2017/02/13

Google+に代わるおふざけ話の新ブログ(3号館)、開きました。

このたび、Google+に書き溜めてきたようなよもやま話を、装いも新たにBloggerブログの方へとお引越しさせることにいたしました。


今お読みのブログ(1号館)と比べると、長さは控えめ、内容もそれに合わせていささか軽めです。おふざけ色もより強くなります。
もしお暇でしたら、一度覗いてみてやってください。


「ドラゴンは、真夜中過ぎに一人で笑う。」 
https://dragonlaughsalone-pastmidnight.blogspot.com/


Google+のアカウントは今後も生かしておくつもりですが、これからは

「失われた【本質】を求めて、今。」(1号館。今ご覧になっている、コレですよ。)
「『さよなら、サイコパス ~Psychopath Free~』 (Peace著) 試訳。」(2号館)
「ドラゴンは、真夜中過ぎに一人で笑う。」(3号館)

という3ブログの「更新告知」以外の投稿はしない、と思います。たぶん。
(だって、Google+さんったら、他HPの画像付き記事埋め込み機能をいつの間にかカットしてしまうんだもん~。...埋め込みマニアのBlogger使いとしては、最後の頼みの綱・Facebook使うしかなくなっちゃったんだよー!ブツブツブツ...😢)

2017年2月11日(米国時間)、新築ほやほやの3号館ブログに投稿した一番最初の記事、下に貼り付けておきます。
(初回のごあいさつということで、文章はいささか長めです。)


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ようやく一人っきりで過ごせるまとまった時間が持てた、ある平日の昼間。
とあるオンライン勉強会で教えてもらった、誘導瞑想というものをやってみた。


10年前の楽しかったこと、高校の時楽しかったこと...といった具合に、自分の歴史をどんどん遡って行き、生まれる前の段階に至るまで想像をふくらませていく。
人によっては、宇宙から青い地球を見下ろしているビジョンが浮かんで来るのだという。

残念ながら、私にはそこまで劇的なヴィジョンは降ってこなかった。


でも、ひとつだけ、自分にとっては大変重要な発見をすることができた。


子供の頃、私はほんとうによくしゃべる子だった。
(今でも親しい人が相手ならそういう面を出せるのだけど。)
親の話では、バスに乗った時など、3歳ぐらいの私が独演会よろしくひっきりなしにしゃべりまくっていたという。
他の乗客がぎょっとした顔でこちらを見つめていたそうだ。
「もっと大きい子供かと思ったら、こんなちっちゃい子がっ!!!」とでも思ったのだろうか。


当時は何のためらいも恥じらいもなく、「陽性そのもの!」って感じの性格を、ストレートに外の世界へ出しまくっていた。
「何か言いたくてたまらない」の根源的欲求、包み隠したりなどしなかった。


ちなみに、インド占星術の出生図では、私という人間の本質を表すアセンダント(上昇宮)は双子座にある。
で、コミュニケーションを司る第三室には、太陽と木星のBIG2@獅子座がででーん、と鎮座ましまし。


西洋占星術では星座こそ一つ後の乙女座になるものの、第三室で太陽オヤジと木星オヤジの声デカオヤジデュオが仲良くつるんでいることには変わりない。
騒がしくっても当たり前。おとなしかったら「...何か具合でも悪いの?」と聞かれても仕方ないような配置だ。


そのように本来はにぎやか過ぎる子供だったはずなのだが、あいにくと小学生時代に度重なる転校(横浜→札幌①→札幌②→横浜→横浜の隣の市)を経験。
札幌にいた2年半の間は、夜、布団に入り、枕に顔を突っ伏して「横浜に帰りたい...」と声も立てずに涙することもしばしばであった。


小学4年生の時、無事神奈川県への復帰を果たしたものの、話の合う友達にはほとんど恵まれず。
で、そのままどよーんと暗い雰囲気を漂わせながら(しかもやや太目の、絵に描いたような非モテ系メガネ女子だった。)、校内暴力真っ盛りだった中学校へと入学。殺伐とした日々が待っていた。
(腐ったミカン世代@金八先生ですからー。)

不良がらみのトラブルに巻き込まれたくなかったから、人前ではひたすら自分色を消し、無難なことしか言わないような処世術を自然と身につけていった。


その時覚えた悪い癖、なんと今の今まで、自分の人間関係の基盤となっていた。

口は災いの元。
出る杭は打たれる。

余計なこと言うな。
(ノリの合わない相手だと、十中八九相手を困惑させるだけ。そうなると、結局はお互いに気まずくなるだけだ。)

目立ち過ぎるな。One of themのままでいるのが一番。背景に溶け込むぐらいでちょうどいい。
(服は黒、グレー、紺あたりの保護色で決まり☆)...。


そんなことばかり続けていては、魂が少しずつ根腐れしていき、しまいには生気を失って枯れてしまうというのに、ね。


兼好法師(吉田兼好)も「徒然草」第十九段で既に言ってるじゃないの。今から700年も昔の、鎌倉時代に。
「おぼしきこといはぬは腹ふくるるわざなれば、...」
(意訳=思いついたことを言わずにいると、腹にどんどん毒ガスたまっちゃうよ!)

今回、誘導瞑想を試したおかげで、腹ふくるるような生き方はもう止めた方がいい、と、ようやくわかった。

そして、気付いた。

【自分の奥の、そのまた奥の一番深いところの地下牢には、一匹の暴れドラゴンが棲んでいる。 
言いたい!書きたい!

誰かと意思の疎通をさせたい!

って叫びながら、出口を求めてのたうち回っている一匹の暴れドラゴンが、自分の奥底には棲んでいる...。】


(浮かんだイメージは東洋の龍だったが、なぜか頭に入ってきた音は「ドラゴン」というカタカナ語の方。はて、どうしてだろう。)


※画像はイメージです
(←よくよく考えるとおかしな表現だよね、これ。) 

そろそろ地下牢からドラゴンを開放してやろう。
大空を自由に泳がせてやらなくっちゃ。
そうすれば、行く先々で雨のひとつや二つ降らせて、喜んでくれる人が少しはいるかもしれない...。

(いてくれたらいいな。クスッと笑っていただけたら、書き手としては最高に幸せ。)

いや、いなかったとしても、それはそれで別に構わない。
自分一人が楽しめれば充分じゃないの。
少なくとも、お腹に毒ガスたまりすぎて健康害する事態だけは回避できるのだからね。


今朝カーラジオつけたら流れてきたシンディ・ローパー、1983年の初大ヒット。
ベタ過ぎる選曲だけど、まさに気分はこの歌そのものですよ。
「オンナはね、ただ楽しいことしたいだけなのよっ!」ってね。


ようやく地下牢からの脱出を果たした暴れドラゴン。
今日からは、しゃべりドラゴンへとして生まれ変わるのだ。


ふざけたこと、くだらないこと、楽しいこと、懐かしいこと(特に1980年代洋楽、昭和40年代~平成初期までのテレビネタ)、笑っちゃうこと、ほろりとさせられること...について勝手にひとりごちて行く所存であります。

Google+の「師岡桂子」ページに掲載した過去の投稿は、順次こちらの3号館ブログ記事にてアーカイブ化させていく予定です。)

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