤った信念に毒され、何でもかんでもすぐにカーッと熱くなっていた、あの頃の自分。  
角の取れたまろやかな人柄、という彼女ならではの美徳が理解できるようになるまでには、それから更に20年程の歳月を要した。    
幾度かきっついお灸を据えられ、自分で転んで痛い思いをして、
「ああ、目指すべきは彼女がもう何十年も前から静かに座っている、あの境地だったか...。」と、ようやく最近わかり始めてきたところだった。
彼女は、どこまでも中庸・中道の人だ。
お釈迦様も「たいへんよくできましたで賞」をあげたくなっちゃうに違い無し、である。
こういう人って、高揚感や「最高ーーーーっ!!!」って絶叫したくなるような激情のほとばしりも無いけれど、逆に、深い谷底に落ち込んでもがき苦しむことも少ない。
だから、いつも精神的に安定しているように見えてしまう。
ま、ご本人にそんなことを言おうものなら、「そんなことないよ(ムッ。)...《こう見えても、実は色々あるんだよ!》」と、一蹴されてしまうのだろうけど。 
この友人と対極に位置するのが、X先生と私。
我々は明らかに「ナチュラル・ハイ!」を幾度となく経験している躁鬱ジェットコースター型だよな、と思う。 
ハイもあるけど、ローもしっかりあるでよ、ってなタイプ。 外からはわかりにくいかもしれないが。
楽しい時はいいんだけど、UPの波が途切れて、何かのきっかけで突如DOWN状態に突き落とされてしまうと、きついんだな~、これが...。(←そりゃ自業自得だろう。) 


先生が昔、授業中にちらっと話してくれたこと、今でもよく覚えている。  
1966年、ビートルズが来日した折、大のビートルマニアであったX少年は、残念ながら武道館公演(前座がバンド時代のドリフだった、というあの伝説のライブ。)のチケット争奪戦に敗れてしまった。


これだよ、これ↓。




一目でも憧れのビートルズを見たかった少年時代のX先生。
諦め切れずに、コンサート当日に夜行列車で地方からわざわざ上京した。 
残念ながらダフ屋からのチケットにすらありつけず、仕方なく会場の外に漏れてくる音をじっと聴くだけでその夜は終わってしまった...という。 いいなぁ、こういう話。音楽好きならば先生の気持ち、よくわかると思うな。   


そのような思い出話の数々、そして日常の言動から判断して、X先生は、間違いなく【崇拝者気質】のUP&DOWN型人間で、教祖が右と言ったら右へ、左と言ったら左へブンッ!と振れるタイプじゃないか、って私は見ていたのだが。  

ところが、件の友人にとって、先生はそういう人物とは映っていなかったらしい。 
...不思議だ。まったくもって、不思議でならない。


1960年代後半生まれの我々。
間もなく人生の午後三時(by C.G. ユング)に差し掛かる、あるいは既に通過中という世代だ。
これから年齢を重ねていくと、他人との認識のズレや、受け止め方の違いなんてーものに「...あらっ。」と妙な違和感覚える機会、どんどん増えていくような気がする。 


たとえ同年代の同性、同じ学校の卒業生であっても、これまでにどんな生き方をしてきたか、どんな人生を送ってきたは皆、バラバラ。
認知のフィルターだって厚くも薄くもなるし、また、曇りも濁りもする。 昔、仲良しだったと思っていた旧友と久々に再会しても「うわー、話、合わない...(絶句。)」
なんて場面はこれからますます出てくることだろう。
人の中にあってのどうしようもない孤独、ってやつをひしひしと味わうことになろう。
あまりにも弾まなかった会話の後、「人間関係、しんどい...」と、ため息つくこともあるだろう。


だからと言って、理解不可能、話通じない、と、コミュニケーションを簡単に見限って自分の殻に閉じこもるのでは進歩が無さすぎる。脳細胞老化に向かっての一本道驀進!となることは請け合いである。



相手と違う、自分。
自分と違う、相手。
違っていて、当たり前である。

他人と向き合った時、どうしても生じてしまう微妙なズレの部分は、「へぇ、面白い!そういう見方、するんだ〜。新鮮〜!」 てな具合に、熱帯雨林から運ばれてきたばかりの珍獣を観察するかのように、興味津々な態度でまるごと受け止めていけたらいい、と思う。 



違っているから、面白いのだ。
まずはそこに気付かなきゃ。 


ポリアンナ師匠を見習って、

相手が何を言おうと、一つくらいは良いこと見つけてホメてみよ】
っていう小さな一歩から始めましょうかね。


(おぉ!作詞・作曲が「♪もし〜も〜 あなたが〜」の歌い出しでお馴染み・「あなた」で有名な小坂明子さんっていうのが個人的にはポイント高し!!!←カラオケの「マイ持ち歌」なもんで...。)


ホドホドに、ゆるゆる〜程度でいいんだろうな。
でないと、溜め込んだストレスで逆に自家中毒症状起こしてしまうから。


ご利用は計画的に~。