2016/12/13

まだまだ語り足りない、「シーモアさん」

日本では10月1日から公開されているので、既に見たよ!っていう人もかなりの数に上っているんじゃないかと思う。

「シーモアさんと、大人のための人生入門」(原題:Seymour: An Introduction)
http://www.uplink.co.jp/seymour/


地域によってはこれから上映されるところもあるので、シーモアさん未体験の人、ぜひ上のリンクを辿って公式HPでスケジュールをチェックしてみて欲しい。




映画を見ての感想めいたものは前回の記事でさんざん書いた。
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/12/blog-post.html
なので、今回は前回のブログ記事に詰め切れなかった「こぼれ話」的な話題を、二つほど書き連ねてみたい。


去る11月24日のこと。
こちらではThanksgiving Day(感謝祭の休日)という、アメリカ人にとっては日本人の大晦日~元旦にあたるような、家族や親戚で集まってはターキー(七面鳥)を食べながらお祝いする、という祝日であった。
この日は、学校はもちろんのこと、客商売以外のたいていの企業も、そして夕方以降はスーパーやレストランといった、「一番しぶとく営業を続けている」とされるような業種ですら全部閉まってしまう。
24時間営業の店から灯りが消え、車の往来がガクッと減り、街はしばしの間しーんと静まり返ったようになる。
(もっとも、わずか数時間の後には、日本の福袋騒動なんて目じゃないほどのブラックフライデー狂騒曲が始まるわけだけど。毎年、怪我人や死人が出る。いつまで続けるのかなあ、こんなこと。)


そのサンクスギビング当日。
私のエニアグラムの師匠の一人・ラス・ハドソン先生から教え子・友人に向けてFacebookでこんなメッセージが届いた。




(投稿より一部抜粋、訳出)
「今朝、大切な友人のトニー・ズィート Tony Zitoがつい最近亡くなった、との一報が届いた。かなりの衝撃を受けている。
トニーは深い思考力を備えた賢い魂で、僕同様、音楽と芸術をとても愛していた。
 さまざまな分野に興味・関心を抱いていて、素晴らしい頭脳もさることながら、ピアノの腕前も玄人はだしだった。 
僕にとってトニーは真の友と呼べる人物だった。彼が大いに励ましてくれたからこそ、僕はエニアグラムと第四の道【*注1】の教えを更に深く掘り下げていくことができた。 
トニーの人となりを知りたければ、彼がプロデューサー【*注2】として関わった素晴らしい映画 Seymour: An Introduction (邦題「シーモアさんと、大人のための人生入門」)を見ればいいだろう。 
彼の師匠で、導師(メンター)である人物を取り上げた作品だ。あのRotten Tomatoesでなんと100%の好評価をマークした【*注3】ほどの作品だよ!
トニー、君が逝ってしまって寂しいよ。遺されたトニーのパートナーであり、探求の道の仲間でもあるダイアンDianeには心からの愛を贈りたい。近いうちに僕ら二人で再会する機会を持とう!」

【*注1】アルメニア出身のG.I.グルジェフを祖とし、弟子のウスペンスキーやその他の弟子たちを通じて西洋の知識人を中心に伝えられてきた、秘教的教えの伝統。性格タイプの学としてのエニアグラムも源流を遡るとここに行き着く。

【*注2】ラス先生はプロデューサー、と書いているが、実際の肩書は「エグゼクティブプロデューサー」、つまり製作総指揮。監督を補佐して全体のまとめ役に当たる人であった。

<<参考記事:Yahoo!知恵袋「監督と製作総指揮の違いはなにですか?」>>

【*注3】有名な映画批評情報サイト。点数が辛いことで知られる。

<<参考ページ:Wikipedia Rotten Tomatoesの項(日本語)>>

なんと。
ラス先生と、「シーモアさんと、大人のための人生入門」の製作総指揮を務めたトニー(アンソニー)・ズィート Tony(Anthony) Zito氏が、古くからのご友人だったとは...。
(なぜか日本の公式HPには片仮名によるクレジット表記が無いのですが、HPの一番下に行くとちゃんと英語で載ってました。executive producer anthony zitoって。)




自分にとって、人生観を変えてしまったと言ってよいほどの衝撃をもたらしてくれた、「シーモアさんと、大人のための人生入門」という一本のドキュメンタリー映画。
その映画の製作総指揮者を務めた方と、これまた自分の人生を大きく(良い方向へと)変えてくれた性格タイプの学・エニアグラムの師匠のおひとりであるラス・ハドソン先生がつながっていたなんて. . . 。


エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ 基礎編 (海外シリーズ)
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残念ながら、現在簡単に入手できる邦訳本としては、これが唯一のもの。)

この事実だけでも充分びっくり!だった。
なのに、その後、DVDで映画を再度見直して、またまた仰天。
始まってすぐの場面で、イーサン・ホークがはっきりとこう口に出していたからだ。

「友人のトニー・ズィートが夕食に招いてくれて、そこで僕はシーモア・バーンスタインにはじめて出会った」

わーお。


つまり、
トニーさんと、奥様のダイアンさんのお二人がその夕食会を企画してくださって、シーモアさんとイーサン・ホークの二人を一緒に招いていなかったとしたら、この名作が誕生することもなかった、と...。
これに気付いた瞬間、身震いしてしまった。


偶然に偶然が重なって、素敵な人間と、また別の素敵な人間との間にご縁が生まれる。
そうしたご縁の積み重ねが、そこに集まった人々の間に不思議な力を発動させ、予想もしなかったほどの素晴らしい結末へと向けて全てが収斂(しゅうれん)していった。
これ以上のメンバーは望めない、っていう才能ある人々が見事に取り込まれ、数々の奇跡に助けられ、命が吹き込まれた作品。
それが、この「シーモアさんと~」という映画だったんだな。


亡くなられたトニー・ズィートさんには、どれほど感謝しても感謝し足りないほどだ。
ピアノの師匠であるシーモア先生よりも先にあの世へと旅立たれたのは、まことに残念至極としか言いようがない。
シーモア・バーンスタインという素晴らしい老ピアニストがこれまで歩んできた道のりとその音楽とをイーサン・ホーク監督やスタッフの皆さんと共に映画という形にまとめて、わたしたちの元へと届けてくださったトニーさん。
精一杯の感謝の気持ち、そして「今はゆっくりとお休みください。」との言葉をささげたいと思う。


(ラス先生同様、シーモアさんも長年の生徒/友人を失われてさぞや落胆されていることと思う。どうか周囲の人々が支えとなって、先生のお気持ちを慰めてくれますように。)


それから、もう一つ。


映画を見た方限定の話題になってしまうのだが...。


この方、覚えていらっしゃるだろうか。
シーモアさんとセントラルパークを見下ろす窓に近い席に座り、音楽談義をしていた、60代前半のイギリス英語を話す紳士、なのだが。

(DVD上映中の我が家のテレビを思わずパシャ!)

アンドリュー・ハーヴィー(Andrew Harvey)。


いや~、彼の登場には本当に驚かされた。
というのも、この人、私がさんざん記事で取り上げている「7つのチャクラ」

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「チャクラで生きる」

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などの代表作で知られるキャロライン・メイス(Caroline Myss)と大の仲良しなのだから!


何でも、今は二人ともシカゴの郊外、文豪ヘミングウェイの出生地としても知られるOak Parkという地域内の、5分と離れていないところに住むご近所さんとなり、ほぼ毎日のように行き来しているらしい。同い年(1952年生まれ)の二人、互いをsoul sister/brotherと呼び合う程の仲だそうだ。

(画像はhttp://www.greatmystery.org/nl/ei2011myss.htmlから拝借。)

これまでに、二人一緒にオーディオブックを2作作ってきた上、互いの本の解説や序文を書き合うなど、息はぴったりといった感じのキャロラインとアンドリューのペア。

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(これ、アンドリュー・ハーヴィーの語り方があまりにも熱すぎちゃって、車の中で聞くと笑えて笑えて...。浪漫主義者の松岡修三氏みたいな、熱がこもり過ぎなアチチチッ!!!な口調、って言えば雰囲気が伝わるかなあ? 
お二方、近々「シャドウ(影)ワーク」をテーマにした新作CD/オーディオブックを出すとのこと。録音は既に終了している模様。楽しみ!)

シーモアさんとアンドリュー・ハーヴィーの対談形式という、肩の凝らない読み物としても楽しめるこちらの本でも、キャロライン・メイスがアンドリューにとってかけがえのない友人の一人であることが述べられていた。

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Seymour Bernstein Andrew Harvey
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私はキャロライン・メイスという指導者を崇拝しているわけでもないし、「グル(導師)」扱いする気もさらさらない。
グルどころか、むしろ、破れどころ、ほつれどころ、ツッコミどころが満載!の、口の悪い愛すべきガラッパチおばちゃん、だと思っている。
だから、彼女の泊りがけ講座やセミナー(高いよ)に参加したいとも思わないし、彼女と直接話をしたいとすら思わない。
(下手なリップサービスとかできない、粗削り過ぎる人だからねぇ。うっかり疲れている時に話し掛けでもしたら、超そっけない対応とかされそうで怖いよ。)
ただ、遠巻きに見て、本やCDで話を聞くだけでいい。単なる一読者・一ファンのままでいい。
それ以上のことは何も期待しない、って感じ。


それでも、キャロライン・メイスから学んだことはたくさんあるし、彼女の気合注入でシャキッとさせられ、目を開かされたことは数えきれないほどあった。
彼女が伝えてくれている硬派(で、実は物凄く正統派のド根性系)なメッセージの中身が純粋に好きなのだ。
自分を甘やかす人が多いスピリチュアル系/ニューエイジ業界において、そのようなメッセージを嫌われようが、低評価をつけられようが、少しもブレることなく世に送り続けてくれている彼女の姿勢は尊敬している。大いに感謝している。
「近くに行く気はないけど、大切な師匠。」の一人。
キャロライン・メイスとは私にとってそういう位置付けの人だ。
ラス・ハドソンさんみたいに「もっとお話ししたい!」というタイプの親しみやすい師匠とタイプは全然違うけど、それでもやはり「師匠」は「師匠」だ。そう勝手に呼ばせてもらっている。


そんなキャロライン・メイスの大親友であり、仕事上のパートナーでもあるアンドリュー・ハーヴィーが、シーモアさんと長年の友人関係にあって、
しかも例のトニー・ズィートさんの夕食会に招かれ、その晩初めてシーモアさん同様、イーサン・ホークに出会った。
で、あの映画が生まれた。
驚いたことに、トニー・ズィートさんと奥様のダイアンさんは、ラス・ハドソン先生にとっての大切な恩人的存在でもあった、と...。


いやぁ。
人と人とが織りなす縁って、面白いなあ。


自分にとっての尊敬する人々、大好きな人々が、自分の知らないところで縁を結び、親しくなり、一緒に力を合わせて美しい仕事を完成させ、人類の歴史の中にまた一つ宝物を残していった。
その様子をこうして目の当たりにすると、まだまだこの世界は捨てたもんじゃないぞ、魔法って本当にあるんだぞ、「つまらない」なんて簡単に言っちゃいけないぞ、と思える。
明るく、希望に満ちた気持ちにさせられる。
励まされる。


きっと、神様(か、私たちには見えない、何らかの偉大なる力。)は、われわれ人間には見えないところで、今、この瞬間にも無数の壮大なプロジェクトを同時進行で進められ、着々と実行へと移していらっしゃる最中なのかもしれないなあ。
そう思わざるを得なくなってきた。


必死に悩み、もがき苦しみ、右往左往するわれわれ人間どもの動き方の癖や長所・短所もひっくるめた何もかもを把握された上で、神様はわれわれひとりひとりにふさわしい役を割り振ってくださっている。
映画やお芝居と違い、文字にされた脚本が事前に与えられることは一切無い。それだけに、先の展開が見えず、演じるわれわれが不安になることも多い。
多い、どころか、実際は「どうしたらいい?」「次は一体どうなる?」ってオロオロすることばかりだけど. . . 。


それでもわれわれは前に進むしかない。
与えられた役目を果たすしかない。
【プロジェクトby 神様】に何らかの形で貢献したいのであれば、どんなに小さかろうと、この世に自分が生きたという確かな足跡を残したければ、とにかく何かを「やる」しかない。
それが何であれ、まずは目の前にある作業をひとつひとつこなしていくしかない。
作業にあたっては、最善を尽くし、できるだけ質の良いものを生み出すよう努力する。
そうした仕事/努力から逃げずに、こつこつと続けていくことではじめて【自分を好きになる self-love】ことができるんじゃないかなあ。シーモアさんによると、それこそが創造的活動を続ける上で一番必要とされるものだ、という。

(シーモアさん、エニアグラムで言うと非常に健全なタイプ9でしょうね。
人格的に成熟した9の人ならではの、癒しのマイナスイオン放出中、です!
ちなみに、アンドリュー・ハーヴィーは非常にわかりやすいタイプ4<笑>でしょう。
タイプ5のウィングだろうな。
もう、あのクッソ熱い、抑揚の激しい一人芝居的な喋り方からして、
他のタイプは絶対あり得なーーーーい!!!って感じ。)

「創造的活動をする上で一番大事なものは何だと思う?
【自分を好きになること(self-love)】だよ。」って。
自分を好きになれないと、外からあれこれ言われた時にもあっという間にへこんでしまい、何も続けられなくなってしまうから、って...。


繰り返して何度も見たい、何ともありがたい動画だ。
人間という生き物へ向ける、シーモアさんの眼差しはどこまでもあたたかい。
そして真実をちゃんと見抜いていらっしゃる。
ほんと、ユング心理学でいうところの「老賢人(老賢者・Old Wise Man)」の元型をまさに体現していらっしゃるようなお方って感じがする。


...でも、やっぱり「"わたしの"地蔵菩薩さま」っていう表現が一番しっくり来るな。
笑顔のシーモアさんは。


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(来週届くのだ!早く読みたい!!! 
上のアンドリュー・ハーヴィーとの対談本はKindle版で買ったけど、少しだけ後悔。
パラパラっとめくっては目が留まったところを【本日のおみくじ】風に読む、という楽しみ方をしたいのであれば、やっぱり紙の本がいいですね。 )


2016/12/07

創造しよう。「自分が充たされるため」に。【後編】


また間が空いてしまいました。
お元気でお過ごしのことと思います。
故国・ポーランド二都市での室内楽公演を終えられ、12月からはいよいよ本格的なソロ・リサイタルを中心とした演奏会シーズンの始まりですね。
日が暮れるのが早く、夜がとっても長い冬のヨーロッパ。
場所によっては相当冷え込むところもあるのではないかと思います。
どうぞお身体を大事になさって、これからの約7か月を無事乗り切ってください。ご成功をお祈りしております。
・・・あっ、でもその前にまずは"Wesołych Świąt! /Joyeux Noël! /Merry Christmas!" 。
大切な方々と一緒のクリスマス休暇、楽しんでくださいね。



(原題は"Seymour: An Introduction)

というニューヨークシティ(NYC)在住の、今年89歳になるピアノ教師・ピアニスト シーモア・バーンスタイン(Seymour Bernstein)の日常を追ったドキュメンタリー映画の話をしかけたところで、一旦話を区切りました。

【こちらが映画の予告編です。上映スケジュールはhttp://www.uplink.co.jp/seymour/theater.phpでご確認ください。
日本全国、いろいろな街で続々と上映が決定しています。皆さんのお近くの映画館にも来るかもしれませんよ。クラシック音楽好きも、それほどでもない人も、ぜひご覧になってください。】



なんて素敵な笑顔なんでしょう...。



この予告編の途中に、【"わたし"の先生】という字幕が流れますが、私の場合、映画の最初から最後までシーモアさんが


【"わたし"の地蔵菩薩さま

http://www.wikiwand.com/ja/%E5%9C%B0%E8%94%B5%E8%8F%A9%E8%96%A9

に見えて仕方がありませんでした。


子供と動物が大好き。(愛猫家さんです。)
ご自身もまた、幼子のように純粋で、慈悲深い心の持ち主でいらっしゃる。
日本人のわれわれには実に馴染み深い、「お地蔵さん=地蔵菩薩さま」のイメージにぴったりとはまるような、愛らしいおじいちゃま先生がそこにいました。


フリー素材屋Hoshino

目の前にいる人を包み込む、あたたかな微笑み。
戦死した仲間を思って流した、きれいな涙。
そしていたずらっ子の少年が見せるような、お茶目な表情。
映画が始まって何分もしないうちに、私、シーモアさんの魅力にすっかりとろかされてしまいました。


途中で登場する日本人生徒さんのIchikawa Junko(市川純子)さんの言葉を借りるならば、まさに"I fell in love in him.(恋しちゃったんです)" といった感じでしょうか。
(Junkoさん、その後慌てて"...in his music([シーモアさんの]音楽に)"と付け加えましたよね。あの時の表情、とってもキュートでした!)


本作品の監督・イーサン・ホークも、きっと私たちと同じような気持ちを抱いたに違いありません。
共通の友人宅での夕食会に招かれ、会った途端に"I felt safe with him."(この人は大丈夫、安心できるって思った)と確信。
悩み相談に乗ってもらううちに、イーサンは「シーモアさんを主役にしたドキュメンタリー映画を作ろう」との決意を固めます。
彼もまた、シーモアさんに恋しちゃった一人ですよね。


シーモアさんが口にする言葉は、一つ一つが宝石みたいにキラキラと叡智の光を放っている。
素敵に年齢を重ね、人類の宝である超一級の芸術作品と親しむ人ならではの確かな眼力を備え、【本物】を鋭く見極めることができる。
それでいて、実際に会ってみると、威圧的なところなど微塵も無い。
幼子のように純粋で、生きとし生けるもの全てへと向けられた慈悲心の持ち主である...。


シーモアさん、やっぱりどこまで行っても地蔵菩薩さまっぽいですよ。


「大人」と呼ばれるようになって久しい、アラフィフ(もうすぐ50歳...。)世代の私たちではありますが、さて、このような条件を全て満たすような大人って、果たして私たちの周りにどれだけいるでしょうか。


...いませんよね。
たとえいたとしても、せいぜい一人か二人といった程度、じゃありませんか?
残念ながら。



映画を見た人、実際に会った人の誰もがたちまちシーモアさんに恋してしまう理由。
それは、

「こんなに魅力的な大人、いまだかつて見たことない!」

という新鮮な驚きと、そういったたぐいまれな偉人と出会えた喜び。
こういう感情が限りなく「恋」の初期段階と似通っているから、ではないでしょうか。

"I thrive on solitude.
I have to be myself in order to sort out all the thoughts that course through my mind.
Our social world is unpredictable.
Someone who may be the closest to you can, one day, say something and somehow the relationship dissolves.

I have to tell you that our art is totally predictable.
Music will never change.  (...) Because of the predictability of music, when we work at it, we have a sense of order, harmony, predictability, and something we can control.  "
 
「僕は一人でいると生き生きしてくる。
自分の中をよぎる種々の思いを整理したかったら、一人にならなきゃいけない。
一寸先のことは予測できない。それが他人との付き合いだ。
誰よりも親しくしていた人が、ある日急に何かを言ってきて、関係が途切れてしまう。そういうこともある。

だけどね、芸術っていうのは完全に予測可能なんだよ。
音楽は決して変わることがない。(...)
予測可能だからこそ、音楽に向き合うことで、人は秩序、調和、予測可能といったものを実感できるし、
自分がコントロールできる何かを手に入れることもできる。」


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(英文はアメリカ版DVDの字幕から引用。拙訳を付けました。以下、同様。)

でも、ただ優しく、甘いだけじゃないんです。教育者・友人としてのシーモア・バーンスタイン先生は。
人によっては物凄く厳しい先生、と感じられるかもしれません。

"When you reach my age, you stop playing games.
You stop lying to people, and you just say really what's in your heart.  And you find out that it's the greatest compliment to someone when you really say the truth and don't just say what they expect you to say."

「僕ぐらいの年になると、もうごまかしはしなくなる。
嘘をつくのを止めて、ただ心にあることを包み隠さず話すようになる。
相手が聞きたいと思っているような話ではなく、真実を語ること。 
結局、それが相手にとっては最大級のほめ言葉になるんだ。」 

自分が嫌われたくなくって、仕返しを受けるのが恐ろしくって、【真実を語る】のを忌避する人があまりにも多い。
それが現代社会という、われわれが生きる、ある意味で「残念な」社会です。


20世紀後半の私たち現代人は、痛みや辛さを減らすことを最優先したがために、それ以外の場所では決して得ることのできない、貴重な学びや教訓といったものもどんどん減らし、視界からきれいさっぱりと排除するところまで行ってしまいました。
で、最後にたどり着いたのは「ネガティブ(否定的)なのはダメ!ポジティブでなくっちゃ!」を連呼するような、いわゆる「ポジティブ教」。薄っぺらい現実逃避の一手段に過ぎないものが、「これは金になる」とばかりに飛びついた世界中のメディアが猛プッシュして、たちまち一つの巨大ムーブメントが作られたのです。
例えば、「引き寄せの法則」(Law of Attraction)、それにヒントを得てうまくパッケージ化した「ザ・シークレット」、そして、それらに続いての流行りとなった「覚醒」「悟り(Enlightenment)」モノの数々。
(私も一時期ハマりましたので、あまり偉そうなことは言えませんが。バカだったな、って反省してますよ・・・。)


苦しみや辛さの原因に真っ向から立ち向かうことを拒み、人間本来の姿にはつきものの弱さ・情けなさから逃げる。
そうした似非(エセ)の「教え」が、あまりにも多く市場に溢れ過ぎてしまいました。


人と人との付き合いにしたって、同じことが言えます。
問題の根っこから目を背ける。
面倒な関わり合いは避ける。
気分が良いことしかしない。
波動が下がっちゃうようなところには行かない...。
どうもこういうのが最近のトレンドらしいですよ。


ちょっとやそっとの揺れではびくともしないような真の信頼を伴わない関係ばかりだから、
上辺だけの仲良しごっこをしているだけの関係ばかりだから、
ほんの少しの【真実】が混入しただけで、いとも簡単にひびが入って壊れてしまう。
そして二度と元には戻らない...。
われわれが今いる社会って、多分そういう「面倒なことになったら、捨てる」ことが普通になり過ぎたのでしょうね。
ああ人情紙風船
(←っていうタイトルの、大昔の日本映画があったそうです。古すぎて私も見たことないんですけど。)


そんな中で、われわれの前に静かに現れたのが、シーモアさんのような「真実を語り、信じることの大切さを教えてくれる」タイプの生身の人間。
人と人との信頼関係が揺らいでいる時代にこそ、こういう真実を重んじるタイプの導師(メンター)や、友人が一層求められている。
会ってみたい、話してみたい、って誰もが願っている。口に出しては言わなくても。
私にはそう思えてなりません。
一時的には聞く側に痛みを与えてしまうかもしれないけれど、それでも嘘よりは真実を口にする方を選ぶ。
ごまかさない。
そういう方が周りにいて、困った時に話を聞いてもらえたら、どんなにか心強いことでしょう。


(常に誠実であろうとする生き方って、実はとても勇気の要ることなんですね。他人からの承認を絶えず追い求めているような、自信ゼロの臆病者にはとてもできません...。)

確かに、そうした方って、実人生でお目にかかる機会はほとんど期待できないです。
まぁ、インドの奥地やヒマラヤの高山にある洞穴にでも訪ねて行けば別でしょうが。
一人や二人ぐらいはそうした条件を満たす、徳高い聖人・聖者がいて、われわれにありがたい教えを授けてくれるのかもしれませんけどね。
とはいうものの、そんな所へ赴く金も無ければ、時間も無い。
現代の都市型社会に暮らす大多数のわれわれにとっては、それが現実です。


でも、私たちはご縁あって、シーモアさんという希代の名教師の存在に触れることができた。
珠玉の言葉を聞くことができた。
その幸運をつかめたことを天に感謝しなければ、ですね。
たとえそれが映画/DVDという形であっても、素晴らしい先生との出会いは価値ある出会い。
これがきっかけで、人生が大きく変わっていく人だっているかもしれないのです。
優れた芸術作品には、そうした人格の変容を促す力がありますよね。
それはあなたが誰よりもよくご存知なはずです。


映画の最後で、シーモアさんは監督のイーサン・ホークとその演劇仲間たちを前に、35年ぶりのソロ・リサイタルを開きます。

(もっとも、こちらの本によりますと、室内楽の演奏会といった、ソロ以外での演奏活動は細々と続けられていたそうですが。 
詳しい人に聞いたところ、ピアノソロリサイタルと室内楽でのピアノパートの演奏は、その緊張度・ストレスにおいて、物凄い差があるようです。 
コンサートピアニストって、本当に精神的にしんどい、苛酷なお仕事なんですね...。P.A.様、そして古今の名ピアニスト全ての皆さんに心からの敬意を表します。)


("Play Life More Beautifully"というタイトル、映画の中でイーサン・ホーク がシーモア先生に語った、あの印象的なせりふから取ったのでしょうか?ーーー"Playing life more beautifully is what I'm after.")


P.A.様も最近精力的に取り上げていらっしゃる作曲家で、


Schumann : Piano Works
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ドイツ・ロマン派音楽の代表的な作曲家、ロベルト・シューマンが最愛の女性・クララに捧げた曲「幻想曲 ハ長調 op. 17」。
シーモアさんは、この第三楽章をリサイタル(と、映画)の最後を飾る曲に選びました。


(このティーケトル、ロベルト&クララのシューマン夫妻が本当に所有していたものだそうですよ!)

演奏者の人柄、その生き方は、作り出す音の中へと自然とにじみ出て、結果として聴衆の心を深く、激しく揺さぶるほどの偉大な力を持つようになる。
本当にその通りだと思います。
普段からあなたの演奏を聴きながらうすうす感じてはいましたが、シーモアさんのこの映画を見たことで、それが絶対的な確信へと変わりました。


去る3月、Humans of New YorkのFacebookページに掲載されたインタビューであなたが語っていた言葉。
その一つ一つがシーモアさんの口から出てくる言葉と重なり、こだまのように響き合うのを感じていました。
その事実が私の中でより一層大きな感動の波紋を生み出し、心の隅々にまで静かに広がって行きました。
映画を見ながら、幾度もこう思ったものです。

たとえ世代や国や育った環境が大きく異なっていたとしても、本当に誠実に音楽と向き合い、良いものを生み出そうと日々努力している一流の音楽家であれば、語る内容や考え方は自然と似てくるものなんだなぁ...】

って。

参考過去記事:
【続報】ま・さ・かの有名ピアニスト...いきなり大炎上


エンドロールが流れ始めた頃には、もう、涙ぼろぼろ。しばらく止まらなかったです。
バッハのカンタータ (BWV106、「神の時こそいとよき時 Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」)の演奏をバックに、心の中にしつこく居座っていた様々な迷いやためらいをきれいさっぱりと洗い清めてくれた涙。
まるで日照りが続いた後の、恵みの雨のように優しく、ありがたい涙でありました。


シーモアさんが私たちに贈ってくれた叡智の言葉。
もう、たくさんあり過ぎて、これだけ引用してもまだまだし足りない程です。
でも、私にとって、一番心の奥深くにずしーんと響いたのはこれなんですよ。

"When I placed tremendous challenges before me, only to be cast down, something in me said, 'Really, you're inadequate?  Well, then stop beefing about it and make your self adequate.'   
Instead of practicing four hours a day, I turned it eight."  

「とてつもなく大きな困難を自分に課しておきながら、それに打ち勝てずにいた時、自分の中でこういう声がしたんだ。『もうだめだ、できない、って、本当にそうか?さあ、弱音なんて吐くのは止めて、できる自分になってみろよ。』 
で、一日4時間だった練習を8時間へと増やしたよ。」

練習時間を4時間を8時間に増やす。
文字にしてしまうとサラッと読めてしまいます。別に大したことないじゃない、と、軽く流されてしまうかもしれません。


...が!!!


ピアノに向かって8時間。
...よくよく考えると、これって物凄い練習量ですよ!
種目にもよるでしょうが、プロのアスリートだって毎日きっちり8時間練習する人なんてそれほど多くはないはず。
しかも、御年80代後半に差し掛かったシーモアさんがここまで真剣に取り組むのですからね。
...常人の想像をはるかに超えたそのプロフェッショナリズムに、ただ脱帽するしかありません。


「足りないようなら、練習量を増やす。」
結局、このシンプルな処方箋に勝るような安全・確実な「自信増強法」なんて、この世の中にはありっこ無い、ということですね。
近道?
早道?
抜け道?
そんなもの、期待するだけ無駄です。余計な妄想なんて止めて、とっとと仕事に取り掛かるしかありません。
ズルして楽して、ちゃっかり成果だけ手に入れよう、甘い汁吸おう...。
できるわけないじゃないですか。
世の中はそういう仕組みでは動いていないのです。最後の最後には努力した人だけが微笑むのです。
今も昔も。これからも。


もうお気づきでしょうが、私、最近のスピ系な人々(英語だと"New Ager"か。)がいかにも好みそうな「波動vibrationを上げれば望みは叶う!」といった、あまりにも調子の良過ぎるスローガンにはすっかり辟易していましてね。
でも、シーモアさんにここまで潔く
「できるようになりたい?だったら、努力を倍増するしかない。」
って言い切ってもらえたおかげで、百万の援軍を得たような、そんな頼もしい気持ちになりました。
何しろ、コンサートピアニストとして、カーネギーホールアリス・タリー・ホール(リンカーンセンター)といった、P.A.様もこれまでに何度も演奏していらっしゃるような超一流の会場でのソロ・リサイタルを何年も何年も経験してきた方ですから。
説得力は抜群です。


だから、私もシーモアさんを見習って、これからもずっと

書きます。

書き続けていきます。

書くことを止めたりしません。

他の誰のためでもなく、
ただ「自分が充たされる」ために。

これからもずっと書きます。
下手っぴぃでも、コツコツと練習します。


ナイキ(Nike)のCMじゃないですが、
"Just do it." (とにかく、やれ。)...ですよね。


私にとっては一生忘れられない宝物となった映画・「シーモアさんと、大人のための人生入門」。
もしまだご覧になっていないようでしたら、ぜひ。


決して後悔はさせません。


既に3人を無理矢理劇場へと追いやり、しかもその全員から
「あまりにも内容が豊か過ぎて一回見ただけじゃ足りない。何回も繰り返して見たい。」
という絶賛の言葉を引き出した、この私(どの私なんだか)が言うのですから。
騙されたと思って、まずは見てください。心からお勧めできる作品ですよ。


そして、"わたしの"地蔵菩薩さま・シーモアさんに思う存分「恋しちゃって」くださいね。
きっと何かいいこと起こるはずです。



(英語版と日本語版の予告編、使用されている場面が若干異なるんですよ。
行こうか行くまいかまだ迷っている方の参考になれば...ってことで。)

2016/11/10

創造しよう。「自分が充たされるため」に。【前編】


11月9日(西ヨーロッパ時間)は、夏のドイツでの3公演を除けば、サバティカル(長期休暇)からお戻りになって最初の演奏会でしたね。






イギリス・バーミンガムでの久々の公演を無事終えられ、今頃はご自宅のあるポルトガルの首都・リスボンに戻られてほっと一息つかれていることと思います。


2016/10/29

R.I.P. ピート・バーンズ(Dead or Alive)。〜「僕には子供時代なんて無かった (I had no childhood.)」

10月23日に突然この世を去ってしまったデッド・オア・アライブのヴォーカル、ピート・バーンズ(1959-2016、享年57歳)。


有名な、あまりにも有名な。


下にG+の埋め込みという形でYouTubeへのリンクを貼っておいた。(直接ブログ本文に動画の貼り付けができないもんで。)
この「サイキック・セラピー」、正確な情報は確認できなかったのだが、おそらく2007‐2008年頃にイギリスで放映されたテレビ番組と思われる。
司会進行役のサイキック/ミディアム(死者のメッセージを伝えられる人)・ゴードン・スミスが、ピート・バーンズと一緒に彼の半生を振り返り、壮絶な子供時代の体験を聞き出し、死んだ身内からのメッセージを伝えることによってセラピー(療法)的効果を得ようと試みた、ドキュメンタリー番組である。
つい先ほど見つけたのだが、あまりにも凄まじい話の内容に引っ張られて一気に最後まで見てしまった。


ピート・バーンズの生い立ちについては、Wikipediaのピート・バーンズの項にも詳しい。そちらもぜひご参考に。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA


ゴードン・スミスというミディアム(霊媒)、今まで知らなかった。
グラスゴーなまりの英語を話すスコットランドの方。元・床屋さんだそうだ。
動画を見る限り、「物凄い切れ味のリーディング!」っていう感じはしない。
でも、なんかこう、あったかくて、二人っきりで話しているだけで、凍りついた心が少しずつ溶けていくような、そんな魅力を持った人だな、との印象を受けた。
霊能者にありがちな儲け主義が前面に出てこない点も、好感が持てる。
床屋さんだった頃は、リーディングもお金を貰わずに引き受けていた、という。


なぜ、悪いことが起こってしまうのか?
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ちなみに英語の原書は、みんな大好き☆なニューエイジ/スピリチュアル系書籍の大手出版社・ヘイハウス(Hay House)から出ていたりするんだな、これが。相変わらず、商売がお上手なようで...。






1から5まで見終わり、ただ、ただ、「悲しい...」という気持ちだけが残った。



2016/10/27

【記事紹介】ジェイン・オースティン「エマ」に学ぶ、認知症介護のあり方。

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原文はこちら。

http://www.nytimes.com/2015/12/20/opinion/jane-austens-guide-to-alzheimers.html


ジェイン・オースティンに学ぶ アルツハイマー型認知症 
(Jane Austen’s Guide to Alzheimer’s)
キャロル・J・アダムス (Carol J. Adams)
New York Times Dec. 19, 2015


私がジェイン・オースティンの「エマ」に辿り着いたのは、50代に入ってから。
世の一般的なオースティン読者と比べれば、遅い方だろう。
父親と二人暮らし、何不自由無い生活を満喫し、村のみんなのキューピッド役を買って出る。
そんな21歳の女性を描いた物語なんて、以前だったら少しも興味を持たなかっただろう。


「火のない所に煙を立てる」とでも言わんばかりに、他人の恋心はさかんに煽り立てる。
なのに、自分の恋となると、目の前にあっても全く気付かない。
このエマという主人公、初めのうちはあまり好きになれなかった。



だが、親の介護という、私にとっては人生の一大危機を体験してからは、その印象も大きく変わった。
あの頃、一体何度オースティンの小説を読み、オーディオブックで朗読を聞いたことか。
飴玉一つをゆっくりと舐め、溶かしていくような調子で、彼女の言葉を頭の中で何度も何度も転がし続ける...。
それが当時の私であった。


母はアルツハイマー型認知症を発症していた。
介護が始まって間もない頃は、オースティンの他の作品に慰めを見出したものだが、病気が進み、中期の段階に入ってからは「エマ」が私の座右の書となった。
最初は単なる娯楽目的で手にした本。
だが、これが私にとても大切な事を教えてくれる教科書であったと気付くのに、そう時間はかからなかった。


母の病気は、いつも私をひょいと追い越し、一歩先へ、先へ、と進んでいってしまう。
だから、我が家には介護関係の本も山ほど揃えている。
その中の一冊に、ケネス・P・シレッピ(Kenneth P. Scileppi)著、”Caring for the Parents Who Cared for You ”(直訳:「あなたを世話した親の世話」)という本がある。



著者・シレッピは本書で次のように述べている。
「認知症が進んだ人の生活で、『これだけは間違いない』という法則が一つあります。それは、


【変化は、どんなものであれ、悪影響しか及ぼさない】


というものです。」


ここを読んだ瞬間私の脳裏をよぎったのは、92歳にして認知障害が目立ち始めた私自身の母親ではなく、エマの父親・ウッドハウス氏であった。
小説の中で、彼は「神経質」であり、「変化と名の付くものはどんなものであろうと」忌み嫌う人物、として描かれていたからだ。


物語作者によると、エマは「苦しみも悩みもほとんどなかった」とされている。
にもかかわらず、彼女はいろいろな苦しみや、悩みにぶつかる。父親にとっては、エマは娘であり、親なのだ。それも、随分と前から。





母は間違いなく認知症の類を患っている、と知ってしまったあの日。
私に誕生日のプレゼントを渡しながら、父が言った。
「これ、お母さんが自分で選んだんだよ。」
母の性格上、誕生日のプレゼント選びを人任せにすることなどあり得ない。
父がわざわざ付け加えたその一言で、私は全てを悟った。
ああ、プレゼントひとつ選ぶにも、父の助けが要るところまで症状が進んでいるんだ...と。



父が気を利かせて言い添えたあの一言がきっかけとなり、私はジェイン・オースティンが「エマ」で読者にほのめかしていた事柄に気付き始めた。エマの父親に対する接し方から判断して、ウッドハウス氏の認知能力が劣化しつつあることは、少なくとも私の読みでは、もはやはっきりしていた。


エマが父親を手助けする場面は、作中に数多く登場する。
たとえば、人への贈り物を選ぶとき。他にも、似たような例はすぐに見つかる。
エマは、父親の関心が横道にそれることがないよう、脇から支えてやり、父親の言いたいことを代弁しつつ、会話のやり取りを引き受ける。
父親の相手をするときは、エマ自身が好むような複雑なゲームを避け、単純なものを選ぶようにしている。


窓の外に小雪がちらつき始めたのを見て、父親が恐れおののき、エマに助けを求める場面がある。
「どうしたらよかろう、かわいいエマや?...どうしたらよかろう?」


シレッピ博士(先述)の公式に従えば、ウッドハウス氏の狼狽ぶりは以下のように説明がつく。


記憶の喪失(memory loss) + 不安感(anxiety) 
= 外部に安心の言葉を求める(search for reassurance)



親の意識が曖昧模糊とした状態へとなりつつあるのを察知したら、子の側からうまく補うようにする。
不安と混乱を前にして戸惑っているときは、安心させてやる。
どっちへ行けばよいのかオロオロしているときは、正しい方向へと向けてやる。
エマにとっても、そして私にとっても、毎日がこうした作業の繰り返しであった。



私は、アルツハイマー型認知症について専門書から得た知識を思い出しながら、「あれはどうなのか」「これでいいのだろうか」と、自問自答し続けた。そうこうするうちに、いつしか私は小説「エマ」を以前よりも一層深いレベルで読み取れるようになっていた。
介護者としてのあるべき姿を、私はエマの一挙一動を追うことでひとつひとつ学んでいったのである。



200年前の今月【訳者注:1815年12月】にその初版が世に送り出された「エマ」。
介護に関わる人々にとって、この一冊が実に力強い応援歌となる。
作中で描かれているのは、介護につきものの、さまざまな困難、要求、フラストレーションだ。
小説の至るところで問題にぶつかるエマの姿を認められるようになってからは、彼女への苦手意識は消えた。
彼女の苦しみのひとつひとつが、我がことのように感じられたからだ。


母を自宅で介護する日々は、終わりなきマラソンのように延々と続いた。
その間私がひたすら聞き続けたのが、「エマ」のオーディオブック版だ。

https://librivox.org/emma-by-jane-austen-2/(ボランティアさんたちによって運営されている、名作朗読の無料ダウンロードサイトです。 
リンク先はカナダ人のMoira Fogartyさんによる「エマ」全編の朗読ダウンロードできるページ。イギリス英語ではないのですが、とっても聞きとりやすい発音です。ぜひ試し聴きしてみてください!)




あなたも少しは一息つかないとダメよ、ということで、友人が2時間我が家にいてくれることになった。
その間、何をしようか?
泳ぎに行こうか?
細々した用事を済ませてしまおうか?
それとも、散歩に出かける?
夢はどんどん広がる。私は、その自由な2時間のことを思い、幸せいっぱいになった。
ちょうどその時、聴いていたオーディオブック版「エマ」で、エマの義兄が、エマの社交活動に一言口をはさむという場面に差し掛かった。
【訳者注:義兄=エマの姉・イザベラの夫である弁護士のジョン・ナイトリー氏。ロンドンで弁護士業を営む。】


エマは猛然と義兄に反発した。
「私、このハートフィールドを2時間も空けることなんて、ほんと、めったに無いのよ。それなのに!」
傍目からは自由に歩き回っているかのように見える、エマ。
だが、彼女の「自由」とは、拘束だらけの中で行われる活動、そして細切れにされた時間の寄せ集めでしかなかった。
ウッドハウス氏が常に家にとどまり、娘の帰りを今か今かと待っているのだから。


ある調査によると、介護従事者の3分の1が24時間休むことなく、アルツハイマー病患者に付き添うことを余儀なくされている、というのが現状だという。エマが言う通り、2時間だけでも外に出ることができれば、まだましな方なのだ。


例の自由な2時間が目前に迫った、ある日のこと。
たまたま聴いていた小説のオーディオブックでも、ちょうどあの「2時間」の部分が出て来たのよね、と女友達に話したことがある。
するとこの女友達、あまりにも小説「エマ」と私自身の生活が符号し過ぎていることを懸念したのか、「あなた、もう、オースティンなんて読むのやめなさいよ!」と強く迫ってきた。


まさか。
冗談じゃない。
私にはエマがどうしても必要だった。
母の介護にあたる身として、もっと忍耐強くいられるように。非難めいた言葉を吐かずにいられるように。
介護の専門書は、私たちに「こうしろ、ああしろ」と言葉で言うのみ。
だが、エマは身をもってそれを私たちに教えてくれている。


母は、他人が家の中に入り込み、生活を覗かれるのを嫌がった。
同様に、夜、私が父の書斎で仕事をすることも好まなかった。


ある晩のこと、母は書斎で調べものをしている私を見つけて、「ここに、いないでほしいの」と頼んできた。
私は答えた。「でも、シャッターはちゃんと下りて閉じているはずよ」
「上のシャッター?」
「ううん、そうじゃなくって。」
「仕事なら、ダイニングルームでしてほしいんだけど。」
「でも、別に私がダイニングルームで仕事する必要なんて、無いでしょ。」
私も意固地になっていた。
当時の私は「アルツハイマーの患者とは、口論すべからず」という解説本のアドバイスにまだ出会っていなかったのだ。


母の方も、一歩たりとも引かなかった。
「仕事するならダイニングルームでしてちょうだいよ。」


最後には私が折れるしかなかった。
この時の私は、母の被害妄想を、病気特有の症状としてではなく、単に「わがまま」としてとらえていた。
手助けならば、もちろんする。
でも、私自身の生活を完全に曲げてまで、母に合わせるつもりはない。
あの頃はそう考えていた。


では、エマの場合はどうだろう。
エマは、父親のウッドハウス氏との言い争いは避けて、目指す方向へと父親を誘導している。
予め解説書をきちんと読んで予習してきたかのような、実にうまいやり方だ。
エマに教えてもらいながら、私は自分を見失うことなく、より多くを与えられる介護者へと成長していくことができた。
彼女がいつも私の心に寄り添っていてくれたおかげである。


時として、介護する者の周りに犠牲者が生じる場合がある。それは「エマ」の作品中でも触れられている。
介護者が冷静さを失い、不安定になっていくとき、誰かしらはとばっちりを食らう人が出てくるものだ。
犠牲者は必ずしも介護を受ける側の人間だとは限らない。その場に居合わせただけの、たまたま通り過ぎただけの、運の悪い人が被害をこうむる場合だってあるのだ。
小説の後半、物語のクライマックスとなる場面で、零落する一方の哀れなオールドミスに向かって、エマは非礼極まりない言葉をぶつけてしまっていた。


大好きなナイトリー氏に厳しく叱責され、絶望のどん底に落とされるエマ。


ジェイン・オースティンの小説世界のほとんどが、架空の土地を舞台としている。
だが、この「エマ」一行の遠足の目的地に作者・オースティンが選んだのは、ボックス・ヒルという実在の場所だった。
イングランドの田舎風景の中でもその美しさは格別とされ、周辺地域を広く見渡せる景勝地として名高いところだ。




エマは、この、見晴らしの良い丘の上に立って初めて、父の介護と引き換えに自分が失っていた世界をようやく見渡すことができた。
だが、その高みから下界へと下りていくとき、彼女はひとりぼっちになってしまう。
しかも、涙が止まらない。


私はこのボックス・ヒル巡礼の旅へと出かけることに決めた。
介護者としての私、そして、介護者としてのエマをねぎらうために。
もはやエマは私にとって忠実な友であり、深い共感を覚える相手として、かけがえのない存在となっていた。


ボックス・ヒルへ向かう途中の駅では、がらくた市が開催されていた。
私は骨董品の中から小さなブッダ像を見つけ、それを買った。
数か月後、死の床にあった母の元に向かう私は、リュックサックの中にこの「ボックス・ヒル・ブッダ」の小さな像を忘れずに忍び込ませた。


一日中ずっと母の世話をし、本を読み聞かせ、話の相手をする。
それらを終えて眠りにつく前のひととき、私は「ボックス・ヒル・ブッダ」を握りしめながら、ずっと考えていた。
私は母から何をもらったんだろう、オースティンから何をもらったんだろう...と。


介護者にとっての「自由な時間」は、いざ与えられてみると、目がくらみ、どうやって扱えばいいのかわからないように感じられるものだ。
ボックス・ヒルのてっぺんから周囲の田園風景を見下したエマがそう感じたのと同じで。


介護生活の中で、私自身もエマ同様、「ボックス・ヒル的八つ当たり」、つまり、罪もない第三者にきつく当たるという過ちを犯したことは一度や二度では済まなかった。
誰にも見られない場所に隠れて涙を流したことだって、何度もあった。


でも、エマには無かったが、私にはあったものが一つだけある。


...それは、小説・「エマ」。

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2016/10/20

そそりの大家・吉田健一。ヨシケン、ふたたび。

某ブログでその存在を知った、文体診断ロゴーン(http://logoon.org/)という、謎のHP。
64人の作家・有名人の文章サンプルから、10項目の要素を抽出・解析し、得点化。
そのデータをあなたが入力した文章から得られたデータと照らし合わせ、誰の文章に最も近いかを診断してくれるというのである。



早速やってみた。
前回投稿した記事・「続・人は変わるの~キャロライン・メイスが読み解く『がん』~」から一部を切り取って、ロゴーン先生に解析していただく。



結果は、これ。





読んだことあるのは、太宰治だけ。
それも、あまりどよぉ~~~~んと暗くならない、「女生徒」のようなライトタッチな太宰作品のみ。(翻訳:「ほんのわずかしか読んでいない」)


女生徒
女生徒
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(2012-09-27)


青空文庫さんの「女生徒」は、こちらからどうぞ。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/card275.html


吉川英治も、中島敦も、正直言って、よくわからないや。読んだこと無いので。
何せ、物心ついた頃からのバタ臭い西欧モノ好き(これは明らかに「ベルサイユのばら」の影響が大)な私。
人名が漢字だらけで、ドレスも宮殿も舞踏会も、ついでに王子タイプの洋風イケメンも全く登場しないような、男臭い東アジアの歴史物や戦記物には食指が動かないものでねぇ...。剣豪とか武将には興味無いんですよ。「戦い」に関心が無いの。
(中国史・アジア史、本当に苦手だった。殷周秦漢...あぁ、もうだめだ。何でこんな細かいことまで暗記しなきゃいけないんだろう。日本の受験生、かわいそ過ぎるよ。若くて鮮度の良い頭脳はもっと有効に使うべきだと思う。)



面白いので、ブログやGoogle+に投稿した過去記事もいくつか切り取って、診断してもらった。

おおむね、

小林多喜二(「蟹工船」)
浅田次郎(「鉄道員(ぽっぽや)」)


といった作家さんたちが一致指数の上位に来ることが多いみたい。こちらのグラフだと、右下方面に固まっているという感じかな。

http://logoon.org/about/sanpuzu.png


一度だけ、一致度ベスト3に松たか子、という名前が入った。
「な、なぜ、芸能人エッセイストの中で、わざわざこの人がサンプルに選ばれたのだろう? (阿川サワコさんとか、沢村サダコさんとかでなく…… ←古い?)」
ロゴーンの開発者さんがたまたま彼女のファンで、手元に彼女のエッセイ集があったから、なのか?


ただ、下のNaverまとめを見ると、この「松たか子現象」、決して珍しいものではないようだ。
「イマドキのメディアでよく目にするような、イマドキの若い読者が最も読みやすいと感じる、いわば【時代の流れに合わせた、最大公約数的なライター文体】を♪ありの〜ままの〜姿で見せてくれる人」の代表格として彼女が選ばれただけのかもしれない。
(松たか子さんの本を読んだことが無いので、的外れなこと言ってたらゴメンなさい。)

「自分の文体ってどうなの?文体診断ロゴーンと小説解析素分析で診断!」
http://matome.naver.jp/odai/2140558198198854901


まぁね、好きな作家、好きな作品を書いた人と、自分の文体とが必ずしも一致するとは限らない。
この事実を再確認できたことが、文体診断から得られた最大の収穫かもしれない。
坂口安吾の「堕落論」「日本文化私観」といった快刀乱麻エッセイがどれほど好きだとしても、文章を書く上ではほとんど参考にしていなかった、ということになる。
文章というよりは、その背後にある威勢の良さ、正直さ、やぶれかぶれ具合...といった、【その人の魂の質】が好きだから、私は時々無性に坂口安吾を読みたくなるのだろう。



「じゃぁ、アンタは誰の文章・文体が一番好きなのか?」



そう聞かれて、思いつくのはこの人しかいない。


吉田健一


吉田健一 ---生誕100年 最後の文士 (KAWADE道の手帖)

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1912年(明治45年)、吉田茂元首相の長男として誕生。


妹・和子は麻生太郎元首相の実母なので、健一と元首相はおじ・おいの関係となる。


外交官だった父の赴任先に帯同し、イギリス紳士としての教育を受けるという恵まれたスタートを切った彼。第二次世界大戦前夜の不穏な空気を察したのか、1931年、ケンブリッジ大学を中退し、日本に帰国。1931年といえば、アジア大陸の東端では満州事変が起こった年である。
以後は文学評論・文筆業に従事。文壇の名士たちとも交流を深める。一時期は中央大学などで教鞭も取った。
英・仏両言語に通じていたため、翻訳作品も多数残している。


ファニー・ヒル (河出文庫)
ジョン クレランド
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(よい子の皆さんは知らなくてもいい本です。
一応、初恋の人と最後に結ばれる純愛モノであることは確かなので、女性でも安心して読めます。
ただし、家族の目の届かぬ場所に保管した方がよろしいかな、と...。)


もちろん、「ファニー・ヒル」のように人前で書名を大声で言えないような本以外の英米文学作品も、吉田健一は数多く翻訳を残している。以下は、そのほんの一部に過ぎない。


ブライヅヘッドふたたび
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海からの贈物 (新潮文庫)
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【筆者注:アン・モロウ(モロー)・リンドバーグは、人類初の大西洋横断単独無着陸飛行(ニューヨーク~パリ間)に成功し、「翼よあれがパリの灯だ」との名台詞と共に記憶されている、チャールズ・リンドバーグの奥方である。】



ジェイン・エア (集英社文庫 フ 1-1)
シャーロット・ブロンテ
集英社
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書き手としては、相当アクの強い人ではないかと思う。
決して万人受けするタイプではない。
たとえば、彼、ヨーロッパという語をいつも「ヨォロッパ」と書く。英語だと「ユーロップ」に近いような気がするのだが。
トーストは、「トオスト」と書く。「トウスト」ではなく。
本場イギリス仕込みの英語使いであったにもかかわらず、なぜかこういうこだわりの片仮名表記をする人なのだ。


日本の食や酒といった話題も多数扱っている彼ではあるが、残念ながらその分野における吉田健一はほとんど知らない。
下戸である私は、この方に酒のうまさや素晴らしさをどれほど熱っぽく語られたとしても、「ふーん。そう。」と、冷ややかな反応しかできないからだ。わざわざ日本から取り寄せてまで読む気はしない。
ご遺族の希望なのか、はたまた出版社が勝算無しと踏んでいるからなのか、吉田健一の作品は一部の翻訳書を除き、電子書籍化も進んでいないらしいし...。
まぁ、焦る必要は無い。縁があったら、いずれ出会う機会もあるだろう。



英国に就て (ちくま学芸文庫)
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「吉田健一、いいじゃん!」と、私が最初に心打たれたのは、こちらのエッセイ集でイギリスのパンやトーストの話を読んだ時である。

「そのトオストなのだが、ただパンを薄く焼いただけなのではなくて、理論はそのとおりでもパンが柔いのとこりこりの丁度間ぐらいで、バタを付けるとじゅんと音を立てそうにして溶けるのは、これも何かやり方があるのだろうと思う。 
朝の食事の時ではなくて、午後のお茶の時間に、先にバタをつけて出すトオストはまったく素晴らしいとでも言う他ないもので、バタがどろどろして芳香を放ち、パンがこれに応じてパン粉の風味となって舌に媚び、アラビアの物語に出てくる回教徒の教主が舌鼓を打つ菓子もかくやと思わせるものがある。 
これに紅茶の味が加わってどんなことになるか、これは宝籤(くじ)でも当てて英国に行って験して見る他ない。」
(「英国に就て」所収、「食べものと飲みもの」、p. 245)

...バタがじゅんと音を立てそうにして溶ける。
吉田健一という人が、「人生、うまいものたらふく食ってナンボ」という思想にどれだけ(多分、頭のてっぺんがすっぽりと隠れるまで。)浸かっているかが、嫌というほど読者に伝わって来る、すごい一節である。
ひゃー、たまらん。



そうそう、紅茶の味!
確かに、紅茶だけはイギリス国内で味わうのが一番、って気がする。現地の水の味と一番相性がいいものが消費者に選ばれて、市場に残っているんだろうなあ。



さすがに水までイギリスから取り寄せるわけにはいかないが、うちはこの「どこにでもある、庶民値段のスーパーマーケット紅茶」としてはエース級のPG TipsをアメリカのAmazonでずっと買い続けてますよ。
だって、どんなブランド物紅茶よりも、缶に入ったご立派なギフトセットのよそ行き紅茶よりも、絶対こちらの方がおいしいんだもの。
ガツンと濃く出るから、これまた濃厚なイギリスの牛乳とは相性抜群なのだ。
間違っても、低脂肪とか脂肪分ゼロなんて薄い牛乳と合わせちゃいけない。胃が荒れること必至だから。





宝くじが当たらなくても、こうした「英国民の支持No.1」の紅茶を、自宅で手軽に楽しめるようになった今の日本人。幸せ者である。



そして、トーストに絶対欠かせないのが、上質の、うまいパン。

「英国のパンも麦の匂いがする。英国のトオストが旨いのは、パンを扱うのにトオストを作る以外に能がないからではなくて、パンも本当に旨ければ、これをただ焼いてバタをつけて食べるのが一番そのパンという材料に適した食べ方だからである。」 
(「英国に突て」所収、「英国人の食べもの」 p.256 )

読んだら絶対食べたくなるでしょ。
行きたくってたまらなくなるでしょ、イギリスに。
行ってみたところで、果たして吉田健一が味わったのと同じレベルの絶品パンが食べられる、なんて保証は無いのだけれどね。
だってこの方、パンクムーブメントに沸いた1970年代後半~80年代初頭の、怒れるイギリスを見ることなくしてお亡くなりになっているわけだし(1977年没)。
長引く不況、そして移民の大量流入といった流れを受けた現代のイギリスで、果たして旅行者が彼と同じようなパンを味わえるかどうか...。
私は少しだけ疑っている。



吉田健一が少年時代を過ごした古きよきイギリスは、ちょうどこの作品のシリーズ後半部分と重なっているはず。
現代のわれわれが見ているイギリスとは相当かけ離れたものであることは、読む方の側も覚悟して読まねばなるまい。


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でも、2016年の今でも、ちょいと奮発して五つ星クラスの高級ホテルにでも泊まったら、ひょっとして吉田健一が語ったような絶品パン&絶品トースト&絶品紅茶の組み合わせが食べられるかも...。
その絶品パンに、これまた絶品のマーマレードを塗れば、バターとは違った別の幸せな味が楽しめるかも...。
夢で終わるかもしれないが、それでも、つい大きな夢を見てしまう。



「ホントはもっと言いたいことあるんだけどさ」
「こんなのとは比べ物にならないような、もっと旨いもの、知ってるんだけどさ」



と、出し惜しみするような、勿体ぶった書きぶりをすることで、読者の欲望を思いっきり煽り立てる...。
吉田健一の文章には不思議な魔力が込められている。
読みかけの本なんて放り投げて、うまいものを求めて街へ繰り出したくなるような、そんな気持ちにさせられる。
頭→心→からだ、の順番で、読み手の全身にじわじわ働きかけるような、そんな能力を持った稀有な書き手。
それが私にとっての吉田健一、通称ヨシケン先生...である。
たった今思いついた「そそりの大家」という称号を、謹んで進呈したい。



私の中では間違いなく「好きな文章家No.1」のヨシケン先生。
でも、ひとつだけ残念なことがある。


私が最も愛し、尊敬する18-19世紀の境目に生きた女性作家・ジェイン・オースティンの扱い方、だ。
彼女への評価が、どうも「生ぬるい」のである。
食べものや酒について滔々と語る時のあの饒舌な吉田節に比べると、実にありきたりな、はっきり言って「英文学史の教科書から拝借してきたような」、無難でつまらない説明でお茶を濁した感がある。
お好みに合わなかったか、それとも単に読む機会に恵まれなかったか。


英国の文学 (岩波文庫)
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「そこに事件らしい事件は何も起きないが、登場人物の日常の営みが話の筋になって(...中略...)
このように最小限度の材料を用いて小説の正攻法で、これほどに清新に人生を描く技術は世界の文学にその類例がない。リチャアドソンからオォステンに至るまでの間に、英国の小説の手法が実質的には完成した事情をそこに窺うことが出来るのである。」
(「英国の文学」、吉田健一、岩波文庫、1994、p.173 )

何だろう、ここから湧き上がってくる「ふん、どーでもいいよ」感。
ジェイン・オースティンなんて女子供用の作家には全然興味無いんだけど、とりあえず省くわけにいかないので、世間一般で言われているようなことだけさらっと書きました、って感じがアリアリ、である。


シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」を翻訳していることから推測するに、先生、ブロンテ姉妹みたいに「燃え上がる情念の炎!!!」的な、実にわかりやすい形で女・オンナ・おんなっぽさを発散するような女性作家の方がお好みなんだろうか。
ジェイン・オースティンみたいに「頭の回転が抜群に速いけど、実はほんのりロマンチスト」な才女には、大してそそられなかったのだろうか。



もし、ヨシケン先生が本気スイッチON!にしてジェイン・オースティンの世界と取っ組み合いしてくれていたら。
そして、あの徹底したマニアックさでもって彼女の作品を料理してくれていたら。
どれだけ面白い文章が生み出されていたことだろう。
想像すればするほど、残念な気持ちになる。



ヨシケン先生の代わりに...な~んて、言うもおこがましいのだけど、次回のブログでは、ジェイン・オースティンの「エマ」を再び取り上げるとしよう。
「エマ」について書いた過去記事はこちら。

http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/06/blog-post.html#more
http://backtotheessencenow.blogspot.com/2016/06/blog-post_8.html

「エマ」を、面白い視点から読んでいる人の記事を見つけたので、(勝手に)翻訳させてもらうつもり。




*蛇足*
アマゾンのレビューで吉田健一のことを「よしけん」と略している人がいて、大笑いさせてもらった。
「失恋レストラン」の清水健太郎はシミケン。
サンバも踊る暴れん坊将軍の松平健はマツケン。
ドジャースの前田健太はマエケン。
私が高校で古文を教わったのは山口健一先生で、ヤマケン。
どうも、ファーストネームに「ケン」の音が入っている人って、○○ケンというあだ名がつき易いみたい。響きが心地よいからかな。
あっ、そういえばDANCE☆MANも歌ってたっけ。「♪名字と名前を略して呼ぶ... ヤマケン♪」って。)