2015/12/05

かなわぬ「願い」がくれた、偉大な贈り物。

某・陰謀論系(...。)ブログにて今朝目にした、「無名イギリス人」の作とされている、詩。
「応えられた祈り(An Answered Prayer)」という題で紹介されていました。
ご存知の方も多いかもしれませんが、私にとっては今日がはじめての出会い。
まぁ、とにかくご一読を。
その旨味、じわじわとおわかりいただけるはずです。


実は、19世紀後半の偉大なインド人ヨギ・スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(ヴィヴェカナンダ Swami Vivekananda)が遺した言葉である...との説も散見されます。
また、「南北戦争で傷を負った無名兵士」の作品として、微妙に単語や表現が違う別バージョン?にも出くわしました。
どうなんでしょうね、本当のところ。
温泉地のまんじゅう屋さんでよく見かける、「元祖×××」と「本家○○○」間のゴタゴタと同じで、真相はこのまま藪の中、なんでしょうかね。
どなたか、正確な出典などの情報をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、コメント欄などで教えてください。



ともかく、今回は一番多く流布していると思われるバージョンの英語原文をネットから拾ってきまして、自分なりの日本語に訳してみました。


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I asked for strength and God gave me difficulties to make me strong.
「力をください」と願った私。
そんな私に、神は困難を与え、
強い人間へと変われるように仕向けてくださった。


I asked for wisdom and God gave me problems to solve.
「知恵をください」と願った私。
そんな私に、神は問題を与え、

自分の力で解決するように仕向けてくださった。


I asked for prosperity and God gave me brawn and brains to work.
「豊かさをください」と願った私。
そんな私に、神は腕力と頭脳とを与え、

上手く使いこなせるように仕向けてくださった。


I asked for courage and God gave me dangers to overcome.
「勇気をください」と願った私。

そんな私に、神は危険を与え、

無事に乗り切れるように仕向けてくださった。


I asked for patience and God placed me in situations where I was forced to wait.
「我慢強さをください」と願った私。
そんな私を、神はただ待つ以外には何ひとつできない状況の中に

置いてくださった。


I asked for love and God gave me troubled people to help.
「愛をください」と願った私。
そんな私に、神は苦悩する人々を与え、

彼らの支えとなって働くよう仕向けてくださった。


I asked for favors and God gave me opportunities.
「特別扱いしてください」と願った私。
そんな私に、神は幾度となく好機を与えてくださった。



I asked for everything so I could enjoy life.
「人生を楽しめるように、あれも、これも、すべてください」と願った私。


Instead, He gave me life so I could enjoy everything.

神はお応えにならなかった。

その代わり、私には【人生】が与えられ、ありとあらゆる物事を楽しむことができた。


I received nothing I wanted, I received everything I needed.
自分から願ったことはひとつもかなわなかった。

それでも、私が必要としたものは、すべて与えられたのだ。


(若干単語に違いはありますが、大意は同じですよね。3行目最後の"&amp"はご愛嬌。)


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(↑そう、このお姿が一般的に良く知られていますよね。
私の中では勝手に作家の佐藤優さんと関連付けられている方です。)

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(詳しい内容紹介が出版元の日本ヴェーダーンタ協会HP上にあります。)
http://www.vedanta.jp/jp/contents/publishing/jbook/100101/100101.html



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大昔、ラーメンのCMで、「私、作る人。」「僕、食べる人。」のやり取りが男尊女卑で怪しからん、と抗議殺到で放送中止となった、といった事件がありました。
その貴重な動画、何とまだお持ちになっている方がいらっしゃったんですね。
0:30付近にありますよ。 (←こちらをクリックすれば即、その場面に行きます。)


「シャンメン」の響きにビクッとしたあなた。さては昭和40年代前半生まれですな。



(↑こ、こわい、この画像。
いきなりテレビにこんな場面が出てきたら、そりゃ、トラウマ体験となるわ。)


詩を読んで、改めて考えてしまいました。



私、いまだに
「私、願う人。」
「僕、かなえる人。」
という時代遅れの公式に、自分と神様/創造主/宇宙/見えない世界の力...etc.を無理に押し込んではいないだろうか?
って。




次々と課題ばかりが押し寄せる日々。
はたまた、平穏無事で、な~んの課題も出ていないように見える日々。
どちらも、私の人生にはある一定のリズムを伴って訪れて来るようです。
(これを読んでいる皆さんだって、そうでしょう?両者の割合や、揺れの強弱などは、人によって様々ではありますが...。)



目の前にある現実から何を読み取り、何を創り出し、何を世界に遺していったらよいのか。
この答えだけは、自分ひとりで導き出さなきゃいけませんよね。
誰かに肩代わりしてもらうわけにはいかないんです。



神様がいちいち指図してくれるわけでもないし、迷えるわれわれの目の前に解答・解説をドサッと落としてくれるわけでもない。
ま、せいぜい、小さなヒントをチラ見せしてくれる程度でしょう。
夢、ひらめき、偶然出会った本や、久々に会った友人の一言といった小道具を巧みに使って。
それ以上の甘やかしはしません。
最高に賢くて、最高に忍耐強い親だったらこうするだろうな...といった程度の介入にとどめます。



だからこそ私たちは、


自分で何かを探すんです。
自分で謎解きをするんです。
自分で動いてみるんです。
自分で体験するんです。
それが、喜びあふれる人生へと至る唯一の道だから。


「ください」「ください」と、神様にすがる3歳児の駄々っ子みたいな依存体質を手放さない限り、人生、いつまで経っても堂々巡りで進まない。
進まないから、満たされない。
満たされないからこそ、そこにぽっかりと開いた空洞をどうにか埋めようとして、次から次へと欲が湧いてくる。
負のスパイラル、一旦始まるとなかなか止められません。



手放すことです。
「私の人生はこうでなきゃ」といった思い込みにさよならして、
あなたの中に今、その姿を現そうとしている人生を受け入れましょう。

キャロライン・メイス



今日巡り会った一編の詩。
改めて大切なことを教えてもらいました。



かなわない願いの中にも「これはこれでいいんだな。」と、希望の灯を見出す。


絶望の壁に阻まれていると感じられるような時も、くさらない。
笑顔とユーモアを忘れない。
歩みは止めない。



そういう離れ業をホイホイのホイッ、と何でもないことのように実践できる人。


なれたらいいなあ、って思います。

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