2016/06/24

邪道でしょうか...【スリル thrill】至上主義の音楽選び

どうも、最近気になって仕方がありませんでした。


音楽だけを集中して聴く


という体験のためだけに使われる時間、年齢と共にどんどん減っているんじゃないか、って。



いえ、音楽に対する興味が薄れたわけじゃないです。
薄れたどころか、以前にも増して超・超・超熱心に聴くようになった音楽ジャンルもありますので。
それもひとえに去る3月1日、この方と「再会」してしまったがゆえ...。



Live at Carnegie Hall
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Virgin Classics (2009-03-30)
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今月初めにようやく手に入れた2枚組CD、今はもっぱら車の中で聴いています。一人っきりの閉じた空間で音量を上げて(運転に支障の無い範囲内で☆)音の世界にどっぷりと浸るようにして聴く。
これがまた、いいんですよねー。嗚呼、至福のひととき。


「うわー、ピアノの音って、弾く人次第で本当に



・*:..。o♬*゚きらきら!・*:..。o♬*゚



っていう風に聴こえてくるものなんだ!!!」
(「のだめカンタービレ」の中で、誰かが言っていた通りだった...。)


といったうれしい新発見もできましたし。
P.A.様の奏でる音楽、本当に一つ一つの音の粒の響きがきれいなんですよね。その中でもバッハとシューマンの作品は特に素敵だと思います。
(ごめんね、ベートーヴェンはあまり好きでないの。これからぼちぼち勉強していきます...。)



一般にフランス革命以降の音楽(要するに「ロマン派」)にはあまり食指が動かぬバロック音楽好きの私ではありますが、他ならぬこの方が研究に研究を重ねた上で、精魂込めて演奏しているとあらば、「よし、いい機会だからシューマンの音楽もいろいろ聴いちゃうぞ!んでもって、良いところ探したるぞ!」 と、俄然やる気が湧いて来ました。


(一人でも多くの素人ファンを音楽の豊穣かつディープな世界へと導いて行ける、っていうことは、演奏家の優秀性を物語る何よりの証拠、だと思うんですよね。一人でも多くの不信心者を改宗して信仰の道へと導いた聖職者が優秀だ、っていうのと同じ理屈で。)





P.A.様。
いよいよ来週はドイツでのSir John Eliot Gardinerとの共演3連チャンですね!良い公演となりますように...(人∀・)タノム デコメ絵文字



やる気だけはあるものの、「ながら聴き」ではなく、流れてくる音楽に全注意力を傾けて、きちんと椅子に座って静かに音楽に耳を傾ける...といった、古き良き「音楽鑑賞」という贅沢な時間を味わうことは、年々難しくなっていくばかり。一週間のうち一時間も作れれば上等、じゃないでしょうか。
何でこんなにセカセカしてるんでしょうね!?
(寝る前にヘッドフォンで聴く、っていうのは私の場合ダメなんです。横になったら3分もしないうちに前後不覚に陥っちゃいますから。音楽なんて聴けたもんじゃありません。)


元々聴覚型の学習スタイル・情報収集スタイルなもんで、つい欲張ってあれも聴きたい、これも聴きたい...と、知識や情報を耳から入れたがる癖のある私。
その癖が今、悪い方に働いてしまい、やれあっちのポッドキャストだ、こっちのYouTubeチャンネルだ、そっちのオーディオブックだ...と、聴きたいもの・聞かなきゃいけないものを増やし過ぎてしまいました。
ふと気が付いてみると、音楽だけをじっくりと聴く、音楽そのものに集中しながら聴く、という時間は随分と削られていました。



耳も一対、頭もひとつ、心も以前と変わらずひとつ(...と数えていいものかどうか)。おまけに、1日は依然として24時間しかない、と来ている。
なのに、その1日の枠の中に何とかして入り込もうと体当たりアタックしてくる外からの音声情報の量は、この数年だけでも爆発的に増えてしまっている。とてもじゃないけど、入って来た物全てを消化できるはずがありません。



「時・間・が・無・い!」と感じているのは、きっと私だけではないはずです。
モンティ・パイソンの1970年代から時代を下ること早40年、技術の進歩や通信手段の変化にも関わらず、人類の行動パターンってあまり進歩してはいないのかなあ。




(あらら。かわいそ〜なロートレック...。)



「そうそう、これ聞かなきゃいけないんだっけ!」
「しまった、あれもまだ聴いていなかった!」
そんなことにばかり気付く毎日が続くと、まるで自分がポッドキャストの「未聴番組リスト」の奴隷と化してしまったかのような気分にすらなります。
いくらなんでも、これはまずいでしょう。



そろそろ自分なりにある一定の基準軸を設けて、流入する一方の音・情報をばっさりと仕分けしていく必要が出てきたみたいです。
さもないと、音楽や情報の洪水の中で「あれも聴かねば、これも聴かねば。」という強迫観念ばかりが大きくなるばかり。
で、自分に問いかけてみることにしました。

...自分はどういった音楽/音声情報だったら、きちんと集中して、気合いを入れて聴くべきだと思っているのか。

...また、どういった音楽/音声情報だったら、「かけ流し」「作業用BGM」として粗末に(←失礼な表現なんだけど。)扱っても構わないと思っているのか。



何とかこの問題をうまく言葉で片付けることができないもんだろうか、と思った私は、いろいろな所に答を求めてみました。
まずは、クラシック音楽の分野において「メンター(指導者)」と私が個人的に仰ぐ親類の女性・杏(あん)・エリオットさん(※もちろん仮名)と、スカイプ使って長々と質疑応答。
それから、自分の手持ちのCDやiPod Classicに入っている音楽コレクション、YouTube動画を片っ端からつまみ食い。


で、今朝、自分が納得できる結論らしきものに数日かけてようやく到達。
きっかけをくれたのは、犬の散歩をしながら聴いていた、スティーヴィー・ワンダーのこのアルバムでした。


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Stevie Wonder
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1982年に出た2枚組ベスト盤で、うち4曲は書き下ろし新曲です。
この中で昔から大好きな曲が二つありまして、その一つが全米チャートで最高位4位を記録した”That Girl”。




この歌の1:39付近からの部分

スティーヴィーが、

"... that I love her
That I want her
That my mind, soul and body needs her..."

と歌うそのバックで流れるコーラスにご注目を。

b-a-g-f#-f
b-a-g-f#-f...

と、階段を一段ずつ下るかのように、計算し尽くされた動きになっているでしょう?(あー、素人の悲しさ。こんな稚拙な表現しかできない!)
ここ、聴く度にいつも鳥肌立つような快感を覚えます。
何でこんなすごい音の合わせ方ができるんだ、この人は!!!って。20世紀アメリカのロック&ポップミュージックの歴史の中で、スティーヴィー・ワンダーこそダントツNo.1の天才中の天才だ、って、本気で思いますね。
(しかもご存知の通り、彼は生まれた時からほぼ盲目の視覚障害者です。)




もう一曲は、アルバムを締めくくる、これもまたスマッシュ・ヒットとなった書き下ろし新曲の"Do I Do"(全米チャート最高位13位)。





歌詞はいたって普通の、いや、かな〜り糖度高めの(笑)愛する女性に向けたラブソングでしかありません。ポップで陽気でキャッチー、と片付けることだってできちゃうような、そんな親しみ易さにあふれています。



でも、上の"That Girl"と同じく、いつも私はこの曲を聴くと背筋にゾクゾクっという快感が走ります。
その理由、こちらのコメント欄で、あるイギリスの方(お名前やHPを拝見する限り、プロの音楽家でしょう。)が私の言いたかったことをズバリ代弁してくれていますので、引用しときます。


How on earth does someone write a genius song like this? - All the ups and twists and chord changes that just all seem to fit perfect taking you on a journey and then deliver you back to that feeling of the home chord....amazing song writing. Nothing and I mean NOTHING musical today holds a candle to this carefully crafted music. (以下略)

一体どうやったらこんな天才レベルの曲が書けるっていうんだろう?音の上がり下がり、ひねり、変わっていくコード進行の全てが完璧に組み合わさっているその様子は、聴く者を旅へと連れ出しては、ちゃんとオリジナルのコードのところへ送り届けてくれるといった感じすら与えてくれる...驚くべき作曲能力だ。
今日耳にする音楽のうち、このように入念に練り上げられた音楽と比べものになるようなものなんて、何も、何一つありやしないよ。

100%同意。もはや付け加える言葉もありません。


これらスティーヴィー・ワンダーの二曲が共通して持っていて、私を強く惹きつけて離さないもの。
その本質を一言で言い表すならば、


【スリル thrill】

という単語がぴったり来ます。
ようやく納得の行く定義に行き着きました。


スリル、と言ったって、マイケル・ジャクソンの「スリラー」のPVで、ゾンビさん達が群舞するあの映像と結び付けられちゃうとちょっと困るんですけどね。ここで私が言う「スリル」とは、


「ゾクゾクっと走る快感」
「血沸き肉踊るような喜び」


のことです。あくまでも、【快】の側から発せられる、そういう感覚。


過去を振り返ってみると、確かに自分にとって「これは特別!」と思えるような曲やミュージシャンって、そういう【スリル thrill】の要素を多分に感じさせてくれるような作品や演奏家がほとんどでした。


「うわーっ、どうして、こんな神業のような素晴らしい演奏ができちゃうの!?」

「うわーっ、どうして、こんな複雑でありながら、きれいにまとまった魔法みたいな曲が書けちゃうの!?」


そうつぶやいて、彼らが時折見せてくれる「超人的なヒラメキ」の部分にガガガーン!!!と打ちのめされたら最後、後はひたすらファン道まっしぐら...。(で、現在に至る、と。)




クイーン Queen しかり。


2016.4.30の記事で触れたインタビュー映像を見てからエディのギター奏法を見ると、「あー、やっぱり小さい頃にピアノをみっちりとやった人ならではの指の使い方なんだな〜」と妙に感心してしまいます。)


(寂しいな。モーリス・ホワイトも死んじゃったし...。)


グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」。

バッハ:ゴールドベルク変奏曲(55年モノラル録音)
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などなど。きりがないので、ごく一部だけしか挙げませんでしたけど。


クラシックあり、ハードロック系あり、ブリティッシュ・ニューウェイブ系あり、と、てんでばらばらで統一感の無い顔ぶれのように見えていながら、実は全てを貫く共通項、ちゃんとあるんですよ。
それは


【スリル thrill】


という、このビビッと一瞬のうちに走り、全身を快感でもって麻痺させてしまうような、あの独特の感覚、なんです。
要するに、「ぞくぞくっ!」であり、「わくわく!」。
「今、幸福エネルギーが稲妻のように降ってきたっ!」って感じでやって来る、あの、「瞬間的に充電完了っ!!!」という感覚。


(まぁ、上記の一部の人々に関しては、多分に「萌え (*°∀°)=3」の要素が含まれていました、と、ここで正直に告白しておきます。←「おい、『多分』なんて控えめな言い方でいいのか?」と、私の中の批判屋が嫌味を言っておりますが...う、うるさい、黙れ!)



でも、この「ぞくぞくっ!」「わくわく!」という喜びの感覚があるか無いかという基準に従って、これから自分が真剣に聴く価値のある音楽を選んでいくとしたら、この先はかなり満足度の高い音楽生活が確実に送れそうな、そんな気がします。
乱暴に聞こえるかもしれませんが、本当に時間をかけて付き合いたい音楽家がいて、大切にしたい音楽があるならば、そのくらい思い切った取捨選択作業をやっていかないとダメだと思うんです。



だって、時間は自分で捻出しない限り、増えていくことは無いのですよ。
既に人生の半分を生きて終えてしまった私のような年齢の者は、特にそのことを常に頭のどこかに置いておいた方がいいです。残された時間には限りがあるのですから。
中世以降、ヨーロッパの人々が口々に言い続けてきたMemento mori(死を思え)の言葉は、50を目前としたわれわれ世代にとっては、決して他人事などではありません。
グダグダと、どーでもいい物事に関わって、時間も労力も浪費していてはあまりにも勿体無いというものです。



「この中でどれを選んだら、より多くの幸せを味わうことができるだろうか?」
いつ、いかなる状況に直面してもそう自分に問いかけ、そして、悔いなきように決断を下す。
迷って、選んで、そしてズバッと決める...というこのプロセスを日常的に繰り返し練習していけば、音楽だけに限らず、生活のいろいろな部分で無駄を削ぎ落とすことができ、シャキッと背筋伸ばして生きていけそうな気がしますね。
たとえ、見通しの良くない、心浮かぬ日々が延々と続くような時期があったとしても。
(そういう時こそ、一つ一つ吟味して「これだっ!」と選んでおいた珠玉の音楽コレクションが私達の折れそうになった心を支えてくれるんですよ。いわば、「まさかの時のための、心の常備薬」。自分だけに通じる選定基準を設け、その基準にかなった最良の物ばかりを大切にストックしておく必要、これでわかっていただけますでしょうか?)



仕事のために良作も駄作も一通りは聴かねばならず、大人の事情ってことで少しはヨイショ↗発言も混じえないと角が立ってしまうような、プロの音楽評論家や音楽ライターの方々(つらいでしょうね...。)と違って、われわれ素人は「気に入ったものだけ聴けばいい、後は放って置いてもOK。」と自由に言える恵まれた立場にあります。もっと自信持って、「自分はこう思う」「自分はこう聴いている」って、一人ひとりが大声で言っちゃっていいんじゃないでしょうか?
プロの音楽家だって、きっとそういう素人ファンからストレートな感想が返って来るのを楽しみにしているんじゃないかな。
(ね、そうですよね?P.A.様。あなたがおっしゃっていた「コミュニケーションとしての芸術」は、きっとそうした聴衆と演奏家との間に交わされる忌憚なき意見交換をも含みますよね?私はそう信じています。)



そもそも、「音を楽しむ」のが音楽本来の在り方。
あーだこーだと小うるさい約束や、面倒くさいしきたりなんかに囚われることなく、自由に何でも聴いて、何でも拒否して構わない素人の特権、フルに行使しましょうよ。専門家にどう見られるか、世間的な評価はどうなのか、なんて気にしないで。
美辞麗句で評論家風に語れなくたって、饒舌でなくたって、別にいいじゃありませんか。
他人の言葉を借りるより、自分の言葉で感じたことを表現する方がはるかに重要ではないでしょうか。



そして、耳にした音楽や、たまたま出会った音楽家に「ぞくぞく!」「わくわく!」の感覚を覚えたら、その作品や音楽家との縁を大切にする。
それで充分じゃないでしょうかね。ムズカシイこと抜きにして。
聴き手が明日を生きるエネルギーとして音楽をうまく人生の中に取り入れるのであれば、作った人も、演奏した人も、きっと素直に大喜びしてくれるんじゃないかな、って思います。



...ってことで、明日・明後日の遠距離ドライブのお供にまた聴きますよ。
車の中で、「カーネギーホール・ライブ」のCD2枚組。



ライブ盤には収められなかったこちらのヤナーチェクの曲も、いつかCD録音を果たしていただきたいものです。手元に置いて、大切に何度も聴き続けたいので。
(息が止まるほどに繊細で、詩情豊かなP.A.様ならではの素晴らしい音色、3分半ほどの小品ですので、クラシックに興味の無い方もぜひ聴いてみてください!)



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