2016/07/29

「許し」あってこその、次の一歩。(キャロライン・メイス)

昨日、Facebookに投稿されたキャロライン・メイス(Caroline Myss、1952−)の、「本日のプチ名言」(Wis-bit)。
過去記事のコメント欄でちょうど彼女の名前を出したこともあって、訳してみました。
この文章を今、必要としている方(もちろん、私自身も含みますよ。)の心にキャロラインのメッセージが届いてくれればいいな、と思い、掲載します。





誰かを...そして必要とあらば、あなた自身をも許してあげるために、今、何をしなければならないのか。よく考えてみてください。


もし、最後のけじめとして誰かと会って、話し合いの場を持つ必要があるとしても、私的なお荷物案件を相手にぶちまけて、責め立てるような口調は使わないように。 
手を責めずにいられない、ということは、あなたにはまだ心の準備が出来ていない、ということを意味します。 
その問題を手放して立ち去るには、まだ時期尚早なのです。


あなたの思いを手紙に託し、その人に読んでもらわねばならない、と感じるのであれば、それもいいでしょう。 
でも、その動機は、あくまでも自分自身が置き忘れてきた魂を過去から取り戻すこと、でなければいけません。また一つ、怒りに満ちた文章を相手に送りつけるような真似をしてはならないのです。


何らかの儀式を執り行って、過去のある時点に残してきてしまった魂を呼び戻しましょう。誰のためでもない、
自分自身のために。


自分だけの儀式を執り行うことによって、これまでずっと抱えてきたありとあらゆる心の傷から生じた負の遺産を手放すのです。 きちんとした儀式にするか、自分一人だけの祈りの時間とするか、それはあなたのお好み次第。
肝心なのは、「私は、許します」という声を、何らかの「公式な」やり方でもってきちんと形にする、ということ。


「許します」を何らかの形にできてはじめて、 私たちは新たなスタートを切ることができるのです。


「許す(forgive)」
という表現がピンと来なければ、

「あれはあれで仕方が無かったんだな。
あのことはあれなりに意味があったんだな。
もう、いつまでもしがみついているのはやめよう。」

といった解釈でもOKなんじゃないでしょうか。(私はむしろこっち。)



上の文章が気に入った、もっと読んでみたい、と思った方には、こちらの一冊がおすすめ。
何度も何度もしつこいですが、原題は”Why People Don't Heal and How They Can"(人々が治らない理由、そして治るための方法)ですからね。


チャクラで生きる -魂の新たなレベルへの第一歩- (サンマーク文庫)
キャロライン・メイス
サンマーク出版
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古書店を当たれば、ハードカバー単行本が激安で見つかります。ご予算重視の方は、そちらもどうぞ。


ちなみに、私が「エックハルト・トール:道の駅。でも最終目的地ではない。」で、ゆうべ匿名の読者の方宛に書き込んだコメントはこういうものでした。一部抜粋し(少々訂正も加えて)、貼り付けておきます。



「心の傷」、ですか...。
正直言ってしまいますと、最近、そうしたトピックには急速に興味を失いつつあります。
今の自分にはもう必要ない話題だな、もう深入りすることは無いな、って、感じています。
いろいろご推薦いただいたのに、気分を害されたら申し訳ありません。

「エイブラハム」、エックハルト・トール、「アストラ/アストラル」の記事でも触れた米北西部の某女性講師/著者(←この人だけは!って感じの、とても素敵な人だったんですけどね。)...といった具合に、ここ数年のうちにガッカリ体験がちと続きすぎましてね。もう、生きてる人間にはコリゴリだよ、っていうのが本音です。

そんなわけで、「こんなメソッドがあるよ〜」
「こんな風にしたらいい気分になれますよ〜」といった謳い文句で売出し中の、存命中の人には簡単に心を許すな!金出すな!疑ってかかれ!と考えるようになってしまいました。
存命中の人はコワいですよ。いつ、豹変してわけわからんこと言い出すかわかりませんからね...。

そんな私もキャロライン・メイスだけは何故か気に入っているのですが、それは 
”Stop speaking woundology!”(「傷理学」でもって語るのはおやめなさい) 
※woundology:
「傷理学」←心理学、の「傷」バージョンという彼女の造語。邦訳では「傷の言語」という表現があてられています。 
という、幾度も繰り返されるメッセージが好きだから。今の自分に必要だったから。
...という理由ではないかな、と思います。

邦訳の版元はサンマーク出版ですが、キャロライン・メイスという人自体はニューエイジ系のテロ〜ンと甘い癒し系の雰囲気とは恐ろしくかけ離れた、鬼軍曹・スパルタ式のおばちゃん(笑)。←某ホソキ先生とキャラがかぶるか!?

「いい加減に下ばっか向くのは止めて、さっさと歩き出せ!
働け、そして祈れ!」って感じですかね。カトリックの怖い尼さんみたいな人。
メソッドとか、「How to」とか、そういう読者サービス、全然無し。
読んだ人がいい気分になってくれればいいな〜とか、多分、微塵も考えてないです。

最近、「ほら、この古傷がぁ!」 
「過去から引きずっている痛みが、まだ消えてなくって!」
といったとらえ方をするのが、本当に自分にとって有益なことかどうか、はなはだ疑問に感じられるようになりました。

初舞台でめちゃくちゃ上がってまずい演奏をしちゃった音楽家が、10年、20年...と経験を積んだ今もなお、本番前になるとその初舞台を思い出してはテンション下げてしまうような、そんな無駄なことをやっているんじゃないか...って、最近、思われてならないんですよね。
(もちろん、これはあくまでも私個人の例です。より深刻な傷を負った方の場合は、また別の話となるでしょう。)

匿名さんがおいくつだかはわかりませんが、私(60年代後半生まれ)よりはお若いのではないかな、と、推察いたします。
私くらいの年になると、同級生の身にいろいろと辛い運命が降りかかってくるのを見聞きすることが急に増えるんですよ。

「A君、鬱になってしまって自殺したらしいよ...」
「女子バスケ部のBちゃん、子宮がんで亡くなった。子供もまだ小さいのに。」
「C君の親、認知症が進んじゃって、毎週末車で実家に帰らなきゃいけないんだって」
「D子、離婚してから一度も旦那に子供と会わせてもらってないんだってよ」
「E君、経営していた会社も順調だったのに、この4月にがんで亡くなったんだって」

...自分の悩みなんて、彼らの抱える(抱えていた)辛さに比べたら、一体なんぼのもんじゃい、も〜、小さい、小さい!って、嫌でも思えてきます。

傷とか何とか称して、大真面目にいつまでもこねくり回して、いつまでもwoundologyにどっぷり浸ったような独り言繰り返しているのが恥ずかしくなったんですよね...。

もっと健康なままで、もっと長く生きていたかったであろう、今は亡き元・同級生たちの無念さを思うと、
「自分はそこそこ健康で、そこそこ気力もあって、しかも周囲の人々にも恵まれている。もうwoundologyになんて関わっていないで、悔いの無いように今の生を全うしなきゃ!何か世界に貢献しなきゃ!」と、言うしかないんですよ。
いつお迎えが来るかなんて、誰にもわからないわけですし。事故や天災は降りかかる人を選びませんからね。

誤解の無いように急いで付け加えますと、過去記事、それから元の楽天ブログでもさんざん書いたように、私も斎藤学さんや、「毒親」本、アダルトチルドレン本はかなりの冊数を読んできました。ジョン・ブラッドショーとかの洋物だって、有名ドコロは一応まぁ、一通りチェックしてきました。

そんな人間でも、周囲の人々が体験している(体験した)【運命】というものの冷酷非情さの前には、我が身の生き方を省み、考え方の癖を変えざるを得なくなった、ってことでしょうかね...。

死ぬ瞬間に「よくやった!悔いは無い!」と言い切るために、今、できることをやるしかない。
それに、Woundologyに浸っている間は、お腹の底から笑うこともごくわずか。
せっかく生かしてもらっているのに、そんな人生のままで終わっては、あまりにももったいない。

...となると、結局、キャロラインおばちゃんが何度も繰り返しているような
「下向くな、歩け、働け、そして祈れ!」という言葉に近い生き方が目標となりますよね...。


2016/07/18

本日のお題:シーザーカット。(付記:実はロックなJ.S.バッハ。)

シーザーカット。


 男性の髪型、です。 


もちろん、古代・共和制ローマの軍人・政治家であり、「ガリア戦記」の作者としても知られるジュリアス・シーザー(ガイウス・ユリウス・カエサル)の名前にちなんだ名称です。



 これね。
「人間は自分がそうだったらいいな、と望むことを簡単に信じてしまう。 そして、自分が考えていることは、他人も同じように考えている、と思い込む。」 http://i.quoteaddicts.com/media/quotes/1/15579-julius-caesar-quotes.jpg

「シーザーカット」という名称を聞いただけで、頭にパッと画像が浮かぶ方。 おそらく美容業界の方か、ファッションにお詳しい方でしょうか。 もしくは、古代ローマ史や世界史をよくご存知の方、なのかもしれません。



 で、私は、と言いますと.. つい最近までそんな名称、知りませんでしたよ。
私の中では単に「短髪」。それで事足りてました。名前がちゃんと付いていたとは。



 シーザーはシーザーでも、サラダでしたら、たま〜にレストランに行った時には食べてるんですけど...。 (なぜ、ロメインレタスの上にパルメザンチーズとドレッシングとクルトンをかけたこのサラダに「シーザー」の名前が付いたのか、それはまた別の話。どうやら、メキシコ、その後アメリカでレストランを開いていたイタリア系移民のCaesarさんが考案したことから、その名前で呼ばれるようになったようです。 古代ローマの偉人・カエサル/シーザーとは関係無いんですって。)  
(アメリカの料理にありがちな、きっつい酸味が苦手な私も、シーフードレストラン・Red Lobsterのシーザーサラダは大好き。酸味がマイルドで、チーズやクルトンも、あくまでも脇役に徹するべく、控えめな味付けが施されているのみ。でも、その配合がとっても上手なんですよね。個々の役者が、それぞれの持ち場でいい仕事をしている。だから、何度食べても飽きない、おいしいサラダに仕上がっているわけです。 
日本のレッドロブスターでは、これと同じシーザーサラダ、出しているのかな?もう20年以上も行っていないな〜。)
https://www.tripadvisor.com/
あ、髪型の話でしたっけ。すみません。
はいはい。 シーザーカット、ですね。
今年始めのこと。 ハフィントン・ポスト日本語版でたまたま読んだ記事で、そのような名称で呼ばれる髪型がこの世に存在していたことを、初めて知りました。
【昔は「かっこいい!」と思ってた......。時代遅れになった男性ヘアスタイル17選】http://www.huffingtonpost.jp/2016/01/25/17-mens-hairstyles-should-stay-dead_n_9075036.html  
原文はこちら。
【17 Men’s Hairstyles Of The Past That Should Just Stay Dead】http://www.huffingtonpost.com/entry/bad-mens-hairstyles_us_56a13ec1e4b076aadcc5b77b
12番目に出て来る、この、お医者さん時代のジョージ・クルーニーがしていた髪型、がそれです。

http://img.huffingtonpost.com/asset/scalefit_600_noupscale/56a148fa2a00002c000310c5.jpeg



The Men's Hair Forumという英語のサイトから、簡単な説明だけ引用しますね。

「シーザーカットとは? 
シーザーカットとは、前髪を下ろした形の、男性の短髪のひとつ。頭頂部の髪をフラットにして前方へと流すこのスタイルは2014・2015年に流行中の髪型のトレンドとは一線を画している。 シーザーカットの人気は、1990年代後半に特に高まった。ジョージ・クルーニーが大ヒットテレビドラマ「ER」でこのスタイルをして出演してから、一躍流行の髪型へと躍り出た。以来、シーザーカットは、またたく間に30歳〜45歳のアメリカ人男性を中心とした層の支持を集めることとなる。」

【ソース:http://www.menshairforum.com/talk/Thread-Caesar-Cut-Hairstyle-Guide-How-to-Style-Haircut-Products-Pictures-and-Tips
     
 映画「テルマエ・ロマエ」で阿部寛さんが演じていた古代ローマ人・ルシウスの髪型も、シーザーカットの系譜にあると見て差し支えないでしょう。少々伸びかけの感はありますがね。
何と言っても、物語の舞台が古代のローマですし。衣装も髪型とばっちり合ってます。

テルマエ・ロマエ
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まぁ、「シーザーカット」と言えば、私にとっては何と言ってもこちらのお方、なんですけど。 (1996年録音のCD。レーベル・レコード会社を変えての発売となったため、下のジャケ写は2002年撮影。)


バッハ:イギリス組曲 第6番 / ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ31番 他
リンク先のAmazon.co.jpページで、曲の冒頭部が試聴できます!

ジャケット裏面も、やっぱりシーザーカット。(当たり前だ)


...また脱線してしまいました。
髪型の話に戻りましょう。


これ、The Huffington Post紙の記事タイトルで、筆者のJames Cave氏が主張している通リ、



「そのまま過去と一緒に死んでてもらった方がいいヘアスタイル」
("hairstyles of the past that should stay dead")


と正式認定した方がいいですよ。
そして、できるだけ大きな声出して、世界中に拡散すべきだ、と思います。



だって、上の3人を見れば、あまりにも明らかじゃないですか。
シーザーカットは、「人」を選ぶヘアスタイルなんです。


美容院や床屋さんに行って、
「今日はどうしますか?」と聞かれ、
「シーザーカットにしてください」
といったやり取りを交わして良いのは、上に挙げたジョージ・クルーニー、阿部ちゃん、そしてP.A.様並みに


大きな、力のある瞳


が印象的で、


彫りの深い、濃い顔立ちをした、


誰もが認める


☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜美 男 子☆.。.:*・゜☆.。.:*・゜


とカテゴライズされる人のみ。
それ以外の者には



原則としてシーザーカットは 禁止。 


ってことにしませんか。
それが公共の福祉にも寄与することになります。



うやむやにしておいては、絶対、真似する人が出てきます。
特に日本人の男性は要注意ですよ。
はっきり言って、「お猿さん」化する確率があまりにも高過ぎるんですよね。
東洋人の平板な顔立ちの上に、シーザーカットを乗っけてしまうと。


いわゆる、標準レベルの顔立ちの人が「テルマエ・ロマエの阿部寛さんみたいな髪型にしてください」とオーダーしてみたところで、行き着く先は、まぁ、こんな感じでしょう...。百聞は一見に如かず。
うっかり試してみんなの笑いものにならないでください。

 
https://youtu.be/KkrW-nRK20s

https://youtu.be/z2oSBDo6FMI


(あ!加卜ちゃんのシャツ、上の仲本工事シャツと一緒だ! ちなみに、うちには真ん中の写真で志村けんが着ていたのと同じ、黄色い横縞模様のシャツ+半ズボンが一体化した 「なりきり志村けん」衣装があります。 DVDーBOXの特典でおまけに付いてきたの。
一体どうすりゃいいんだ、これ...。宴会芸に使う予定も無いし...。)        

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(これの初回限定盤・特典付きのBOX。ビッ◯カメラ川崎店に残っていた、最後の1点を運良くディスカウント価格で手に入れました。 天井からなぜか唐突に落ちて来る...の場面でおなじみ、金色のやかんも付いてきましたよ。もちろんミニチュアだったけど。)

...と、安易に「シーザーカット」へ挑戦することへ警鐘を鳴らしといたところで、そろそろ音楽に関する戯言(と、P.A.様による、上のCDについての話)へ移るとしましょうか。 クラシックとロック、どちらの音楽にもある程度の理解と興味とをお持ちの音楽ファンじゃないと、多分、読んでいても何が何だかわからないかも...。       なので、時間を無駄に使いたくない方はどうぞスルーしてください。



2016/07/15

ラジオ大好き!① 〜懐かしのFEN(Far East Network)〜

1980年代。
この十年間を神奈川県民として暮らせたのは、ほんとうに幸運だった。
今でも時々そう思う。



私は、「体育」「スポーツ」といった類の活動が好きではない。
中学校に入っても、週末を全部犠牲にしなければならず、体力的にもしんどいような部活動はごめんだ、と思っていた。
かと言って、文化部にもこれといって興味をそそられるものは無かった。
そんな怠け者で出不精な13歳だから、唯一の楽しみと言えば、毎日、学校から帰って、刑事ドラマの再放送を見ることぐらい。
今、スマホやゲームにどっぷり浸かっている子供や甥っ子たちに対し、あまり偉そうなことを言えないのは、恐らく、ダラダラ中学生だった当時の自分に、今もなお後ろめたさを感じているから、なのかもしれない。



あの頃の私にとって、「テレビは世界の中心」だった。
いや、むしろ私の方が「テレビの周囲をぐるぐる回って」いた、というのが正しい。
学校が終わると、おしゃべりしながらちんたらちんたら歩いて帰りたい同級生につかまっては大変だ、とばかりに、終礼と同時に一人ダッシュで教室を飛び出し、家路を急いだ。
運が良ければ、当時大ファンだった寺尾聰さんが出演していた「大都会PART III」(再)の結末部分にギリギリで間に合うかもしれないから。


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(ちなみに、この頃、我が家にはまだVHSビデオデッキは無かったです。もしあれば、お目当ての番組がばっちりタイマー録画されていたはずなので、ダッシュして帰る必要も無かったのですけどね~。 当時、ビデオデッキはまだまだ高嶺の花でした。 それほどリッチではなかった我が家では、ここから更に2年経ってからようやく手に入れることとなります...。)



「大都会PART III」が終わると、お次は4時からは「太陽にほえろ!」の再放送だった。
粗野な言葉の応酬と、銃撃戦や殴り合いといった暴力シーンをフルに堪能できる、男臭い昭和の刑事ドラマ・豪華2本立てを見終えてすっきりしたところで、今度はテレビ東京(当時は「東京12チャンネル」)へと移動。
弟でも楽しめるような懐かしアニメの再放送を、延々と見続けるうちに、待望の晩ごはんとなる。
で、食事を終えるやいなや、またもやテレビの前へと舞い戻る。
まったく、今から考えると実にしょ〜もない、ぐうたら極まりない日々であった。成績が急降下して行ったのも、至極当然であろう。



テレビ廃人と化しつつあった中学最初の1年間は、このように締まりのない状態で、無駄に過ぎていった。
ところが、ありがたいことに、堕落した日々の連続に終止符が打たれる日が遂に訪れる。
時は1982年の2月初め。
アメリカやイギリスのロック&ポップミュージック、いわゆる「洋楽」の素晴らしさに、ある日突然目覚めてしまったのだ。



好きになれば、少しでも情報を得たい、できるだけ多くの音楽を聴いて詳しくなりたい、と思うのは当たり前。
ラッキーなことに、冒頭でも書いた通リ、私は神奈川県・県央地区の某市に住んでいた。
皆さんもご存知だろうが、神奈川県内には厚木基地(不思議なことに、地理上の場所は厚木市とは少し離れているのだが)・横須賀基地を初めとして、数多くの米軍施設がある。
そうした基地施設に配属となって来日したアメリカ人の軍人さんや、その家族が数多く住んでいることもあり、神奈川では県の全域でFEN(Far East Network)という、24時間ノンストップの100%英語放送を受信することができた。




(毎夏恒例の、座間キャンプを地元の人に開放して行われる盆踊り大会。
高校の同級生で、卒業して最初の夏休みにこのお祭りに行き、アメリカ人の男性と運命的な出会いを果たし、20歳そこそこで国際結婚、既にお孫さんまでいる...という人を知っています。なんてまぁ、濃ゆい人生!)



ちなみに、FENというラジオ放送局はもうこの世には存在しない。
1997年に改称されて、現在はAFN(American Forces Network)と呼ばれているらしい。



周波数はAM810khz、と、NHK第二とTBSラジオのちょうど真ん中辺りに位置していた、FEN。
このラジオ局を聞き始めたのは、インターネットなるものが日本に伝わるよりもはるか前、1980年代前半の頃であった。
「金は無いけど暇はある(←帰宅部だしね...)」、しかも英語と洋楽は同級生の誰にも負けないほど好きだった中学生にとって、このFENの英語放送がどれほどありがたかったことか。


毎週土曜日、ラジオ日本で夜11時から放送されていた湯川れい子さんの解説付き「全米トップ40」も欠かさず聞いていたけれど、FENのAmerican Top 40 では、それよりも新しい、できたてほやほやのTop 40チャートを40位から1位に至るまで、全曲ノーカットで4時間にわたり放送してくれていた。



当時の放送を録音したものがYouTubeに上がっていたので、久々に聴いてみた。
いや~、結構鮮明に覚えているもんだ。
DJのケイシー宛にお便りを出し、遠くにいる誰かさんにプレゼントしたい一曲をリクエストするコーナー・"Long Distance Dedication"も、当時は「ん?長距離+献呈...って、何だ?」と、辞書を引きながら首をひねっていた。(何回か聞いているうちに、意図はつかめてきたけどね。)



(R.I.P.ケイシー・ケイサム。2014年にお亡くなりになったんですね。)



洋楽にはまってから日が浅く、少しでも多くのことを知りたい、学びたい、と、カッチカチに乾いたスポンジのように吸収力がMAXになっていた、当時の自分。
毎週土曜日午後1時から始まる"American Top 40"のひと時を、どれほど楽しみにしていたことだろう。
あれは、ひょっとすると生涯最高の英語教材だったかもしれない。(しかも、無料だし。)



一時期は、曲名とアーティスト名を40位から1位まで聞き取って、自分オリジナルの「トップ40ノート」を作りさえした。(高校に入ってからは、忙しくてそれもできなくなったけど。)
毎週ノートに記録すると決めたからには、正しくタイトルを聞き取り、正しい表記でもって書取らねばならない。
スペリングが分からない時は、辞書で必死に調べる。それでも怪しければ、雑誌「MUSIC LIFE」の一番新しい号に載っている「今月のビルボードTop100」を調べ、それと思しき曲のタイトルがランキング下位の方で登場していないかどうか、チェックしてみる。
それでもなお判明しない単語やスペリングがあれば、仕方無い。とりあえず放置だ。また来月のMUSIC LIFEが出たら、その中のビルボードTop100を見て、チョチョイと直しておけばいい。(←結構いい加減だった。)



後年知ったことだけど、この「トップ40ノート」作りって、外国語学習法の一つである「ディクテーション」(耳で聞いた文章を書き取る)という作業とかなり似ている。
あの頃は、何の効果も見返りも求めていなかった。ただ純粋に楽しいから、音楽に関係した情報を記録すること自体が嬉しいから、誰に言われなくっても続けていけたんだけどね。
今思うに、そうやって自発的に、楽しいから始める!面白いから続ける!といった類の学習が、長い目で見れば一番自分の血肉となって自分を助けてくれる...のではないだろうか。



もう一つ、FENにはAmerican Top 40と同じくらい思い出深い番組があった。
平日の2時からやっていた、メアリー・ターナーというちょっと低めの素敵な声をしたお姉さんDJの単独番組、「メアリー・ターナー・ショウ(Mary Turner Show)」だ。


http://afrtsarchive.blogspot.ca/2016/05/mary-turner-1983.htmlより拝借。)


通っていた公立中学校では、それなりに周囲と話を合わせることもできていたし、浮き過ぎない程度に明るく、人畜無害な一生徒として振る舞うことだって、なんとかできていた。
でも、それはあくまでも「仮面」を被った、嘘の自分。そんな演技ばかりしていて、毎日が楽しいわけがない。
そうした嘘くさい学校生活で大量に生じたストレスを解消しようとしてなのか、短縮授業の日や、夏休み冬休みといった長期休暇の時は、部屋にこもってFENの音楽番組をひたすら聴きまくった。
(で、少し気合い入れて勉強に取り組むようにもなった。)



特にこの「メアリー・ターナー・ショウ」は、ハードロック中心の選曲だったため、毎日欠かさず聴いていた。
聴かないと、身体の中にあるいろいろな負の感情やら、うまく行かない現実への不満やらが、処理できないまま溜まっていくような、そんな気がしていた。
同時に、雑誌「MUSIC LIFE」を隅々まで読みながら、少しずつ買い集めていたハードロック系のLPレコードばかりを聴きまくった。



「暗い...」
「変...」
そう思いたきゃ、思ってくれたって、一向に構わない。どうぞご自由に。
周囲に洋楽を聴く人なんて一人もいなかった当時の私にとって、本当の意味で「心の友」と呼べるのは、ラジオと本・雑誌と、そしてレコード。
ただ、それだけあれば、充分だ、と思っていた。
だって、後は全て「どうでも良い、くだらないこと」だったから。
必要としなかった。



「メアリー・ターナー・ショウ」で流れてくるのはJudas PriestMotorheadといった、重量感あふれるヘビメタ寄りのものから、JourneyForeignerJ. Geils Bandといった、「イマドキ(※80年代前半当時)のチャートヒット」に至るまで、まぁ、実にいろいろ。
全体的にハードロック色が濃厚であったことは、確かだ。
当時大好きで、全米No.1級の大ヒットを連発していた売れっ子のDaryl Hall & John Oates(ホール&オーツ)の曲も流れないかな〜、と楽しみにしていたのだが、待てど暮らせど、とうとう一度もそのようなことは起こらなかった。
彼らの場合、「ソフト・ロック」「AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック=大人向けロック)」と区分されることが多かったから、ハードロック中心のこの番組のカラーにはそぐわないと判断されたようだ。



("Portable Radio"...ラジオ好きとしては、やはりこの曲でしょ!)



The WhoRushZZ Top38 Specialのように、海外ではビッグネームなのに、日本では全然人気の出なかったバンド(ヒント:上記4組とも、ルックスが若い女の子受けしない面々ばかり...。)も、番組中ではガンガン流れていたように記憶している。
番組は日本にあるFENのスタジオではなく、メアリーさんの地元・ロサンゼルスのラジオ局で制作していたそうだ。
アメリカのロック専門ラジオステーションでの流行を忠実に反映した末の選曲だったのだろう。



毎回、”Off The Record"というミュージシャンの肉声が流れるインタビューコーナーがあった。一回の放送分は5、6分。それを月曜から金曜まで流して、一組のアーティストをカバーする、という構成だったように思う。
雑誌で写真や記事は読んでいても、当時、ミュージシャン(特に、ハードロック・ヘビメタ系)の生の声を耳にする機会なんて、そう多くはなかった。
だから、毎週月曜日の放送では「おぉ〜〜〜!!! 今週はこんな大物が!!!」と、一人興奮していたものである。
American Top 40のケーシー・ケーサムと違って、しゃべりのプロがクリアーに発音してくれる英語ではないし、(中学生だった当時は知るよしもなかったが)方言や訛りなども相当あっただろうから、話の内容はほとんど理解できなかったけど。






フレディー・マーキュリー存命中の1986年に行われた、こちらのクイーン・インタビュー。珍しく、4人の発言部分がほぼ均等になっている。(寡黙なことで有名なジョン・ディーコンにもちゃんとしゃべらせている辺り、メアリー姐さん、さすがは凄腕インタビュアーですぞ!)



アメリカでは既にMTVが24時間放送を始めていたから、このようなインタビューやドキュメンタリーを目にする機会も年を追うごとにどんどん増えていった。
だが、日本の場合、洋楽を取り上げるテレビやラジオの番組数がそれほど多くはなかった。
こういうラジオでのインタビューも、当時のファンにとっては貴重な情報源であったに違いない。



誰かがYouTubeに動画ファイルをアップしてくれて、手元のスマホやタブレットで大好きなスターの動画をいつでもどこでも再生し放題、なんて夢物語。
一体誰がそんな未来を予測できただろうか。
少なくとも、あの頃の私には全く考えられなかったよ。



高校に入った頃から、人付き合いに伴うストレスが著しく減ったせいか、徐々にハードロック系音楽(と、プロレス)への熱は冷めていった。きっと、身体がもう必要としなくなったのだろう。
それに伴い、自然と「メアリー・ターナー・ショウ」からも遠ざかるようになっていった。
代わって好きになっていったのが、イギリスの、いわゆるニューウェイブというか、シンセサイザーを多用したエレクトロ・ポップelectropop/シンセポップ synthpopと呼ばれるタイプの音楽だった。
残念ながら、あくまでも「米軍放送」であるFENでは、全米チャートで上位に来るほどの大ヒット(例:Tears for Fears)でもない限り、この手の音楽がかかることはまず、期待できない。



1985年。
スクリッティ・ポリッティScritti Polittiというイギリス(ウェールズ)人のグリーン・ガートサイド、デヴィッド・ギャムソン、フレッド・マーという二人のアメリカ人を組み合わせたバンドの音楽に出会ったことで、FENと私は別の方向へと進み始める。とにかくグリーンに夢中だった私は、趣味・志向が完全に「イギリス寄り」へと変わってしまったのだ。






FENを聴く頻度もますます少なくなっていった。
部屋にいる時はいつ、いかなる時でも、彼らのLPレコード"Cupid & Psyhe '85"をかけるのが慣例となってしまったから、だ。


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また、ようやく手に入れたSONYのポータブルカセットプレイヤー(まだMP3プレイヤーじゃないですよ!それは20年先の話。)・Walkmanのおかげで、深夜だろうと外出時だろうと、好きなアルバムをダビングしたカセットを、周囲に気兼ねすることなく、思う存分聴けるようになったから、だ。
そうなってくると、「どうせ好きな音楽なんてかかりっこないさ」と、冷めた聴き方しかしないようなラジオ局・FENとは自然と疎遠になるしかない。
聴くのはもっぱら、イギリス系ポップミュージックを積極的にかけてくれる、ラジオ日本の夜の番組と、週末深夜のチャート番組のみ、ということになる。
(ラジオ日本の番組については、また別の機会に書くとしよう。)



80年代も後半にさしかかると、大学受験のための勉強もしなければならず、FENを聴くこともほとんど無くなってしまっていた。
(確か86年だったかな、スクリッティのシングル"Perfect Way"が全米ビルボードチャートで最高11位まで上がったのは。あの時だけはさすがに必死で聴きまくったけど。)
既にイギリスびいきへと完全に宗旨替えしており、アメリカ英語しか流れてこない(←当たり前だ!)FENにも魅力を感じなくなってしまっていた。



誰の人生にも三つの坂があるという。
上り坂、下り坂。
そして、「まさか」。
はて、あれほどまでに英国好きだった私が、今こうしてアメリカで暮らしているのは、一体なぜなのだろう...??? 
三つ目の坂・「まさか」がここで来るとは、ねぇ。



数年前、ふと懐かしくなって、「そういえば、あのFENのメアリー・ターナーさん、今どうしているんだろう?」と、ネット検索してみたことがある。



驚いた。



DJとなったからには、誰もが一度は夢見る冠番組を持っていたメアリーさん。それも大都市・ロサンゼルスエリアという激戦区で、長年キープしていたのだから、すごい。
しかも、米軍放送ネットワークを通じて、世界中の聴取者に名前が知れ渡っていた。
なのに、彼女は栄光に背を向け、90年代に入るとラジオ業界を離れてしまう。
何でも、一念発起して大学へと戻り、大学学部、そして大学院で専門的なトレーニングを重ねた末、心理学の博士号を取得したのだそうだ。
現在はドラッグ・アルコール嗜癖の治療を専門とするカウンセラーとして、活躍中。様々な施設や慈善団体とも連携しながら、独立してお仕事しているらしい。
(ソース:http://afrtsarchive.blogspot.ca/2016/07/mary-turner-1985.html#uds-search-results )



メアリーさんは、"Off The Record"という番組内の名物インタビューコーナーで、数え切れないほどの有名ロックミュージシャンに直接会って、話をしたに違いない。
そうしたお仕事を通じて、あまりにも多くの人々が薬物や酒の誘惑に負けてしまい、転落していく様子を目の当たりにしてしまったのだろう。
華やかなステージでの輝きの裏には、とてつもなく深く、黒々とした闇があることを、嫌というほど見せ付けられたのだろう。
ほんのちょっとのつまづきがきっかけとなって、命を落とし、二度と帰って来なかった人達だって数え切れないほどいるからなあ。
ロックミュージック、とは、そうした危険が常につきまとう、やくざな業界である。
仮につまづき、転落したとしても、どうにか生きて還って来れた人は、まだラッキーな方、と言えるだろう。



(病死や事故死も混じっていますが、でも、多いですよね。薬物・アルコール絡みの早すぎる死。かく言う私も、いつの間にかFreddie Mercuryの没年齢を追い越してしまいました。
2011年に亡くなった燃えるアイリッシュ魂・炎のギタリストGary Mooreも忘れないでね。)



名声と安定した収入とが約束されていたラジオの仕事を捨て、あえて困難な嗜癖治療・心理療法の世界へと身を投じ、一人でも多くの人を助けるという道を選んだメアリー・ターナーさん。
昔馴染みの人(声だけ、だけど...)が、このような立派な選択をし、活躍しているということを聞くと、なんだかこっちまでじわりじわりとうれしい気持ちになってくる。




いいなあ。その強さ、潔さ、カッコいい生き方。
見習いたい。