2016/09/26

史上最強のVOWネタ・「シーラ・イーストン」

先日、子供が通う日本人学校のバザーの古本市にて懐かしいこちらの本を入手する。
お値段、たったの25セントなり。残り物には福がある。




昔、VOWシリーズは5冊目か6冊目のあたりまで発売と同時に買いに走るほど熱心に読んでいた。
多分、今回買った文庫本の元となった単行本も、実家のどこかに大事にしまってあるのだと思う。(まさか勝手に処分されていないだろうな...。)


そこでふと、思い出したのが、今回のタイトルで取り上げたこのネタ。
誰が何と言おうと、史上最強のVOWネタはこれで決まり、だと思う。
(勝手にリンクさせていただきましたイラストレーターのタッド星谷さん、この場を借りてお礼を申し上げます。)


「シーラ・イーストン」。
https://plus.google.com/107117837862700567166/posts/NUdsyRvDLjy







下↓の「ベストオブVOW」の「なか見!検索」を開くと、真っ先に出てくるページなので、G+投稿埋め込みが見づらい、という方はぜひお試しあれ。

ベスト オブ VOW
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1980年代の洋楽にあまり興味無い方のために、一応軽く説明しましょうね。
シーナ・イーストン(Sheena Easton)は、イギリスはグラスゴー近郊出身のソロシンガー。ご覧の通り、白い肌のスコティッシュである。


(ブルーのつなぎ...いや、ジャンプスーツ、って言うべきか、
どこで売ってたんだろう???)


シーナ・イーストンの方は1980年代初頭から快調にヒットを飛ばし、一時はプリンスと音楽上でも、私生活上でもかな~り親密になった。
確かに、シーラ・Eの経歴とほんの少しだけ、かぶる。
その後の彼女の活躍については、Wikiさんにおまかせするとしよう。 ←この項の最後の部分書いた人、明らかにVOW読んでますな…。
私、カラオケでよく彼女の初期のヒット曲歌いますよ。"9 to 5 (Morning Train)"とかね。だって歌うとスカッとするんだもん。



一方、シーラ・E.(Sheila E.)は、こちら
アメリカ西海岸・サンフランシスコと隣接するオークランド出身の、パーカッショニスト(打楽器奏者)であり、シンガーでもあるエキゾチックな美女。
メキシコ系+アフリカ系の血を引き、一族内には腕利きのプロミュージシャンがずらりと名を連ねる。


もう、かっこいいの何のって。
足で銅鑼(ドラ)・・・じゃないでしょ全くもうっ!・・・
シンバルを威勢よく蹴り上げるその姿、一度見たら絶対に忘れられない!


5歳の時から父親と一緒にステージに立ってきた、というシーラ・E.。
ラテンジャズやサルサといった、西海岸ラテン音楽の大物ミュージシャン達に囲まれて育ったため、音楽面では非常に恵まれたスタートを切った。
演奏の腕前も完璧、しかも美貌も完璧。
デビューヒットとなった「グラマラス・ライフ」のビデオを見た瞬間から、私にとって彼女は「憧れのお姉さま~♥」的なお方であった。



上のVOWネタでは、シーナ・イーストンとトホホな混同をされていたことでもわかるように、彼女もまた、故・プリンス(今年の4月22日に急逝)とは公私ともに非常に関係の深いミュージシャンだった。実は婚約まで行った過去もあった、という。
結局、男女としての付き合いには終止符を打ったものの、プリンスがこの世を去るまでずっと友人関係は続いていたらしい。



2010年には、二人揃ってスティーヴィー・ワンダーのパリ公演にも飛び入り。
よだれものの豪華メンバー共演を前にしたお客さん、そりゃーもう狂喜乱舞雨あられ、でしょうねぇ。いいな〜。


(まさかこのわずか6年後にプリンスがこの世を去るなんて...。
本当に人の命なんてはかないものです。)

今日は、そんな素敵なシーラ姉さまの、辛い過去、そしていかにしてそこから彼女が這い上がって来たか、という話、ちょっとだけ紹介したい。


こちらは、シーラ・E.、2014年の自叙伝発売に際してのテレビインタビュー。
その晴れやかな笑顔の裏に、地獄のような幼少時の記憶がこびりついていたなんて、一体誰が予想し得だろうか。

カルロス・サンタナとの恋愛に話が及んだとき、「ギタリストに弱いの♥」と告白しちゃうシーラ・E.、最高にかわいくって魅力的だった。
(私の場合はピアニスト...おっと失礼)

結婚にこそ至らなかったけど、プリンスのこと、本当に好きだったんだろうなぁ。

(以下、上の動画に添えられた説明文の和訳である。) 
演奏家としてはゆるぎない名声を獲得したシーラ・E。
幼い頃からエンタメ業界に入った彼女は、この世界の甘いも酸いも、表も裏も、ありとあらゆるものを味わってきた。
 

 父親は著名パーカッショニストのピート・エスコヴィード。彼女の才能は、ラテンジャズやサルサの超大物ミュージシャンが出入りするレコーディングスタジオへの出入りを通じて育まれていった。 

だが、このカリフォルニア州オークランド生まれの少女を待ち受けていたのは、「性的虐待の犠牲者」としての苦悩だった。 

「私は強姦されたの」
シーラ E.は語る。
加害者は年上のいとこたち、そして子守役(ベビーシッター)として一家に出入りしていた男性。
わずか5歳の頃の出来事だった。

「私なりの証言を白日の下にさらすことで、多くの人と痛みを分かち合いたかった。多くの人...特に女性...は、『自分だけがこんな目に』って思い込んでいる。でも、そんなことはない。あなただけじゃない。」

そうした話に加えて、プリンスとの婚約や、初恋の人・カルロス・サンタナとの秘蔵エピソードがつづられている自叙伝・"The Beat of My Own Drum”(私自身が刻む、ドラムビート)の出版についても話してくれた。

「辛くてなかなか筆が進まない時も、確かにあった。私のような有名人っていうのは、できるだけ私生活は隠しておきたいものだから」と、シーラ・E.は執筆作業を振り返る。

現在、ドラマー、パーカションニスト、歌手として活躍中で、わずか5歳の時に父親が出演するステージで初演奏を披露した彼女。
今も精力的に演奏活動を続けている。
 舞台の上にいるときが何よりも幸せ、だという。ニューアルバム「アイコン Icon」も発売された。

「私の人生、グラマラス(魅惑いっぱい)でグロリアス(輝きいっぱい)よ。("I'm living glamorous and glorious" )」 
(以下略)


インタビューで語っていた彼女の自叙伝は、こちら。
美人やのう...。



もう一本の動画では、彼女が長年力を入れているという児童虐待の被害者となった青少年への支援活動が描かれていた。



シーラ・E.が恵まれない青少年を支援するチャリティ活動に熱心に取り組んでいることはもう何年も前から知っていた。
外面だけじゃなく、内側も強く、美しい人なのである。
彼女のことがますます好きになった。

以下、動画の内容を要約してみる。

全米では比較的名前を知られたAARPという慈善NPOがある。 
シーラ・E.がここで果たした役目とは、恵まれない幼少期を過ごしたり、虐待の被害者となったりして、心に傷を負った青少年を支援することだった。 彼らのメンター(助言者)として、一緒に音楽を作り出す。それは、幼少時から音楽業界に身を置き、卓越した演奏能力で世界的な知名度を誇る彼女にとってはまさに打ってつけの役割であった。
ここでは、音楽の力によって少年少女たちが本来の自分自身が持っている声や個性を表現できるようになることを目指している。音楽作りという共同作業を通じて、彼らのひどく傷ついた自尊心も少しずつ癒されていく。時が来れば、力強く外の世界へと羽ばたいていくことができるようにまでなるはずだ。
「一種のセラピーよね」彼女は自身の活動をこうとらえている。
シーラ・E.自身もまた、幼い時におぞましいレイプ体験の被害にあっていた。この忌まわしい記憶と真っ向から向き合うきっかけを作ってくれたのは、彼女のマネージャーを務めるリンであった。
日本での滞在中、一緒に聖書勉強会をしていた時、リンさんはシーラ・E.にこう提案した。
「あなたが体験したことを、歌に託して表に出してみては?」

 幼少時に子守役(ベビーシッター)として雇われ、同じ敷地内に住んでいた男性。彼女は、この男性に幾度も強姦されていた。何十年間も必死に抑えつけていた自分の内面を表面化し、吐き出す作業。これは決して楽なものではなかった。

「私、こんな毒々しいものばかりずーっと自分の中に溜め込んでいたの?」
自分でも唖然としてしまうような、さまざまな負の感情が彼女の中から堰を切ったように噴出してきた。
3日間ノンストップで泣き続けた。

だが、あの時を境に自分の人生は大きく変わった、と彼女は語る。

音楽の力を借りて自分の内面を表現することで、長年のトラウマの呪縛から逃れることに見事成功した、シーラ・E.。
その体験を元に、決して幸せとは言えない幼少期を過ごしてきた若い世代に向けて、
「夢は大きくもって」
「希望を忘れないで」
とのメッセージを今日も訴え続けている、という。

トラウマからの回復という、非常に私的であり、しかも多大なる痛みを伴う作業。
それを自分ひとりの中だけで片付けてしまわずに、敢えて公共の電波上で傷口を世間に晒すという勇気ある行動を、彼女は選んだ。
自分と同じ、悪夢のような過去に苦しむ人々の役に立ちたいという道を選んだ彼女。なかなかできることではない。


だから私はシーラ・E.を心から尊敬したいと思う。


若い世代を励まし、勇気付け、未来へ向かって歩き出すための手助けをする。そうした活動にも「ひとりの子供から、今、できることをひとつづつ。」取り組んでいる、というシーラ・E.。素晴らしいよね。
彼女のこと、これからも末永く応援していきたい。


月並みな言い方だけど、本当に「すごい人」っているんだね。

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