2014/04/09

三つ子の魂、百まで。~People of the Lie (平気でうそをつく人たち)~

日本にいる義妹から聞いた話です。



小学校低学年の甥っ子に、X君という同級生がいます。
幼稚園の時から、一貫して負けず嫌い。同級生、その親たちにもそれは広く知れ渡っています。



負けず嫌いなのはまぁ、いいんです。
スポーツや勉強など、エネルギーを注ぐ方向性さえ間違えなければ、「できる子」「クラスのヒーロー」となって、「おっ。自分、なかなかいいじゃん!」と、肯定的な自己イメージを上手に築き上げながら、周囲から一目置かれる人として成長できる可能性がありますから。



ただ、X君の場合、力を向けるベクトルがちと、おかしくなっているんですよ。



例えば、甥っ子が「オレ、昨日、家族でディズニーランド行ってきたんだ!」と休み時間に同級生に話した、とします。
そこで、周りの同級生も
「あー、オレんちもこの前の春休みに行ったよ~!」
「いいなー。」
「うちは、来月の開校記念日の休みに行くってお母さんが言ってた~」
と、反応。ここまでは大人の集まりでもよくあるやり取りでしょう。



そこで件のX君が登場します。
「オレなんかなー、昨日とおととい、ディズニーランドのところのホテルに泊ったよ。
二日間連続でディズニーシーとディズニーランド両方周ったんだぜ!」



しーん。



最後の最後に出ました。X君のいつもの、「皆を圧倒する、人一倍どでかい自慢話」が。
あぁ、またか。
いつものアレだな。
小学校低学年の男児たちは、うんざりした様子で軽くうなずき合い、お約束のように話の矛先をスーッとディズニーランドから逸らし、何事も無かったかのようにまた他愛の無い話を続けるか、「おぉ、ドッヂボールやろうぜ!」と、校庭へと駆け出すかするのだそうです。



クリスマスが終わって、年が開け、学校が再開された時もそんな感じでした。
「オレ、ポケモンYもらった!」(*昨年発売された任天堂の大ヒットゲームソフト。)
「オレもさー、兄貴と一緒に使うからってことでWiiU(←ゲーム機。)と、マリオのソフト買ってもらったー!」
「今度、やらせろよ~」
「いいよー!」



そして近付いて来たのが、X君。
「オレなんかなー、ニンテンドー3DSに、ゲーム3個もらって、それから2月にプレステ4(←これも、ゲーム機。)買ってもらえるって約束してるんだぞー!」



しーん。
またかよ。
男の子たちは、ちゃんとわかっています。
適当に話をはぐらかし、かと言ってX君を排除するでもなく(その辺りがまだ低学年だけあって、みんなかわいいというか、心がやさしいというか。)、そのまま別の話や、別の遊びへと上手に移っていきます。



小学校低学年とはいえ、甥っ子や、仲の良い友達は学校から帰った後も、習い事やらスポーツ少年団やらで、放課後も結構忙しいもの。
「そういうのって、どーなのよ。」と、批判的な目を向ける方も大勢いらっしゃるとは思いますが、ま、今日はそのことは置いといて、と。



ある日の午後。
甥っ子が水泳教室から出てきて、迎えに行った母親(義妹)と会った瞬間、なんと例のX君が偶然通りかかる、ということがありました。
習い事にほとんど行っていない(甥っ子談)というX君。
いつものように、一人、暇そうに自転車で走り回っていたようです。
義妹曰く、「X君の○○(甥っ子)を見る目に、なんともうらやましそうな、恨めしそうな、複雑なものを感じてしまった」そうです。



X君には中学受験を控えた年頃のお兄ちゃんがいて、親の関心がほとんどそっちに行ってしまっているらしい、習い事らしきものもほとんどさせてもらっていない...という話を伝え聞いていただけに、義妹は「何の悩みもなく、嬉しそうに水泳教室から出てきた○○の姿を、親から放置気味にされているX君に見せつけたようで、ちょっと申し訳ない気持ちになってしまった、と言います。
「あ、まずい所で会っちゃったな。」と思ったそうです。



それからしばらく経った、ある日のこと。
たまたまX君は近くにいなかったようです。ふと、一人が口にしました。


「Xの話、うそばっかりだよ。」
「そうそう、あいつ、うそつきだよな!」



...みんな、口に出しこそしなかったものの、実は気付いていたんですね。X君の、辻褄の合わない自慢話が嘘だらけ、ってことに。気付いていても、上手にスルーしていただけ。(やるなぁ、小学生男子諸君!)




今のところは以前と変わらず、みんな仲良く遊んでいる模様。
でも、そのうち「あいつと遊ぶなよ」「あいつと口聞くなよ」という、村八分的な構図へと変わってしまうのでしょうかね。
X君本人が「こんなことをしていては、みんなに嫌われる。やめなければ。」と気付かない限り...。





(なるほど。現実とフィクション境目がまだ曖昧な、幼少期の一時期をどう乗り切るかが大切なんだな~。)

最近、こちらの本の文庫版をようやく手に入れ、少しずつ読み進めています。


文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)
M・スコット・ペック
草思社
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子供が精神科の診療に連れてこられたときには、
その子供は「見なし患者」と呼ばれるのが通例となっている。
この「見なし患者」という名称を用いることによって
われわれ精神療法医は、その子が患者と呼ばれるようになったのは、
両親やほかの人たちがそういうラベルをはったからであって、
治療の必要な人間はほかにいる、ということを
言おうとしているのである。


(中略)


障害の診断を進めるうちに、その障害の源が当の子供自身にではなく、
その子の両親、家族、学校あるいは社会にある、ということを
発見することが多い。
(「平気でうそをつく人たち」M.スコット・ペック著、森 英明訳、草思社文庫、2011年、pp.110-111)



参考過去記事:ある【自己愛母親】サバイバーの物語
http://plaza.rakuten.co.jp/backtotheessence/diary/201310130000/


本書を読みながら、私自身にもかつて、X君のように「うそに次ぐうそ」の得意な同級生がいたことを思い出しました。



中学一年の時、同じクラスだった美少女・Kちゃん。
ハーフかクォーターと言っても通じそうな、栗色のふわっとした巻き毛に色白の肌、そして舶来物のビスク・ドールのように大きな、少し憂いを含んだ栗色の瞳。



アニメが好きで、イラストを描くのも上手。
あんまり乗り気でない私をどうにかして「Kちゃん's ワールド」に引き入れたかったのか、SF小説の文庫本もいっぱい貸してくれました。


そう。確か、朝日ソノラマ文庫のこの人気シリーズ。(いや〜、話の筋、全くといって良い程覚えてないです...。)






今思うに、お姉さんがいたこともあって、早熟な子だったんでしょうね。



Kちゃんは、私が引っ越してくる前に横浜の某所に住んでいたことを知ると、
「私、あそこの駅の近くの幼稚園に通ってた。」と言いました。
「え、何て幼稚園?」
「☆☆☆幼稚園。」
「へー!Kちゃん、☆☆☆幼稚園なんだ~!うちの親も、『一度あそこにいれようかな、って考えたことがある』って言ってたよー!結局、近いからS幼稚園にしたんだけど。」



すると、そこからKちゃんの壮大なる虚言サーガが始まったのです。



☆☆☆幼稚園は、実は国立の、入るのが難しい、とっても素晴らしい幼稚園。
(嘘!横浜市内に国立の幼稚園なんて、昔も今も存在しません!!!)



中の敷地はすっごぉーーーく広くって、木でできた遊具がたくさん置いてある。
国立だけあって建物も立派で、
(だから、国立じゃないって!)



毎日子供達が思いっきり体動かして遊べるだけの運動施設も揃ってる。
天国みたいに素晴らしい幼稚園だった。
(ここまで来れば立派に脳内ファンタジーかな。)



今と違い、あの頃はインターネットも無く、事実確認と言えば信頼できる地元民からのクチコミしか無かった時代。
同じクラスのKちゃんが、いつも顔付き合わせているKちゃんが、平然と、しかも何度も何度も「☆☆☆幼稚園は国立。入るのに試験があって、落ちる人もいる。」という、嘘を吐き続けていたとは...。
私が大真面目に「へー、そうなんだ!すごいねーーー!!」と、毎回感心する様子が、よっぽど面白かったんでしょうかね。
彼女がどのような気持ちで嘘を重ねていたのか。私にはよくわかりません。



このKちゃんの嘘に、私はなんと20数年間もだまされ続けていました。
たまたま横浜市内の幼稚園情報を集めていた時、懐かしい☆☆☆幼稚園の名前が目に入りました。
「なんだ、ごくフツーの私立幼稚園じゃないの。国立の幼稚園!だなんて、嘘八百もいいとこだ...。」
あまりにも年数が経ちすぎていたせいか、もう怒る気にもなれませんでしたよ。
12〜13歳の若さにしてほぼ完成の域に達していた、Kちゃんの嘘つき癖には呆れましたけど。



その後、学年が上がってクラス替えをしたことで、Kちゃんとは疎遠に。
新学年になって間もない、ある日のことです。
突然、私と、それから数名の、「中一クラスの仲良しグループ」に属していた女子生徒が「ちょっと、相談室まで。」と呼び出しを受けました。


当時の荒れ果てた公立中学において、「相談室」というのは、「取調べ&尋問室」「お仕置き部屋」と同義だったことは、校内の誰もが知っていました。
「え”!?な、何も悪いことしてないけど...。」と大いにビビりつつ部屋に入って行くと...。



一年の時の担任の先生と、そして、他のクラスに散らばっていった中一グループの友達が全員揃っていたのです。
「絶対他の人には黙っていてね。
実は、この一週間、Tさん(Kちゃんのこと)がずっと家に帰っていないの。あなたたち、去年仲良かったから、何かTさんから聞いていない?」



いえ、全然。
他の子も、同様。
どうやら、Kちゃんは一週間程前から家出して、行方知らずとなっていたようです。



その後、どういう経緯があって、Kちゃんが無事家に帰ってきたか、詳しくは知りません。
もはや知りたいとも思いませんでした。
あまりかかわりたくない、というのが正直な気持ちでした。
Kちゃんが、足を踏み入れてはいけない、薄暗い世界へと行ってしまったような気がして。
今はどうしているんでしょうかね。




年端も行かない子供が執拗に繰り返す、嘘。
そこに込められた意味を、大人はもっと真剣に探らなければならないな、と思います。



悪を直視できなければ、
人間の悪をいやすことなど期待できない。
悪を直視するということは
けっして気持ちのよい光景ではない。




(中略)



人間の悪をいやす戦いは、
まず自分自身との戦いから始まるのがつねである。


そして、自己浄化こそ、つねに

われわれの最大の武器となるものである。


(「平気でうそをつく人たち」pp. 5-6)


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