2014/05/02

ほんものの中のほんものを見る ~白洲正子の「骨董極道」より

白洲正子さんの本を読み始めたのは、やきもの好きな義母の影響です。




白洲正子(Wikipediaより)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B4%B2%E6%AD%A3%E5%AD%90



夫の実家に行くと、白洲さんの著作(主に文庫本)がここかしこに置いてあり、私も自然と手に取るようになっていました。
とはいえ、骨董とか、古美術のことには相変わらずてんで疎いままなんですけどね。(テレビ東京系の「開運!なんでも鑑定団」は好きでよく見るんですが...。)
そのようなど素人の私でも、彼女がとてつもない「巨人」だということぐらいはわかります。



伯爵家の血を引く戦前の名家に生まれ、若くしてアメリカ留学。その後、彼女同様イギリス留学から帰って間もない白洲次郎と結婚。
吉田茂や近衛文麿といった、昭和の歴史で重要な役割を果たした人々とも親しく交流。



また、能や古美術、中世文学といった日本の伝統文化への造詣も深く、各界の第一人者との対談ではその該博な知識を余すところなく披露している。


...とまぁ、こんなこと、別にわざわざ書くまでもないのかもしれません。有名人ですからね。


前回の記事(コメント欄)で、「骨董の真贋見極め」の話をちょろりと出したのですが、久々に白洲さんの本を読み返したくなりました。
お友達の小林秀雄の代表作・「無常という事」からも少しだけ引用しましたしね。


モオツァルト・無常という事 (新潮文庫)
小林 秀雄
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(白状します。前回の小林秀雄の引用部分は、青空文庫 所収、坂口安吾の「教祖の文学」 からの孫引きでした。
手元に小林秀雄の原本が無かったので、つい...。
「孫引きはいかん。原典から引用せよ。」とちゃんと教えてくださった○大学の先生方、すみませんでした!)


坂口安吾 [ちくま日本文学009]
坂口 安吾
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↑これがきっかけとなって安吾ファンになりました。自分にとっては記念碑的一冊。
青空文庫もいいですが、出版社がつぶれては困っちゃうので、紙の本も買わなくっちゃね。
「石の思い」「風と光と二十の私と」
のような切ない作品と、「日本文化私観」に登場する、「猫遊軒猫八」のような脱力エピソードとの距離、たまりません。




先代の「江戸家猫八」さん、一番左の方ですね。3:39付近で登場します。昔、時代劇でよくお見かけしました。




ま、話が脱線しましたが、今日は白洲正子・坂口安吾という昭和期に活躍した偉大な二人の文人を結ぶ接点・小林秀雄について、白洲さんが回想した文章を抜き出してみましょう。
小林秀雄の「ホンモノを見極める目の磨き方」。かなりスパルタ式ですよ。飲まされた酒の量も半端じゃなかったそうですし。
そうした教育で鍛えられた白洲さんがたどり着いた結論、なかなか味わい深いものがあります。


小林秀雄(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E7%A7%80%E9%9B%84_(%E6%89%B9%E8%A9%95%E5%AE%B6)


古美術蒐集家・鑑賞家の秦 秀雄氏との対談「骨董極道」より。



日本の伝統美を訪ねて (河出文庫)
白洲 正子
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白洲    小林秀雄さんにだって私ずいぶんいろいろ言われましたよ。
ぐい吞を十か二十出していらっしゃるんです。
初めから値段つけろと言うのよ。まだ陶器なんか一つか二つ買ったくらいの時分よ。
わからないんだな。だけど、値段がつけられないで、骨董がわかるかって、どなられる。
(...)」


秦     何しろ、にせものを人が買った場合は、なるべく感情を傷つけないようにやさしく言うもんなんですよ。それを青山(二郎)や小林ときたひにゃ、
「バカッ、こんなもん何だい。一人歩きできないくせに、アホウなもの買ってきやがって」
とボロクソですよ。
こっちはにせものだったということでガッカリするのに、その上二人にやっつけられて(笑)


白洲    にせものならまだいいの。ほんものでもつまらないものを買ったりしたらひどいですよね。
頭から「にせもの」ってきめつけられちゃう。ほんものだのに。



結局、ほんものの中のほんものを
見るということがむつかしいのね。





商売人は小僧さんでも真贋ということはわかるんだけど、そうでなく、ほんものの中のほんものというのは、やっぱり商売人でもなかなかむつかしいですよね。
商売の場合、それは金だから、そんなこといってられないですよね。



だけど、それが見えなくちゃやっぱり駄目と、いまになって思うんです。その当時はわからなかった。


ほんものでもにせものといわれて、商売人のところへ持っていくと、
「これはほんものです。幾らでも、いい値でいただきます」と言うけれど、



青山さんや小林さんにしてみれば、
    

ほんものの中のピンというものでなかったら、
にせなのよ、全部。

(「日本の伝統美を訪ねて」 白洲正子、河出文庫、2009、pp.93-94)



その後、これまた興味深い発言が飛び出します。


秦    私みたいに老境になると、もう名品の展覧会も、何も行きたくないですわ。それより骨董屋へ行って、


これはというものを見て、
それにのぼせ上がることですよ。



それ一つをほんとうにつかみとれば、天地にみなぎる美術品のアルファから、オメガまでを私はつかめると思う。
いくら博覧強記で勉強したって、駄目だと思う。


白洲   そう、それがこの頃の一番悪いくせだと思う。何々入門。
こんなこと人に聞いたってほんとは駄目なんだね。



つまり好きなものをお買いなさい
と言うよりしかないよね。


まあ、初めは感動といったって、初めっから感動するわけにはいかないみたいなものがあるでしょ。何というか、縁を待つというかな。
本に書いてあったからこれがほしいなんていうことだと、



人に頼ってるわけでしょ。
だから自分のものにならない。



この頃手っ取り早くわかるということが流行なんだけど、



手っ取り早くわかったらもうよしたらいい。



本を読んでわかるんなら
よしたらいいと言いたくなる。

まあ、それじゃあまり不親切だけども、ほんとは親切なんですよ。(...)」
(前掲書、pp95-96 )


もう一つ、どうぞ。


白洲  なぜ骨董屋に行くかというと、つまり古いものというのは、安い高いにかかわらず、いいものをみんな大事にして残してきているわけですよ。


だから自然古いものの中に
いいものが多く残っているわけ。



新しいものじゃそうは行かないですよね。
一時代に作家だってそう沢山出てこないから。



現代のむつかしさは、作家の多過ぎること。



作家が多過ぎるから目移りするんだろうけど、でもそれはいいことだ。
多けりゃ選ぶのも多いんだからね。
その中で


好きだと思うもの、
人にいわれたんじゃなくて、
自分がいいと思うものを
まず一つは買ってみるということですよ。
(同、p.96)
      

いやぁ、実に愉快、痛快。怪物くんクラスですねぇ。
骨董談義として、マニアの人々だけに独占させておくのは勿体ない話です。





かっこいい。

英語のhandsome womanって、きっと彼女のような女性を指した表現なんでしょうね。

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